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人間は何かと不平不満を持ちがちです。つい足りない所に目が向き、人と比較しがちです。どうして、こうも人間は欲深いのでしょうか。すでに、とてつもない宝物を頂いているというのに。その宝物とは、肉体は死んでも、なお無くならない永遠の魂と、心の段階に応じた公平なあの世の世界が与えられているという救いがあるということです。これ以上の宝物があるでしょうか。全ての苦労は努力は心の糧として永遠に残るのです。もう我儘を言うのはいいかげんにやめましょう。
仁の学問「心学」反論書き込みには多く反論が寄せられる。全ての反論は心の糧になり、次の文章への参考になる。反論を読むとその方の人格も観え、人間学の修養となる。相手を攻め込む書き込み、愚痴のような書き込みなど多い。相手を攻め込み、落とし込もうとするが、そのような書き込みに限って内容が浅い。書き込む場合は自分自身の人格も同時に観られることを、重々承知で書かなければならない。書く方も学び、読む方も学び、読んで腹を立てるのではなく、それも仁の応現
今から3年ほど前、軽井沢の「旧アーガル別荘」が話題に上った。作家の北杜夫が1964年から73年くらいまで夏の間利用したが、取り壊されることになり、何とか移築、保存出来ないか、という努力が別荘を愛する方々によってなされ、報道もされたが実現せずに解体となった。筆者が2022年8月に訪問した際にはすでに更地となり、元建物あった部分は草がまだ生えず位置が確認できた。また以前の所有者が好んだという石像が2体残っていた。(下写真2枚)取り壊されてしまうと、アーガル別荘も人口に膾炙するこ
今日の一日一読は第1章の続きで「「生涯の心の糧」を体で覚える―――幸田露伴、幸田文」までです。幸田露伴についてはこれまで深掘りしたことがなかったですが、今回娘の文(あや)の話が出ていて、父親としての露伴を知って、あまり興味が湧きませんでした。正直、父親として娘に対して、あるべき姿を押しつけているところが多々あって、前回の福沢諭吉とも考え方が真逆なところがありました(参照29ページ)。露伴なりには娘のことを思ってのことかもしれませんが、実際にやらせていることは子どもの側すると理解に苦しむところが
新緑に囲まれてくつろぐ、仲睦まじい母娘栃山川緑地公園にて今日は最近知ったばかりですが、心学者・仁学者・儒学者である円純庵(えんじゅんあん)さんのブログから、とても心に残りました『仁の学問「心学」地獄極楽』をご紹介させていただきます。どの記事も簡潔明瞭でわかりやすく、心に響いてきます。これからも心の糧として学ばせていただきます。ご興味がある方は、下記のアドレスからご覧になり、参考にされてください。円純庵『仁の学問「心学」地獄極楽』テーマ:心学2024-04-1503:26:
私たちが見たり、聞いたり、経験したことというのは、すべてが自分の糧となり明日の自分に役立つものですが、そのためには、素直に受け入れる心の姿勢が必要です。自己中心的な見方や価値観にとらわれることなく、自分を無の状態に置くことも必要かもしれませんし、自分は未熟であるという謙虚さも必要となるでしょう。誰の世話にもなっていないし迷惑もかけていない。そのような傲慢な心が活躍し出すと素直にはなれず、様々な出来事から吸収できる心の糧を得ら
感謝は全ての始まりだ。無から有を生み出す力を持っている。混沌の闇の世界を光をもって秩序づける。芽生えた人の心を慈悲の心へと成長させる。幾多の艱難辛苦を心の糧としていけるパワーが備わっている。感謝に徹すれば、雪中氷上に花が咲き、岩盤石上に花が咲き、さらには、火中炎上にも花が咲く。自我に執着すれば、感謝を忘れ、喜びも失い、苦界の世界に堕ちていく。
松坂屋本店からさらに下り、芦ノ湖元箱根港の向かいの、箱根駅伝のゴールのそばに駅伝ミュージアムがある。ここにはかつてシュミット別荘があった。パウル・シュミットはライカカメラやメルクの医薬品を輸入して財を成した。そして1906年、外国人として最初に箱根に別荘を建てた。別荘は戦後の1986年に箱根ホテルが経営する「レストランシュミットハウス」となる。箱根ホテルは先に書いたように富士屋ホテルの経営である。そして現在の「箱根駅伝ミュージアム」となるが、運営は引き続き富士屋ホテルである。現在のミュ
すべてAVIファイルなのでギガファイル便サイトでの再生はどうか分かりません一旦ダウンロードされて視聴は出来ます変換させるスペースが乏しくて・・・ZIPファイル名:[韓国ドラマ]「オー!マイレディー」全16話(日本語字幕).zipまとめてダウンロードURL:https://87.gigafile.nu/0702-b27a7bb9555edc9dc3c30cab443c5769ダウンロード期限:2024年7月2日(火)FILE:[韓国ドラマ]オー!マイレディ第01話
無事に卒業式行われた🌸泣いてる子は別の中学に行く子かな🥲我が子も中学受験したからみんなとはお別れ🥲6年ってながかったー人生の半分はここですごしたんよね。すごいなーうちのこは6年皆勤!頑張ってよく行ったよ今までありがとう🥲卒業、おめでとう🎉これからの長い長いもーーーっと長く続く人生この小学生の時代って人生にとってはあっという間でも一番思い出があるんよね。これを心の糧にしてこれから頑張って生きていってね!
5y1m22d1年前にベトナムに来たばかりの頃に比べ本当に成長したな〜と感じるのがお出かけの時に手がかからなくなった食べる・トイレ・身の回りのこと指示が通るのでは楽になった〜(たまにグズったりするけど)ベトナムは歩かないからすぐに「タクシーは」と、聞いてくると意地でも歩かせたくなり太っちょのも道連れで歩かせてしまう鬼のそれにしても4-5歳の成長は大きいですねたまにはおしゃれCafeでベトナムの生活にも1年経って少しはなれたかなここでしかできない体験うーんな
毎日新聞デジタルのコラムで本のことを書いていただきました。毎日新聞の貝塚太一カメラマンのコラムです。フィギュアスケートの素晴らしい表現の写真でもファンが多い貝塚カメラマン。道頓堀で撮影してもらった写真はやっぱりひと味違いますよね。背景の雰囲気も良い感じです。そんな貝塚さんとの出会いは、20年以上前。貝塚さんは、カメラマンになる前の大学生でした。その当時のこともコラムに書かれています。好きな小説家が同じで出会った、不思議なご縁です。今回の本にも、心の糧となる大切さを書い
終戦時に長野県北部の別荘地、野尻湖に疎開したドイツ人は20人ほどであった。多くは貸別荘に暮らしたが、GHQにより没収されたドイツ人の所有別荘は3軒あった。(下の地図で赤丸)GHQの管理番号は9-11番の3つで、その中で下のものが10番であることがこの地図から何とか確認される。現在の地図から見ても3軒とも「国際村」の中の様だ。それにしても3軒の別荘の現況確認ために、野尻湖にも調査隊を派遣するGHQの徹底ぶりも興味深い。グーグルマップよりその3軒の所有者は以下の通りだ。9番Hein
想定外の問題が起こらない家族や夫婦はいないでしょうし、問題が起こらない人生が良い人生なのではありません。起きてしまった問題を心の糧にしていけるのが良い人生です。自分の想定内のことしか起こらない人生があったとしたら、それはきっと、つまらない人生だと思うかもしれませんし、幸せな感情を味わえるアンテナも錆びついてくるでしょう。私たちは成長度合いに応じて問題が与えられるものです。問題に対する見方を変えていかないとクリアできませんし、問題から逃げよう
「今」を生きているあなた私に元気をくれるあなたは一生懸命「今」を生きているあなたは絶望の日々と数多の涙を流し泣き笑いしながら時にはへこんでいた沢山考え沢山悩み沢山泣いて生きて来た私に元気をくれるあなたは誰よりも優しくて温かい・・・あなたの辿った人生は苦労も多かったのかもしれないけれどそれを一生懸命「今」を生きている心の糧にしたそんなあなたを心から尊敬し慕っている私がいるあなたの人生は人知れず苦労もあったかもしれ
【師のブログより】心を静かにして騒がしくせず。ゆるやかにして、せまらず。気を和らかにして荒くせず。常に心を喜ばしめて、みだりに怒らず。悲しみ少なくし、返らざることを悔まず。過ちあらば、一たびはわが身を責めて、二度悔いず。ただ天命を案じて憂えず。是れ心気を養う道なり。儒者貝原益軒書物(心の糧)より引用江戸時代に貝原益軒先生はこのように心穏やかに過ごす為の心構えを説いておられます。短気は損気なんて言葉がありますが、本当にそのようです。私もゆっくりと心穏やかにを心が
篤です。企業理念のブログにようこそお越しくださいました。ありがとうございます。企業理念から応援したい会社を見つけたり、世の中を支える会社をご紹介したりしています。今日は会社の紹介ではありません。『到知』の「木鶏クラブ通信」に「企業等で理念を持って歩むことの大切さを実感。目に見えないもの、お金で買えないものを大切にし、積み重ね実践していくことの大切さを学んだ」とありました。これは、『到知』の創刊理念を改めて学んで認識されたようです。<『到
軽井沢で「チャイルド別荘」と呼ばれる愛宕山方面の別荘は筆者にとってのひとつの重要テーマである。戦前はアルフレッド・リッチ・チャイルド、オートバイの老舗ハーレーダビッドソンの日本支社長の所有であった。しかし日米関係の変化、関税の引き上げでビジネスが出来なくなり開戦前に本国に引き揚げた。戦時中、そのチャイルドの別荘にはドイツ海軍武官補佐官ノルベルト・ベルシュテットの家族4名と中国人料理人が住んだ。そこでの思い出を息子のノルベルト(父親と同名)エピソードを書き残していて、すでに拙著にも書い
主体性がなく、何をしていいのか分からない。余計なことをして責任をとりたくない。自分は言われたことはやっているので、それが自分の欠点だと理解していない。積極的に自ら行動したら、それが良い結果になることもあれば、悪い結果を招くことも当然ある。良かれと思って自ら行動して悪い結果になってしまったら、「余計なことをしなければよかった」と誰でも思うだろう。しかし、それをいつまでも恐れていては大した人間にはなれないのだ。
こんにちは!いつも「いいね」やフォローありがとうございます♪今日はお雛祭りの日ですね!何か特別な事する?と旦那さんに聞かれましたがそんな気分じゃない・・・というのが正直なところあまりネガティブな事は書きたくないのですが・・・ちょっとだけほんとにちょっとだけ弱音吐いていいですか?苦手な人はスルーでお願いしますメアドと携帯番号渡して4日目です。何の連絡もありません・・・・・一言でいいんです。「メール試し打ち!」とか何かほんと一
今の私→過去の私今の私が過去の私と話す事が出来るのなら今の私は当時つらく悲しみにうちひしがれているそんな過去の私に「希望」を届けたいつらさ悲しみはいつまでも続かないという事その経験は必ず心の糧となるあなたの生きた軌跡となる夜が明け朝の光が射すように「希望」を捨てず泣きながらでもいいから前を向いて生きて欲しいと過去の私に今の私が伝えたい今の私はつらくないと言えばうそになるけれど今はしあわせです乗り越えて
【師のブログより】お大師様の言葉如来広く方便を設くることは、ただ迷人のためなり。迷を以って悟に対し、乱を以って静に対し、恵を以って愚に対し、善を以て悪に対して皆対治す。もし一法に住せばすなわち法に縛せられて生死をまぬがれず。この故に無所住に住して道と相応すべし。「一切経開題・弘法大師全集一・八五一頁」「信仰をすると、これもしてはならぬ、あれもしてはならぬ、と禁止条項ばかり多くて、小さくちぢこまってねばならぬ。こんな窮屈な生き方には満足できない。」とおっしゃられる方がいます。まこと
先に「終戦時、軽井沢のアメリカ人資産Part2」の中で戦前、レーモンドが軽井沢に所有していた別荘は1372番と899番と書いた。これらは1939年頃の「軽井沢別荘案内図」で位置と彼の名前が確認できる。(ただし同地図には1372番はふたつある)一方南ヶ丘に建てた「夏の家」は別荘で兼夏の仕事場としても使われていたが、昭和12年(1937)の離日後間もなく売却されたので先の地図にはレーモンドの名前は無い。こちらは現在はタリアセンに移築され、昨年は重要文化財に指定された。筆者は昨年レーモンドの愛弟
次いで軽井沢の旧道を挟んだ右側、テニスコート、万平ホテルのある側である。アメリカ人の別荘は愛宕方面に比べて、こちら側が圧倒的に多い。中央"MeetingPlace"と書いてあるのは「集会堂」の事だ。以降Part1に倣って一軒ずつ表示する。「続」は拙著「続心の糧(戦時下の軽井沢)で紹介していることを表す。ハウスナンバー家の状態続所有者1930年1025番B-〇J.V.&E.L.Martinリード博士(一般
管理人のなつみかんです。ブログスタンプのお話。にわとり飼ったことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう私はありませんが、昔父が家の庭で飼っていたそうです。雄鶏は朝うるさくて目覚まし時計の代わりだったみたいですし、ひよこは好奇心旺盛で近くにある豚小屋に入ってしまい、そのまま食べられてしまったそうです。でも、色んな理由で鶏を飼っていた家庭は多かったそうですね。食糧のためとか、心の糧とか。
海の深く輝く波間にマーメイドの歌声が響く心の奥底にやさしい癒しを運ぶ波の音に乗せて心の扉を開く束の間の逃避現実から解放されるマーメイドの魔法に心が満たされる深海の宝石のような瞳で微笑みを浮かべるマーメイド悲しみや痛みを優しく包み込む波立つ海原を自由に舞い踊る煌めく鱗が光を放つ心の糧となり新たな力を与えるマーメイドの詩が心に響く癒しと解放の響きが広がる心の奥深く希望の光が灯る
風見鶏サイトは64羽目で、日本記録を更新中😃京急南太田の駅から近い「清水ヶ丘教会」の尖塔です。目を凝らすと京浜急行の車内からも見える。プロテスタントの教会だが、教会の風見鶏は初めてだ。鶏は鉄板1枚系。ふたつの塔の内の低い方なので、近くに行かないと良くは見えない。(下の写真右側)実はこの教会とは嬉しい縁があった。教会の歴史を見ると「初代、倉持芳雄牧師がエルンスト・ラング宣教師と共に1946年3月から始めた医療伝道『横浜福音医療宣教団』(宗教法人横浜医療伝道会)が契機となって」とある。
終戦時ドイツ人シリーズも兵庫県に来た。GHQにより没収された資産は管理番号136番から175番の40軒である。数では軽井沢を上回る。六甲山、有馬の様な内陸の個人別荘から、海沿いの生田区を中心に法人の建物まで県全域に広がっている。その六甲であるが、明治の末期、別荘の総数は56戸で内ドイツ人は9戸を所有していた。ここでは155番から170番の港湾地帯を中心に紹介する。なお筆者は関西地方の地理に疎いので、地図を睨んで場所を確認しつつの投稿である。GHQ資料の地図。番号は資産の管理番号管
横浜、東京、軽井沢に続いて、箱根地区のドイツ人の没収された資産を見ていく。ここは箱根地区と山中湖に分けることが出来る。一方ドイツ大使館の疎開した河口湖には一軒もない。箱根地区には管理番号117番から127番までの11軒、山中湖地区は128番から133番の6軒の計17軒があった。軽井沢の26軒より少ない。疎開者は軽井沢より多かったが、それは日本外務省が枢軸国外交官の疎開地を、箱根方面と定めたことに関係していよう。そして多くがおそらく日本人から別荘を借りたことになる。箱根地区は数枚の地
闇は深いほど見えない。深刻なものほど外に現れにくい。普段明るくて天真爛漫なひとが意外と深い心の闇をもっていたりして。わたしの場合心の闇は深刻ではないと自覚している。でも、心の闇についてはそれなりに知っている。心の闇に飲みこまれるのではなく利用して心の糧にしていく。自分らしい軸をしっかり持って物事の判断をできるようにする。わたしは「うる星やつら」の著者である高橋留美子先生のファン。原作であるうる星やつらは後引く面白さだ。テレビ放映されているアニメ