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皆さん、おはようございますイタリアの複数の友人よりもう一度「猫」を家族に迎えないかとよく聞かれます。こちらで保護猫活動をしている知り合いもいて…その都度、今は無理です、、まだとても考えられない、と、答えています。自分たちの年齢も考えてイチローを譲り受けた時に、この子が最後の猫と、確信していました。あの時は、イチローが20才まで生きても私達もまだ大丈夫、だと思っていたし…イチローが9歳の若さで旅立
こんにちは^_^マリです息子、急性胃腸炎になりました。昨夜から嘔吐下痢しまくり、もちろんお腹は痛いは熱は上がるわで、原因ははっきりしないですが、わたしの作った鶏肉のオーブン焼きが生だったのか父、母とも食べましたがなんともないですが鯵のたたきかコロナかもと思い熱は38.6診察券がある病院に電話かけまくりましたがどの病院も🏥予約でいっぱいとのことで断られ、救急車🚑呼ぶ?と諦めかけた時に主人が診てもらってる胃腸科内科に電話してみたら電話診察で診てくれるとのこと!あ
クリスマスにわが家にやって来たのはサンタじゃなくコロナでした一番最初に子供がどうやら学校から持ち帰ってきたようで瞬く間に家族全員が感染年末はいろんなグループのお友達と忘年会を予定したり両親と共に家族旅行を計画したり元日は両親と弟家族とパーティーを計画したり、ウキウキでいました本当に楽しみすぎてそれのために仕事も頑張っていたのに全部キャンセルずーっとおうち長い長い冬休みとなりました。造血幹細胞移植後3年と7ヶ月のコロナ感染の症状についての記録です。ちなみにコロナワクチンは
イヴの昨日仕事に行く前に玄関ポストを開けたら(前日に開けてない)ブロ友で亀友のかめまるこさんから郵便が届いてました通勤途中の車の中で開封中にはクリスマスカードと亀さんのカレンダーが気持ちがホッコリするイヴの日の朝でしたそして今年・・・急性白血病で入院・治療してた甥っ子(中3)が無事に退院した報告を弟からLINEで届きました8ヶ月の入院治療今後は寛解状態を維持するため服薬中心の治療を2024年11月まで行いその後5年間再発が無いか定期的な通院
少し肌寒くなってきて初発の時の体調の悪さを思い出す季節がまたやってきたこの季節はどうしても落ち着かない何にかわからないけど怖く感じて仕方ないきっといろいろトラウマになっている今闘病中の方々のブログを拝見するとあぁ、そうだった、そうなんだよ、すごくつらいんだよ、と悲しくなってしまうもし、あの時絶対治る病気だからね今はつらいけど頑張ってねって、言われたなら気分的には楽に乗り越えられたかもしれないでも白血病はそうじゃない。100%治ると誰も断言してくれない。それどころか生存
はらこです久しぶりにここへ来ました。ええ。7ヶ月ぶり。もうひとつのアカウントでは私の日常を不定期で綴っております。お時間のある方どうぞ。みやっふぃーのブログAmeba(アメーバ)profile.ameba.jpこちらのはらこのブログは実母の病気の事を綴ろうと思い書き始めましたが「経過観察」だったので、ブログもお休みしてました。あ、病名は「急性白血病」今までの数回のブログを見れば分かるようにずーっと白血球の値がおかしかったんですよ。で、今の主治医の先生と出会い治
【記事リンク↓】配信:Yahoo!あみん・岡村孝子、難病乗り越えデビュー40周年「とても幸せです」2019年に急性白血病を発病(ねとらぼ)-Yahoo!ニュース歌手グループ「あみん」のメンバーで歌手の岡村孝子さんが7月21日にInstagramを更新。デビュー40周年を迎えたことを報告し、「とても幸せです」と思いをつづっています。news.yahoo.co.jp2019年4月に急性白血病診断同7月にさい帯血移植手術を受け9月に退院、移植後完全寛解デビュー40周年とのこと、
ソロで活動していた岡村孝子さん。2019年4月に急性白血病と診断され入院することに。ネットや新聞で発表されて知った私はかなり動揺しました。娘さんは大きくなっていたとしても心配だったでしょう。娘のほうがお医者さんに色々質問して「私のためにも頑張って」私も娘を残していくわけにはいかない。無菌室での5ヶ月にわたる治療を続けられました。臍帯血(さいたいけつ)移植を受けられ9月に退院。
お久しぶりですB細胞性急性リンパ性白血病と診断され移植から丸3年が立ちました弟から末梢造血幹細胞をもらって繋いでもらった命が3歳のお誕生日ですそうそう、3年たってやっとやっと前髪ができました!移植後初めて前髪を切りましたよまだまだ全体的に毛の量は少ないです。頭頂部がやっぱり薄くて気になります。でも女性ホルモンをサボらず飲んでいると毛が増えてきたんです。生理も面倒くさいし内服するのも面倒くさいのでホルモンの内服を勝手にさぼると抜け毛が半端ないです。なので最近はサボらず頑張って飲
時代はどんどん動いていますね。抗がん剤も要らない、切らない高いのかな、保険適用されるかな?がん保険適用されるんかな?副作用ないのかな?4年前は母の闘病が始まったばかりで、頭の中は乳がんのことだらけだった。4年って歳月は、長いですね。お金かかったし、忙しかったし、子供達も結構ほっといちゃったし、母自身は副作用で辛かったし、手術で見た目も変わっちゃったし、兄弟関係が悪化しちゃったし、、、色々とあったけど、とにかく、今、母が元気でいてくれるのは、医療のお陰。病院関係者さんには赤の他人
今日の朝刊トップ記事でした乳がん細胞以外にも子宮頚がん細胞急性白血病細胞にも効果があったとか希望が持てるニュース、嬉しいです最近、乳がんが見つかって治療始めると教えてくれた職場の先輩に朝からLINEしてしまいましたこの世から病気で苦しむ人が1人でも減ればいい尽力いただいている方達に感謝です
読んでくださりありがとうございます仕事と子供のことは何とかなりそうとなり、あとは入院準備ですが、、とりあえず、夜は家族で焼肉食べ放題にwこの時点で先生から生物禁止令が出ていたんですが、焼けばいいとのことだったので、、そしたら焼肉でしょ、となりました生物禁止について詳しくはまたいつか書きたいと思います。調子は悪かったですが、なぜか食欲はあったので、ここぞとばかりに食べました。この時点で体重も全く減る事なくきてました入院するまでの間に急いで準備をして6/14最初の入院です。つづ
いつも読んで頂き嬉しいですありがとうございます告知を受けたのは6/13診察室には先生と私。これまでの検査結果、診断名、これから治療などなど。。もちろんそれなりの覚悟で挑んだはずだったんですが、結果、めっちゃ泣きましたねグスン、、どころではなかったです途中で知ってるスタッフが1人いるのも気付きましたが、止められず先生も困ったと思いますが、私が落ち着くのを待って丁寧に説明してくれました。そして明日から入院して治療を開始するとのお話しでした。本当は今からでも入院してほしいけど色々準
検査を進める中でも自分がどんどん悪くなっているのは感じてました。首の腫れを指摘されたのをきっかけにここまで来ましたが、いつの間にか首だけじゃなくてあごや足の付け根も触ってすぐ分かる程度に腫れてました。からだも結構しんどくっていざ働く時は忙しさで紛らわせる事が出来てたんですが、最後に働いた日は、本気で倒れそうになるのと闘いながらで限界を感じてました。調子の悪さなどは職場のスタッフにも何となく伝えていたし、急な休みをちょこちょこもらっていたので周りの方のフォローもあったと思いますが、
読んでくださりうれしいです。ありがとうございますそらからは骨髄穿刺をしたり、腫れたリンパ節を生検したりなんか色々やりましたはっきりとした告知はまだでしたが、夜に電話がかかってきたり、働いてる病棟まで先生が来てくれたりとし、末恐ろしい感がましてました骨髄穿刺は看護師として先生の介助につくことはありましたが、患者側としてうけるのはもちろんこの時が初めてで、、見ている時も痛そうだなぁって思ってたんですが実際も、まぁ痛いですよね、、まぁまぁ検査なんてたいがいそういうものですかねうつ伏せに
血液内科では採血と診察。項目が増えさらに詳しく調べる事になりました。ここに載ってませんがCRP(炎症反応値)は0.3どんどん貧血進んでいる感じですがわりと普通に働けてました。悪性リンパ腫解析検査MLACD45ゲーティング(造血器悪性腫瘍細胞検査)という検査項目もあり、それは結果が出るまで数日かかるとの事で結果待ちでした。所々記憶がちょっと怪しいかもですつづきはまたシルフィールジョガーパンツUNIQLO1,990円
紹介先の耳鼻科に受診したのが5/27日。最初は診察しながらも、たぶんウイルスとかの感染症からくるリンパの腫脹じゃないかなぁ、、と割とかるーい感じだったんですが、、、ついに採血やCTを撮ることになり、徐々に診断へ繋がっていきます。その時の血液データ↓少なめな項目ですが、たんだん貧血になってたことで調子の悪さにも繋がっていたのかなと思います。詳しく覚えていませんがCTでもいろんな場所のリンパが腫れていたりして赤信号なかんじだった気がします。そんな事もあり6/2日ついに血液内科に受診す
1995年に急性白血病のため89歳で死去した、俳優の浜村純さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。浜村純さんには、家族縁や病難に注意。不和に注意すれば成功する。活躍するが、非難されたり、災難に遭う事もある。晩年は、補佐役に向く。五行の三才配置は、大凶。といった暗示があります。引き続き浜村純さんの本名、武内武さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。武内武さんには、強情さに注意。家族縁や無理な企てに注意。不和に注意。苦労や困難を乗り越える。厄難、病難に注意。五行の三才配置は、半吉半凶。と
ママママランチ‼️実は、実は…ちょっと頑張り過ぎて生きてきまして…**最近、次男坊の学校のお手伝いに参加するようになったら、そんなママ友がたくさん周りにいることがわかりました。**私はあまり後ろを振り返らないように生きてきました。それは、いまさら後悔してもどうにもならないことがたくさんあったからです。**一番最初の後悔は、16歳の時。ボーイフレンドの弟を事故で失ったとき。14歳だった。2番目の後悔は、幼なじみを事故で失ったとき。17歳。3番目の後悔は、不倫していた親
春ですね。桜の季節で、寒いの苦手なので、春は好きです!でも、花粉症がね。。そして、色々大病も患いましたが、あれから11年経ちます。T細胞性リンパ芽急性白血病になり、骨髄移植も受けて、色々後遺症やら、新たな病気になりながらも、元気に生きてます!細々ですが、仕事もしてます。ゆる〜い生き方を、楽しんでます。今、闘病中の方も、元気になりますように。
https://t.co/v8bpKy4xTR子供がワクチン接種後に白血病を発症父親「訴えるところがない」pic.twitter.com/FsTQwqoJkh—石納(@80syaku)2022年3月13日コロナワクチン接種後の白血病百害あって一利ないコロナワクチンと白血病の関係。細胞をマイナスに帯電させる弱アルカリ性の維持を意識。血液の無駄遣い、血液の酸性化を止める。kenkou-maintenance.comシェアさせて頂きます🙏韓国でも20代男性が白血病に
手術後翌々日ー退院経過もよく予定通り進み、手術後翌々日これまで通り、朝のバイタルチェックも問題なし。看護師さんからこの後の手続き、段取りの説明を受けて朝食後、荷物をまとめ退院の準備。最後に担当医による患部と状態の確認すでに刺した2箇所の穴は塞がり絆創膏も不要とのことこのままで良いようだ。そして、退院。気づけば入院してからはあっという間にドナーとしての役割は終えた。実家に帰って患者である兄妹とビデオ通話、患者側は強い抗がん剤に放射線で最もつらい時
移植手術翌日骨髄採取の手術終了してその日は一晩中、なかなか寝つけず、、、そんな中、看護師さんは点滴確認・交換、バイタルチェックと定期的に見回り、夜勤は大変だなとつくづく感じるよく眠れなかったものの病院の朝は早い7時には血圧や体温などのバイタルチェック、朝食後、担当医による患部や状況の確認そしてガーゼ交換。自分で患部は見えないものの、取り外したガーゼに残る血の跡で手術という事実を再認識。そして、前日にはなかった鈍い痛みを立ち上がったり歩くと感じる、力が入ら
移植当日ー骨髄採取手術前日は入院後の諸々の検査もスムーズに終わり、ここまで検査からお世話になってきた先生もコーディネーターさんとも挨拶し、夕食をとり水分補給の液状ドリンクを2つ飲み干し11時前に翌日に備え就寝。思いのほか、よく寝れました。朝6時に起床し、7時までに水分栄養補給の液状ドリンク2つ、指示通り飲み干す。それから血圧等の検査をして、手術着、ふんどし&弾性ストッキング着用に苦戦しながらも準備完了。そして看護師さんの誘導のもと9時に手術室到着。すぐにベッ
入院ー移植手術前日妹が白血病と診断されてここに骨髄移植に至るまでかれこれ5ヶ月余りここに至るまでがなかなか長かった、、、骨髄移植が必要だと診断されてから、ドナー適合検査で奇跡的に一致し適合覚悟を決めて進むだけと思ったらそんなにすぐに進むものでもなく、、、最初のハードルは提出した直近の健診結果での異常のおかげで、そこの検査。血液検査で肝臓の値が基準値オーバーで3週間後に再検査ということに。ここで通らなかったらドナー適合も何の意味もなく何の助けにもならない必死
『留袖と義母孝行』『私達夫婦が体質的に受け付けない食べ物、牡蠣』『恐るべし牡蠣』『長男の嫁、初葬式で洗礼を受ける』『みんなで野球観戦…ではなくて…』『不妊、義妹が出産、赤ちゃ…ameblo.jp前回のブログはこちらはじめての方はこちらからある夏の日岐阜のいとこから電話がかかって来た。お父さんがやばいの。今夜が峠だって。は⁉️な、な、な、なんで…急性白血病。まさか…岐阜の伯母がなくなって、年が明けたら3回忌だねと言っていた。ひとり暮らしで仏壇の掃除をするのがしんどいと言
5~11歳のお子さんがいらっしゃる保護者の皆様へコロナワクチン接種前に是非お読みください。・ファイザーの小児ワクチン説明書ファイザー社の公式資料をもとに、ワクチン成分や副反応、治験結果などを解説。・小児のワクチンは感染を促す恐れデンマークの公式資料をもとに、接種により感染しやすくなる可能性を解説。・アメリカは小児の接種率が低い小児コロナ被害が大きい米国でも5~11歳の接種率は19%程度。その背景を報道や公的な副反応報告システムのデータから考察。・子供のオミクロン
一月末より突然緊急入院。約1週間。家族に話があると病院から。病気の名前がまたまた変更。骨髄繊維症から急性白血病へ。私は、あと数ヶ月の命らしい。前回の宣告では、「2年位」だから安心していたが・・・「えっ、こんなに早く?」と思った。なんか夢みているようです。でも、病院に入院して何となくわかっていました。朝起きると「退院したら、可愛い仏壇を見に行こう。」とか「私が居なくなったら掃除誰がする?退院したらルンバ買いに行こう。」とか・・・そんな中での主治医からの話でした。こ