ブログ記事2件
風邪や、ちょっとした病気や、ちょっとした怪我などこうした状態には、気兼ねなく、「●●●したほうがよい」「●●○したらあかん」「●●△病院いったほうがよい」「●●▲病院は待たされるし最悪」とか言えます。ところが、癌や小児癌、脳腫瘍、小児脳腫瘍、希少癌や指定難病などで、命がかかるような病気については、迂闊に、「●●●したほうがよい」「●●○したらあかん」「●●△病院いったほうがよい」「●●▲病院は待たされるし最悪」とかは言うことはできません。自分が信じる治療は自分が信じてしたらよいで
母の体調の異変は、歩いていて急に足に力が入らなくなり転倒してしまう、そんなことから始まった。最初は市民病院の神経内科にかかったのだが、原因がわからない。最終的には一年ほどを経た後、大学病院に検査入院し、それが脊髄小脳変性症という神経難病だとわかったのだ。市民病院の受診は二週間に一度だった。市民病院へは、タクシーだと10分もかからない。でも、母は「タクシーを使うなんて贅沢」と考える世代の人間だ。バスで十分。自宅から一番近くのバス停は、歩いて5分ほどのところにある。そこからバスに
以前、勤めていた調剤薬局には、一般医薬品の販売部門と化粧品部門が併設されていて、僕たちは調剤スタッフだけではなく、登録販売員さんや美容部員さんたちともチームを組んで仕事をしていたのだ。コロナ勃発当初、百貨店は軒並み臨時休業となり、逆にそうしたお客さんが流れてきて、化粧品部門はむしろ盛況だったのかもしれない。だが、コロナが長引くにつれ、その様相も変わってくる。マスク生活や在宅勤務が続くなかで、おそらく女性たちは気付いてしまったのだ。成人女性の嗜みとして、化粧することは当たり前のこと
母の見舞いに来た、その人は、病室に入るなり、こう言い放ったのだ。「おかあさん、病気になったおかげでShinjiくんにいつもそばについていてもらえて、よかったねぇ。私ら、いつもおかあさんとShinjiくんはラブラブで、恋人同士以上やなぁ、て言うてますねん。おとうさんが生きてはったら、ヤキモチやいて大変やったろうねぇ。けど、おとうさんも亡くなって、ほんま、ふたりだけの世界で羨ましいわ。誰も入り込む隙のない、アツアツぶりやもんねぇ。Shinjiくんもおかあさんのことが大好きすぎて、他の女の
僕たちの世代から下、どれくらいの人までが、深夜、ラジオを聴きながら勉強していたのだろう。中学生や高校生の頃に。落合恵子という方がいらっしゃる。文化放送のアナウンサーをなさっていて、深夜放送ラジオのマドンナ的存在だった、と記憶している。ただ、僕とは若干、世代差があって、僕が毎日、深夜ラジオを相棒に、勉強するようになった頃には、すでに放送局を退社され、作家活動に入っておられた。この方が、ご自身のお母様を介護するなかで体験されたあれこれを、「母に歌う子守唄」という書籍にまとめておられる
今日も僕の住む街には、ぬけるような青空がひろがっていた。2016年7月16日、僕はこんな記事をフェイスブックに上げている。―――――帰り道のJRの車窓から見る空があまりに絵画的で美しかったので、写真に撮ってしまったのだ。空を見るのが好きだ。美しい空を見ると、こんな空の下で死ねたらいいな、と思う。いや、病的なわけでも、落ち込んでいるわけでもない。僕たちくらいの年代になると、「どのように生きるか」と同じくらいの比重で、自然と「どのように死ぬか」ということも考えるようになる(…と
ブログを立ち上げるに際し、いろいろと設定する中で、「テーマ編集」という項目があり、そこに僕は「患者の人権を考える」というテーマをひとつ、設定した。父や母の介護を通じて、感じたこと、伝えるべきだと感じたこと、そういうことについても書きたい、と思ったのだ。だが、あの頃のことを思い出し、それを文字にすることは、正直、あまり楽しい作業ではない。いつまでたっても、このテーマの記事数は「0」のままだ。でも、このテーマについても、そろそろ書くべき時が来たのではないだろうか。最初は、そうだ、かつて
朝日新聞デジタルによりますと、自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が月刊誌で、子どもを産まない同性カップルなどを念頭に「生産性がない」と主張した問題で、障害者や難病患者らが7日、「出産できない障害者や患者の人権をも踏みにじるもの」とし、抗議声明を発表した。杉田氏に対して謝罪を、安倍晋三首相には、党総裁として杉田氏に対して「相当な処分」をすることを求めているそうです。声明を発表したのは、障害者や難病患者らでつくる「生きてく会」。杉田氏の寄稿内容について、「出産を巡り思い悩んでいる障害者の心を深
2018.6.21知人が癌の手術後抗癌剤治療を1年間で終了し、そろそろ働きたいと思っていたところ、医者は「あと1年位は休んだ方がいい」と言われたそうです。医者は病気が悪化したり、症状が増悪したり、合併症を併発することを恐れ、病気の安全策を指示します。でもこれなんだか医者の立場の安全策のような気がします。病人の心や意欲を考慮した安全策ではないように思われます。でも多くの人は自分の身体の声を聞こうとしていません。自分の身体と対話していません。自分の身体と心の要求を満たして上げていません。自分を最も
母と病院のことをなんどか書きました。私にとって、病院との付き合いは初めてのことではありません。1度目は父方の祖母の時。まだ20代前半の事。身体的な病気はなかったものの、認知で徘徊が始まり、やむなくの入院でした。その病院は今のカテゴリーでいうと何に分類されるかはっきりはわかりません。当時は患者の人権などは今の様に確立されていなかったので、祖母は入院してほどなく徘徊を恐れて手足をベッドに拘束され、入院後わずか3週間で衰弱死しました。そのことは私の心に大きな影をつくりました。2度目は自分