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2025-11-01応神天皇陵古墳外濠外堤漢字ばっかりで難しいね風がめっちゃ気持ちいいです外濠外堤を出ると…なんだか可愛い絵の建物がありました大蔵屋中に入ってみよいろんな古墳関連のグッズが売ってました前方後円墳の形のクッションとか埴輪の指サックとか、見てるだけで楽しいっお借りして出てきましたトコトコ〜羽曳野市役所の敷地内にある市民ギャラリーあ、土曜日でもやってるんだ入ります写真撮影がOKかどうか分からないのでこれだけパチリトコトコ〜これもまた古墳みたいトコト
2025-11-01道明寺天満宮からコースに戻ります弘法大師御休石なんだか立派そうな陵がありそうなんだけど、昨夜、めっちゃ苦しんだので、今回はこのままコースへ戻ろっとトコトコ〜あ、次のスポットだこれが応神天皇陵古墳だね〜道を挟んでこちらは?大鳥塚古墳すごい近いとこにあるんだねさて、さっきの応神天皇陵へ〜誉田八幡宮で見た応神天皇陵は、ちょうど、こちらの反対側にあたるみたい進みまーす結構あるねさすがは、2番目に大きな天皇陵だけあるね〜ちなみに、1番大きいのは仁徳天皇陵で
2025-11-01誉田八幡宮の境内にいます応神天皇の陵があるのん?行ってみよあれ、行き止まりだいい橋だねぇ〜横からあら、さっきの源頼朝の神輿だこの橋を渡ってたのん?かなり、急な橋だけどね〜放生橋って言うんだね当宗神社こちらにもご挨拶しまーすなんか石が積まれてるよ十三重の塔があったかもしれないんだぁ〜お稲荷さんもある🦊新し目の狐さんだね姫待稲荷社ご挨拶して出まーす大きめなお馬さんお腹のマークが気になるところですが、どなたからの馬なのか分かりませんでした立
年に一度の特別な神事のご案内いつもありがとうございます。見えない世界を伝える神社ナビゲーター市口哲也です。世界遺産に登録された古市古墳群の誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)は、第15代応神天皇陵古墳とされ、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に次ぐ全国第2位の規模の巨大な古墳です。その応神天皇陵古墳で行われる一年に一度限りの夜の神事では、神事に先立って、ご神体が本殿から神輿に遷され、ご神体を乗せた神輿が前方後円墳の後円側へ渡御します。ご神体が本殿から神輿に遷されるとき、本殿
万博の人混みから抜け出して向かったのは羽曳野(はびきの)、ヤマトタケル白鳥伝説の地まずは白鳥神社。質素だが円形の土地と古い社殿が情緒深い。日本武尊は亡くなった後、白鳥となってこの地から天に飛び立ちます。その様子が「羽を曳くが如く」であったから、この地名がついたという。そんな名所だが、万博の喧騒が嘘のように静か。宮司さんから興味深いお話を聞きました。観光名所としては全く栄えてないが、沖縄など全国から縁のある人が来るそうです。神社も観光客があまり増えると磁場(気)が荒れるので、いわゆる通だ
↑の画像は、今開催中の関西万博のキャラ「みゃくみゃく」がデザインされた、マンホールの蓋である・・・d(^O^)b一見「しゅ~る之助社中は、いよいよ関西万博に出かけたのか?」って~思ったあ~たは、まだしゅ~る之助の事をあまり理解されてね~のかも知れね~・・・。われわれ、しゅ~る之助社中は、大阪府に簡単にそそのかされるような、素直な性格ではないのである・・・^^;よ~く見ると「ふじいでらし」って~書いてあることに気づかれたであろうか・・・。そう↑の画像は、大阪河内の藤井寺
ご訪問ありがとうございます。今回も外交関係のようで、あまりそうではない(^^;)たぶん、いずれかの氏族の「家記」のようなものかと💦「日本書紀」の編纂時には、いろんな記録や言い伝えが残っていたのでしょう。3月、天皇は新羅を親征なさろうと思われたが、神が天皇を戒めて「行かれてはなりません。」とおっしゃった。天皇は是によって、行くことを果たせず、紀小弓キノオユミ宿禰スクネ・蘇我韓子ソガノカラコ宿禰・大伴談オオトモノカタリ連ムラジ・小鹿火オカヒ宿禰(紀氏)らに命じ「新羅は、もともと西
宮内庁が管理する大阪府羽曳野市の応神天皇陵(誉田御廟山古墳)を1935年に発掘して調査した記録が5月3日までに見つかった。前方後円墳の定石に反し、前方部が祭祀の空間でなく、近臣が埋葬されていたという。見つかったのは宮内庁が宮内省だった頃、室戸台風の被害翌年に行われた発掘レポート「恵我藻伏崗(えがのもふしのおか)陵前方部頂上発見石材調査報告」(未公開状態)。前方部で南北約7m、東西約4.5mの範囲内に竪穴式石室の西端で使われたとみられる天井石が見つかった。そこから埴輪片も掘り出したが、天井石
2025.05.04(日)「当ブログへ訪問いただきありがとうございます」VolleyballNews‼2025年国際大会スケジュール|公益財団法人日本バレーボール協会www.jva.or.jp【バレーボールSVリーグ】サントリーが崖っぷちからファイナル進出西田有志擁する大阪ブルテオンは敗退(日テレNEWSNNN)-Yahoo!ニュースバレーボールの2024-25大同生命SVリーグチャンピオンシップの決勝カードが決定しました。
御陵めぐりに参加してきました。教科書に載っている「仁徳天皇陵」がコースに入っていたのです。ですが当然空から見ない限りあの形を目にすることはできません。それでも「御陵」について学ぶことができました。「仁徳天皇陵」=「古墳」だと思っていたのですが、「御陵」は古墳とは別モノだそうです。「りょう」は「みささぎ」とも読むのですよね。124代分あるわけですが、全てスタイルは同じ。見分けがつかなくならないように最初に看板を撮影。以前奈良を訪れた際に立ち寄った開化天皇陵。観光地
10月のお詣り(お参り)記録ダイジェスト②《10月26日生國魂神社行宮》9月20日生國魂神社さんに呼ばれているような氣がしたけれど、その日は若宮商工稲荷神社さんだった。『2024.9.20若宮商工稲荷神社と「げたんは」』急いで更新するといけません大切なお詣りがひとつ抜けていました後日、このお詣りがとあるお参りへと続くのですみません、日付前後しますが書きます先生との四柱推…ameblo.jpけれど、すぐ呼んでくれはりましたこの日行った移住フェアーの会
参拝して御朱印をいただき境内を散策綺麗な桜と椿🚗細い道の運転は、ちょっと苦手
第十五代応神(おうじん)天皇は古代の天皇です。御名は品陀和気命/誉田別命(ほむだわけのみこと)。御父は仲哀天皇、御母は息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)/神功(じんぐう)皇后。仲哀天皇の御父、つまり応神天皇の祖父は日本武尊、神功皇后は開化天皇の玄孫の息長宿禰王の娘です。品陀和気命が生まれる前に仲哀天皇は崩御されました。また神託により母のお腹の中にいる時天皇への即位が決まっていましたので、「胎中天皇」とも言われます。神功皇后が新羅を討たれた年に品陀和気命は誕生しまし
3月24日、大阪府羽曳野市古市にある白鳥神社、日本武尊白鳥陵に参拝してきました。白鳥陵に参拝したあと、誉田八幡宮へ向かいました。以前は歩いてましたが、最近はレンタサイクルを借りるので楽です。🚲️誉田八幡宮は久しぶりの参拝です。【公式】誉田八幡宮|安産・厄除け守護神│応神天皇宗廟–羽曳野市の「譽田八幡宮」公式HP。当宮は、八幡様として全国で約4万4千社おまつりされている、応神天皇の御陵後円部に鎮座し、古くから祭祀を司ってきた神社です。羽曳野市の「譽田八幡宮」公式HP。当宮は、八
一つ前の記事の続きです。『土師ノ里①道明寺天満宮〜道明寺』実家の方のお彼岸のお墓参りで近くまで来たので、せっかくなので道明寺天満宮の梅まつりに行ってきましたちょうど9割咲きくらいで見頃でした〜他にも散策してきたのでご…ameblo.jp道明寺周辺は世界遺産に指定された百舌鳥・古市古墳群の古市古墳群の中心地でもあります。墳墓造営を任された土師氏の窯跡周辺なので当然といえば当然でしょうか。まず古市古墳群で一番大きい応神天皇陵です。全国の古墳では仁徳天皇陵(大仙古墳)に次ぐニ番目に大きい古墳で
7日金曜日の夜から外耳炎を発症し、今朝方ようやく動けるようになりました。前回去年10月発症の時は症状が軽かったので、今回もそうだろうと思っていました。実際に土曜日丸一日寝ていたら、翌朝未明にはスッキリしてました✨そうして「赤目自然農塾2月定例の学び」に参加したのですが、帰りの近鉄「赤目口駅」の待合室に座ったあたりから意識の魔法が切れ体温が上昇していきました…で今日に至ります。ただ、農作業するまでには快復していないので、年が明けてからまだお詣り出来ていない僕の崇敬神社
三が日の混雑を避けて、初詣に行って来ました。まずは、白鳥神社。ヤマトタケルやスサノオが御祭神だったかと。こちらは誉田八幡宮。応神天皇陵をお守りしています。そして、道明寺天満宮。↑昔はこの石段の両側に、傷痍軍人さんが立ってらっしゃったものです。戦後も遠くなりにけり。ここまでは、自宅から遠足気分で歩きました。時間があるので次行ってみよ〜❤️
皆様方、遅れましたが明けましておめでとうございます🎍今年もよろしくお願いします。昨日羽曳野講堂の元旦初参拝に行ってきました。帰りに応神天皇陵を参拝しました。良き天候に恵まれました。↑拝所。↑右側↑左側応神天皇陵は古市古墳群の中では全長約425mと最も大きい前方後円墳です。拝所も他の天皇陵と比べると最も大きく豪華です。世界平和と天変地異が起きないよう祈りました。帰宅後は頭痛にかかり寝込んでいました。今日もゆっくり休みます。最後までお読み下さいましてありが
皆様方おはようございます。昨日今年最後の羽曳野講堂での参拝行事に母の友人と一緒に行きました。その帰りに応神天皇陵に参拝しました。いつ見ても前方部の広さに圧倒されます。参拝所で日本の平和を祈願しました。外堤↑↑外堤その2陪塚の丸山古墳。今年最初で最後の天皇陵参拝でした。最後までお読み下さいましてありがとうございますm(__)m
ご訪問ありがとうございます。前回は応神天皇は神功皇后とのペアにおける母子神の御子神としてのイメージが強いということを述べさせていただきました。次に応神天皇の后妃・皇子女を見ておきましょう。二年春三月庚戌朔壬子、仲姫を立てて皇后と為す。后、荒田皇女・大鷦鷯天皇・根鳥皇子を生む。是より先、天皇は皇后の姉高城入姫を以て妃と為し、額田大中彦皇子・大山守皇子・去來眞稚皇子・大原皇女・澇來田皇女を生む。又の妃、皇后の弟(妹)弟姫、阿倍皇女・淡路御原皇女・紀之菟野皇女を生む。と高城入姫、仲姫
◯「第57回京の冬の旅」に出たのは2023年1月29日のことである。今日は2024年11月3日だから、一年どころか、一年十ヶ月も昔の話を書いていることになる。何とも遅れて書いたブログとなっている。しかし、一つ一つ丁寧に書くしかない。◯また、「第57回京の冬の旅」をブログに書き始めたのは、2024年5月20日だった。今日まで、167日になるが、その間、150個ものブログを書いている。何とも長い間、ブログを書き続けていることに、自分ながら、驚いている。それだけ「第57回京の冬の旅」が充実し
◯2023年2月1日、「第57回京の冬の旅」の最終日は、古市古墳群と百舌鳥古墳群、四天王寺を歩いて来た。結局、『天王寺駅:あべのハルカス』を、①10時10分②12時47分③15時33分④16時35分と、4回も通過した。その度に、あべのハルカスを見上げることになった。やはり、天王寺のシンボルはあべのハルカスであることは間違いない。◯ちなみに、ウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。あべのハルカスあべのハルカス(英:AbenoHaruka
◯前回、『住吉信仰』の話を書いた。住吉神のルーツは日向国にある。それは、次のように案内される。・住吉神は日向国の神様である。枕詞もしっかり、存在する。それは「すえよし」と言う。つまり、「すえよしのすみよし」神が住吉神の正体である。したがって、底筒男命・中筒男命・表筒男命は、もともと、別々に祀られるべき存在なのである。・鹿児島県曽於市末吉町に住吉神社が鎮座まします。ここが本来、表筒男命を斎き祀る社である。宮崎県都城市志和池町に科長神社が鎮座まします。ここが本来、
◯今回訪れた応神天皇陵や仁徳天皇陵は、世界遺産なのだそうである。「世界遺産:百舌鳥・古市古墳群」のホームページには、次のように載せる。百舌鳥・古市古墳群とは百舌鳥・古市古墳群は、古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて築造された、古代日本列島の王たちの墓群です。古代日本の政治文化の中心地のひとつであり、大陸に向かう航路の出発点であった大阪平野に位置しています。墳丘の長さおよそ500mにおよぶものをはじめとする、世界でも独特な鍵穴型の前方後円墳が多数集まり、これら
◯当古代文化研究所では、2022年から23年に掛けて、都合、六回、京都・奈良・大阪へ出掛けている。整理すると、次のようになる。①「京都ぶらり旅」2022年2月1日から4日②「仁和寺にある法師」旅2022年10月30日から11月2日③「貫之墓と芭蕉墓参旅」2022年11月28日から12月1日④「大和三山・醍醐山参詣旅」2022年12月18日から21日⑤「第57回京の冬の旅」2023年1月29日から2月1日⑥「熊野三山・飛鳥・葛城山」旅2
◯仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳とのあいだに存在するのが『大仙公園』である。堺市のホームページが案内する『大仙公園』は、次の通り。大仙公園(だいせんこうえん)世界文化遺産に登録された百舌鳥古墳群の一角、日本最大の仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳周辺に位置する大仙公園が、戦災復興都市計画として位置付けられたのは昭和22年のことです。当時は旧市内の郊外だったこの地もすっかり市街化され、昭和38年の事業着手以来、市民の森推進運動による記念植樹、中央図書館、博物館、茶室、都市緑化センターの
◯『世界遺産:百舌鳥・古市古墳群』については、すでに、次のブログで案内済みである。・テーマ「京都奈良大阪を歩く」:ブログ『世界遺産:百舌鳥・古市古墳群』◯ただ、堺市の『百舌鳥古墳群ビジターセンター』で頂戴したパンフレット『もずふる探検ガイド〜世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」を歩こう〜』がなかなか勉強になる。小学生のためのガイドブックと銘打っているが、大人でも、此処までの知識は無い。◯まず、最初に、何をするか、丁寧に説く。大阪府堺市・羽曳野市・藤井寺市には、古代の日本を治めた王
◯2023年2月1日に、仁徳天皇陵へお参りして来た。仁徳天皇陵が存在するのは、大阪府堺市堺区大仙町になる。JR阪和線百舌鳥駅で下りて、歩いてすぐのところに存在した。御陵の手前に、『百舌鳥古墳群ビジターセンター』が存在し、様々なパンフレットを頂戴できた。◯インターネット検索すると、次のページがヒットした。仁徳天皇陵古墳(大山古墳・大仙陵古墳)クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓、5世紀中ごろ築造とされ全長約486mの日本最大の前方後円墳。百舌鳥耳原三陵の一つで
◯JR阪和線百舌鳥駅から少し西へ行ったところに、『百舌鳥古墳群ビジターセンター』の案内板が設置してあった。どうやら、右手に『百舌鳥古墳群ビジターセンター』、左手に大仙公園が存在し、もう少し行くと仁徳天皇陵古墳が出て来るみたいだった。◯インターネット検索したら、堺市のホームページが案内する『百舌鳥古墳群ビジターセンター』が出て来た。百舌鳥古墳群ビジターセンター令和3年3月13日(土曜)に、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の価値や魅力を伝えるガイダンス機能等を備えた「百舌鳥古墳群ビ
◯2023年2月1日、応神天皇陵へ詣でて来た。近鉄古市駅から歩いて行った。応神天皇陵の南側には、誉田八幡宮が鎮座まします。先に、誉田八幡宮へ参詣してから、応神天皇陵へと向かった。その後、日本武尊白鳥陵にお参りして、古市駅前に帰り着いたのは、12時50分過ぎだった。◯朝、京都からずっと移動して来て、全然、休んでいない。相当に疲れていた。何処かでゆっくり休みたかった。近鉄古市駅前で、探したところ、「喫茶・食事:ワカバ」の看板が目に入ったので、そこで昼食と休憩を兼ねて、しばらく、休んだ。◯如何にも