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最近、鉄道模型を弄っていませんというのも、最近、右眼を患いまして・・加齢性黄斑変性だそうです今、眼球に注射をうつ治療を受けている最中です(麻酔をするので痛くはありません)右目が、見えるはずなのに視界中央に影がかかったようになって、なんとも見えづらいだから、細かな作業をしようとすると、はんだ付けにせよ色挿しにせよ、遠近感が掴みづらいんですよピアノの鍵盤くらいなら大丈夫なんですがで、作業しようって気が起きず・・最近、ブログのネタがピアノばかりだったのも、そのためです
こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「C59戦後形(呉線)」(品番2026-1)です。C59形蒸気機関車は、C53の後継機として東海道・山陽本線の優等列車牽引機として登場、戦前の昭和16~18年の間に100両、戦後の昭和21~22年の間に73両の合計173両が製造されました。車体長はテンダー含めて全長は21,575mm(戦後形)となり、C62を超えて国産最長の蒸気機関車となりました。呉線は、大形蒸気機関車の入線可能な路線で、糸崎機関区所属C59の活躍の場となってい
『京都市電ロマンカレンダー』に画像を提供頂いている「京都の市電昭和を歩く」「京都市電が走った街今昔」の著者の福田静二さんの、出版物になっていないものの展示会などで展示されている貴重な蒸気機関車の画像を提供いただき『蒸気機関車カレンダー』を連載しています。あらたなヘッドマークも誇らしく、東京からの急行列車は、最後の勾配区間に挑む呉線安登(あと)呉市安浦町安登簡単にカレンダーが作れるテンプレートはこちら東京~広島を呉線経由で走る急行列車「安芸」だったがヘッドマークは
仕事をやめて目の前の悩みが大幅に減ると、過去の出来事をよく思い出します。小学校に入ったころなので1964年くらいと思いますが、山陽本線糸崎駅のホームで立売の天ぷらうどんを買ってもらったこと。列車の窓を開けてうどんを頼むと、やかんでおつゆを注いで渡してくれました。蒸気機関車が引張る列車が、ごっとんごっとんとゆっくり走る音をよく覚えています。当時の糸崎駅は蒸気機関車の付け替えがあって、停車時間が長かったのですね。(山陽本線糸崎駅:2016年)(糸崎駅構内:昔はここに機関区がありま
このアプリ、大きなお世話の余計な通知をバンバン寄越すよりも、まずは動作を安定させてほしい今回も、途中で入力内容が消えたしさて、先日こちらのC61を走らせたところ、ブラス車両4両+プラ車両2両でも引っ張り切れませんでしたそこで、果たしてどの程度引っ張れるのかと、今度はこちらを引っ張らせてみました以前、フル編成(荷物車を除く)揃えた急行安芸です「両数増えてるじゃん」って思われるかもですが、ほとんどはTOMIXのプラ車両なんですよねで、実車に倣い、呉線内を走行するときの、
カラーフィルムの次に残っていたのがこの写真奥に瀬戸内海が見えることから上りの「寝台急行安芸」だと思います担当は下りも引いていた15号機広島を15時出発、大阪は21時過ぎ、名古屋が零時半頃根府川あたりで朝陽を受けて、終着東京は6時40分これで中二の夏休み九州撮影旅は終りですこの後の行程が不明なのですが恐らく広島で時間をつぶして夜行で翌朝に大阪に帰ったものと思いますリュックの重さに不安一杯で阪急豊中駅へ歩いたのが10日前もう断片的な記憶しか無いのです
東京駅を20時05分発広島行きの「寝台急行あき」名古屋は深夜2時、大阪を5時半そして糸崎からは呉線に入り呉駅に11時39分終着広島は12時15分なのでこのあたりは丁度正午くらいでしょうか?ずっと温存してきたカラーフィルムに入換えて撮ったようですね後にも先にもヘッドマークを付けた現役の蒸気機関車を撮ったのはこの時だけです長い撮影旅行のハイライトなのでとても緊張していたと思います(笑)呉線坂~水尻撮影:1970年7月28日
静態保存されているSLを見てきました。戦後の昭和21年に製造されてます。晩年は急行安芸として呉線を走っていたようです。
本日は5月9日、5-9Dayということで、お気に入りのC59-161号機。昭和16年より製造されたC59形蒸気機関車は、C51→C53と引き継がれた急行用パシフィック形(先台車2軸、動輪3軸、従台車1軸の2C1配置)の嫡流であり、文字通り戦前の国鉄の最高峰フラッグシップ機となりました。革新的な3シリンダー機構を採用した先代C53に対し、一般的な2シリンダー式に戻した上で、ボイラ出力の増大、車体の軽量化を行い、牽引力の増大をはかっています。昭和18年までに100両が完成し、戦
結局、春休みには急行安芸は撮れず次に呉線に立ち寄ったのは九州10日間遠征の最終日でした中学生だったオッサンは夏休みになるとすぐに寝台急行天草で折尾駅に降り立ち九州一周するのですがそれはまた機会があれば・・・呉線は正に電化直前で真新しい架線柱が目障りですが坂駅~矢野駅間でどうにか記録しましたこれはどこで撮ったのか記憶も記録も無いのですが後ろの風景から、同じ区間かもしれません・・・?おまけにこれはC6223号機のバック運転!!客車を牽引ですサイ
この春休みに連続して糸崎に遠征している中学生だったオッサンこの時は鉄友N井君の岡山のおばあさん宅にお世話になった前回訪問でC62に出会えなかったオッサンは37号機に歓喜した!トラ顔の82号機も貨車がなくてすっきり!そしてメインイベントの「急行安芸」天応駅付近の電化工事が一番遅いとの情報まではよかったのだが・・・このあたりで「あれ・・・?なんか変・・?」・・と思ったオッサンなんと、デゴイチ牽引でヘッドマークも無し(笑)堂々の10両編成なのに・
鳥類飼ったことある?子供の頃は零細農家だったので、家の裏の小屋で鶏を10羽ほど飼っていました。ケージではなく小屋の中に放し飼いして、菜っ葉や米ぬか、砕いた貝殻をやっていた古き良き時代。あちこちに卵を産んでいるのを、朝取ってくるのが私の仕事でした。私が小屋に入ると、鶏たちがくちばしで手をつつきに来るので大急ぎ。まだ暖かい卵を持って帰ると母が卵焼きを作ってくれました。1960年代、東京-広島間間に寝台急行「安芸」が走って、呉線内はC62やC59が牽いていた頃の話。▼本日限定!ブログ
拙宅の自室という魔窟を整理中にKATOの10両用車輛保管ブックケースが出てきました。開けてみるとほぼ全部10系寝台車(通称10系ハネ)です。ヤフオクや模型店の店頭でブックセットの開封販売やバラシ売りとかAssy部品の寄せ集めで販売されているやつを見掛けてはちょこちょこと買い足ししていったモノのひとつですね。偶然なのですが方々で入手した割には急行安芸セットの内の10系寝台車だけが中心に寄り集まっています(笑)因みに上段から5両迄は広島行オハネフ12×2両とオハネ12×2両にスハネ1
今回、広島でどうしても会いたかったのが、お気に入りのC59-161号機。昭和16年より製造されたC59形蒸気機関車は、C51→C53と引き継がれた急行用パシフィック形(先台車2軸、動輪3軸、従台車1軸の2C1配置)の嫡流であり、文字通り戦前の国鉄の最高峰フラッグシップ機となりました。革新的な3シリンダー機構を採用した先代C53に対し、一般的な2シリンダー式に戻した上で、ボイラ出力の増大、車体の軽量化を行い、牽引力の増大をはかっています。昭和18年までに100両が完成し、戦前
愛犬と散歩の途中、この鉄橋で列車を見ていました。特急安芸というブルトレも、1970年代の短い期間走っていました。C62・C59が牽引していた急行安芸の陰で霞んでいますが。山で育った犬を町中に連れてきて、よかったのか。今でも時々考えます。東京に出てきた自分と重なっているのでしょう。愛犬の可愛いところ、教えて!年老いても、くんくんと子犬のように甘えてくるところ。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
いよいよ22日で終焉を迎える、瀬戸内マリンビューです。寝起きは相変わらず耳鳴りが爆音ですが、起きていると耳を澄ませてみたら鳴ってるなぁ~ぐらいまで回復したので、ずっと心に引っかかっていたことを、果たしにお出かけしました。当日は"私が休み"+"天気が好い"+"時間帯に満潮"が重なって、麗らかな時間を過ごしました。元々は前々回の日曜日・8日にお出かけしようとしたのですけど。天気予報は晴れとなっていたものの、家を出ようかとしている時間は雲が多くて、空はグレー一色だったので、何となく気分
毎月1回寺田町の鐡道館食堂にて開催されるお食事会に参加してきました。今回のテーマは「寝台列車」です。皆さんで食べる鍋とビールは最高!自分はDF50彗星往年のラストスパート大分~都城編成を持参しました。自分が訪れた頃はヘッドマークは廃止で客車も24系に変わっていました。昭和53年3月日豊本線青井岳~田野下り彗星2号他のお客さんの車両も撮影させていただきました。EF58初期の牽
SLに暴走気味のhide急行です。C62D51と購入し、ちょっと控えようと思ってた矢先、見つけちゃいました。急行安芸の牽引機としてKATOから発売されて以来、ずいぶん経ちますが、私はSLには手出ししない方針でしたので、気になりながらも、店舗で眺めるだけでした。しかし、SL解禁となってから、C59が無性に欲しくなるも、もう模型店店舗から消えて久しく、中古店で見かけるも、新品を超える値段で売られており、諦めていました。いや、諦められていた…のでした。(笑)先日、誕生日月も終わり、購買意思も薄
中古価格が気になるので、調べてみました。新品はありません。18,000円ですね。お店が売る値段ですので、買取価格はその4割掛け7,200円。程度にもよりますが、いい方なのでこの近辺の値がつけば売り払うことにしましょう。KATOも出してたんですね。こちらは倍の値段がついています。しかし、最近のNゲージャーの評価も目にするのですが、考証一点張り、形式番号も表示も何もかも実物通りでないと、だめなようです。模型屋さんもこの傾向に拍車をかけた商売をしているので、細くて強度的に不安な
ー115系,415系,山陽線,広島駅,宮島口駅,下関駅ー115系→キハ40系→新幹線の繰返しで、在庫をUPしているので、今回は115系です。冒頭の写真のみ11月8日の撮影で、ちょっと物持ちが良過ぎたのですけど。高須駅付近で庚午側から撮った、日の出前の1枚です。この2枚は上の写真は広島駅で、下の写真が下関駅での撮影ですが。撮影日は同じ12月3日で、サロンカーあさかぜを撮りに行った時のものです。手前の2編成に115系、奥に415系が2編成で、ほんの数分の間ですが、4本が並んでくれました。
広島に育ったので、上京の際は東京行きに乗るのが当然と思ってきました。C62が牽引する急行安芸も、EF65の特急あさかぜも、100系のひかりも、みんな東京行きでした。東京に住んで学校に行ったり、働くようになると、意外と東京駅にはこないものですが…学生時代、東北育ちの同級生から、上京の際は上野行きに乗ると聞きました。富山や長野育ちも賛同。地域により、東京駅は色々な見え方をしていると知りました。新幹線が東京駅に乗り入れるようになって、みんな東京行きになりましたが。東北新幹線の車止めです。
鉄道模型・Nゲージの特急安芸です後ろの客車は20系ですが、実際の特急安芸では、ヘッドマーク無しで牽引機はEF58でした。で、ここで特急安芸の話しがしたい訳ではないんですが。機関車前面のアップですマイクロエース製の模型ですが、なかなか精巧にできてますね。1/150でこのディテールは、凄いと思いますこれは急行安芸の、実物の写真です牽引機はC59とC62でした。急行時代には、こうしてヘッドマークが着いていました。で、その安芸のマークをイメージして、こういうコラージュを作ってみました
おはようございます!本日からはガラリとテーマを変えてこちら。KATOのC59と急行安芸です。安芸は通常編成と1967年頃の編成のどちらも組めるようになっています。実車の写真はないので、いつものようにヤマケイのレイルシリーズを開きます。ちょうど模型と同じ編成が映されていました。C59、勇ましいですねで、こちらも並べます。C59、プロポーションも良く、走りもスムーズですその後ろは青一色の10系客車が連なります。10系はうちは初入線ですが、よく出来ていますね。二段ベッドがチラリと見えます
ここにいたか…先日行った広島こども文化科学館の横に設置されているC591611970年10月に呉線が電化されたことでこの線のSLが全廃されました。これはその最終日に最後の「急行安芸」を牽引していた機関車です。家のすぐ裏を呉線が走っていましたから親しみ深い。さよなら列車として装飾されたこの機関車に手を振ると運転手さんがにこやかに応じて下さったのをしっかり覚えています。いつまでも良い状態で保存されればいいなあ。。