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(4343'22)1939年9月、ポーランド侵略が始まった。「私は、再び最愛にして、最も神聖な服を着ける事にした――兵士の服である。勝利の暁までこれを脱ぐつもりはない。さもなければ、この服を着けた侭倒れる覚悟である」とヒトラーは演説した。演説を静かに聞き入るゲッベルスも生れて初めての軍服を着用していた。文官たるゲッベルスは、軍服を着る事は少なかったが、時には、緊張した表情のその姿で閲兵する事もあった。緒戦、ナチスは連戦連勝した。ゲッベルスは要らぬと考える者も出てきた。陸軍も海軍も、ゲ
(4343'22)1939年9月、ポーランド侵略が始まった。「私は、再び最愛にして、最も神聖な服を着ける事にした――兵士の服である。勝利の暁までこれを脱ぐつもりはない。さもなければ、この服を着けた侭倒れる覚悟である」とヒトラーは演説した。演説を静かに聞き入るゲッベルスも生れて初めての軍服を着用していた。文官たるゲッベルスは、軍服を着る事は少なかったが、時には、緊張した表情のその姿で閲兵する事もあった。緒戦、ナチスは連戦連勝した。ゲッベルスは要らぬと考える者も出てきた。陸軍も海
(4343'22)そこで、専ら私生活上の情事に生かしたのか。それでも、何点かの笑顔写真が残っている。1933年ムッソリーニに逢って握手した時も、ゲッベルスは破顔している。ムッソリーニは、微笑みしかしていない。選挙戦当時は、写真にサインして、プロマイドを群衆に投げたりして、スター気取りというより、「スター性」を宣伝化した。ゲッベルスに嬉しくて堪らぬという破顔の表情を見せた写真がある。ヒトラーも、片膝を立てゝサインしているが、彼も笑ったのだろうか。そういえばヒトラーの笑い顔は見た事がない
(4343'22)彼のびっこ――殆んど気付かれなかったが――これさえ魅力の一つになっていた。女性にはそれが目障りになるどころか、却って好奇心をそゝられたのである。と、伝記作者のクルト・リースは云っている。後に妻となるマグダを惹きつけたのは、「殆んど少年のような魅力と知性を持つ青年……目まぐるしく変化するデモーニッシュな性格」だとも云っている。之に加えて、ゲッベルスの笑顔を加えても良いような気がする。ヒトラーの魅力は人を拝跪させるようなカリスマ的なものだが、ゲッベルスには、人間的次元で
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと王烈も鄕黨に非常な感化力のあつた人物で、牛盗人がその持主に捕まつた時、どんな罰でも甘んじて受けるから、王彦方(烈の字)には内密にして置いてくれと頼んだといふやうな逸話がある。(4343'23)
(4343'22)ゲッベルスと恋人チェコの女優リダ・バーローヴァとゲッベルスの恋は、有名である。漁色家の彼も、この時ばかりは真剣になったらしい。演説前に隙を見て彼女とキスをし、口紅を拭わずに壇上に登り、会場にいる彼女の方を見て、ポケットからハンケチで唇を拭いたりした。ゲッベルスは、結婚したいと願った。宣伝大臣の職を棄て、日本大使になりたいと願い出た。反対したヒトラーは、権力と脅しで、二人の間を割いた。結婚式写真で見る限り、ゲッベルスとマグダの結婚式は、地味な感じがする。1931年
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと管寧はその彼に「潜龍は見(あらは)れざるを以て德を成す。言その時に非ざるは皆禍を招くの道だ」と戒めて、ひそかに原を亡命させた。(4343'23)
(4343'22)「ゲッベルス!つまらぬアジ演説家にすぎん。娘には相応しくない」とマグダの父は、結婚に反対したらしい。ゲッベルスの収入は、ベルリン・ガうライターとして、四百マルク、国会議員として五百マルクだったが、有産家の夫と離婚したマグダは、五百ナルクのアパートに住んでいた。再婚する迄と謂う条件で月々四千マルクの手当てを受けていたから、父は反対した。彼女は答えた。「もし、ナチが天下を取れば、私たちは何の心配もいりません」。子供とゲッベルス子供には、皆Hの大文字で名を付けた。男
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと公孫度なども心中穩やかでなかつた。(4343'23)
(4343'22)宗教のように形而上にのみ住まないから、その信念が力を発した時は、人を一束にする絶対力を持つ。が、いつか現実的に引っ繰り返される脆さも抱えている。ナチスの宣伝も同じで、永遠の絶対性を持ち得ない。だが、「絶対」の観念には、信念の行動原理を超えて、付き纏われているのがファシズムである。ナチスは、宣伝=国家と考えた訳だから、「絶対の宣伝」とは、副題の「ナチス・プロパガンダ」と同義でもある。この意味では、問題ないにしても、「絶対」という言葉は、それ自体、独立した力を持
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと今は遠く別れるのだから、一つ大に飮まう」と、終日杯を傾けて一向醉ひもしなかつたといふ人物である。彼は剛直で、遠慮なく正論を吐いてやりこめた。(4343'23)
(4343'22)友人に、口癖のように「絶対」を言う男がいた。「それは絶対だって!」「絶対、そうに決まっているよ!」その友人が微笑ましく思い浮かぶ程だが、この彼に凄く反撥するもう一人の友人がいた。「おい、絶対~と言うなよ。人間のやることには、絶対なんかないんだ!」。正しく彼の云う通りで、絶対などあり得ないのだが、それは分別臭い物の言い方だったとも言える。何故なら、「絶対」を口癖言う彼にとっても、絶対の意識を以て言っているのではなかったからである。彼にとって「絶対」は、行動原理であった
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと原が游學に出かける時、平成酒を飲まぬことを知つてゐる友人知己は色々の物を集めて餞らうとしたが、原は「いや、自分はもともと酒はいけるのであるが、どうも酒は心を荒ませ、業を發(すた)らせるから斷(た)つてゐるだけだ。(4343'23)
(4343’22)然も、現代人の官能は、着実に渇いている。官能の渇きは生命の衰弱に繋がる。併待しその衰弱より問題なのは、それを打開しようとした時なのである。その時、待ち構えているものが、人間を天国に導く可能性は、絶対にないと言ってよい。大衆は強かであり、現代人はすれっからしになっていると云っても、弱点だらけであり、理屈に疲れて、人生を楽しく生きなくちゃと思っている現代人は、もっと危険な所に差し掛かっていると云えるだろう。『スターウォーズ』の宣伝口車に乗らなかった大衆を思う時、
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと魏の正始二年彼の死の傳へられた時、天下知るも知らざるも惜まぬはなかつたといふ。彼と名を同じうした者に邴原(へいげん)があり、少(わか)い時彼よりも令名があつた者に王烈がある。(4343'23)
(4343’22)私が、写真を以て一つの論を立てる事が出来ると信じるのも、この欺瞞性の作用を逆転させたからである。幼児、少年、女性は、文章や理屈に弱いが、写真の触覚的なコンタクトには強い。だからこそ、此処だけでも見て欲しいと謂う気があって、紙芝居的な作り方をしたのだが、それは無理というものだろう。私が資料として用いた写真は、結局、ナチスの宣伝部によって撮影されたものである。つまり宣伝の目で以て撮影されたものである。その事を忘れ易いが逆に言えば、写真は多義体であり、曖昧体でもあるから、
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のことその高潔な操行と聲名とは、知らずして聞けば、人々の思ひも及ばぬ邈な境地に在つて、とても近寄り難い人のやうに感ぜられたが、親灸すれば、いかにもはればれした、何のこだはりもない人柄で、能く實際問題で人を導き、感化を受けぬはなかつた。(4343'23)
(4343’22)逆に、『わが闘争』の読者記である「民衆の孤独を撃つ」の章は、文章の枚数は全体の三分の一を占めるが、写真は少ない。この時期の写真は少なく、また一般に流布されている面も考慮されているが、それ以上にナチスの宣伝に於ける幼児、少年、そして女性への作用を強調したかったからである。この本は併し、少年・幼児・女性が見る可能性は絶望的にない。私は、インテリ達よりも、幼児・少年・女性に、特に写真だけでも、後で泣きを見ない為にも、眺めて欲しいと謂う欲望があるのだが、それは矛盾と
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと人々次第にその德に化して、居る處邑を成すに至り、公孫度も安心して彼を敬した。(4343'23)
(4343′22)新たな大衆時代を迎えていた、明治ジャーナリズムは、この小見出し群を、文章の上欄に羅列する事に依って、大衆とのコンタクトを図っていた。ジャーナリストの宣伝感覚を以て模倣したとも言えるが、小見出しに見せ掛けた私の意そのものでもあるし、私の意そのものを超えた働きをする事を期待している。もう一つは、写真である。写真も私と一体になっている。写真は、私が撮影したものでないが、選ぶと謂う事に於て、私の文脈になって来るように志向した。だから、挿絵としての機能よりも、写真を通して、私
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと風格の高い哲人で、公孫度は禮を厚うして敬待したが、彼はいつの會見にも唯だ經典を語つて、世事に及ばず、山谷に廬を構へて、專ら詩書を講じ、習禮に力め、道を求める學徒でなければ會はなかつた。(4343'23)
(4343′22)この世の中の半分は女性であり、男性の三分の一は、純粋にして頑是ない少年である事を、ヒトラーはよく知っていた。その意味からもケネディと毛沢東は、ヒトラーの子である。毛沢東は、中国の奥深い伝統的な人心掌握術を身に着けているが、更にレーニンとナチスから学んだ事も確かであろう。彼もまた女性と少年の利用に長けていた。ヒトラーに勢力を与えたのは、理屈嫌いで触覚的な女性と子供達であると思っており、それを仕上げしたのは、仲間割ればかりしている理屈屋の、彼を見くびっていたインテリ達だ
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと公孫度が遼東を威服して居つた時、中國の人士の亂を避ける者は多く之に歸した。管寧もその一人である。(4343'23)
(4343′22)ヒトラーの危険な思想を、知識人が感取しても、書き言葉しか持たず、例え演説をしても書き言葉の延長でしかない彼等の無力を、とことんまで知り尽くしていたと云えるだろう。ヒトラーは、大衆も知識人も馬鹿にし尽くしたこの本を、後にナチス下の大衆に向って半強制的に売りつけたのは、どうせ彼等が読みもしない事の他に、「本を持つ事」の呪術的な意味をよく知っていたからでもあった。そう一旦考えると、抑々この私の大部な『ナチス・プロパガンダ絶対の宣伝』なる書とは如何なるものであろうか。ヒトラ
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと私は曾て王船山の讀通鑑論を通看して、管寧を論ずる處に至り(卷九・後漢獻帝、卷十・三國の條)、肅然として容を改め、深く瞑想させられたことを忘れることが出來ない。(4343'23)
(4343′22)内容が読まれ理解される事を期待したという譯でもない。頭の中へスローガンを、叩き込むには暗誦して貰わなければならぬ。スローガンなら、大衆も頭を使う苦労は少ない。ナチスもスローガンを果敢に利用し、その効果を認めたが、さすがのゲッベルスも『ヒトラー語録』の発想をしなかった。抑々『わが闘争』は人を喰った本なのである。若し、ヒトラーに熱狂する大衆が、此の本を読み理解したとしたなら、顔を朱に染めて怒り出す代物なのである。此処には、ヒトラーの志が書かれているにしても、大衆の心
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと正氣㐮ふれば、世は唯だ、尸位素餐と鷄鳴狗盜と愚夫愚婦とになつてしまふ。(4343'23)
(4343′22)それは、それで良かったのだ。ヒトラーに取っては、それで良かった。併し印税がヒトラーに入ったから、売れゝば読んでくれなくても良い、と謂うのではない。ヒトラーは、『わが闘争』という本そのものを、ナチスの聖書のように人が手に持ち、家の書棚に飾り置くことに、意義を感じていたのである。本の内容を大衆がどう理解するかなど、どうでも良かった。「本」そのものに宣伝の意義を見出していたのである。第二次世界大戦以後、三十数年、その間ヒトラーに匹敵する宣伝政治家は、ケネディと毛沢東である。こ
三國志より二政治家の教へらるべき人物袁閎と管寧(附)馬少游のこと天下に正氣が盛んになれば、馬援兄弟が兩途に出るものである。袁紹袁閎も出るものである。諸葛孔明の如く之を一身に兼ねて、命に從ふ者であらう。(4343'23)
(4343′22)日本人は、『スターウォーズ』の宣伝に乗らなかったし、観たものは見たもので、他愛無く処理してしまったらしく見えるが、これでは、宣伝に擦れっからしになっていると言っても、まだ~腹背衝かれる可能性がある。宣伝が生活の栄養になるのは、擦れっからしが、上手く事を運んでいる時だけで、何時でも足をさらわればひっくり返る綱渡りである。宣伝的人間像の点検として、第一巻でゲッベルスを、第二巻でヒトラーを中心にまとめたが、その際、彼等の読書記のスタイルをとったのは、日本人としてどう反応し