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息子を見送ってから一年3カ月。未だに我が家にはちゃんとした仏壇は設けていません。それでも当時は、まさかこんなに早く我が家が仏事を執り行うことになるとは思いませんでしたから、わからないまま習わしに従って儀式を進めていきましたので、四十九日に早々と納骨を済ませました。ほかの天使ママさんの記事を拝見すると、亡くなった後も遺骨を自宅に置かれてる方も結構いらっしゃることに驚きました。今思えば、そんなに急がなくて良かったのかな?と思います。しきたり上、遺骨は納骨しなくてはいけないものだと思ってい
ここで出会った天使ママのブログに感動して私も始めました三河新四国のお遍路さん巡りロウソクとお線香をあげさせてもらい、息子の思いと、わたしの願いを、心をこめて静かに手を合わせます前に進めなくても、顔を上げていたいと思う息子がお世話になってる目に見えない世界導いてくれるたくさんの存在に感謝しなからとにかく、一つ一つ身体で感じてみたいです
おーちゃんが亡くなってから200日が経ちました。久しぶりにおーちゃんの夢を見た。幸せな気持ちになった。先日、おーちゃんの在籍していた支援学校の学校展が近くのショッピングモールであり、訪問部の所におーちゃんの写真があるから見に行ってきた。そこには、おーちゃんが学校で色んな行事に参加して家では授業を受けた写真がたくさんあった。おーちゃんの生きた証はしっかりと残ってた事が嬉しかった。市内には呼吸器を24時間つけて生活してる子は少ないけど、呼吸器をつけていても、出来ることはたくさんあって、支
最近、父がたの祖母のことをよく思います108才の大往生で旅立った祖母おばあさんは、健康で長生きできて、幸せな人生だったね〜って、みんなが話してました祖母の、100才の記念日のこと市役所の人がお祝いを持ってきてくれて、記事にするために、祖母に質問をしてましたお子さんは何人ですか?祖母は、指を折りながら一人一人確認して4人…続けて6人かな…2人幼い頃に亡くしてるって、言い直していましたおじ達に、4人でいいんだよ。おばあさん!って言われてました⤵︎(;o;)今となっては、
1月29日あらためて数え直して、15回目の月命日を迎えました。寂しさが消えたわけではないけれど、忙しさに気持ちが紛れて、最近は何回目と数える意識から遠のいてました。先日、我が家の車に寿命が来ていたので、新車を購入しました。かつて息子もハンドルを握っていたこの車とはサヨナラしました。また一つ息子が居た頃の物が無くなってしまうと思うと切なくなります。最後は息子の写真を運転席に置き、写真を撮りました。車にも長い間ありがとうと感謝を込めて。そして我が家の足となってくれる新車
息子が亡くなってから我が家の和室は、息子の部屋になりました小さな祭壇があってその周りには息子が好きだった食べ物息子の思い出の写真やパネル息子のスーツやユニフォーム息子がもらったメダルやトロフィー息子の思い出の品々が並んでいますそして、お花も常にアレンジメントフラワーが3〜4つこれまで誰かしらお花を届けてくれたり持ってきてくれたりお花が傷んできたらまだ咲いているお花を寄せ集めて自己流アレンジメントフラワーを作ってそんなことを繰り返してきたけれどいただくお花も途絶え
最近、情けないなぁ…って思うことが多くて何やってるんだろう?そんな毎日を送りたくて、この2年9ヶ月、空を見上げて生きたわけではなくて私達のところに生まれてきてくれた息子に、感謝の気持ちを伝えたくてそれを、なにかに繋げたくて、空を見上げて生きてきたんです♡息子の大切だった弟、祖父母、息子の大好きな親友達が、笑顔で前を向いて生きていけるようにまず、私が、笑っていないと悲しい寂しいの感情は、私の一部でも、情けない…自分へのもどかしさは、工夫次第で避けられるのでは?ご機嫌な自分でい
爆発してしまった(-.-;)y-~~~今日は旦那様が、お休み「お昼は何にしよっか?」聞かなきゃいいのに「なんでもいいよ」ですよね…旦那様は、ひたすらケータイを触ってるダメだ!なんか今日はイライラが止まらなくなってる私がいて…最近、情緒不安定な⤵︎何でもいいなら白菜と鶏肉を煮てお昼ご飯気持ち落ちつけに、1人外に🚗こういう時は、激しめのジャズを!音量上げてドライブにかぎります^_^夕方帰宅するとおかえり〜!と、顔も見ずに旦那様…私が出かけた時と同じ場所で同じ態勢でケー
今朝も目が覚めて、まず思うやっぱり、大好きだ…好きすぎる❕❕会いたいなぁ♡昨日、たまたま見たドラマ完全に息子かぶりで…見てられずすぐ消した(´-`).。oOでも、初めのナレーションがすごく耳に残ってるもしタイムマシンにのって、好きな日に戻れるとしたら…今まで生きてきたうちのどの日を選ぶだろう?きっとそれは、宝物だった1日に違いない✨息子は、どの日を選ぶだろう?そしてわたしは…考えてたら、息子でいっぱいになってた話したいなー息子の今の思いを聞きたい…あー、会いたい会
一昨日の月命日から今日までの3日間息子のお嫁さんが毎日、孫娘を連れて家に来てくれました義実家って気を遣うだろうと私からはあまり声をかけていなかったのだけどお嫁さんの方から行きますって我が家にいる間孫娘の食事やオムツ替えをする以外はのんびりと過ごしているお嫁さん夕飯食べていっていいですか、とか用事があるから、出かけてる間、孫守りをしていてほしい、とかありがとう…そんなふうに甘えてくれて、頼ってくれてありがとう…孫娘との楽しい時間を過ごさせてくれてお嫁さんが作っているアル
1月17日おーちゃんが亡くなってから6ヶ月経ちました。半年か…。もう半年。おーちゃん何してるかな?先日、訪問カットの打ち合わせでおーちゃんが通学していた学校に行ってきました。ここの学校は2年生の2学期まで通いました。3学期からは訪問教育に変えたので、転校しました。カットの打ち合わせ後に先生から、「お母さん触っていいよ!」と大谷選手のグローブを渡されました。こないだ届いた所で、まだ生徒は触ってないと!お先に触らせてもらい、子供用だからサイズは小さいけど、柔らかくてとても使い
今日は2回目の月命日まだ2ヶ月しか経ってないんだ…もう2ヶ月経ったのか…両方の気持ちがぐるぐるしてる今日まで毎日、涙の出ない日はなかったなぁ悲しい涙ばかりだったけど悲しい涙ばかりでもなかった人の優しに触れて溢れてくる涙今日、先輩から「ポンカンを送りました」ってLINEが…それだけだったけど、心配をしてくれていることがわかって涙が溢れてきたありがとう…この間は、職場で、あんバターが好きだとか、気になってるフルーツサンドの店があるとか話していたら、翌朝、私にそのお店のフルーツサ
昨日、1月17日は阪神•淡路大震災の日でしたね。「あの日から29年たったんやね‥」をきっかけに主人と今までの事の話になりました。当時、主人は阪神大震災の被害に遭いました。自宅は全壊、祖父母の家は全焼しばらくはテントで、その後は仮設住宅での暮らしを余儀なくされました。「大変だった‥それでも、命は助かったから‥」と主人は言います。その1年後に私と結婚して28年「今まで、本当に色んな事があったなぁ‥」と私複雑な環境で育ち、震災、自身の病気、娘の病気、そして‥次男との死別「今まで、大概
2020年に亡くなられた息子さんとの絆画を描いてほしいと、お母さまからご依頼いただきました。息子さんが大きくなってからは写真を撮ることもなくなり、一緒に写った写真が無いことをとても後悔されていました。趣味であるバイクに乗らない日は、ほとんど家にいるくらい家族や家が大好きだった息子さん。家族と一緒にお気に入りのバイクで出かける、幸せな家族の時間を描きました。ご遺族の感想息子も、主人も、私もすごくいい笑顔。ずっと、そうありたかった・・・。生きていたら、きっとこうだったんだろうな。あの子の姿はも
ちょっとご無沙汰しています。皆さんに年末のご挨拶をしそびれたので、新年にと思っていたら、元旦の大地震。連日のニュースを見るたびに、心が張り裂けそうになります。それでも私、日常を普通に過ごしてしまう。被災していない私の地域は、みんな普通の日常を過ごし、テレビラジオは新年の特番やお笑いを普通に流している。人って残酷ですね。被災されたご家族の中には、私たちのように、若い命を奪われた親御さんもたくさん。神様ってほんとにいるの?亡くなった皆さんの命は、こんな形で消えるようにホントに決まっ
今日は17回目の月命日でした。今月の月命日は次男が旅立ったあの日と曜日が重なりました。だからか、いつもより気持ちが重く、ザワザワ。亡くなる数日前からのあの日はこうだった、あの時はあんな話をしたなんて‥日にち、時間を気にしてはザワザワ、時計を見たり、次男の姿を思い出しては胸がギュッとなりました。昨日の8日は私自身も頭痛があって‥亡くなる前日の夜、頭が痛いと言っていた次男‥その時は、よくあるただの頭痛だと思っていました‥昨日の私とあの時の次男、何が違ったのだろう‥私は今日、目を覚まし
2024年。年が明けました。早1週間が過ぎました。静かなお正月を過ごしました。特に何をすることもなくいつも通り。1日、2日と悲しいニュースを見て、心が痛み、悲しくなりました。被害に遭われた方が1日でも早く元の生活に戻ることを願っています。我が家の防災グッズを見直しました。防災グッズは私達の分以外に、おーちゃん用に必要なものを3日分ぐらいリュックに入れて置いてました。医療ケア物品、栄養剤、薬でリュックはパンパンでした。それを見て、もう使うことはないんやなと思うと悲しくなりました
一昨日、四十九日の法要が終わりました元旦に大きな地震があって被災したニ家族の親戚が来れなくなりごくごく身内だけの法要に…四十九日法要は極楽浄土に行けることを祈って執り行う法要なのだからこれから息子が住む世界はどうか幸せで苦しみのないところでありますようにと願う自分そしてもう一つの気持ち…なぜ息子の四十九日の法要をしているのかこんなことがあるはずがないって息子の死を受け止めきれない自分お経が流れている間優しく微笑む息子の遺影を見ながら2つの相反する思いがぶつかり合って
12歳で亡くなられた息子さんとの絆画を描いてほしいと、お母さまからご依頼いただきました。生きていたら今年で20歳。スーツ姿で、逞しく大人になった息子さんの腕に手をかけるお母さまの夢を絆画で描きました。ご両親が息子さんとの日々を綴った書籍も出版されており、僕自身も拝読しましたが、もっとたくさんの方にもご両親の思いが伝わってほしいと願っています。ご遺族の感想この度は、私たち家族の願いを絆画で叶えて頂きありがとうございました。白血病で13歳の誕生日を迎えることなく旅立った息子、毎年毎年主役のいない
8歳で亡くなられた息子さんのお母さまから、兄妹4人揃った写真を絆画で叶えたい、とご依頼いただきました。生きていれば18歳、妹の面倒見が良く、誰とでも仲の良い、生き物好きで優しい息子さんだったそうです。兄のことが大好きだった娘さん、そして息子さんが亡くなられてから生まれた次男さん、次女さんを優しくフォローする姿を、家族旅行での美ら海水族館を背景に描きました。ご遺族の感想10年前、息子が突然天国へ行ってしまい、心に大きな穴が開いてしまいました。息子が亡くなった後、次男・次女が産まれ、毎日元気をも
2024年がスタートして早くも6日ですね。やっと過ぎ去ってくれた年末年始。色んな意味でホッとしたのも束の間、また体調を崩してます笑次男のいない年末年始を過ごすのは2回目ですなのに‥なぜか、今年の方が堪えました去年は喪中だったから親戚の集まりなどもなく、静かに過ごせたからでしょうか。年末年始はいつもと同じで、ただ、日にちと曜日が変わり、31日から1日に、12月が1月に変わるだけ‥だと思って過ごすようにしてました。でも、やっぱり、いないんですよね‥そのいつもと変わらない1日に次男が今
30年以上前に息子さんを亡くされたご両親からのご依頼でした。闘病中でも明るく振る舞い、自分のお小遣いを医療に関わる方へ寄付をする心優しい息子さんだったそうです。将来は医者になって多くの人を助けたいと、本を読んだり勉強も欠かさなかったと話してくださいました。自分が辛いときも人のために生きたその力強い優しさを、満開の桜のもと描きました。ご遺族の感想満開の桜の花と共に先生に届けていただいた絆画。希望の医療の姿で亡くした息子の暖かみと気持ちが伝わって来ました。30年前が昨日の事のようです。ありがと
昨日は、息子の六七日の法要でした私には3人の子供がいて息子には姉と妹がいます県外に住む姉家族と妹も帰省していたので今回は皆でお参りできました終わった後には、みんなで孫娘のお誕生会先日は内輪だけで今回はお参りに参加したみんなで法要でいっぱい泣いてお誕生会でいっぱい笑ってそんな2023年の年の瀬…2023年の元旦は我が家に家族皆が集まり一年の始まりはとても賑やかでした年末に息子夫婦に赤ちゃんが産まれてお嫁さんは入院中仲がいい2人お嫁さんがいなくて息子はなんだかつま
2023年は人生で一番泣いた年になりました。4月におーちゃんの呼吸状態が悪くなり、いつどうなってもおかしくない状態の中、病院でできる事がないと言われて、覚悟をして家に帰ってきた。1日1日、おーちゃんと過ごす時間を大切にして、デイを休んでずっと一緒に過ごした。おーちゃんは主治医がビックリする程の回復力で日に日に呼吸状態がよくなった。奇跡を起こしてくれた。6月からはデイに行けるまでに回復した。と同時に今まで見たことのない皮膚炎に悩まされた。皮膚科の先生も見たことがないというぐらいの皮膚
11月3日に下書き保存してたブログです。ずいぶん前の事になるのですが、おーちゃんの通院していた大学病院が主催しているグリーフケアの会に参加してきました。きょうだい児も参加してるから私より弟たちの為に参加しようと思った会だったけど、グリーフケアが一番必要なのは私でした。深い深い悲しみの中にいてあの日から時間が止まっていて、毎日、悲しくて、辛くて、寂しくて、何もやる気がおきなかった。受け入れているようでいない。受け入れたくない現実がここにある。
先日、三代目のライブに行ってきました。ドームで席がアリーナ4列目で通路側という神席!!まぁ近い!!!めっちゃ近い!!ステージも近いけど、通路を歩いた時の近さは手が届くほど!今まで何十回とライブに行ってきたけど、ドームでこの席は初めて。きっとおーちゃんがプレゼントしてくれたんだと思ってます。だから、おーちゃんも一緒にライブに行って来ました。バラードでは、いろんな想いが込み上げてきて泣きました。今までとはまた違う新しいライブで盛り上がりもすごかったし楽しかった。最高のクリスマスプ
クリスマスといえ、平日だから普通に仕事でした。娘はクリスマスは忙しかろうと思って、最終日の25日で、弘のおとうさんのケーキを予約してました。結局、今年もぼっちの娘はフリーだったので😅家族でケーキを囲みました。勿論、息子にもケーキを供えてあげました。写真撮るの忘れた〜😂😂😂↑1/4の写真しかないけど、弘のおとうさんのケーキは生クリームがあっさりしてて食べやすいのです👍息子のいないクリスマスは、街中の鬱陶しいクリスマスソングやイルミネーションを無の心でやり過ごし、仏壇の周
MISIAの「アイノカタチ」最近ずっと頭の中で何度も何度も再生される曲です。そして必ず、鼻ががツーンとしてウルウルしてしまいます。もちろん、名曲である事は知っていました。でも、そんな聴き込んだ曲でもなかったはずなんですね。多分、先日の歌番組で聴いた時にとても心に残ったからなんだと思います。でも、なんだろ?聴くと涙が流れ、この懐かしいような、愛おしいような、切ない不思議な気持ち。調べてみたら、今から5年前(2018年)のドラマ「義母と娘のブルース」の主題歌だったのですね。それで思い
秋にお義母さんと過ごし沢山のストレスを溜め体調を壊した私そして、辛かったことを此処に書くつもりでいましたが、スローに進む私の時間軸とあっという間に過ぎ去って行く現実世界の時間の中で義母から受けた辛い悲しい思いが‥どうでも良くなって来ましたまぁ‥いいや、そんな気持ちに変わって来たのです私自身腑抜けになっちゃたのかな?何に対しても怒る気持ちが無くなってしまいました哀しみにはガッチリと蓋をしてしまったみたいですしね、、、、先日夢を観ました息子の夢で
インフルエンザで体調を崩しておりました。療養中は思いかけずの嬉しい事もあったりの中、それでも考える事は次男の事ばかり。相変わらずの後悔の思いと次男の寿命や宿命、人生について。次男はまだまだ、今世でやりたい事があったのでは?とか、突然に人生を終える事になって未来を奪われて可哀想だ‥とか。でも、これは私や遺された家族が一方的に思っているだけで、案外、本人は私達が思っているほど、今ではもう、今世には未練はないのかもしれません‥それはそれで寂しい気もしますが。短い人生だった‥早すぎる‥と思う