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どうもーイーグルス大惨敗ファイターズとの実力差が現れてますそれにしても暑いですねえさて今日はだいせん号を少し2000年代前半まで走っていた編成ですね多客時は8両まで増結したとか中々カッコいいトレインマークしかし明るすぎて潰れ気味なのは難点室内灯黄色っぽくしたのは失敗だったかも牽引機は米子のDD51屋根は汚れている方が好きで、この編成にはトイレタンクが付いてなかったのでrecoler製のタンクを装備させてます一個余ってたのを忘れてました北斗星用のオハネに付けてもよ
こんにちは。オケタ模型です。郵便車シリーズ⑧今回はkatoのスユニ61(品番5242)です。木造車の鋼体化改造?により生まれた系列のようです。スユニ61自体はオハニ61から改造で、改造元のオハニ61自体もスハニ61からの改造・・・と、なんともまぁ、ややこしい遍歴の車両ですね。↓まずは正面から。ライト、キレイです。↓次に横顔。幌もなかなかいいですね。↓同じく、横顔。↓ちょっと下がったアングルで。↓車番は「スユニ6138」です。↓側面より。窓が少ないですね。↓反対側の側面で
こんにちは。オケタ模型です。郵便車シリーズその⑦。今回はスユニ60です。あ、「郵便荷物車」ですね。まずはおしり。テールライト、キレイです。ちょっと横気味から。所属表記は「大ミハ」です。宮原ですね。車番は「スユニ6029」です。〒マークも。斜め後方より。床下もリアルです。サイドから。〒マーク、ちっちゃいです。反対側から。上空より。グレー屋根。シンプルですね。この車両、「10-145010系夜行急行「だいせん」7両増結セット」のassyで組みました。ちなみに基本と
◎゚+.。o○゚+.。o○◎゚+.。o○゚+.◎ご訪問ありがとうございます。◎゚+.。o○゚+.。o○◎゚+.。o○゚+.◎2004年1月に大阪へ行きました。2日目の朝早起きをして大阪駅へ行きました。博多からやってきたムーンライト九州。派手な色使いです。今見返してみると車内も撮っておけば良かったと思います。出雲市からやってきたムーンライト八重垣。米子から福知山線経由でやってきた急
撮影日1997/09/26【一日目】山陽電気鉄道大塩20:30発の特急に乗車高速神戸21:15着、21:20発の阪神電気鉄道特急に乗り換え阪神梅田21:55着大阪22:55発の急行だいせんに乗車寝台車も連結されてたと思うけど、自分が乗ったのは12系客車福知山駅で列車を出て撮影午前1:00頃やと思うだいせん出雲市7:29着一畑電気鉄道電鉄出雲市7:38発の電車に乗る松江温泉8:34着、8:47発の電車で折り返す松江温泉駅川跡9:34着、9:37発大社
いつもご覧頂き誠にありがとうございます。今月の第三陣が到着しましたので投稿したいと思います。今月はこれが最終便となるかと思います。※どんでん返しがあるかもですが…今回はTOMIXから、■TOMIX2246JRDD51-1000形ディーゼル機関車(米子運転所)■TOMIX9535JR客車オハ12-3000形■TOMIX98449JR12-3000系・14系15形客車(だいせん・ちくま)セット■TOMIX98451国鉄113-0系近郊電車(冷改車・湘
平成4年(1992年)3月ダイヤ改正直後山陰本線421列車(米子発出雲市行き普通客車列車)について【投稿日令和4年4月22日】1はじめに(1)平成4年3月ダイヤ改正後421レの勇姿平成4年3月14日ダイヤ改正直後の山陰本線米子~出雲市間の1往復の普通客車列車は、引き続き50系客車が使用されました。今回、その時期の米子発出雲市行き50系普通客車列車(421レ)の写真をヤフオクで入手し、ブログ等で二次利用することについて了解をいただけました。(撮影日は平成4年4月4日
いつもご覧頂き誠にありがとうございます。今回は、キハ65形700/1700番台の「急行だいせん」編成を投稿したいと思います。キハ65形は昭和44年(1969年)から3年間製造された高出力エンジンを搭載した気動車です。このあたりは以前に投稿しましたキハ65形を参照いただければ幸いです。『【鉄道模型】国鉄キハ65形【TOMIX】』いつもご覧頂き誠にありがとうございます。今回は、通称キハ58系のブースター的役割を果たした、キハ65形を投稿します。昭和41年(1966年)に、高出力
もう三十年以上前にもなりますが、学生の頃の山陰旅行の定番と言えば急行だいせん急行乗り放題の「山陰周遊券」を握って、大阪発のこの夜行列車「だいせん」の自由席で出雲市を目指します。翌朝には出雲大社を参拝するもよし、さらに萩・津和野を目指すもよしというなかなか使い勝手の良い列車でした。この愛称である「大山」は鳥取県の名山で中国地方の最高峰。火山らしい綺麗な形で出雲の神話にも登場する由緒正しい名山です。ところが、この大山の事をおおやまと読む人たちが結構おられまして、なんてことだ
Tomix12系の新バージョン登場!急行だいせん・ちくま用12系3000番台5輌基本編成と増結オハ12×3輌セットの空きスペースに纏めて繁忙期~閑散期の再現が可能に!!この12系3000番台の特徴スハフ12の愛称版も点灯します。
(ありそうでなかった製品がついに登場)TOMIXから「だいせん・ちくま」が発売されました.12-3000系が2両+14系15型3両の5両セットと,増結用単品でオハ12-3000が用意されました.この製品の注目度は非常に高く,最近受注開始時に書いた記事が検索で上位にヒットし,しかもアクセスが伸びていることがわかりました.筆者も導入していましたので,この声にお応えして記事化します.『TOMIXから「ちくま・だいせん」が登場』(この感動を模型でもう一度)(画像はトンネル内の「奥出雲おろち号」
2003年8月27日乗車前に撮影したJR宝塚線キハ65系急行だいせん。山陰への遠征に急行だいせんを利用した懐かしい写真になります。福知山線内は帰宅客で混み合っていましたが、福知山に着く頃には車内は閑散としていたのを思い出します。
だいせん5号大阪~大社間を結んでいた夜行列車1度だけ大阪に行く時に乗車した記憶があります。昭和56年頃でしょうか早朝の松江駅にカメラと三脚を持って20系客車の「だいせん5号」大社行を撮りに出かけたことがありました。冬の時期だったので5時に起きても外は真っ暗で眠い目をこすりながらとても寒い中、自転車をこいで松江駅に向かいましたこの時初めてレリーズを使いシャッタースピード1秒設定で撮影した1枚です。機関車+電源車&客車10両の大所帯で大社駅に到着
平成8年7月急行だいせん(上り)について(指定席と自由席は12系客車)(平成8年3月~平成9年3月バージョン)<かつての山陰本線客車列車事情>【修正令和4年1月22日】1はじめにかつて、大阪~出雲市間において、夜行列車である急行だいせんが、福知山線・山陰本線経由で、客車列車で運行されていました。昭和61年(1986年)11月~平成11年(1999年)9月まではB寝台の寝台客車及び12系客車(指定席、自由席)の編成でDD51が牽引する客車列車として運行されていました
平成6年11月急行だいせん(下り)について(指定席と自由席は12系客車)(平成6年11月バージョン)<かつての山陰本線客車列車事情>【修正:令和4年12月11日等】1はじめに(R4.12.11修正)かつての急行だいせんの概要に関しては#32のブログで記載したところですが、今回は、平成6年(1994年)11月における下り急行だいせんについて記載します。編成については、通常はB寝台3両(1~3号車)及び12系客車2両(4号車指定席及び5号車自由席)の5両編成で、1号車
急行だいせん概要③(客車時代③)(平成6年11月~平成9年3月の場合)<かつての山陰本線客車列車事情>【修正:令和3年2月26日】【修正:令和3年3月9日】<平成6年11月~平成9年3月急行だいせんの概要>かつて、大阪~出雲市間において、夜行列車である急行だいせんが、福知山線・山陰本線経由で、客車列車で運行されていた。昭和61年(1986年)11月~平成11年(1999年)9月まではB寝台の寝台客車及び12系客車(指定席、自由席)の編成でDD51が牽引する客車列車として運行
火曜日。仕事帰りに寄り道して、帰宅したのが22時少し前。この晩も少しだけ走ることにした。前日に少しスピードを意識して走ったので、この晩はゆっくりと。その代わり、斤量(笑)を増やして走ってみた。走り始めてすぐに近所のスーパーへ。2リットルのお水を買って、バックパックに入れてラン再開。2リットル、ってたいした重量ではないのだけど、走っていると揺れが大きくてとても走りづらくてスピードが出ない。この日はゆっくり走る積りだったので、ちょうどよかった(*^o^*)水を背負ってからはキロ7分
35年前の出雲市駅だったと思います格下げ20系なので、白線が2本しかありませんが、全編成揃っていて、綺麗でした
blogno.23020200516土1982年になりました。元旦だけ東海道・山陽新幹線乗り放題切符(この時が、正月新幹線乗り放題切符が初めて発売されたと記憶しています)を使って、岩日(がんにち)線(現:三セク)を乗りました。当時の岩日線は、新岩国駅の駅下に「御庄(みしょう)」という駅があり(駅名も違いますし、乗換駅扱いではありません)、錦町まで行って、引き返し、岩徳(がんとく)線(健在)の川西(岩日線の起点)から25分ほど歩いて錦帯橋に遊び、帰ってきたのでした。御庄駅は、現在
先日、時差出勤の際に大阪駅前ビルの金券ショップを見て回っていたところ、国鉄時代に発行された寝台特急「出雲」のトレインマークを描いた「61.11ダイヤ改正記念・明日へ、快適レール、新ダイヤ」のカードを発見、思わず購入してしまいました。実はこのオレカ、意匠は出さず隠した状態で販売されており、カードの端の色、ベースの肌色と「出雲」のトレインマークの赤色が僅かに見える状態となっていて、このトレインシリーズのオレカを今でも多数所有していることもあり、カードの大部分は隠されてはいましたが、このオレ
アスパラなど田辺製薬の看板が懐かしい神崎川橋梁上のDF50貨物DF50が牽く福知山線貨物には家畜車などが組み込まれローカル色たっぷりの貨物列車でした。東海道本線宮原(操)-尼崎1972年福知山線の花形82系「まつかぜ」が軽快に奥野々の峠を登ります。福知山線谷川-柏原1977年気動車急行「だいせん」が単線の南矢代駅を通過して行きます。福知山線篠山口-南矢代1978年ローカル列車が藍本駅に進入します。DD51に鋼体客車が福知山線普通列車の標
皆さんこんにちは、早朝の川西池田駅です。113系湘南色の8両編成。普通篠山口行です。大阪を6時15分ごろに発車した列車で折り返しは快速となります。毎日湘南色113系8両編成の限定運用でした。その後221系の8両編成に置き換えられ、今では、223系225系6000番台になっています。入れ違いにやってきました、急行だいせん大阪行です。地元ですので出勤の途中で撮影しました。御覧頂きましてありがとうございました。
世の中はブルトレブームの真っ最中の頃でした。大学3年になった私は、学校に朝早く行かないといけない日が出来て、最寄駅でゲタ電を待っていると福知山線ホームを決まって「だいせん8号」が通過して行きます。堂々12両編成の20系客車をDD51が単機で牽引する姿は幾ら軟弱鉄な私でも其の姿には魅かれます。日の長い時期に、いつか走行写真を撮ってやろう!と考えるのは至極当然のことです。旧尼崎駅を通過して行く「だいせん8号」1979年6月夏休みに入れば福知山線まで撮りに行こう!そう決めたのは19
今でも撮影者が大勢でいるところで撮る事に価値を見出せず、現役蒸機が走っている頃から自分で探し出したポイントで自分ひとりで撮影するのも楽しみの一つでありました。それが後年、その場所が期せずして有名撮影ポイントとなっている所も少なくありません。小田東漁港上のSカーブの西側にある小高い丘の俯瞰ポイントも、そんな場所の一つです。急行だいせん1号がオダタギの俯瞰ポイントを通り過ぎて行きます。右端に写っているカーブを過ぎれば有名な小田東漁港上のSカーブに差し掛かります。近代的なコンクリー
急行だいせん大阪~出雲市急行ちくま大阪~長野どちらも乗ったことがあります。このトレインマークは12系客車に取り付けられていたもの。だいせんは客車時代(後にディーゼルカーに置換)に2回乗車。ちくまは北陸新幹線長野開業で、客車から電車に置き換えする前に乗りました。
初めて列車に乗ったのは小学校3、4年ぐらいのこと。大阪から出雲神話の里出雲大社がある大社駅まで直通の「だいせん5号」だった。DD51ディーゼル機関車に20系客車9両の編成で、そのうち7両つないでいる3段式B寝台を母が取ってくれた。列車が出発してから私は窓辺に映る夜の戸張の車窓を眺めていた。寝台車に乗るのが初めてでそこから見る風景が楽しかった。大阪から尼崎から福知山線に入り最初の停車駅、宝塚でしばらく行き違い(その当時はその先から単線だった。)停車でしばらく止まっても、夜遅くになり車内が減光
初めて夜行列車に乗ったのは私が小学校3、4年生ぐらいのこと。祖父と祖母がいる島根県へ夜行列車が走っていた。大阪から出雲神話の里、出雲大社への最寄り駅大社駅まで直通の「だいせん5号」が20系客車9両で運行されていた。この客車は昭和30年代に東京ー九州間を結んでいたブルートレインの車両を格下げした車両で、三段式B寝台が7両、座席車が2両という編成だった。弟と妹三人での旅に母は座席車ではつらいと思ったのだろう。高い寝台料金を払ってまで寝台車に乗せてくれた。「切符は車掌さんに見せる
昨年発売になったものの、買い逃してた急行だいせんを見つけてきたので入線しました。今回のこちらのセット、多彩な荷物車が特徴になっていて、まずは昭和45年に荷物車の合理化を図るために製造されたパレット荷物車のワサフ8000さらにスハ二32から改造されたタイプのマニ35当初からマニ60として製造された車両の台車を本線運行が多いことから、ローカル線に都落ちしていたスハ32のTR23型台車と交換したマニ61そして郵便・荷物合造車のスユニ60が含まれていますそしてスロ54の冷房改造車もそれにして
久しぶりやね〜コカコーラの飲み過ぎかと思ってたわ(笑)相変わらずの旺盛な製作欲は、敬服に値しま。ところで、水切りはなかなかよく表現されてるけど、ベンチレターが少し大きいような気がするわ。光線の関係なんか、妻板と屋根のつなぎ目が丸まっているようにも見える。10系ハザは夜行急行によく連結されてたけど、軽量が災いしてか傷みが激しく、引退時期は35系や43系より早くて、保存車両は碓氷峠文化村のナハフ程度か。。。そういえば、急行だいせんも10系ロネ、ハネにハザを連結してた