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この夏はバカンスをどうしようか。そんな話を1男としていました。8月の末には2男がインターシップで外国へ行ってしまうので、彼がいるうちにどこかへ行きたい。みんな一緒に行動できるのはもう最後かもしれないしね。と。それから。。「それからあなたの誕生日だって2男がいるうちに一緒にやりたいよねぇ。」すると1男が言うのです。「僕は3男くんのメモリアルで何かしたいよ。だって、3男くん『ハタチ』になるから…」1男と3男は3年違いで同じ日に生まれました
あの日からもう直ぐ3年ご飯も食べれるようになりましたTVドラマも観るようになりましたスーパーの買い物で胸が苦しくなる事も少なくなりましたでも‥でもね本当は独りでいる時如何しようもない程苦しくなる時が有るんだよ!身体中の力が抜けて何も手に付かなくってこんなんじゃ‥ダメだって私が私に言い聞かせてる特に‥今日みたいな雨空はあの日のこと‥思い出す出来る事ならば辛い事だけ記憶喪失になりたいそんな事を想う時が有りますけれど、最後の最後まで母さんを待って
長男は14点のアクリル画を遺しました。売れた作品は把握していません。明るい色調の絵が多かったので、あの子の視線には暖かい光が差し込んでいたと、信じたいです。この絵には「mountains」と、タイトルが付いていました。障がい者が集まるアートスタジオで指導を受けながら描いたので、アクリルペイントも使えるようになったようです。彼はアートスタジオで過ごす一日を「今日はアートの授業に行く」と、言っていました。息子が亡くなったこと、もうアートスタジオに来られなくなったと報告に行った時、彼を指導し
息子の遺影‥写真は当の本人息子が未だ見てない写真出来上がりを楽しみにしていたプロダクションで撮って貰った写真を遺影にしました撮影前にポージングを自分なりに考えておくように‥と言われたと息子に聴いてました何百枚もの沢山の撮影に朋なりのポージングを決めた撮影が終わりプロのカメラマンの方から「ポージング‥よく勉強してるね!」と褒めて貰えたと喜んで電話をかけて来てくれた50社へ売り出す為の息子の写真‥なのに息子は、お空に昇ってしま
毎月、月命日に頼むお花のアレンジ。今回はいつものお花屋さんではなく日の浅い頃に親友に連れられて毎週通ったお花屋さんに注文しました。その頃は、外に出かける事が出来ない私を車に乗せて毎週出掛けてくれました。今は自分で電話して注文し受け取りにも行けてます。もうひとつお花のエピソードです。去年、当地に訪ねてくれた大切なブロ友さんから頂いた『クレマチス』お花を育てるのが下手なわたしです…今年はどうかな~と心配していたら一輪だけど、見事に大きな花が咲いてくれました‼️思わ
去年の母の日に家人がプレゼントしてくれたミニ薔薇……枯れかかってました義理の兄(薔薇を育ててます。)に預けたらこんなに復活して戻って来ましたありがとう今年も『薔薇のオープンガーデン』に行って来ました。義兄の自宅です。つる薔薇が可愛くて綺麗でした。私がパンを焼いて沢山持っていきみんなでランチあきもせず『ベーコンエピ』(笑)ブランパンも焼いてます。やっと柔らかいパンが焼けるようになりました。形を少し変えてみま
昨日は亡き母の夢を見て母の事と義母の事‥此処に書きました。そして、決まっていつも後悔をする義母のことマイナス的な愚痴書いてしまった事‥心の奥底に朋を哀しくて辛い目に合わせた義母のこと‥娘の心に憎しみの心を宿わせた義母のこと‥許せない気持ちがいっぱいあるのだけれど毎回、毎回私が私に言い聞かせる義母に対しての愚痴‥言ったらダメだよ‥て毎回、毎回自分の心の中嫌な私になってるって思って嫌な気持ちになってしまう大切に想う気持ちとその反面の気持ちが私の中で
久し振りに亡き、実の母と父の夢を見た身体の弱かった母元々無理だと言われていたのに命をかけて私を産んでくれた母出産時私の心音は消えてもう、お腹の中の子は無理だろう‥母の命も危なかった兎に角お腹の赤ちゃんを外に出さなくては母体がもたないそんな中奇跡的に助かった私病院のDr.も驚いたらしい子供心にお母さんの身体が悪いのは無理をして私を産んでくれたから?私なんか産まれ無かったらお母さんも苦しまなくてすんだのに‥そんな事を思ってました。だから、母の事を守
シーン①小学生、う~ん5年生くらいの男の子。(あれっ3男くん?だよね?)待っていたように近寄ってきて、私の手をつなぐ。そうなんだよ。いつまでたっても君は。でもずっと繋いでなかったんだから。今度こそ手離さないよ・・・シーン②すっかり声変わりした君。必死に作品にとりかかっている?声をかけたら邪魔だろうか。近寄ったら迷惑かな。少し離れたところから眺めているだけの私。近づきたいけれど行けない。本当に君なの?でもあの左手の使い方は。間違いない・・・シ
5月17日今日は旦那さんのお誕生日です息子がお空に昇り誕生日とか記念日とか‥切なく感じてしまいます旦那さんのお誕生日に願うこと‥其れは長生きしてね!ってこと沢山の病気を患っている旦那さん‥いつも、旦那さんに私は言いますねぇ‥お願いだから私より長生きしてね!1日だけでも良いから私より長生きしてね!その言葉に旦那さんは「おう!」と優しく応えますもう‥見送る悲しみ辛いからそんな私の気持ちを想って旦那さんは優しく「おう!」と一言応えますその一言の中に
TearsInHeavenはクリプトンが亡くした息子のために書いた曲。いつか自分もやりたいと思っていたけど、誰が歌っても同じに聞こえて、どこかしっくりきてなかった。たまたま耳にしたポール・アンカ。コレだと思った。泣いた。秋の目標へ向かえそうだ。
朋くん今、どうしてますか?好きなこと‥沢山しなさいよ!朋の喜ぶ顔を見る事が母さんの活力だった少しでも朋に仕送りがしたくて頑張ったパートのお仕事時間に追われる毎日の生活其れでも、張り合いが有ったただ、ただ朋‥貴方の喜ぶ顔が見たくて朋がお空に昇り暫くは踏ん張り続けた仕事も辞め今は、ゆっくりと流れる時間の中で、ただ彷徨い心が壊れないように過去のドン底に戻らないように平常心‥平常心と自分の心に言い聞かせる私の心は朋への気持ち‥想いとでいっぱいになって
昨日は悠の誕生日。悠がiPodのメモに綴っていた『治ったら食べる』リストから。トンカツを作りました。今年はケーキ頼みませんでした。切なくて・・・昨夜、悠のお友達が一人来てくれました。誕生日覚えててくれたん?と言うと。当たり前っすよ!!と。ありがとう。。。18歳なんだな・・・車の免許取りに行けるじゃん。免許取ったら、飲み会の送迎してもらえたかな。とか考えてたら・・・落ちました・・・今日は月命日です。
息子がお空に昇り途方に暮れ孤独の闇に呑み込まれそうなだったあの頃‥此処、ブログでの繋がり‥沢山の天使ママさん、天使パパさんからのコメントやメッセージ‥独りじゃ無いんだ‥と踏ん張る力を貰えました。そんな日の浅い頃から心に優しくりりさんの言葉にそっと‥力を貰えてました今も尚、力を貰えていますいつか、お会いしたいなぁ〜そんな願いが実現した昨年1度お会いするとまた、お会いしたい‥何度、お会いしてもまた、お会いしたいな‥って思ってしまいます其れはりりさんの心の奥
来月で3年になる命日反応かな?今日11日は息子の月命日あの日と同じ土曜日曜日が同じだけで胸がぎゅーと痛くなるあの日の事が断片的に頭に思い浮かび心の中何かで切ったみたいに痛くなる心の傷に絆創膏を貼れるものなら貼りたいけれど、傷に絆創膏を貼れたとしても息子は帰って来ない負の感情が私を覆う私の中には2人の私が居る「息子は見えないけれど必ず傍に居てくれてる」この言葉を心の支えにして踏ん張る私と後悔の渦に飲み込まれ現実逃避をしてしまう私何方も私自身
生きてるうちに××しておきたいとか思ってもいつまで生きてられるのかもわかりません。それだけ時間は矢のように過ぎてゆくし、生きるって覚束ないことなんですよね。子どもたちも、1男以外は遠くにいて、何かを一緒にしてみたいとか望んだとしても、もうそれが現実になるかどうかも定かではないし。。寂しいもんですナ。増してや3男に関しては、なにせ天へ帰ってしまったワケで、もはや『してみたかった』という過去形になってしまいます。家人が寝静まって一人になる夜、時折息子の写真を横目に
長~い連休家人は10日間フルに休みがあると言う(ってか、どこにも行きたくないし…いざどこかに出掛けようとなると家人と話が合わず…結局お流れ~)唯一出かけた(長男夫婦と一緒)『波佐見陶器市』で購入した、三男の祭壇用湯飲みです。ブルーの色が気に入って決めました。気に入ってくれるかな~。元号が代わってからもどこにも出掛けず趣味に没頭してました。ふすまミックス粉を使ったブランパン。。いろんなレシピを試しました写真の上から順番にレシ
ひと足早く届いた母の日のプレゼント送り主の名前はお空に居る息子から‥朋から母さんに届いた可愛いお花‥このマーガレット花色が変わり変化が楽しめるそうですコレは娘の仕業だね!早速、娘にLineでお礼帰って来た返事は天からの使いです(笑)朋に頼まれたと言う程ですねありがとう‥息子が居た頃は母の日に毎回、何かプレゼントしてくれてた金欠の時にはポストカードに母さんへの想いを書き留めてプレゼントしてくれてたね高校生の頃部活から中々帰ってこないなぁ〜って思
夕方のウォーキング雷雨を免れた不思議な出来事に息子のお陰だね!ってちょっぴり心が温かくなれた次の日息子のシンボル‥ゴールデンウィークに帰省された息子さんが帰られる日に三つ葉adidasの靴とジャージパンツを履いてらしてた‥と写メを送って下さった心友さん其れも三つ葉adidasに気づいて下さったのが心友さんの旦那様だったとか‥嬉しかったですシンボルに気づいて下さったイコール息子のこと‥私の事を思って下さったって事だから有難いなぁ〜って‥と、同時
息子が小ちゃな頃から言ってくれてた言葉「僕がお母さんを守ってあげるからね!」小ちゃな頃はおかぁしゃん‥って言ってたかな?おかぁしゃん‥からお母さんそして、母さんって呼び方が変わり気がつけば母さんよりも小ちゃかった朋の背は一気に伸びてお姉ちゃんと母さんは追い越されてしまったねホント小ちゃかったから母さんに似たのかな?ゴメンね‥って思ってた高校に入って急に背が伸びて母さんに言ったよね「身長‥父さんに似て良かった」そう‥だよね父さんは
昨日の朝せっかく息子の夢を見れて満面の笑みを観ることが出来元気そうな息子の姿にちょぴり心穏やかになれてたなのに‥なのにそんな私の束の間の安らぎに暗い影が入った来月6月は息子の命日です静かに息子を穏やかに想っていたいそんな私の気持ちに反するように義母は私を責めてくる「自分の事を気に掛けてくれない!‥」と‥毎週日曜日は遠くに住むお義母さんに電話を掛ける日その時に言われましたその合間も電話ぐらい掛けてもいいんじゃ無い?
久し振りに息子の夢を見ました数日前から朋くんの写真に同じ言葉ばかり問い掛けていたからかな?「朋くんどうしてますか‥」「楽しくしていますか‥」「寂しく無いですか‥」何度も何度もしつこく話す母さんだから仕方ないなぁ〜!って何時もの朋くんが母さんを元気づけようと母さんの夢の中に現れてくれたのかな?夢の内容旦那さんが運転する車に娘と私が乗って何処かに向かっていますすると目の前に道とは思えない急斜面の坂道この長い坂道は必ず登らなくてはダメだとの事車で登れる
気がついたら明日(日本はもう今日デスか…)は端午の節句でした。何も飾り物出してなかった。。。汗母に言ったら、「今年はいいんじゃないのぉ~」と呑気な答えが返ってきました。「とんでもないっ!」かえってその言葉で、エンジンがかかりました。子どもたちが生まれてからこのかた、ひな祭りと子どもの日の飾りだけは欠かしたことはありません。日本的なことはあまりできないとはいえ、女の子と男の子のお祭りなので、子どもたちには最低、このくらいは覚えておいてほしいなという親の気持
ふっ‥と私の心に舞い込んでくる沢山の想いそれは、お空の上に居る息子への想い大丈夫かな‥?どうしてるかな?沢山の想いが胸の中‥いっぱいになる息子を想う気持ちに胸がザワザワ息子が居た頃も私は何時も大丈夫かな?大丈夫かな?心配ばかりしてたけれど、そんな私の気持ちを知れば不安になるのでは?と、息子には心配ばかりしてる私を観せないようにしてた何時も笑いをとる話し振りそんな
突然だけど3年前に息子を亡くしたそれから毎年7月と9月に具合が悪くなる体が動かないし気持ち悪いし色々不安定になるだから仕事が大好きだけど続けられなくて辞めた辞めた事は悔いてないけどもう自分に無理をさせたくない無理はさせたくないけど仕事は好きだから本当に好きだからやりたいだけどどの月も均一に機械のような働き方を求められるのはもう嫌だ自分でもはなから果たせるかわからない約束を結ぶのは嫌だだから自分を活かせる仕事をしたいと思ったみんなどう
大型連休。いらないなぁ。令和。何の感情もわかない。ただただ生きる事で精一杯。5月。悠の誕生月。今朝は、何故か悠の最期の日の光景がフラッシュバックしてる。壊れそう。いかん…娘のお弁当作らねば。こうやってバランスを保ってる。もし娘が居なかったら…きっと壊れてる。考えなきゃならない事が何もない連休。しんどいね。
私にはこんな事しか出来ないから‥朋がお空に昇り旦那さん無理してるんだよね朋くんと一緒でしんどい‥って一言も言わない人そんな筈無いと思うのだけど‥糖尿病と肝硬変身体の事は主治医の先生に任せるしか無いけれど其れでも何か私に出来ること無いかなぁ?って思うから‥こんな事ばかりしています。この手作り味噌玉をずっと‥飲んで貰ってます血糖値も安定するとの事なので、玉ねぎのすりおろし頑張っていますフードプロセッサーでは上手く出来ないので此れで頑張ってます
今日の天気予報は曇りのち晴れけれど、ずっと‥雨が降ってます令和を迎えた新年号の朝はいつもと変わらない朝TVをつけるとカウントダウンをしてる若者達私はその中には入って行けませんでしたただ、天皇様、皇后様からの国民を想うお心に感謝する気持ちそして、新天皇様、新皇后様にただ、ただ心から応援させて頂く思い‥それだけどうか、長生きされますように受け継がれる大切さが此処にあります朝、朋の所で話しかけてて感じてしまいました朋の写真私似の色白顔顔色が悪
3男が旅立ってしまってから私が変われたと思えることは、植物の世話が少しマシになったことでしょうか。去年は何もかも初めてで、3男くんのお墓のお花もちゃんと綺麗に飾れず枯らしてしまったことがしばしばありました。今年はそれを教訓にして春先に植えたプリムラが、五色それぞれ元気をアピールしています。冬を越したカルーナたちは両脇にして石の上には、ミニダリアを置きました。市が管理している石と石の間はチューリップが勢ぞろいしていて、その間にアネモネ、すみれも見えてきてます。
私には平成元年生まれの長男がいます。彼がお腹にいるときに新しい元号の発表がありあの『平成』という元号をテレビでみて《この子は平成生まれなのか~》と想ったのをよく覚えています。その後、双子の弟たちが産まれてとにかく忙しい育児でした。あなたにとって平成とは?と聞かれたら『子育ての時代でした。』と笑って話したかったです。まさか一生懸命育てた三人の息子のうち一人を失って新たな元号の時代をむかえるなんてあの初めて『平成』という元号を聞いた希望に満ちていたときには想像