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参拝日2024/3/165/10徳蔵寺とくぞうじ山号:対船山宗派:曹洞宗愛知県新城市市川宮ノ上21☎0536-22-0704東三河四郡弘法大師霊場51番霊場の表示寺号票参道本堂この日は檀家の方がお掃除をされていたので御朱印の確認をした所無住で桜祭りの時には対応できると教えていただけました。他の対応出来る日は確認していません。なのでさくらまつりに行って見ました参拝日2024/3/24書置きはいただけたのですが納経帳にはいた
再びどーも2日(火)地元の徳蔵寺、通称ピンポン寺様で新年の八木節のお囃子があったので見に行ってきましたなぜ、ピンポン寺と呼ぶかって?住職様がご町内や、市内の小中学生と卓球をやるんですよいつから、ピンポン寺と言われる様になったかは知らないですが、楽しそうです画像は、ネットからお借りしました。猿田八木節愛好会の皆様によるお囃子です連合会の方も数名、見に来てましたね踊りの方が数名、引退して急遽、出れない方も居てお一人で頑張っておられましたお上手ですねそ
徳蔵寺は西五反田にある天台宗のお寺で本尊は阿弥陀三尊。塩地蔵(右)と三輪地蔵。塩地蔵尊。貞享4年(1687)竜雲院一峰義天居士の菩提を弔うために安置された尊像で、像高約1米の立像です。塩地蔵とよばれる地蔵尊はきわめて数が少なく、その多くは北向きに安置され、”北向き地蔵”ともよばれます。当寺の塩地蔵も貞享4年の頃は北向きに安置されていたのでしょう。塩地蔵に供えられた塩を少量もち帰り、風呂に入れて入ると諸病に効験があると伝えられ、当寺の塩地蔵は眼病に霊験顕かな地蔵として知
2023年4月22日2週間前に続いて武蔵野三十三観音霊場巡り徳蔵寺(とくぞうじ)東京都東村山市諏訪町1-26-3山号:福寿山宗派:臨済宗大徳寺派本尊:白衣観音札所:武蔵野三十三観音霊場第7番永春庵という建物の聖観音十一面観音戦国時代から江戸時代初期に掛けて創建される。150点以上の板碑があって、別名「ちらかし寺」とも。現在は、板碑保存館に保存されてます。その中に、「元弘
籠原病院に人間ドックに行きましたので、大雷神社・徳蔵寺・大正寺にお参りしてきました。このあたりは、古い集落の場所などでお寺などももの凄く古く、見て楽しいです。ちょっと写真が多めです。見所が多すぎて、多くなってしまいました。大雷神社御神輿が奉られています。アニメとかで神様とか出てきそうな雰囲気のある神社です。庚申塔(徳蔵寺)徳蔵寺内にある庚申塔です。非常に古い庚申塔でした。徳蔵寺静かで綺麗なお寺です。休む場所や大きなトイレもあります。多数のお地蔵様や古い史跡等も沢山あ
前回のライドの藤の写真をカミサンに見せたら、「足利フラワーパーク」の藤がすごいので行きたい!というので、じゃぁ行こうか!ということになりました。しかし、土日の天気予報はイマイチでした。ところが日曜の足利の予報が急回復したので出撃しました。自走ではキツイので「栃木市大平運動公園」までトランポします。途中の藤も美しい。公園でトイレ休憩。ほぼ立ち◯ョン状態やんか(笑)ラーメンで有名な佐野を経由するので、ルート上の「太七」でランチ。ポリネシアンチックな店名ですね(笑
2022年3月29日の大阪散策の続き。「崇禅寺」をお参りした後は、「徳蔵寺」に向かいました。一願地蔵尊・崇禅寺細川ガラシャの墓・足利義教の首塚のレポ『一願地蔵尊と、崇禅寺と~細川ガラシャの墓・足利義教の首塚~大阪府大阪市東淀川区の寺院・史跡』2022年3月29日の大阪散策の続き。「中島惣社」をお参りした後は、「崇禅寺」に向かいました。中島惣社のレポ『中島惣社~大阪府大阪市東淀川区の神社』…ameblo.jp「崇禅寺」から南に方に路地を進み、それか
【Q18766】作詞・肥後義子、作曲・山本直純。Jリーグ・川崎フロンターレのサポーターが試合前に合唱し、川崎市のゴミ収集車が流す曲としても知られる、1984年に川崎市の市制60周年を記念して制作された、「♪多摩川の明ける空からきこえるやさしい鳥の歌」という歌い出しで始まる川崎市の市民の歌は何?【好きですかわさき愛の街】【Q18767】明治18年、当時主流だったフランス法学に対し英米法学の影響が強かった旧東京大学の関係者18名によって設立され、専修学校(現・専修大)、明治法律学校(現
徳蔵寺へ下野国一社八幡宮から東へ渡良瀬川にかかる福猿橋を渡りますと見えてきました。栃木県十三仏霊場足利三十三観音霊場の天台宗のお寺です。悩み事かけこみ寺何やら色々と賑やかな様子です傳教大師像かな地蔵尊(医王菩薩)こちらは愛染堂徳蔵寺は、足利学校に次いで創立された寺子屋よりはじまり、また、日本を代表する貴重な文化財に気軽に接していただけます。千庚申塔こちらは五百羅漢堂ですお庭にもいらっしゃい
昨日までは快晴でしたが、薄雲が広がって来ました。まだお日様があるので暖かいですが、もしかしたら明日は雪が降るかもと天気予報で言っています。今回からは、昨年紹介しきれなかった東村山市御朱印巡りの続きです。徳蔵寺へ参拝して御朱印をいただいて来ました枚数が物凄く多いですが、最後までお付き合いくださいね~最後には素晴らしい御朱印が登場しますよ福寿山徳蔵寺山門右隣に写っている建物は、板碑保存館です。徳蔵寺に保管されていた板碑・石器・土器等を保存するため作られた保存館だそうです。残念な
どこでもドアで移動っっいや車ね石井町の徳蔵寺へ、、、特に何も無いでっすけどね…藤が咲いたら賑わいそ〜
今回は、東村山に来ております。東村山駅には、やはりこの方です。志村けんさん東村山駅より20分くらい移動し参拝に訪れたのは、臨済宗大徳寺派徳蔵寺です。山門入ってすぐに、六地蔵尊があります。板碑保存館元弘の板碑が保管されています。本堂徳蔵寺由緒徳蔵寺の創立は永禄3年(1560)、開山年は元和年中(1615~1623)と伝えられている。徳蔵寺は当時赤坂種徳寺末であったが、徳蔵寺に住した全叟由禅師は寺の復興に尽力し、璧英禅師を奉請し中興開山となって頂き、全叟由禅師「自ら」は徳蔵
2022年10月2日参拝東村山市の徳蔵寺さんへこちらは多摩ろくと巡礼物語初参加。キャラクターは重要文化財を守るため日々鍛錬している八国源慶くん。可愛いしかっこいい💕こちらは武蔵野観音と狭山観音の霊場です。直書き御朱印は武蔵野観音で拝受しました😊
9/10栃木県足利市へ足利三十三観音巡り7月に参拝し、不在だった徳蔵寺へ参拝御朱印頂きました山門潜ると音楽か流れました前回は不在だったので何も無かったとこのとき気付きました手水舎カエルみたいな顔したタヌキ当寺の開創年代は不詳ですが、平安時代末期の頃と伝えられております。現在の本堂は鉄筋コンクリート造り平屋立てで、昭和四十五年(1970年)の十月に落慶しました。本堂の内部正面には一向三尊の阿弥陀如来立像が安置され、この尊像は鎌倉時代の作で、木彫金箔、模様入りの稀に見る秀作であります
【千葉】「仏教はおもしろい」をモットーに多くの方がご縁を結ぶ寺院。仏画教室では本格的な仏画・写仏・装飾写経を学ぶため関東各県より集まり筆をとっているとの事。徳蔵院HPを拝見し事前連絡の上、参拝させていただきステキなご縁をいただき後日御朱印帳にお書入れ下さいました【徳蔵院御朱印】【山門】【本堂】1575年小岩の善養寺の僧・法印権大僧都乗意
7/24足利三十三観音巡り正善寺参拝後、向かったのは同じ足利三十三観音になっている徳蔵寺山門魔尼車がありました当寺の開創年代は不詳ですが、平安時代末期の頃と伝えられております。現在の本堂は鉄筋コンクリート造り平屋立てで、昭和四十五年(1970年)の十月に落慶しました。本堂の内部正面には一向三尊の阿弥陀如来立像が安置され、この尊像は鎌倉時代の作で、木彫金箔、模様入りの稀に見る秀作であります。左側には行基菩薩の作で子授け地蔵尊、右側には足利七福神の三面出世大黒天魚監観音が安置されています。
今回、ご紹介するのは、茨城県東茨城郡城里町徳蔵寺の御朱印です。茨城花の寺です。令和元年の6月、7月、9月に参拝しました。徳蔵寺入口蓮の花が綺麗に咲いていました。桔梗の花も見つけました。手前に四国八十八ヶ所の観音さまと、奥に太子堂本堂前の蓮と松いただいた御朱印はこちらです。茨城花の寺6番:大日如来の御朱印徳蔵大師御朱印佐竹七福神:寿老人の御朱印茨城花の寺8寺の8番目に参拝したお寺です。自然豊かな境内でした。本堂
そういうわけで、安倍元首相撃たれるというニュースの衝撃が未だに覚めやらぬなか、ほんとに残念な気持ちでいっぱいで、SPや奈良県警にたいしては、なんとかならなかったのかといまだに思いますね。そういうわけですが、月日もどんどん進んで行きますし、ブログも更新していかねばなりません。そういうわけでもありませんが、その衝撃的なニュース以前に、スマホで通りがかりにスマホで撮影していたものです。このお寺に関しては、以前に撮影した写真がありました。市内の西野付近です
今日は栃木県足利市までツーリング。約1時間ちょいでしたね。最初(実際は2ヵ所目)に訪れたのは、天台宗乾坤山徳蔵寺。山門本堂(奥)とお庭五百羅漢堂お堂の中には514体がピラミッド状の台座に安置されています。かな地蔵尊庚申塔愛染明王堂いただいた御朱印はこちら↓気さくなご住職に見開きで五百羅漢尊と揮毫していただきました。納経料1,000円数種の御朱印ありました。栃木県足利市猿田町9-3次に訪れたの
2021年7月10日足利市駅から🚲参拝島田八坂神社さんへ向かう途中ピンポン寺で有名な徳蔵寺さんの近くを通ったので参拝御朱印は見開きでご本尊様頂きました。なぜピンポン🏓寺かというと😊お寺で卓球大会も開いていますが、ほんとの理由は伺って御住職にお聞きしてみて下さいね。とっても陽気で気さくな御住職様でした💕
2021.7.29建物は新しいけど歴史ある徳蔵寺車で出かける用事があり武蔵野三十三観音霊場の寺院の近くを通ったので、参拝しました(仕事やらコロナやらで開帳の期間での武蔵野三十三観音霊場巡りは完遂できなかったけどこれからもコツコツと続けます^^)東村山市の徳蔵寺東村山駅からはけっこう歩きます◆山門◆(平成22年築)現代的な造りとデザイン◆本堂◆(昭和57年改築)こちらも現代的で新しい福寿山徳蔵寺(臨済宗大徳寺派)御本尊:白衣観世
上矢島城『別名』なし『所在地』群馬県伊勢崎市境上矢島936(徳蔵寺)『城主』谷島信氏『遺構』なし『城郭形態』平城『駐車場』あり『歴史』上矢島城は新田政義の3男・谷島信氏の居城と言われています。徳蔵寺
「上野国分寺跡」を見学し、つづいては「国分尼寺跡」に向かいます。セットで見学しなくてはね「国分尼寺」は「国分寺」の東側に位置します。「関越道」」を越えて、車のあんまり通らない大きな道を東へ。このへんもネギがたくさん植わっています。高い建物がないので、山々も一望です。国分寺が建っていた頃と同じ景色なのでしょう。一応、案内の標識などはあったのですが、どこにあるのか、それらしいものが無い。あってるのか、どうか、
桃源山永春庵(東京都東村山市)『とうげんさんえいしゅんあん』と読む永春庵は、1638年当初、八国山将軍塚の南、丘の中腹に建立、江戸中期に福寿山徳蔵寺の境内に移設された曹洞宗の寺院であり、御本尊は『聖観音』のようです▼徳蔵寺山門(入口)▼▲徳蔵寺境内▲▼永春庵▼▼札所案内板▼▼扁額▼▲永春庵正面▲▲聖観音▲御本尊の聖観音(石仏像)には、金箔が塗られており、最近では、20数年前に塗り直しされたようです▼徳蔵寺山門と
福寿山徳蔵寺(東京都東村山市)『ふくじゅさんとくぞうじ』と読む徳蔵寺は、創建不詳、鎌倉時代又は室町時代に創草されたとも伝えられる臨済宗大徳寺派の寺院であり、御本尊は『白衣観音』のようです▼寺院入口▼▼山門▼▼香炉▼▲板碑保存館▲▼境内参道▼▼地蔵堂▼▲六地蔵尊▲▼地蔵尊▼▲ツツジ▲▲供養塔▲▼供養塔正面▼▲十一面観世音菩薩▲▼本堂▼▼石燈籠▼▼標木▼▼境内木(本堂前)▼▼青銅
徳蔵寺は城里町徳蔵(とくら)にある真言宗(智山派)のお寺です。立派な本堂がありますが、周囲には紅葉の木が無いため「太子堂」を撮ることにしました。入口付近から駐車場にデンと構える銀杏の木左手に太子堂が見えます廻りの木は、まだ紅葉には早いかも月がきれいおやすみなさいまた明日もよろしく
今回は志村けんさんの出身地として有名な東村山にある寺院、徳蔵寺(とくぞうじ)です山号は福寿山で宗派は臨済宗大徳寺派、開山は璧英宗趙で御本尊は白衣観世音です徳蔵寺は元々鎌倉か室町時代に草創されたお寺とされ、西暦1560年には現・港区赤坂の種徳寺の末寺だったようですが、後1620年前後に璧英禅師を招いて中興開山されたそうですこのお寺は江戸時代中期に八国山の中腹にあった永春庵を、明治時代には正位寺を合併してそちらにあった地蔵菩薩や五輪塔などを境内に移転していますこの
東村山を探索しています。現役で頑張るレトロな郵便ポストに遭遇。「頑張れよ」と(脳内で)声かけしときました。まだまだ後百年くらいは行けそうです。その頃に郵便制度がどうなっているかを考えると、「セキュリティは素人なんで今勉強しています」と言い逃れするゆうちょの幹部って、時代に恵まれて良かったですね。コンビニの灰皿の前の貼紙。私の吸っている煙草も500円になります。2箱で1,000円というのは、次に値上げされたら禁煙せざるを得ない値段です。たばこ農家との兼ね合いもあるとは思いますが