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先日に引き続き、2つめの病院の面談に行ってきました。1つめの病院と違い、雰囲気もやわらか、とても良い感じでした。入院したとして、病院内で対応していただける内容はほぼ同じなのですが(延命治療しません、とか、積極的に心電図をとったり点滴をしたりしませんとか。)、説明が丁寧で、知識のない私にでも理解できるようにお話ししてくださるだけで、こんなに印象が違うのかと感じました。さて…相変わらず父の状態は良くないのですが、現在入院前している精神科でお手上げになると、退院させられると思います。(言い方
朝起きてみると体調も多少改善したので、新門司港から大阪南港行きのフェリー⛴️乗船を決行することにしました。19:50出港なので時間があります。以前県税事務所に電話して、所有するクルマの自動車税の免除の相談をしましたが、福岡県に転居したら1台だけ認められるとの事でしたので、再度電話で相談しました。愛車クレソンジャーニー号(キャンピングカー)ですが、車検証上クルマの所有者が東京の住所でワタシ、使用者が福岡の住所でパートナー様にしてあります。ベンツGLA号は、ローンの途中なのでディラーに所有権
父は、苦しい今すぐにでもホスピスに入りたい楽にしてくれと言っているそうです。医療用麻薬?で、今の苦痛を取り除けるのであれば、その方が長生きできるのでしょうか。普通に話せるようになるのでしょうか。。まだここまでの症状ではないときは、1日でも長く生きて、休業給付??(すみません、名目が違うかも。)「稼ぐぞ!はよ死んだら損や。」と言っていていました。ノートに計算式を書き、取らぬ狸の皮算用もしていました。笑私も、「せやで。しんどいけど、お金稼いで旅行行くで!海の見える温泉行こ。給
本日新門司港→大阪南港のフェリーを予約していましたが、イマイチ体調がすぐれないので、出発を延期することに。アリムタ+シスプラチンの後遺症恐るべし💦腹痛、下痢が続いているのでちょっと様子見にします。相変わらず、手足の浮腫み、痺れは良くなる傾向がありません。後輩の税理士に確定申告の相談に行く予定ですが、非課税の証憑が沢山あって、訳がわからない状況に💦体調が悪化して頭がボケる前にきちんと整理する意味と、今後中皮腫で退職を余儀なくされた人の為に後学の為、記載します。私の場合、休職
父の元勤務先に教えていただいた、手続きに必要な書類について記録を残します。状況によりかなり違うと思うので、会社員バージョンとして参考程度に見てください。以下、「会社」は、父の元勤務先のことを指します。①様式5号(労災指定病院)必要事項を記入し、会社に郵送する。その後、会社にて必要事項を記入し、本人に返送されるので、それを病院受付に提出する。(病院経由、所轄監督署に提出)②様式8号「休業補償給付支給請求書」必要事項を記入し、病院受付に提出する。病院の証明記載後、会社に
中皮腫Zoomサロンに参加後、今年最後の運営会議でした。博多セミナー、小野ハーフマラソンのイベントに無事に終了、孤立している一人でも多くの患者様が救済されるようこれからも活動に参加していきたいと思いますが、中皮腫患者にも関わらず、全国を精力的に動き回るH理事長には頭が下がります。エアコンの工事が無事完了して、最新のエアコンが付きました。BeforeAfter猫もエアコン直下が暖かくて居心地が言いようです。スマホで外出先からも操作できるので、便利です。さて、体調は
7月下旬入院前に、父の元勤務先に「石綿相談窓口」へ行ってきました。父はこのときにはかなりしんどい状態だったのですが、何が何でも行く!と息を切らしながらも一緒に行きました。会社の警備体制がしっかりしているため、面倒な手続きを経て敷地に入り、車をしばらく走らせます。担当の方が待っていてくださり、歴史的文化財のような趣のある立派な建物に通されました。父曰く、大事な会議で使われたり、悪いことして怒られるときもここなんやと言っていました。何をやらかしたんやこの父は…暑いですね…なんて世間話をし
本日はS医科大学の診察日ですが、採血も65番と大きく出遅れてしまいました。血液検査の結果ですが、半年に渡るシスプラチンの投与の影響か?クレアチニン値が爆上がりで、本日は抗がん剤の(ペメキレキセド=アリムタ)投薬は中止となりました。担当医が腎臓内科の医師に確認の電話も入れています。造影CTも腎臓の値が悪いと造影剤が入れられないとの事で、状況により来月Pet検査をリクエストするとの事。2年前のオブジーボの時は肝臓の値がNGで休薬期間がありましたが、中皮腫自体が進行しないか?意外と不安
自宅からお見舞いに行きやすい距離の中で、2件の緩和ケア病院の面談を予定しています。昨日はその1件目の病院に行ってきました。問診票でも口頭でも「延命治療は希望しない。」ことを念入りで確認され、話は続きます。父に対して緩和ケア病院でできることは、・自然経過を見ていく・医療用麻薬などで痛みをコントロールする・水が溜まれば水を抜くなど、症状を和らげることに特化し、治療は出来ませんとのこと。治療は出来ないことは分かっていましたが、例えば、ご飯が食べられなくても点滴などはほぼしない。採血
福岡は関東と時差が1時間以上違うので、朝の07:00は外はまだ暗い状況です。最低温度は実家のある群馬と比べると高いのですが、毎日曇っているので日中は寒く感じます。ベッドに寝ていると起き上がるのが大変なので、日中少しでも動くように心がけていますが、体力が極端に落ちて酸素無しでは100m歩くのがやっとの状況です。いよいよ2024年も押し迫って来ましたが、年末・年始は群馬の実家で過ごす予定で、キャンピング車で行くか、ベンツで行くか、ハスラー号で行くか、飛行機で行くか?考えています。飛行機だ
まず初めに中皮腫の母は今日も!!ピンピン元気です!さて前回ブログから日が空いてしまいました。現在通院している病院の主治医へ、標準治療(オプジーボ+ヤーボイ)に加えてハイパーサーミアをうけてみたいと伝えました。自由診療ではないきちんとした病院で行っている保険診療という事を主治医に理解していただき無事紹介状を受け取りました。いくら紹介状をもらっているとはいえ、初回予約日は地域連携室を通してからの予約です。最初は受診という形になり、即日治療は不可。医師が説明をして母の体調を見てからでなけれ
私には、じんわり心がポカポカする風景がありますその風景とは〝高齢のご夫婦がお互いを思いやりながら歩いている姿〟。。。「いいな〜」「色々な出来事を乗り越えてこられたんだろうな〜」と赤信号で止まる車内から1人想像力を膨らませ気持ちをほっこりさせています夫が胸膜中皮腫に罹患して来年1月18日でまる2年を迎えます。「半年は難しいかもしれません…」との余命宣告を受けましたが、何とか3年目を迎えることが出来そうですまさに怒涛なような日々でした希少がんで情報が少ない中、アメブロで繋がれたからこそ
まだブログは夏までしか進んでいないのですが、、、今父はステロイドによる精神障害で、精神科の病院に入院しています。これから、どれだけ生きられるか分からない中、精神科への入院、入院中にも病気が進行することに抵抗はあります。めちゃめちゃあります。ただ、あの苦しみのまま耐え続けるのは無理でした。24時間、30秒とじっとできず、苦しみ続けていたましたので…お父さんがお父さんでいられるように。精神のことは精神のプロに治療をお願いすることにしました。ステロイドによる副作用が原因だと(家族が)分
相変わらず体調が悪い状況ですが、本日は多少症状が緩和されて起きて活動できる状況。先日の博多の中皮腫イベントの状況についてFBSさんから連絡があり、放送は12月13日ではなくて後倒しとなるそうです。詳細わかりましたら告知させて頂きます。自宅のエアコンの掃除を業者に頼んだのですが、翌日からひどい「ガラガラ音」が出てしまいました。そういえば、動作確認せずに帰ったなと思い、業者を呼んで状況を確認させたら、「お客さん、こりゃ10年以上経っているのでモーターの軸がダメなんでしょう」という事で
7月この頃はほとんど動けなかった父。少し動くだけでハァハァ言っていました。しかし、元勤務先の石綿相談窓口から電話があったことを伝えると急に取り憑かれたように動き出す。笑長い間ゴソゴソして、職歴が記録された書類(部署内の担当業務も記載)OB会の名簿(その中に中皮腫で亡くなられた方もいるそう)当時に入ったがん保険の証書(40年前の加入)をどこからか探し出してきました。どうだと言わんばかりの資料に、「親父、ええ仕事するな…」と兄弟で笑いました。全てコピーを取り、元勤務先での面談に向
7月中旬前回、悪性胸膜中皮腫と診断された日に、父の元勤務先の石綿相談窓口へメールをしました。それから5日ほどして会社から電話をいただきました。(遅いわ!と思ってしまった私ですが、ある程度の社内調査をしてからご連絡してくれたのだと思います。)内容は以下の通り。父と一緒に会社に来て欲しい。そして↓①職歴を伝える。また、仕事の中で石綿をどのように使っていたか。どこで、いつ使われたか。自分自身でなくとも、周りで使われていている環境であったか。また、それを証明できる人を会社に知らせなけれ
S大学病院のT教授様、国立がん研究センターY先生に講演頂き、博多での中皮腫セミナーは無事に終了しました。私は体調が悪く、大したお手伝いもできない中、キャラバン隊や患者と家族の会の支援者の皆様、ご協力ありがとうございました。九州で初の大掛かりなイベントでしたが、一人でも多くの患者さんが治療について希望が持てるようになったら幸いです。私の方は、体調がイマイチで滑舌も悪く、自分の経験やこれからの思いを的確に表現することができませんでした。猛省しています。💦TV局ではFBS(福岡放
父の死からまもなく2年。去年より悲しみが和らいだ。と言ったけど、朝起きると、2年前の月曜日に入院した日のことをありありと思い出し、やはり涙が出る。あまりに急激に悪化したから、前夜まで家の中を歩いていたし、トイレも自分で行ってたから杖も何も用意がなかった。一気に自力で歩けない状態になってしまったが、玄関から私が支えて、なんとかタクシーに乗り病院へ向かった、、、もう入院になることを覚悟はしていたが、出来ることなら家で1日でも長く家で過ごさせてあげたい。。。入院しても面会可能な
前回の続きです。(7月)「悪性胸膜中皮腫」は、肺癌とは違い、石綿の吸入など『原因がある』ので、労災もしくは、国の救済制度があるようです。そのことから、職歴などを聞かれました。詳細は控えますが、父は造船関係の仕事をしていたことから、アスベストを吸入する環境だった可能性が否定できないようです。職場もしくは環境再生保全機構に問い合わせ、診断を伝え、労災の認定はどういうふうにしたら良いか確認するようにアドバイスをいただきました。労災に認定されなければ、国の救済制度があるようです。(環境再生保
母は現在末期がんの悪性胸膜中皮腫です。右の胸膜中皮腫と腹膜播種で他への転移は今のところありません。免疫チェックポイント阻害薬(オプジーボ・ヤーボイ)をスタートして半年ほど経っています。今のところオプジーボ・ヤーボイで副作用があるとしたら全身の発疹となっています。軽めのステロイド系のお薬が処方されており毎日飲んでいます。さて、今の治療は続けていくつもりです。標準治療ですね。ですが、何か相乗効果が得られそうな治療は試していきたいと考えています。稚拙な考えでしたが「中皮腫治療」と検索をして
7月上旬この時、父はまだ入院中で、病状説明ということで家族が呼ばれ、母と私(娘)が病院に向かいました。そして、お医者さんから「どんな感じで理解されていますか?」と聞かれたので答え…改めて先生から、胸腔鏡検査の結果についておはなしがありました。まずは、検査をした肺の水から悪性の細胞がいることから、悪性腫瘍の可能性が高いこと。病名は『悪性胸膜中皮腫』なにそれ?と思いながら聞いていたのですが、肺癌とは違い、石綿の吸入など原因がある病気だということを教えていただきました。ステージを確認する
2年前の12月2週目、今日と同じ日曜日。父がもうダメかもしれない…と母から連絡があり大慌てで震えながら飛行機を予約して、北海道の実家へ向かった。11月中旬に悪性胸膜中皮腫の脳転移が判明し、年を越せるか難しい…と衝撃的な知らせを受けてから毎日、毎日、不安と心配でいっぱいだったけど父の容態は安定して食欲もあり寝込む事もなく過ごしていたようだったので、この状態が長く続くように…と祈る日々だったが、ついに「食べられなくなった」と、、、父の最期、あの時一緒に過ごした時間は今も鮮明に私
11月29日に母はオプジーボ・ヤーボイの投与へ通院しました。(3週間間隔)とても体調が良かったらしく、スタスタ歩いていけたそうです。私は最初のバタバタで介護休暇を使い切り有給休暇をほぼ使い切った為、私の兄が今は母の定期通院の付き添いで助けてくれています。母があまりに元気なので「一人で通院しようかしら」みたいな事を言うので「今まではたまたま良かったからいいけど、通院して血液検査して内臓数値が悪化しているから治療できない、どうするかみたいな話が主治医から出た時に、動揺せずに一人で聞いて帰っ
最初の頃に比べてブログが飛び飛びになってしまっておりますが、ありがたいことに母の体調、病状が安定しておりまして書く事がない平穏な日々を過ごしております。さて、先日書いたブログの中で、次のステップは療養手帳をもらう前にかかった医療について払い戻してもらう(償還払い)の請求書類について書きましたが、その書類が受領されましたというお知らせが12/2に届きました。書き方がわからなくて事前に電話で問い合わせをした際、ちなみに払い戻しについてはどれくらいの期間を考えていたら良いですかと尋ねて
アメンバー限定を外すにあたり、日程をぼやかしています。すみません。2024年6月中旬A医療センターへ。息苦しさあり。肺水腫のため、もう一度詳しく検査することに。↑5日後倒れた時の抜糸をしにA市民病院へ。2024年6月末A医療センター、呼吸器内科で詳しく検査をする。この日はたしか、かなり息苦しそうな様子。レントゲン?の結果、肺に水が溜まって押されて、気管が細くなっているとのこと。この日にいきなり入院とはならず、とりあえず1リットルだけ水を抜いて自宅に帰ることに。抜いた水は
先週からの腹痛は何とか収まってきましたが抗がん剤の副作用によるものか、手足の浮腫み、震え、痺れ、味覚障害は相変わらずです。PCのキーボードを打つのも辛く、楽器の練習も捗りません。なるべく活動するようにしていますが、横になった方が楽なので外出もゼロ💦外界との接触もないので、まるで廃人のようですが、ここ数日胸の痛みが結構酷くなってきました。痛み止めで抑えられている状況ですが、痛み止めが切れると結構辛い💦水曜のバンド練習は辛うじて参加しましたが、こういう時は集中しているので不思議と全
2024年6月父の日と母の日のプレゼントとして両親を食事へ。普段飲まないように(むしろ禁止)していたお酒もこの日ばかりは少しいただいたようで、それがきっかけか分からないですが、意識を失い倒れました。そして、テーブルの角でおでこを打ち血塗れに…市民病院に救急搬送され、診察の結果、より詳しく検査した方が良いと、地域の大きな病院(A医療センター)を紹介していただくことになりました。この日は、傷をホチキスで留めて帰宅このころは、まさか今みたいな状況になると思わず、記録も記憶も曖昧ですフォロ
2024年夏父が悪性胸膜中皮腫と診断されました。記憶と記録を辿りながらでゆっくりですが、綴っていきたいと思います。個人情報につながる内容が多くなりそうなので、アメンバー限定の記事にさせていただきたいと思います。偉そうですみません…
過去にアップしたブログ【再投稿】です『鶴の舞橋』何故かとっても行きたかった…『竜飛岬』と『鶴の舞橋』2022年の7月頃に青森県の津軽半島へ2泊の旅をしました。。。その年の初めには首周りの腫瘍が大きくなっていた頃で今年あたりが…そろそろ…なんて心の中で覚悟をしていた頃でした。そんな頃アリムタ単剤をはじめながらコロナ禍でも何処かへ旅行がしたい…と青森県の津軽半島へと行きました。あの石川さゆりさんの唄津軽海峡〜冬景色〜🎶をイメージして。。。この写真は
アリムタの副作用で顔が火照って赤くなっていますが、全身が痒くなってきました。見ると、結構至る所に湿疹が出ています。主要なところに、処方してもらったステロイド系の塗り薬を塗ると一定の時間はかゆみは緩和されます。また、周期的に腹痛が続きますが、何とかZoomサロンを寝ながら聴いて、先日購入した軽自動車(スズキハスラー)のルームミラー修理に行き、その後19:00からJazzBigbandの練習に行きました。体調不良なので、コントラバスでは無くエレキベースでの参加です。💦相変わらず、昭和