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朝のニュースで逝去の報を聞きました。11月13日、92歳でした。R.I.P.我が家の子どもたちは『ことばあそびうた』1973年、『ことばあそびうたまた』1979年(いずれも福音館瀬川康夫:絵)が大好きです。☆口ずさんで覚えて、友だちとのやり取りでふと出てくる言葉の数々・・・たんきはそんきあしたはてんき―「き」・・・さるさらりさるさるさらば―「さる」・・・よかれあしかれせがれをしかれ―「たそがれ」etc☆日常ではあまり馴染みのないことばうのみ・ゆあみ・そねみ・とあみ―「
「円頓寺本のさんぽみち」素敵なボランティアスタッフの方との出会いがありました今回の出店場所は、角地。T字路になっていて、商店街と交わる道のところに、常にボランティアスタッフさんが立っていました。30分くらいで交代でしょうか。早い時間に立っていたボランティアスタッフさんが「これ、いくらでしょう?」と、『大岡信全詩集』(大岡信著思潮社)を抱えました立っているところから、ちょうど見える場所にデーンと置いてあったのですこの詩集、数年前に
鏡を配する人の気配がまだ残る家青い更紗の懐かしい部屋祈りに縁どられた細密画鈍色の水を湛えた鏡面が閃く火を点けるとうに水枯れた庭の池に忘れ去られた道具を集めて消えた星たちのために古くて遠い星たちの焔の色で失われた物と失われゆく物のあいだでその耐えがたさの前にひとり、とり残されて星置き、鏡置き誰もいなくなった場所を鏡に映してもう怯えることもなく来る夜のしずかな歩みを燭火で導くこの家と苔むした裏庭のいつか見ることのない跡をひっそり
現代詩手帖2023年12月号「現代詩年鑑2024」を購入しました。詩を書くひとならご存知(たぶん)の雑誌。知らなくても詩は書けますが。
ぼくたちはゆったりと空に寄りそう地平線が見たかった旅に出たかったが忙しすぎたぼくらは続きはこちらで↓http://blog.livedoor.jp/artmania_3-artmania_3/archives/91674291.html【出発のために】:artmania_3のblogぼくたちはゆったりと空に寄りそう地平線が見たかった旅に出たかったが忙しすぎたぼくらは高さを探して見慣れた街を歩いた階段をのぼり階段をおりーーいつも地平線はひしめく屋根と煙突と三つの鉄塔の彼方だ
以下のページにイベント情報のページに講演会のお知らせを載せていただいています。ありがとうございます。オーバードホール公演・イベント情報|AUBADEHALLwww.aubade.or.jp思潮社ホームページ思潮社イベント情報詩の本の思潮社イベント情報www.shichosha.co.jp
この投稿をInstagramで見る神泉薫KaoruShinsen詩人・作家(@kaorushinsen)がシェアした投稿
峯澤典子の第四詩集『微熱期』BLUEPERIOD。Amazonでも購入出来るが、その前に思潮社に直接注文した。送料は掛かったが、早く届いた。小冊子を含めると6冊目。それ以外に、ネットで申し込んでセブンで出すみたいな物もあったらしい。(詳細不明)これはTwitterでだけ告知されていたらしい。当時、自分はTwitterやめていたので知らなかった。なので、Twitterとか自分は興味なかったが、また始めた。実際、コアな情報はTwitterに多く流れる気がする。なのでIn
20220401昼日本にビートジェネレーションを紹介したことでも名高い、詩人・諏訪優の詩「ことしも谷中に春がきた」を朗読する動画です。↓をクリックして下さい。コラム動画11諏訪優氏の「谷中草紙」より、「今年も谷中に春が来た」を朗読する2022年4月1日藤谷蓮次郎・製作#諏訪優#現代詩#思潮社youtu.be2022年4月1日藤谷蓮次郎
『現代詩手帖12月号(現代詩年鑑2022)』(思潮社、2021)を取り寄せました。きっかけは、神戸新聞朝刊のコラム「正平調」(2021/12/20)です。月刊誌「現代詩手帖(てちょう)」の12月号にはその年を代表する詩が載る。今年は詩集や新聞、雑誌から140編が選ばれた。詩人たちの言葉で2021年を振り返ってみたい・・・「おお、神戸新聞の記者さん(多分文化部)、『現代詩手帖』「なんか」読むのか!」(偏見失礼)と感動して三宮ジュンク堂書店に行ったら「在庫なし」。
「すきまのある家」というエッセイが荒川洋治さんにある。帰省した夏の夜に蟹がでる、というものだ。荒川さんのいなかは「日本海の浜辺といっていいところ」にぽつんとあるということだ。うちでも忘れたころに虫がでることがあるが、すきまからやってくる虫へのおどろきは、その体のように小さなものであるとは限らない。ほんとうにおどろいてしまう。彼らは密室のどこからやってくるのか、いつもときあかせない。すきまという、ひとにとってはたどりにくい次元、杳な世界を、ふだんひとは些細にも考えない。かんがえるいわ
現代詩作家の荒川洋治さんは、散文について、詩とのたいせつな違いに着眼しながらこう述べたことがある。(散文は)読む人のために、作者個人の知覚をおさえこむのだ。個人の認識をまげて、散文はできあがる。つまり散文とは、つくられたものであり、異常なものである。(荒川洋治、『現代詩文庫242続続・荒川洋治詩集』、思潮社、2019年、119頁)カッコ内は引用者によった。散文は、理路整然としているから「正しさ」をそなえていると錯覚するが、この錯覚は散文のかかえた異常さに由来をやどすという。たしかに詩
現代詩はよくわからないものの歴史である、とは『零余子回報』の作者森本さんの言であるが(『現代詩手帖』2021年6月号)、たしかにこれは無造作には理解できない。幽霊がひとしおぼくに振りまくまずはこわばる掌をはなした、ーー縫う弟とは側対歩で艸布のおもみを繰越す。あきらめれば小豆色濃く、どの慈しみも施錠に長けた裏がえりのよみちだ。(森本孝徳『零余子回報』、思潮社、2015年、48頁)一部引用させていただいた。森本さんの詩篇には「読みの停止」があり、講評をよせる藤原さんの言によれば「読めないという体
J=ビートエッセイ987㊸永瀬清子「黙っている人よ藍色の靄よ」をめぐって永瀬清子の詩「黙っている人よ藍色の靄よ」(詩集『あけがたにくる人よ』(一九八七年六月。思潮社より刊行)遠出がし難いここ一年以上の日々、近くの公園や寺の境内などを散策する機会が増えた。今年の冬から春に変わるころに、ある寺で、伸びすぎた樹木の枝が伐採されていた。少し密集して木木が伸びていたあたりでは、根元近くから切り落とされたものもあった。いずれ必要
本日、母の日。映像拝借わが家の三男、通称セガレックスはなぜかは知らぬがバアチャン思いのところがありまして、母の日行こう、ミチコに会いに行こう、なぞとバアチャンの名前呼び捨てにしておりまして…はい、日頃の言動、ムスコへの悪影響とならぬようにいたす所存にて御座候。そんなわけで、昨日のうちに前倒して、わが母に会いにいきました。事前に用意をした花は、セガレックスのチョイス。わが母、おれ、セガレックス、家人、そしてわが妹の四人で膳を囲んだのちに話の花咲くころを見極めてから、別室へとひとり移動。
昨日は、近く刊行される夫の詩集に関する鼎談が、エルスール財団記念館で行われた。版元は思潮社。鼎談のメンバーは「いぬのせなか座」の鈴木一平さん(第6回エルスール財団新人賞現代詩部門受賞者)と山本浩貴さん。そして思潮社からはご担当のIさんがいらした。15時開始。メンバー全員がマスク着用で来館され、体温測定と手指の消毒に協力してくださった。会場のカフェでは、ソーシャルディスタンスに注意しながら席の配置をし、さらにテーブルにはアクリルパーティーションを設けた。約2時間の鼎談は、かなり充実した
同人詩誌「青魚」No.90より、僕のソネットの6編め、しまいの「IME(2)」をアップします。IME(2)新サスケWindows7が来年1月でサポート停止10月には消費税の増税も見込まれる2月末に決断して新しいパソコンを買うWindows10Office2019操作に少しずつ慣れてきたしかし新しいIMEはこれまでの用語例を覚えていない新しく覚えてもらうよりないみやひいらぎに→宮柊二(歌人)しちょうしゃ→思潮社(視聴者でなく)古
<10月31日にSNSに掲載>最初に自分が田村隆一さんの名前を知ったのはアガサ・クリスティーの翻訳者としてだった。図書館にあった本で(当時はまだアガサ・クリスティのファンではなかったためそのときは解説しか読んでいない)どの作品かは忘れたのだけれども、軽快な文章の書き主だな~という印象が残った。それこそアガサ・クリスティーの世界観を愉快に詩にしあげた「死体にだって見覚えがあるぞ」だったかは当時読んでいてなんだか楽しい気持ちになった。愉快な方なのかと思えば別のあとがきではアルコール中毒の治療
十里遺跡で弥生時代の破鏡が発見された。後漢製の内行花文鏡(ないこうかもんきょう)の外周を意図的に加工したもので、ペンダントのような装飾品として使ったと思われるという。[京都新聞]破鏡/思潮社¥2,520Amazon.co.jp