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2021年2月の記事に追記私がしてる光の柱は浮遊霊が天に上がるための道の事です。何らかの念や恨みがあると入るのを拒否します。心配で成仏できなかった身内の霊もたいがい拒否します。でも体に光の柱を立てると上がりたくないのに光にさらされて苦しみます。悪いのは。悪いのはだんだん弱まります。でも、悪魔系や怨霊や悪霊は嫌がるけど強いから効かない。(今は怨霊以外は消せます。怨霊消してもいいけど念絡みだと後世に影響あるかもだから、怨霊かな?と思ったら依頼ください。)浮遊霊及び普通の未成仏
ある出来事があり、いろいろと苦しむ人がいて、それらを良くするために、全体を良くするために、その人の立場でしかできないことをやって、いろいろと尽くしたけど、結局は何も変わらない結果になりそうな今に思うのは、みんなのため、全体のため、という正義を掲げていたとしても、その人の本心の部分、本音の部分、奥底にあるものが不純ならば、神は願いを叶えてはくださらないんだな、ということ。その本心、本音というものが、解消できず燻る怒りが恨みとなり、その恨みをずっと心に持って、表面は善
私神奈川に住んでおりますが、飛行機による騒音に悩まされてきました。会話中断は当たり前。慣れすぎたせいか無意識に我慢してませんか?おかしいと思いません?静かに暮らす権利は誰にでもあるはず。騒音にお悩みの皆さん私と一緒に生き霊を送りましょう。だっておかしいですよね?こちらが我慢するなんて…強い強い恨みの念を送るのです。恨むだけなら問題ありません。法に触れていないのですから。皆さんと一緒に念を送ればきっと変わるはずです。知らしめるのです。騒音により
集団ストーカー被害に遭われている方は、何者かが自宅に侵入しているが、入った痕跡がなく透明人間のように姿を現すことなくタンスの中にある服が外に出されていたり、自宅の物が移動していたり、書類や物が無くなったりしています。見えない敵と戦っているのでとても精神的ダメージが強いです。時計の位置が少しだけずれていたり、侵入したことを少し気付かせたい狙いがあるようです。わざと気付かせることは、明らかに集団ストーカーの狙いでありこれも精神的プレッシャーが目的であると報告されています。加害者側の
怒り憎しみ憎悪恨みそして呪い信じていたのに裏切られた大切なものを奪われた誰かのせいで環境のせいで自分の命を終わりにした誰かを殺したそれらの感情は誰のもの?相手のものでなく環境のものでもないだとしたら答えは内側にしかない
幸せが当たり前だと思える世界にいるスピリチュアリスト&ライフコーチの龍石ひとみです。アナタは人を憎み、恨み、悲しんだり、落ち込んだり嫌な思いをしたことがありますか?私はありました。特に旦那へ😆今となってはそれがいかに無駄で心身に不調がでてくるしただただ自分を自分で痛めつけているのがわかります。その時、その日ぐらいは私はそう思ったんだ!と怒り爆発だったり悲しみに暮れる泣き崩れる、叫ぶぐらいはどんどんしてくださいそうしたいのなら…度がすぎる行動は止めてね😆
昨夜は下の子の寝相がいつにもなくベラボーに悪くて寝不足です下の子はいつも寝相が悪いのですが、昨日は特にひどかった顔を何度も足蹴りされました(日頃の私に対する恨みか)本人はそんなこと全くお構いなしで朝もご機嫌なら起きてきてブロックで遊んでいましたが、私はあなたのせいで寝不足だよこの寝相の悪さ、成長とともに良くなるのかなあまりにも寝相が悪いのでなんだか心配になります
御教歌はらたてぬおのが心のちかひにもたがひてめくらかきのぞくらん腹を立ててはいけないと誓うものの、時として憤怒の心を起こすのがお互い凡夫である。このように仰せの御教歌です。誰でも腹を立ててはいけないと思うし、好き好んで腹を立てる人はいません。ところが、時に怒りの心が起こってくる時もあります。そんなとき周囲から「腹立てるより義理立てよ」なんて
挨拶することやや笑顔を作ることや感謝することに抵抗がある理由の一つとして、たとえば優しくされてもその人が憎い人だったら感謝できない。たとえば感謝の気持ちがあっても同時に現在進行形で複雑な思いがある場合も感謝の気持ちにまでなれない。たとえば恨みがある人には笑顔で挨拶などできないししたくない。そんな人に笑顔で挨拶することは負けることと同じ。恨みは些細なことからも生まれる。それでも恨みは恨み。近所の人にそっぽをむかれたことがある。挨拶して無視されたことがある。気づかなかっただけだと
Aさんが「ここの部署で僕に恨みがあるとしたらりり絵さんしかおらんな~」と言うので「じゃあAさんはわたしに恨まれるようなことをしている自覚があるんですか?」と聞いてみたら「ははっ!」と笑ってなんも答えへんかった。EnginAkyurtによるPixabayからの画像#今日1日を振り返ろう
小倉智昭さん。ご冥福をお祈りします。小倉さんといえば、「嵐の宿題くん」でのメインパーソナリティーが大好きでした。嵐の良いところを引き出してくれたのは小倉さんだと思っています。トップの画像は、小倉さんが病気を患ってから書かれた手記とのこと。人生では、老後がない人もたくさんいる。やりたいことはそのときにやるスイッチを押そう。楽しかったり頑張った経験は、死ぬまで長く語り続けることができる。経験の減価償却は
母が祖父母への恨みを感じていない事についてオンラインサロンで相談してみた。母の心の傷が深いから不快な気持ちを切り離して感じないようにしているだけだとアドバイスをもらった。私も母を目の前にすると恨みの気持ちが一切なくなる。その部分において母と私がそっくりで鏡になっているとの事。母は三姉妹の末っ子でお姉さんに世話を焼いてもらって何かとヨシヨシと「してもらう」ポジションで生きてきた。「してもらう」のが当たり前の信念があり、当然の躾をされる中で何か恨みがあったのかもしれない。ただ、祖母も自己中心
憎む人が憎む人にたいし、怨(うら)む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪(よこしま)なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。原始仏教経典『ダンマパダ』42(『法句経』)聞き苦しいけど、問いたいことば。
数日前の嫌な気持ちを引きずっていたり、数年前の恨みから解放されていなかったりと、体は今でも、心は過去にある人もいます。誰でも身に覚えのある光景かもしれませんが、自分の意思に関係なく成長させられる私たちは、どちらのタイプの人とも出会う必要があるのです。そして、他人の今昔を通じて自らを省みたり、過去にこだわったり、未来に不安を覚えたり、意識がいつも今にとどまっていられないのです。変えられない過去は過
風邪引きましたー🤧寒い🥶です鼻水🤧出まーす暖かくしたら気持ち悪いです🥴大阪の今朝は冷えましたが、皆様も風邪に気をつけてお過ごし下さいねさて、あの問題ですよ皆様もアレどうなった⁉️と思ってらっしゃると思いますが、7月の初旬、病院のお客様相談係に電話してあの日あった事を伝えました…あの日は、小さなクリニックから紹介された病院で造影剤のCTレントゲンの日でした。妹が着いて行ったるから!と行っても、「大丈夫🙆♀️そんなもん1人で行ける〜大袈裟な〜レントゲン🩻くらい
気に入らない国民性が罵り嘲笑う雲泥の差へ別に知らない残虐性を弱みを握る色々な手で今も鬱陶しい人間性が変化で奪う遺憾の痕へ今も忌々しい可燃性を嫌いになる様々な苦で波に乗らない意外性が断り血迷う葛藤の間へ他に要らない真逆性を恨みを斬る直々な刀で今も太々しい話題性が浄化で洗う屈辱の恥へ今も痛々しい危険性を辛さになる段々と哀で
前回のブログ、ここ最近で一番沢山のいいねをいただきました『怒り~序章~』サイキック開運ヒーラーJUNさんの霊視鑑定を受けてきました。もうね、丸裸よ。隠そうと思っても隠せない。何をって、私が誰にもばれないようにしてきたことが、言いた…ameblo.jpこれ、ほんとにありがたく、私の心が解放され、癒されていく感覚になっています。ありがとうございましたさて、今日は「墓場まで持っていこう」と思っていた話を書こうと思います。ブラックで自分勝手な私の暴言を読みたくない方はここで終わり
昨日は、私よりも腑に落ちなく頑張っていた、弁護士先生。ご年配で、元裁判官。そこそこ、引きませんでした。何度も頭を下げ裁判官、お願いしますよ。と。横でみていたわたしは本当に自分を責めた。この弁護士使えない。この弁護士大丈夫なのかな?違った。これこそが弁護士。泣きそうになりましたよね。もう、これ以上ムリだと裁判官に言われているのに。○○先生お顔を上げて下さい。もう、結構ですから。と。言っても尚。あー、辛かった。クズ不幸になってね?わたしは恨み続けるわ。こんなキモチ
心学「現実」現実は突然現れるのではなく過去に蒔いた心の種が成長し芽を出し枝葉を伸ばしやがて花を咲かせ実を結ばせた道理現実を恨むなら過去を省みてその時に蒔いた恨みの実現化**************自分の心が自分の人生を創る仁徳学問所
子どもは、いつごろからサンタさんの存在を疑うようになるのでしょうか。赤っぽい包装紙にそのまま包まれたマフラーや学校でしか使わないような無愛想な文房具「コンチキ号漂流記」のような本などもらって本当にうれしいものが届いたことは一度もなかったような。それでも毎年親切なおじさんが枕元に何かを置いていってくれる日はひな祭りや運動会など周期的に起きるイベントの一つとしてそれなりに楽しみにしていました。そう、小学生のある時までは。ある年齢にもなればサンタさん=親だという噂は
「今ここ」に意識をフォーカスしてください。過去でもなく未来でもなく今のあなたをみてください。明日からのあなたのために今この瞬間を大事にして、充実させることを考えてください。それは希望通りではないかもしれないこんなちっぽけなことでは満足できないと思うかもしれないそれでもいいです。この瞬間の満足を大事にしてください。小さな不安を積み上げると大きな不安になるように小さな満足や喜びを積み上げると大きな喜びにつながります。過去の失敗や
いま、"赦し"と言うことに取り組んでいます赦すとは、もちろん誰か、両親かもしれないし、配偶者かもしれないし、仕事関係者かもしれないなにかしら対象者がある事を思い浮かべますが、1番初めに赦すのは”自分自身”ではないでしょうか相手の理不尽さに腹を立てて、悪態ついている自分という存在がありますまた、さらに歯向かったらもっと何かされるのではと言う恐怖があります心で非難したり、言葉で悪態ついたり、涙が止まらなかったり、自責の念にさいなまれたりと後味の悪さを味わったことは一度や二度では無