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心を外に向けてしまって、それが社会的に是とされる立派なやり甲斐のある活動であっても、その間、自分の体はかえりみられず放置されて少しも心の愛を向けられず忘れ去られている。そうすると当然、その反動は自分に返ってくる何で外の誰かばかり見て心を向けたんだ!と、不機嫌極まりなく怒り狂い、それが体調に出てしまう。これは、もし外の誰かが領域侵犯してきていたとしても、そっちに心を向けなければよかったのだから、心の愛を自分の体に向けなかった、自分の責任。そして、気付けば戻れるから、一度、心を外に向けてし
領域侵犯してくる人というのは、心の愛を自分の体に向けてないため、『心をこっちに向けてよ!』という強要支配コントロールをしてきます。本来、人は心の愛を自分の体に向けていたいので、領域侵犯されたら嫌がります。領域侵犯してくる人は、『心をこっちに向けてよ!』の中に、『こうしてよ!ああしてよ!』という思惑が入ってきます。なので、その思惑をことごとく打破して心の愛を自分の体に向ける。例えば、その人が、『自分もその場に残ってるんだからあなたも残ってほしい』という思惑なら心の愛を自分の体に向けて、そ
領域侵犯してくるというのは、心を自分の体に向けず、『心をこっちに向けてよ!』と強要支配コントロールしてきているので、それに対してこちらができる事は、領域侵犯されてもなお、心の愛を自分の体に向ける事。領域侵犯をやめさせようとするのではなく、何があってもどんだけ領域侵犯されてもさらにはあえて期待に応えないことをアピールするように、嫌われるように、心の愛を自分の体に向ける。早く諦めさせる。この人は心を向けてくれない人だと思われるような人になる。ただそれだけ
例えば仕事等で、ある程度、心を外に向ける時もある。だけど本当の理想は、どこで誰と何をしていても心の愛は自分の体に向ける。心の愛を自分の体に向けていると、領域侵犯をしてくるタイプの人もいる。ただそれは、こちらを攻撃したい意図ではなくその人自身が心を自分の体に向けられていないため、外の誰かからの評価、労い、気配り等がないと、自分が認められず、さらに、こんなに頑張っているのに!自分は大切にされていないという思考になり、他者に領域侵犯してしまうこの時に大事なのは、領域侵犯してくる相手の機嫌をうか
不定詞などの需要構文もですが、覚えておきたい単語がたくさん。
人の美しさや魅力って何でしょう?容姿が整っていて、スタイルが良くてお金持ちで、社会的に成功していて地位や権力がある人でしょうか。相手のことを思いやることが出来なかったり、平気で人を傷つけたりハートに愛がなければ、どれだけ、外見や社会的に良く見えてもどれだけお金をつまれても、心は動かず、閉じたまま開きません。『北風と太陽』のような風になり力で人を無理矢理コントロールして自分の思い通りにやらせようとするのか、それとも、太陽になりあたたかく見守り、自らが気付き自ら行動するの
スティービー・ワンダーの、オリジナル・サウンドトラック、WomaninRedを最近また、聴いています。これは、ジーン・ワイルダー監督主演のラブコメ映画のサウンドトラック。映画そのものはB級だと思って見なかったのですが、改めて調べてみると、ちょっと見たいかも。1984年ですから、なんと40年も前ですね、びっくり。若かったというか何というか、B級は特撮系かジャッキー・チェン以外は見なかったのですね。それはさておき、サントラ盤の方は、当時めちゃベビロテしてたような。たった8曲のアルバ
IjustcalledtosayIloveyouIjustcalledtosayhowmuchIcareIjustcalledtosayIloveyouAndImeanitfromthebottomofmyheart”アイ・ラヴ・ユー”と伝えるためにどれほど君を想っているかただ愛してるって伝えるためだけに電話したんだ心の底からそう言ってるんだよスティービーワンダー『心の愛』1984年私が中学3年の受験の時に流行った
正観さんによると…。(知って楽しむ情報集~人間観察40年の情報いろいろ)●あごが三日月みたいな人あごが三日月のようにグイッと出て発達している人がいます。このような人は、言いたいことをしゃべって、攻撃的。そして、1やられると2やり返して、2やられると4やり返すというタイプ。尖ったあごをしている人は、自己主張が強いようです。グッと奥歯を噛み締めてエラが発達した人と、正反対の位置にいます。※私も受け口なので、三日月タイプかしらん?反省…(;∀;)(イラストはネット画像
これね、大事なところ!領域侵犯してくる=心の愛を自分の体に向けてないつまりは本人的には心の愛を自分の体に向けてない故の欠乏感、欠落感、欠損、劣等感、喪失感、埋まらない心の穴みたいなものを無意識に抱えて生きているという事。無意識にというのは、気付いたら、意識して認識できたら、心の愛を自分の体に向ければいいだけだから。心の穴はそうしたら埋まるから。気付いてないから無意識に心に穴があいている状態ね。そんな輩が無差別に周囲の人間を見る時。それは、まるでパチンコ台を見定めるかのように、『この人は自
まずどこで誰と何をしてても、って事で、領域侵犯してくるタイプの人(本人が心の愛を自分の体に向けてない人)がいたら、さらにここぞとばかりに練習させてもらう。強化試合させてもらう。自分で強化できる方法、グッズ、対策としてはおまたカイロ(体の中心が温まっていれば意識が体に向きやすい)外の誰かの意向や声を気にせず、ひたすら心の愛を自分の体に向けて自分の体に話しかける。相手にとって迷惑かな?と思う事でも、自分の言いたい事なら言ってみる、やってみる。これ大事なのは、断られたり、嫌がられたり嫌われても
心の愛を自分の体に向けて、自分の体の快と楽を最大限に体感する。どこで誰と何をしていても!揺るぎなく、変わらず、自分の体の快と楽を最優先にする。外の誰かの意向は優先しないし自分の体の声以外を意思決定に介入させないただ、狩猟採集や農耕を選ばなかった(不得手だった)場合、食べ物をとってくるための手段として、何らかの仕事(狩猟採集や農耕以外で食べ物を得るための価値を時間やお金に代替)を選んで、そこには、つまり外の世界には自分以外の外の誰かが存在し、関わる場合がある。これは、狩猟採集や農耕を行う場合も
心の愛スティービ-・ワンダー
IJustCalledtoSayILoveYou心の愛(って、イミフな邦題が付いてます)"愛している"って言いたくて、いてもたまらず電話したんだ(ってニュアンスかな?)StevieWonderは、保育器内の酸素過多が原因で盲目となった。以来、彼は日光に関係ない時間を過ごしている。(私は、Stevieと仕事をしたことはないけど)彼と仕事をすると深夜、早朝に関わらず「いい曲が出来たんだ。今から来られるかい?」って電話がかかってくるそうだ。そんな時電話
今日、寝起きにトイレ行く時に、最近よくすぐトイレに行かない、行きたくない、疲れる時があって、ふと、『トイレ行くのきつい?疲れる?』と自分の体に聞いてみたら、『疲れないよ。行きたい』と返ってきたので慌ててトイレに行くという事があった。自分の体は疲れないのに、『疲れる』と思ってたのは心が『(トイレに行くの)疲れる』と思ってたわけだ。で、心の不快は心の愛が自分の体に向いてない事なんだよね。つまり心の愛を自分の体に向けてないから今の自分の体に聞いていない。心が勝手に過去のデータ(寒いから起きたくない
外の誰かの体の声を優先してしまう事の一番の弊害は、自分の体の声を優先できない事です。心の愛を自分の体に向けて、心の愛は自分の体の声を優先するために、それ専属で自分の体に宿っているのに、自分の体の声より外の誰かの体の声を優先していたら、自分の体の声は誰が優先してくれるのでしょう。つまり、自分の体の声や望みに沿った、自分の人生が生きられず、外の誰かの体の声や望みに沿った、他人の(意向を叶えるための)人生を生きてしまう事になるのです。それは、心の愛を自分の体に向けて自分の体の声を聞く、望みを叶え
何かを見て、あぁいいなぁと思ってもそれって外の誰かの体の声、外の誰かの作った価値、外の誰かの体の声が自分にとって価値がある文化になっているんだよね。その時には、外の誰かの声に価値をおいて採用してる事になる。と、するならば。自分の体の声こそが、文化になっていくって事なんだよね。何をするのか、何に重きを置いて、何に価値を見出すのか、どの分野を選ぶのかはさておき、今ある文化が全て外の誰かの声が作ったものであるなら、自分の体の声こそが、文化になる。何より大切な正しく生きる活力となる。だから、
まず、大前提として、心の愛は自分の体に向けるのが第一希望ですので、心の愛を一身に受け取る役目は自分の体が担っているのでその役目を『心をこっちに向けてよ!』と邪魔だてされたり妨害されたり奪われて取って替わられそうになる、取り上げられそうになるとものすごい抵抗感がわきます。嫌になります。そして外の誰かが手に入れようとしてる『心を向けてもらう役目』の配役を、不採用にします。外の誰かには任せられない、担わせられない、心の愛を向けて一身に受け取る役目は自分の体だから。その人は心の愛を自分の体に向けてなく
日頃、心の愛を自分の体に向けて、自分の体の望みに沿った生活を心がけていても、外の予定を上に置いて自分の体より優先し過ぎてしまうと、その間は心の愛を自分の体に向けずに自分の体の望みや意向は無視して、外の誰かや何かに心を向けている事になる。この時点で、すでにかなり疲弊して消耗して、心も体も疲れ果ててしまっているんだけどいざ自分のテリトリーに戻ってきたとしても、心を外に向けていた分の思考停止分を、リカバリーできずにまずは損失を取り戻す(疲れを回復する)のに残された体力を使うのが優先で、心の愛を自分の
まず、何よりも大事なのは、心をこっちに向けてよ!と領域侵犯されても、心の愛を自分の体に向けておく事。意識してわざわざ自分の体に向けておく事。相手がどう思うかを気にするんじゃなくて、心の愛を自分の体に向けて自分の体に話しかけて自分の体の望みを聞く事。まぁもちろん人間だから、人に嫌われたくないとか外の誰かに悪く思われたくないとか人の目が気になる場合も多々ある、これまでもあったかもしれないけど、それって心の愛を自分の体に向けて自分の体の声を聞くより、外の誰かに心を向けてしまって外の誰かの意向を優先し
本望に生きる以外のものを全て捨ててみる。打ち捨てて、追いやって、追放して、却下してなぎ倒してみる。自分の体の望み以外の、領域侵犯を全てやめてみる。領域侵犯するなら領域侵犯している自覚の上で、心の愛を自分の体に向けて、それでも自分の体がやりたい事、望む事なら全力で叶える。それ以外の領域侵犯は全無視(スルー)。そしたらどうなるか生活全般がどう変わるのか本望実現のために生活の仕方がどう最適化されるのか見て知ってみたい。
何かを向上したくて、うまくいかせたくて努力したい、頑張ってみたいというのなら、毎日毎日心の愛を自分の体に向ける、この技術を向上させる、心の愛を自分の体に向けて自分の体の快を抽出し不快をなくし快適環境を選び取る、その達人となる。言葉がけのタイミングや自分の体への提案等、瞬時に最適な選択肢を出せるようになる。そういった自分の体に快や楽を体感させて喜ばせる能力を向上させる。そのためだけに生きていく。そしてそれ以外の事はやめてみる。そうするともしかしたら去っていく人もいるかもしれないその人は、行
前も書いた通り、そんな事したら人に嫌われるからじゃなくて、領域侵犯の場合、外の誰かは心をこっちに向けてよ!というこちらの望みを断る、叶えないで心の愛を本人の体に向けるという自由があるから、こちらの望みが叶わない確率が高くなるのが一つ。自分の領域でやる方が自分の望みを叶える実現率がずっと高くなるという事ね。もし外の誰かに領域侵犯してこちらの望み通りにしてくれた場合には何が起こるか?外の誰かが心の愛を自分の体に向けるのに充てる時間とお金をこちらに与えてくれている場合、いつかはそれがなくなり、それが
外の誰かに領域侵犯してそんな事したら嫌われるよ!そのセリフはもう、耳にタコができるほど聞き飽きた。じゃなくて、人に嫌われるからじゃなくて。何で領域侵犯して外の誰かに心をこっちに向けてよ!と望みを投げるより、心の愛を自分の体に向けて自分の領域でやった方がいいのか。その方が、心の愛に自分の体の望みを投げた方が全力で叶えてくれようとするから叶いやすいからです。外の誰かに領域侵犯して心をこっちに向けてよ!と望みをぶつける場合。本人の自由意志があるし、気が向けばやってくれるかもしれないがそれは
人の振り見て、『そんな事したら皆に嫌われるよ!』『だからそんな事をするのやめた方がいいよ!』と言いたくなる時。自分が『そんな事するのを禁止してるから』そして同じように、態度や言動には出さず表面では外向きサービスをしていても心の中では、領域侵犯をしてくる人がいるのも知りました。でね、大事なのは、表に出そうが裏に隠そうがなぜ『領域侵犯をしたくなるのか』『思うように相手を支配コントロールしたくなるのか』本人が、心の愛を自分の体に向けてなくて外の誰かに『思うように心をこっちに向けてよ!』と領域侵
じゃあどこまでが物質かという話もありますが量子力学を簡単に粒子のレベルまでいくと観測されると、粒子化する観測しない間は、波(エネルギー)として存在しているらしいんですが、これってね、普通に人間に当てはめてみました自分の体は、心の愛を向けられると喜ぶ心の愛を自分の体に向けてないと、外の誰かに心をこっちに向けてよ!と領域侵犯し出す人間の体全体(かなり大きな物質)のレベルでも、誰かに見てほしい。見てもらうと嬉しい。見てもらえないと怒り出す。不平不満や文句をぶつける。で、自分がその観
どれだけ外の誰かに心を向けてもらうために外向けサービスしても。外の誰かに優しくしても。心の愛を自分の体に向けてないという事は自分には全然優しくない。自分に優しくしてない。そりゃ自分の体の不平不満もたまりますわな。領域侵犯する人を観察して、以前は自分の中の禁止に気付くためにめっちゃ怒りがわいてたんだけど、今は怒りがわかなくなったかわりに、やはり領域侵犯する人って不平不満を並べたてる、それが『心をこっちに向けてよ!』という思いがベースになっているのでそれが思うように向けてもらえない相手に不平
心の愛を自分の体に向けてない人は、まず自分の体の望みを叶えていない欲求不満、心の愛を自分の体に向けてない事への不平不満が慢性的にあって不機嫌である。領域侵犯を禁止して、外向けサービスをしてる人の中には『えっ、今のタイミング?』ってところで素っ頓狂な言動に出たり、巧妙に領域侵犯に見えない場面設定で怒り出したりする。または、普段は平気そうに見えていても、外の誰かに心を向けてほしい!というのがベースにあるため、外の誰かが自分に外向けサービスをしてくれない、心を向けてくれない、とわかるや否やパニックの
心の愛を自分の体に向けているとね、隅々まで平等に心の愛を自分の体に向けられているはずなんですが、人から見ていいと言われそうな好かれそうな、わかりやすい要素は自分の中に認めやすいし、存在を許せるよね。問題は、人から見てダメと言われそうな嫌われそうな隠したい知られたくない要素は自分でも気付かないように禁止したり抑圧して無視して嫌ってしまってるということ。さらに禁止してるその要素をやってのける輩は許せない。怒りがわく。人でなし!あり得ない!私はその要素禁止してるのに!となってしまう。それで、だ。
言葉で自分を好きって言ったり、愛してるって言う事じゃないんだよ。いや、それも言ってもいいんだけどあくまで付加価値、おまけというか心の愛を自分の体に向けて、快を抽出し不快をなくし、快適環境を選びとる。物質としての自分の体の快や楽を最大限、体感できるように最善を尽くす。これだけなんだよ。心を心に向けて『自分を好きになる~』とかはやらなくてもいいの。バリバリ三次元物質的に、物質としての体の快や楽を追求する、もうそのための人生なんだよそのためだけに生きてる。そのためだけに生きていく。い