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長女Uの前世が「姫」だったと教えられたSは、はっとして思い返した。そのUが生まれてしばらくのころだった。SはUの寝顔を見て「ぼくのお姫様」と呼び始めた。かつて燃えるような恋をしてかげろうのように去っていったE嬢の面影を重ねたかどうか、S自身にはわからなかった。ただ無意識にそう呼んだのだった。Sの「お姫様」はその後何度か、祖母(Sの母)にとっては掌中の珠の初孫として中野住宅に連れてこられた。よちよち歩きを始めてからは、祖母に手を引かれたりだっこされたりして、団地めぐりを愉しんだ。しかし、
Lの話が本当なら、二歳と十一か月で夭折した長女のUと、S夫妻がその生まれ変わりとして信じた次女のUには、あの世でどのような魂のつながりがあったのだろう。「あたしが知っている限りの話をしましょうね。死んでからわかったことですけど、亡くなったUちゃんは魂となってあの世の光に包まれると、すぐに生まれ変わる態勢に入ったわ。人は若くして死ぬほど、地上の時間で生まれ変わりが早くなるの。逆に長く生きてから死ぬと、次に生まれてくるまでが長くなるのよ。でも、あの世には時間の概念がないから、そうした観測はすべて
Sは胸を震わせた。Lがいま口にしたのはSの長女で、二歳と十一か月という短命でこの世を去ったUのことだった。死者を呼び出そうと思えば、いつでもあの世から呼び出せる世界にいながら、Sはなぜ、いままでUを呼び出さなかったのだろう。「わかるわよ、その気持ち」Sの思いを、Lが言葉にしてくれた。「あなたはUちゃんが亡くなって半年もたたないうちに生まれてきたいまのお嬢さんに、Uちゃんと同じ名前をつけたのよね。次女のUちゃんが、長女のUちゃんの生まれ変わりだと信じていたから」長女Uは三月十四日に、
Lは死後も、あの世でSの父と暮らしているのだろうか。そこはいったい、どんな世界なのか。Sがそうした問いを発しようとした時、Lは既に返答を口にしていた。「あたしが死んだ時、あの人は病院のベッドまで霊体となって迎えにきてくれました。心配することは何もないって教えてくれたんです。でも、連れていってくれたのはあの世の入口まででした。そこで大いなる光に包まれた後、あたしはもう、だれにも頼る必要がなくなりました。そこはワンネスの世界なの。自分と他者、自然や宇宙のすべてが本質的に一つになっているんです」
Sが父の愛人で同居人だったLと初めて顔を合わせたのは、小学四年生だったこの時だった。次に会ったのは、父が七十四歳で死去した日の翌日だった。Sは三十九歳で、Lは六十二歳になっていた。場所は都内にある病院の霊安室だった。千葉に住んでいたSは、妻と生後間もない娘とともに、父の遺体と、約三十五年ぶりになるLとの対面を果たすために、車を走らせた。その場では、Sの母、兄、妻、娘が顔をそろえて、Lとの初対面に臨んだ。その日までにSを除いて、Lと顔を合わせた父の親族はいなかった。S自身も、父に口止めさ
いま、Sの父は四十代前半の若さに返っていた。感服したような表情で黄昏に似た暗い光に照らされた2号棟を見上げていた。Sは七十五歳までの全記憶を引きずった少年Sとして、次に何が起きるか興味津津だった。父の同居人Lの存在を思い返していた。団地出入口中央に張られているチェーンの向こう側は、何もない灰色の空間だった。これからそこにだれも現れなければ、当時、父より一回り年が若かったLは現在もたぶん生きていることになる。あり得るだろうか。Sの父が七十四歳で没してから、今年で三十五年が過ぎていた。当時
Sが自分で創ったとされる異世界・中野住宅にあの世の父を呼び寄せたのは、団地出入口に佇んだときに無意識に浮かび上がった記憶の断片が引き金だった。Sは小学四年生で、父は働き盛りの四十代前半だった。その日は土曜日で、午前中に仕事を終えた父は、中野住宅の妻子にその月の生活費を届けるために、午後の早い時間に226号室のドアをノックしていた。父が土産として買ってきたゲームの野球盤が息子たちを歓喜雀躍させた。父も気分をよくして、いつもなら一、二時間もたてば「仕事場」と称した愛人宅へ帰るところを、この
先刻まで団地出入口に張られたチェーンの前に立ち、自殺男の自縛霊があの世からきた使いの犬に導かれて灰色の外世界に消えていくのを見ていたSは、七十五歳の自分の老体が空間を移動して、小学四年生の少年に変身した事実に驚いた。が、いま少年Sとして追いかけてきた大人が、当時の四十代の若さに蘇った父だったことにはもっと驚いた。Sの父が死んだのは、昭和の時代が終焉を迎えた年の十月だった。享年七十四歳といえば、いまのSとほぼ同年だ。場所は都内の救急病院だったが、それより前にいた場所は勤め先でも中野住宅でもな
あの世からの迎えの主が、昔なじみの愛犬ではあっても、これでどうやら地縛霊としての束縛が断ち切れて成仏への道が開かれそうだと知った男の手には、いつのまにか犬の首輪から伸びたリードが握られていた。ペギーが「いくわよ」というふうに団地出入口のほうに鼻を向けた。しっぽを振り振り歩き出すと、ぴん、と張ったリードに引かれるように男の足も後に続いた。Sはその場で一匹と一人を見送りながら、しばらく合掌したまま念仏を唱えた。団地出入口の側壁にある「関係車以外進入禁止」の警告板を右手に、中央に渡されたチェ
おもバザでは、メインの商品となった「万博データ本」以外にも面白い商品がありまして✋こちらは同じデータ本ではありますが、とったでーたは💦「桜島駅万博シャトルバス」のデータ。なんと184日間全てのデータを取って同人誌にされている方がおられました🚎天気や気候らバスの乗車人数やら遅延情報に至るまでビッシリとデータ記載。すごい、スゴすぎる1冊ですよこれは!万博ガチ勢の本気、見せて頂きましたm(__)mここからは個人的に気になっていたものを見て回りまして。ワタシも個人的な趣味にしている「ご当地
僧侶でもなければ特定の宗教の信者でもないSだったが、死者に向かって南無阿弥陀仏を唱えると極楽往生できるという情報は、かつて観た映画から得たものだった。その名号を漢字で書けと言われたら無理だった。しかし、どのような抑揚をもって唱えればいいかは、役者顔負けに掌握していた。真心を込めて唱えれば天に通じるのだ(きっと)。その場に立ったまま、両手のひらを合掌の形にして、「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナームアーミーダブッツ」と一声、朗々と唱えたSは正面に立っている男に向かって「ご一緒にお唱えしまし
「いずれにしても、ですね」男の動揺が若干収まったと思われたところで、Sは少し突き放した語調で言い渡した。「あなたのところにあの世からの迎えがこないなら、あるいはその迎えがきたとしてあなたが連れていかれる場所がどこであろうと、あなたはいつまでもここにいてめそめそ泣いていたってしょうがないですよね」男は背広の内ポケットからハンケチを取り出すと、大きな音を立てて洟をかんだ。こくん、とうなずいてから、ぼそっと言った。「わたしはもう、ここにいったいどれくらいいたかも忘れてしまいました。その間に
男の悲惨な形相の内側から、安堵と不安の感情がともに浮かび上がった。事態を察したSは、誤解を解かなければと思った。「あ。ぼくをそんな目で見られても……」男が場合によってはその場でハグでもしてくるか、あるいは絶叫しそうな気配を見せたので、Sは反射的に一歩下がった。と、男の曲がったくちびるの端からすっと、血まみれのよだれが垂れてきた。Sの否定の言葉がその刹那、間欠泉のようにほとばしり出た。「ぼくは神でも天使でもなけりゃ、あの世からの使いでもありません。もちろんあなたの遠い親戚でもないだろうし
陰陽師シリーズ16巻。☆有能なその男、人として世に出たくなった道満の作った木偶だった。☆痛い!目から出血が。。。五年前に姿を消した竹取り婆の呪い。☆離魂して他所の女に通う男。ある日から眠ったまま起きてこぬ理由。☆十二、三の女の童と日頃からおとなしい飼い狗。しかし両者には前世の因縁があった。☆立て続けに人の足が喰われる。遂に人の肉を欲するようになった魔獣・土狼。☆人を喰らいたくなる性、それは百足による近江の不幸。☆毎夜女に
男はうつろな目で辺りを見回した。血の気が失せて、半分干からびているような歪んだくちびるを一度なめると、言った。「実はわたし、この団地の者ではなく、よそからきたんです。で、あの日は外回りの仕事中でしたが、急に何もかもいやになっちまって。気がついたときにはふらふらと、この住宅の屋上まで上がっていました。発作的に身を投げたんです。ああ、これでわたしは死んだとわかったまではいいんですが」どこがいいものか。Sは口を挟もうとしたが、やめにした。その形相の恐ろしさには目をつぶることにして(それがじつに
いつ起きた事件だったか、Sの記憶はあいまいだった。小学生高学年のときだったかもしれない。学校からの帰途、Sの背後から救急車がサイレンを鳴らしてやってきた。中野住宅のほうに向かって走り去っていった。Sが帰宅の足を急がせると、果たして救急車は団地のメーン出入口を入ってすぐの場所に停まっていた。辺りには数人の人だかりができて、遠巻きに様子を窺っていた。「何があったの、おばさん」人だかりの中に1号棟に住む知り合いの主婦を見つけたSは、近づいていって訊いた。おばさんは慌てた顔になって「いいのよ
中野住宅の黄昏とも夜明けとも知れない、辺り全体が怪しい薄明と静寂に包まれたメーン出入口付近に、Sは一人で立っていた。幼年Yの姿はどこにもなかった。なるほど、とSは思い至った。あの世にいる死者は、Sが心に思い浮かべた瞬間にこの異世界へやってくる。しかし、Sの関心が別の対象に大きく注がれたとたん、そこに存在する意義を失うのだ。いったんそうなると、回復はしばらく困難になるようだ。団地の外に出られないと知ったSは、そこで踵を返した。周囲に並び建つ複数の集合棟を眺めやった。そのときだった。どすん
中野住宅の団地の出入口は、中野駅南口から鉄道の線路に沿った一方通行の緩やかな坂道を、大人の足で三分ほど上がっていけばよかった。団地には道路の北西に一つ、北東に一つ、反対側の南西に一つ、全部で三つの出入口があったが、車両が進入できるメーンの出入口は、駅からいちばん近い北西のそこ一か所だけだった。いきなりの曇天と薄明に包まれたいかにも不自然な静寂の中を、幼年Yの手を引きながらSは、何とか団地のメーン出入口に近づこうとした。が、敷地内の道をいくら前に進んでも、すぐ目の前にあるのがわかっている出入
217号室のドアの直前で足音がやんだとき、Sはすでに玄関に向かっていた。ノブを回して開けてやると、目の前に五、六歳くらいの男の子が立っていた。Sの顔を見上げて「あそんでよ」と黄色い声を弾ませた。Dのたった一人の孫・Yは、Sが高校を卒業した年、Dの一人娘の一人息子として生まれていた。以後、Dの溺愛の対象になった。Sが自分よりずっと年下のYと接触があったのは、社会人になってまもなくのころだった。数年たってからは、その成長をDやその娘(Yの母)からきくだけで、顔を合わせる機会は次第に失われて
Sの母は何を言おうとしているのか。Dと顔を見合わせているのはなぜだろう。Sはヒントになりそうな、いま母が口にした「お知らせ」の中身を知りたかった。言葉に出さなくても、Sの気持ちはすぐに相手の二人に伝わった。「Sちゃん、それはね」と、Dが切り出すと、Sの母がすぐに言葉を重ねた。「うん、そうよそうよ。だったら、お知らせがこないのは当たり前だったわ」何のことか、Sにはさっぱりわからない。Dが言葉で説明してくれた。「Sちゃんがこんな世界を創ってくれたなんて、おばちゃんもお母さんもぜんぜん
217号室の開いたドアから顔を覗かせたのは、この団地で生前、Sの母と親しく付き合っていた主婦仲間のDだった。「久しぶりだわね、Sちゃん。お仕事の帰りかしら。いま、お母さんがうちにいらっしゃってるの。ちょっと寄っていらっしゃい」Dは、Sが成人して社会人になって結婚して団地を出ていってからも、Sのことをちゃんづけで呼んでいた。SのほうもDのことは少年のころと同様に、Dに「おばちゃん」をつけて呼んでいた。Dは、かつて年を重ねてだいぶ高齢の婦人になったときに比べると、ずいぶん溌剌としていて若
地上の階段室入口まで降りていって、青白く輝く月光を浴びながら深夜の暗闇の中に溶け込む団地の敷地全体に目を投じたSは、さて、これからどうしたものかと考えた。しばらくこの異界に留まって、かつて親しく交際したいまは亡き者たちを思い浮かべるままに呼び出してみようか。あの世がどんなところなのか、複数の死者にきいてみるのも悪くない。われながらグッドアイデアだ。とたんにSは、腹の底から不可解な笑いが込み上げてきた。ここはどう考えても異世界には違いない。だが、さっき現れたK嬢によると、創ったのはS
Sは首を傾げた。先刻までこの異界に姿を見せるのは、あの世にいる死者だけだと思っていた。生きてこの世にいるMは呼び出せなかった。呼び出そうとした瞬間、それまで呼び出していた死者・K嬢の姿が消えていた。Mは現れなかった。家はカーテンも家具も消え去ったがらんどうに戻っていた。ところが、出てこないと思っていたMがいきなり団地の敷地に現れた。六十五年ほど前の、この団地に住んでいた十歳くらいの少年になっていた。少年Mは、当時の少年Sと日常呼び合っていた三拍子の合図の口笛を吹いて、226号室の窓の下に立
Sが目を閉じて「出てこいよ」と念じたMは、がらんどうになった室内のどこにも現れなかった。ドアにノックもきこえなかった。やっぱりな。Sは少しほっとする一方で、微妙に落胆もした。突然、わけのわからない異界に迷い込み、しかもそれは自分が創った想念の世界だなどと指摘されたのだった。自分の体験を客観的に共有して、一緒に考えてくれる相手がほしかった。幼なじみでいまも付き合いのあるMは最適だった。しかしSは、だれもいなくなったがらんどうの226号室で、かつて親しかった死者に対して僅かでも思念を抱けば
SはK嬢に招かれるままに、ソファに腰を下ろした。二人で並ぶと、付き合っていた当時の気持ちが懐かしく蘇った。Sの母が台所で動いている気配が伝わってきた。Sが無視していると、二人のところまでやってこないうちに、母の気配は消えた。台所が静かになった。K嬢がささやいた。「あなたがこの世界を創って、わたしのことを思い出してくれたから、ここにこうしてまた二人、この素敵な部屋で顔を合わせることができたのね」「ああ。どうやらそうらしいけど……」答えながらSは、いまの自分が七十代も半ばを超えたじ
現実には地上からすっかり姿を消しているはずの中野住宅は、Sの考えるような「あの世」すなわち死後の世界なのだろうか。確かに、Sがこの世界の226号室で顔を合わせた人たちは、いずれも死者だった。この推測が正しければ、Sもまた死者の仲間ということになる。しかし、Sはどう振り返っても、自分が死んだ記憶を思い起こせなかった。いつ、どこで、どうやって自分は死んだのか……さっぱりだった。ソファに背を預けて自分のほうを見ているK嬢に再び目を戻しながら、Sは訊いた。「君はその、いつ亡くなったのかな」
K嬢の顔を真正面から見ながら、Sは「こんなところで会うなんて思ってもいなかったよ」と懐かしさ半分、不意に襲ってきた疑念半分の声を震わせて言った。懐かしさは、別れてから四十年近くの歳月を年賀状一つやり取りせず、お互いにまったくの他人として生きてきたためだった。疑念のほうは、なぜという気持ちがSの胸に緊張をもたらした。K嬢はいま、何を伝えるために、どこからここへきたのか。別れを告げたあの日とまるで変わらない容貌を伴って。確かにS自身、先刻E嬢に指摘されて鏡を覗いたときは、別人に思われる青年
Sはがらんどうの室内を歩いて、北側の四畳半の窓に近づいていった。ガラス戸を開けて顔を突き出した。頭上に青白く輝く満月を仰ぎ見ながら考えた。E嬢と死別後、三十二歳になって結婚するまでに、自分はいった何人の相手と恋に落ちてきただろう。そこでSは気がついた。恋愛関係の解消を自分のほうから相手に伝えたことは、これまで一度もなかった。どの恋愛も順風満帆に推移しているさなかに、必ず先方から嵐の発生と航海の断念が告げられた。雲間に顔を出した満月に照らされて、深夜の団地の集合棟は、闇にひっそりと沈んで
Sが恋多き反面、破綻も半端ではなかった独身生活に終止符を打って、ついに結婚したのは満三十二歳の春だった。妻となったのはSより四つ年下で、千葉県で生まれたA嬢だった。傍から見ると、A嬢は確かに美しく才気渙発だったが、性格も、趣味も、食の好みもSとは異なった。だからこそ、お互いに新鮮味が増して惹かれ合ったのかもしれない。「それまでずっとおまえ、この団地にお母さんと二人で住んでいたんだよな」Nはまた、部屋の中をぐるっと見回して、感慨深そうな声を発した。「いいお母さんだったよな。おれが遊びにい
Nは「もちろん」と、前向きな姿勢を身振りで示してSの求めに応じた。その裏には、ここでテレパシーの会話が成り立てば一瞬のうちに説明がつくんだが、といった気持ちが隠れていなかったとはいえない。それがいまのSとNの、一つの大きな違いだった。「恋愛専科の守護天使というのはだな、守る相手が人生で関わるあらゆる色恋や情事をその都度厳密に観察、掌握して、その者によかれといった運命の采配を振るう役割、というか使命を担っているんだ」「つまり恋の守り役、キューピッドか」「うまい解釈だな。さすがにS、おまえら