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観音堂のご本尊です。如意輪観音像本尊法量1寸8分(長さ5寸)造立年代不詳造作者恵心僧都と言われています観音堂のお前建ての観音座像です。如意輪観音座像お前建て法量像高38.0cm、膝張23.0cm、像奥18.8cm造立年代室町時代像造寄木造り、玉眼、漆箔造作者不明六観音像造立年代近世参考「聖観音」「千手観音」「不空羂索観音
大開帳のコンセプト準備委員会で次のように決定しました。歴史を大切にし、時代の変化を受け入れ、未来に繋げる取り組みとする1伝統や文化の再発見先人の想いや地域の文化・暮らし等を再発見する場を2自治体一体全ての自治会員の心に残るための工夫した取り組みを3未来に向けて次代を担う人たちと共に行動し、未来につながる取り組みを4参加しやすくゆとりがある高齢の方々を含め、誰でも参加しやすい取り組みを5周辺地域と積極的な情報発
千津島お観音様大開帳神奈川県の県西地域に、私たちが住んでいる南足柄市があります。その南足柄市にある千津島自治会では、自治会員の皆で交代で掃除をし、維持・管理をしている観音堂があります。この観音堂には、恵心僧都作と言われているお観音様が大切に保管されており、来年の令和5年6月3日(土)に、33年に1回の大開帳を予定しています。その記録を配信するため、このブログを開設しました。どうぞ、よろしくお願いします。(17年前の中開帳時の回向柱と観音堂です)
吉田寺(きちでんじ)は天智天皇の勅願により、永延元年(987年)に恵心僧都(源信)が開基したと伝えられている念仏道場です。御本尊は、恵心僧都が境内の栗樹をもって、一刀三礼の念仏のもとにあらわされた、丈六阿弥陀如来坐像で、千体仏の光背をもつ尊像である。恵心僧都の母に、臨終が近づいたとき、除魔の祈願をした浄衣をお着せになり、お念仏「南無阿弥陀佛」を称えられたところ、母は苦しみもなく眠るように安らかな極楽往生をとげられた。そして、恵心僧都は母の追善供養と末世衆生救済のために、丈六阿弥陀如来像を顕され
蔵出し京都画像~京都画像クイズNo.120の正解は、京都市内に同名寺院が複数ある寺院が正解でした。正解は八葉山華台院安養寺新京極通蛸薬師下ル東側町町にある浄土宗西山禅林寺派寺院。解答を寄せられた皆さん正解です。複数同名寺院があることから、通称の倒蓮華寺も正解です。『京都大事典』では、安養寺ではなく、「倒蓮華寺」で説明されています🤔。京都市駒札安養寺(倒蓮花寺さかれんげじ)浄土宗西山禅林寺派に属する寺である。由緒はきわめて古く寛仁二
和本江戸安政5年(1858)仏教写本「往生記」全1冊/但州夏女伝/恵心僧都語/善悪種蒔鏡和讃/一休和尚の歌/眠覚伊呂波和讃など/古書古文書です。82丁。半紙本程度。手書き。但州夏女伝/恵心僧都語/善悪種蒔鏡和讃/一休和尚の歌/眠覚伊呂波和讃などを収録。『データ』【書名】往生記【巻冊】全1冊【成立】安政5年(1858)写
京都十三佛霊場の第10番にあたる五位山法金剛院、蓮の花が有名ですね。平安時代に清原夏野が始めた双丘寺派発祥で、後に鳥羽上皇の中宮・待賢門院がこの世の極楽浄土を求めて都の製法に建立したのが法金剛院になります。京都十三佛霊場の第10番・阿弥陀如来は「三回忌」の守り本尊。十三佛信仰の元となったのは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王。十王は恵心僧都源信の『往生要集』に記載されており、源氏物語が書かれた頃に起きた末法思想・西方浄土思想で末法濁世の衆生は阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるとい
今日は朝からプリンターを使う用事があり、先月末にネットワークをソフトバンクエアーからEOに変更したので、プリンターのWiFi設定も変更した。プリンターは2.4GのみWiFi接続可能な機種です。ところが、EOのルーターから2.4Gが飛んでないことが判明した。初期化設定を新たに行うと、2.4Gの電波を拾ってくれた。朝からこんなことに時間を費やしてしまった。さて今日の話題も、昨日に引き続き1月の宇治をお散歩の続きです。最初に立ち寄ったのは恵心院です。宗派と山号を加えると真言宗朝日山恵心
五條天神社にまつわる不思議なエピソードのひとつめとして、まず、「宇治拾遺物語」の冒頭(巻一の一)に出てくる道命阿闍梨と和泉式部の話をご紹介します。「宇治拾遺」の道命阿闍梨と和泉式部の話は、WEB上にも本文がいくつもあがっており、詳しいサイトさんもたくさんあるので、ざっとしたことだけ書きます。女好きで有名な道命阿闍梨が、(あの藤原道長にまで「浮気女」といわせた)和泉式部のもとを訪ねて一夜を過ごしたあと、手も洗わずに法華経を読経していたところ、知らないお爺さん(翁)の気配がします。道命阿闍梨が
本日も妄想にお付き合いください。聖宝さん「お師さんのちゃちゃが多すぎて『最澄と天台宗のすべて』の説明が終わりませんがな。」真雅さん「誰が半パン小僧じゃ!」聖宝さん「確かに勝俣はチャチャに所属してましたけど。ちゅうか、チャチャなんてマイナーグループ誰が知っとんな!!」真雅さん「欽ちゃんのどこまで笑うの?のレギュラーやったんやで。みんな知っとるやろ!」聖宝さん「知らんがな。」真雅さん「木村拓哉や草彅剛もメンバーやったんやで。」聖宝さん「んなアホな!SMA
ただ、かまんかしやうかわるきことにて候又は、かまんなくてもならぬ道也3)銘道二いわく心の師とハなれ、心を師とせされと古人もいわれし也心の文の現代語訳をお読みになりたい方は、令和3年8月21日投稿のわび茶の祖・・・村田珠光(3)をご確認ください珠光は心の文の冒頭で「茶道の修行において妨げになるのは、自惚れて自分の考えに執着することだ」と述べていますが、終盤では「自らを秀でた存在であると信じられなければ成就できない道だ」とも述べています。矛盾
恵心僧都源信のことがずっと気になっているので、比叡山横川の恵心堂をお参りし、さらにその奥の恵心僧都廟にも詣でさせて頂いた。横川中堂や元三大師堂の辺りに少しはおられる参拝客や観光客も、さすがに恵心廟のある山道、即ち回峰行の順路にも当たっているこの辺りには一人もおられず、2016年(平成28年)の恵心僧都御遠忌当時の看板が少し色褪せて立っているだけだった。そのまま横川から仰木に降り、2017年(平成29年)に明王堂輪番を退かれた千日回峰行者・光永圓道師が住職を務めておられる仰木の
平成28年6月と7月にに京都市下京区にある佛光寺に、お詣りさせてもらった時に御縁が有り書いていただいた御朱印です。
前回からの続きです(令和元年12月11日のことです)富小路通りから、次は隣の通り(麩屋町通り)へ移って南下して行きますすると右手に、通りに面してお堂がありました大福寺住所・中京区麩屋町通二条上ル布袋屋町498ご本尊薬師如来霊場京都十二薬師霊場京都七福神通称寺の会駐車場なし駒札天台宗の寺で、瑠璃光山利生院(りしょういん)大福寺という。推古天皇の時代(593年~628年)に大和国(現在の奈良県)宮田郷に建立されたが、平安時代の初めに勅旨により京都に移され、七
2014年6月17日第10番札所万松山大慈寺埼玉県秩父郡横瀬町横瀬5151宗派曹洞宗開創証徳2年(1490)開基東雄禅師札所本尊聖観世音菩薩御真言おんあろりきゃそわか御本尊の聖観世音菩薩像は9番札所の如意輪観音像と同様に恵心僧都の作と言われています。9番札所の明智寺も10番札所の大慈寺も禅宗の寺なのに浄土教の恵心僧都作の観音様を本尊にしているのは、チョット不思議な感じがします。
2014年7月29日第9番札所明星山明智寺埼玉県秩父郡横瀬町横瀬2160宗派臨済宗南禅寺派開基明智禅師開創建久9年(1191)札所本尊如意輪観世音菩薩御真言おんばらだはんどめいうん御本尊は一条天皇の御后が難産で苦しんだ時、恵心僧都が勅命をうけて長さ9寸1分の香木に如意輪観音を彫刻したもの。安産祈願で玉のような男の子が生まれたという。関連映像観音堂9番札所明智寺の説明文塚境内の百日草にツマ
2016年、浄土宗の祖、法然上人と浄土真宗の祖、親鸞聖人の先生であり天台宗延暦寺の僧侶であった恵心僧都源信の千年遠忌を迎えた。天台宗総本山・延暦寺は2017年2月、森川宏映座主を導師に、浄土宗総本山・知恩院と、浄土真宗本願寺派本山・西本願寺で法要を営んだ。日本最大の教団である浄土真宗に浄土宗と天台宗が合同して法要を営むと言うことは、史上最大の法要であったこと意味する。浄土真宗では、親鸞聖人御誕生850年および立教開宗800年慶讃法要が6年後の2023年に迫っている。参考①恵心僧都源
思いがけず(?)「稲取八ヶ寺」めぐりの一日となった7/11でしたが、終盤は雨に祟られた…“日向夏の香りのやま寺”栄昌院さんをお詣りして、次に参詣したのは大願成就寺さん。写真が暗くてちょっとわかりにくいですが、石碑に「南無妙法蓮華経」と刻まれていますね。大願成就寺さんは日蓮宗のお寺さんです。私たちがお詣りした折はお寺さんが工事中…雨も強かったので残念ながら大願成就寺さんのお写真はあまり撮れなかった…“本堂向拝にあ
「ご朱印」九州西国観音霊場第17番札所:巨泉山永興寺平成18年分(2006年)54枚目:(通算269枚目)参拝日:平成18年(2006年)6月9日九州西国観音霊場第17番札所:「巨泉山永興寺」宗派:天台宗本尊:千手観世音菩薩創建:貞観2年(860年頃、伝承)開基:恵心僧都ご詠歌:くらきよりくらきにまようひとごころながきひかりのかげたのむなり住所:福岡県みやま市瀬高町大草902番地永興寺:標高280メートルの人里離れた閑雅な地に建つこの寺は、かっ
何かで千手観音にご縁があると知り調べたら【永安寺】なるお寺にあると知りました。中々足を運ぶ機会がなく時は過ぎて砧三峯神社に行く予定を急遽変更何故か思い出し向かいました二子玉川の奥に鎮座されてました。................................................................ご本尊千手千眼観世音菩薩(せんしゅせんがんかんぜおんぼさつ)恵心僧都作と伝えられています。秘仏であったそうですが、開創六百年再興五百年記念祭を機にご
6月28日、福井のお友達と狸谷山不動院へお参りした後、お友達の旦那さんが車で比叡山延暦寺に連れて行ってくれましたコロナの影響で京都駅からのバスが運休し、いつ行けるかな~と思っていた矢先のことでした。パパさんありがと~~私にとってはこれだけでもご褒美の様に感じていましたが、この後嬉しい歓迎をしていただきました先ずはドライブウェイにあるレストランでランチ。そして横川エリアへ。着いたのがお昼過ぎだったので欲張らず、横川エリアだけにしました。お友達の最大の目的が元三大師様のお札だったからです
久しぶりに琵琶湖にある浮御堂にお参りです琵琶湖の代表的な景勝地の一つ琵琶湖に突き出したように立つ「浮御堂」「近江八景」の一つです今回3回目のお参り御堂から琵琶湖大橋が見え湖を眺めているだけでなんとなく落ち着きます平安後期に湖上の交通安全を祈願した恵心僧都が千体仏を安置した事が始まりだとか航行の目印とされたそうですお参りして暫く湖を眺めて帰って来ました〜この春田舎の海を見たいと思っていたけどコロナウイルスの影響で行けなくなって…だんだん田舎が遠
武信稲荷神社から大宮通に出て、蛸薬師通を少し下ったところにあるお寺のお地蔵様を参拝。昨年「冬の旅非公開文化財」で公開中の善想寺の往復中に、由来が不明だったため参拝しなかったので、山門だけ撮って素通りしていた寺院になります。延命山地蔵院成圓寺浄土宗寺院で、ご本尊は阿弥陀如来。「日本の神社を・寺院検索サイト八百万の神」より。洛陽三番正観音六番地蔵尊成圓寺地蔵尊は洛陽四十八地蔵霊場六番札所の延命地蔵尊のことですが、三番正観音とは?。
おはようございます京都のkojiro(小次郎)です朝からこのブログに書くようなことではありませんが、今年の3月から我が家の一員になったSyuri(保護犬)が、一昨日から二日連続で家の中(子供部屋:自分のトイレ以外の場所)で「オシッコ」と「ウンチ」をしてしまい、部屋の中はその臭いで…。Syuri(という犬)は我が家に来た時から、「オシッコ」と「ウンチ」は自分のトイレでできるような賢い子だったのですが、いつの間にか自分の気に入らないこと(散歩に連れて行ってもらえない)があると、自分
この一週間で、様々な方々のブログで拝見した、東京人形町に鎮座されます小網神社東京都中央区日本橋小網町16-23https://www.koamijinja.or.jp/にお伺いさせていただきました。境内はコンパクトですが、強運厄除、明るいお稲荷様、龍神様、恵心僧都の開基と伝えられる小網院萬福寿寺時代からの弁財天様、福禄寿様と、パワフルな神々様がいらっしゃいました。私は自宅から自転車🚴♀️でもお伺いできる距離の神社⛩様ですが、実は今回初めての参拝。何回も何回も皆様の小網神社⛩
2020年2月9日(日)のちのち叡福寺を出て、道路を渡るとすぐに隔夜堂御本尊は阿弥陀如来坐像お堂の前には次に行く寺の名前が刻まれた石柱が有りましたが、どうやら叡福寺の建物みたいです。そして、その横には飛び出しとび太▪太子Ver「手を上げて渡ろう」と、言うよりは「ヘイッタクシー」って感じに見えるのは私だけでしょうか等と思いながら、風情の有る石段を上って行きます途中、石橋が有って良い感じ到着するとそこには女性的な感じのする山門が建っていましたコチラが西方院
歴史天文年間、末森城(城山町)主であった織田信行が父・信秀の菩提を弔うために城の南に位置する尾張国愛知郡鳴海荘末森村二本松(現在の千種区穂波町付近)に建立した。後に現在の松竹町に替地となったが、正徳2年(1712年)または正徳4年(1714年)に現在地に移されたとされる。開基は織田信秀とされており、開山は龍泉寺輪住二十世、慈眼寺三世住職などを務めた快翁玄俊。桃巌寺の寺号は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」から取られており、恵心僧都作とされる聖観世音菩薩像を本尊とし、信秀が所有していたと伝わる辯天
《月間特集近代絵画と能》国立能楽堂で行われます定期公演【能楽公演】のご案内です。今回のご案内は、2月5日(水)13時~野村万作さん、野村萬斎さん親子の「狂言鶯」わたしも、初見になるかとおもいます。春らしい曲目ですよね。楽しみです(^_-)-☆お能は、御代を祝す「草薙」こちらも、以前大変お世話になった宝生流「藤井雅之先生」の主役です。とてもとても楽しみです(^_-)-☆日本武尊(やまとたけるのみこと)と橘姫の霊なども現れるんだそう・・・。こちらも楽しみ(
比叡山延暦寺の最後は東塔エリア。帰りのバスの時間をチェックして、それに合わせて回りました。大講堂・根本中堂・文殊楼・大黒堂・阿弥陀堂・法華総持院東塔へ。大講堂には比叡山延暦寺で修行し宗祖となられた方々の肖像画がずら~り飾られています。恵心僧都様の肖像画がありましたが、恵心堂で拝見したお顔や雰囲気とはちょっと違いました。根本中堂はいつ行っても内陣は凄いな~と思います。お参りする私達にはとても優しい仏様ですが、内陣には厳しさが感じられます。内陣には入った事がないので、中陣から感じるイメー