ブログ記事100件
#徳川家康本陣徳川軍85体完成。明日からは織田軍を製作します。
皆さま、今年度もよろしくお願いいたします🥺新年号の発表を仕事をしながら今頃かな?と思いながらもいつの間にか発表されていました💦そんな新年度がスタートしましたが、こちらでは関ヶ原下を、読み終えたところです💪本当に淡々といつも通りに過ごせています☺️色々と寄り道をしながらで今になりました!本書では、「石田三成と徳川家康」、「義と利」の対比で学ばせていただきました😆あくまで義を重んじる石田三成、、、義を重んじるフリをして利で惹きつける徳川家康。石田三成の現実感のない思い込み
皆さんいかがお過ごしでしょうか?今日は仕事の話しなんです新宿には侍ミュージアムがあります。ここでは侍が活躍した戦国時代をはじめ日本の歴史や武士常装や武士の嗜みを見学でき甲冑などの武具を着装体験して記念撮影ができるので観光で新宿を訪れる方々に人気があります。日によっては文化体験レクチャーなどもあります。侍ミュージアムから通訳案内士になると主に外国人の方に日本の文化や歴史などを説明する機会が自然と多くなるんですYOっで案内士証を提示すればここータダで入れちゃうんですよーたまにはいいこともあ
皆々のもの、息災であるか。本多平八郎忠勝である。全国武将隊大博覧会「宴」土曜、日曜と続いた宴多くの皆に見守られ、徳川軍一丸となり臨んだ戦。徳川家の名は、、グレート家康公「葵」武将隊の名は、、全国の武将隊に、皆に轟いたであろうか。そして演武でも話を致したが、5月1日は是が非でも岡崎に参るがよい。明日もいつもどおり我らは岡崎城で皆をまっておる。目の前の景色を見逃さぬよう。本多平八郎忠勝
Shigeさんとうちの嫁さんとで二上山に行ってきました。基地より出陣二上山・・・奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山。かつては大和言葉による読みで「ふたかみやま」と呼ばれた。金剛山地北部に位置し、北方の雄岳と南方の雌岳の2つの山頂がある双耳峰である。登山はちょくちょくしますが、装備は全くなく素人なので写真も御座いません。追い討ちじゃ~!!と山頂でホラ貝を吹く。ちなみに僕はほとんど音がでません嫁さん。トランペットが
『明治という国家』-⑰ー司馬遼太郎●江戸日本の無形遺産”多様性”✪幕末、土佐派より遅く、打倒徳川軍に参加したのは、三十五万七千石の外様大名肥前佐賀藩鍋島家でした。打倒徳川の第一戦である鳥羽・伏見の戦いのときは、無論肥前佐賀は参加していません。静かな藩でした。その上、佐賀藩は伝統的に二重鎖国でした。日本という国家的鎖国の大桶の中に、も一つ藩という小桶の鎖国があって、佐賀藩士は他藩士とつきあうということをしません。幕末、京都に各藩の外交役(正称は周旋方)が集まって大いに論じ、大いに情
謎に満ちた武将…秀頼です夢のまた夢の跡3上杉征伐…天下分け目の関ヶ原の戦いへの合図となり、国は動いた…蟄居していた三成は起ち上がり徳川を挟み撃ちにするべく作戦を立てていた旗頭として上がったのは五大老の一人、毛利輝元である大阪城に入った輝元は大名の奥方達を人質として戦を優位に進めようとした…この時起きた細川ガラシャの悲劇は現代まで伝えられている明智光秀の娘、絶世の美女キリシタンが故に自害出来ぬ運命ガラシャの選んだ死への道……諸大名達は三成や輝元をどう解釈した
皆の者達者であるか?大ふへん者前田慶次じゃ!我が日記帳開き大義。本日も戦国の今日は何の日?参る一六一四年十月十二日大坂方、堺から武器を略奪本日も大坂の陣に関連する。大坂方が徳川方との戦いに備え堺から鉄炮などの兵器を略奪。徳川軍が出立し大坂豊臣方は武器をかき集める。堺は昔より鉄砲生産の地。戦国最後の大戦でも鉄砲は重宝されるのだ!!さて。けふも撮影戦を繰り広げた。皆々、明日我は播磨国は神戸に再び参り申す本の前に参りこんなにも早く再び神戸に参れるとは。名古屋の魅
長篠城の近くの道の駅で、ママがお土産を職場と友人向けに大量に買う。とても、満足そう。そして、長篠城址史跡保存館に到着し、スタンプゲット。保存館には、パパだけが入り見学。いつものように、鉄砲やその備品が飾られていた。兜や背景には、有名な長篠の合戦の絵図が掲げられていた。この合戦は、織田と徳川軍と武田勝頼の戦いで、阿部龍太郎の本によれば、家康が,勝頼の凋落によって嫁と息子を自刃に追い込まれたのを恨み、練りに練った作戦をたて、信長の力を借りて勝ったと書いてあった。長篠城は、2つの川に
8月も終わってしまいましたね。長女も大学が始まるので、また大学の寮へ戻ります(T_T)その前にと、8月29日に静岡県榛原郡吉田町にある小山城へ2人で行ってきました(^-^)/ここは平山城ですが、急な階段さえクリアすれば大したことない筈。何年か前に行きましたが、その時は雨が降っていて、展望台からはよい景色が見えず(;∀;)今回はリベンジですι(`ロ´)ノ駐車場から歩きます。ここを進むと能満寺があり、通過します。門をくぐるとボーボーですが、お寺があります。鶏がどこかで鳴いてる?
軽井沢を後にして、向かった先は。。。上田城(長野県上田市)軽井沢から、車で一時間、しかも東京とは逆の北に進むので、帰りはプラス一時間多くかかってしまいます。でも、主人が『いい機会だから』と行く事に。昨日はヘタレと思ってごめんね~。『上田城』といえば、真田幸村、真田と言えば、一昨年の大河ドラマ『真田丸』ですね。あの大河を見てからもちろん行きたかったのですが、その昔むかーし、NHKで人形劇やっていたのご存知でしょうか?『真田十勇士』というタイトルでやっていたような???『猿飛サスケ
初夏の日差しがじりじりと肌にさす中、「長篠の戦い」の地に行ってきました。ここを訪れるのは、今回が2回目。前回は馬防柵のあたりしか周っていなかったので、じっくり丹念に歩き検証したいと思って、改めて来ました。(のどかな田園広がる合戦地の裏水田に青空が映る)【長篠の戦い】天正3年(1575年)5月21日。奥三河の山間に築かれた長篠城を巡り、織田信長・徳川家康と、武田勝頼との間で行われた一大総力戦。まず最初に行きたいと思っていた合戦地の南東を流れる「豊川」の「広瀬の渡し」。
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日も愛すべき残念な武将です。昨日の続きです。前回、薄田兼助さんが、大坂の陣で博労淵の砦を任されたとこまで紹介いたしました。これから、兼助さんは、どうなってしまうのでしょう?さあ、大坂城にとって重要な砦を任された兼助さん。兼助さんの武勇があってこその任命だったと言われています。博郎淵の砦は木津川のほとりに造られた砦で、船で登って大坂城に攻め
この城では武田軍と徳川軍が激しい攻防を繰り広げたので、たくさんの将兵の死にざまを見ていた。徳川家康の嫡男、信康の慟哭と自刃を静かに見ていた。鳥羽山上は二俣城の付城として築かれたが、城主の居城として使用された。急げ、次の戦場は三方ヶ原だ。++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++~~企業研修とコンサルティング~~望月義博(モチヅキヨシヒロ)タイヤ・販売研修事務所◆ホームページhtt
浜松2日目は歴史的に有名な合戦長篠の戦いの行われた設楽ヶ原古戦場へ→→→と言ってもお目当ては違うのだ!こやぞうくんの親父さんの大発見にシゲキされ歴史資料館の前の芝地でのネジネジ探し第二駐車場に車を置いて探しに行ってみると、ネジネジが無い!!ネットで調べて来たのに~…仕方ないので馬防柵を見に移動→→→途中合戦で討死した武将のお墓などもあります。そして柳田川に掛かる橋のランカンには武田軍と織田軍のレリーフが向い合っています。そして再現された馬防柵は田んぼのはずれにこっちが徳川
どうもみなさんおはこんばんにちは柏ロミオの一真です投稿しようしようと思ってはや1ヶ月たってしまったんでとりあえず初投稿最近、とにかく千鳥にハマってる僕ですが家にいる時もYouTubeで千鳥、人と話す時も千鳥の話、モンハンワールドの名前もおぬしにした千鳥マニアです同じく千鳥にハマってるって人は是非ロミオに押し寄せて下さいえ?どれくらい押し寄せればいいかって?関ヶ原の徳川軍くらいおねしゃす今月は、10日、18日、24日が出勤なんで是非遊び来てください
占術師癒し探し隊隊員透山棗です。オオサカご利益めぐりの続きでございます〜ここから更に無謀な旅は続き…。JRで大阪城北詰駅で下車して片町の交差点を渡り、大阪城に向かうのだけど土地勘がないので、どっちに向かえば良いのか、さっっっっぱり分かりません!!こんな時だけ、GPS君の登場です。どの方向に進んでいるかと、目的地をチェックして歩くんだけど城は遠くに見えるけど、堀で渡れない。↑遠くになんとなく、城らしきものが…私は徳川軍か?と思いながらどう行こうか悩む。
今日は天気が怪しい…雨降りそうなので少し気にしながら~♪ここは武田軍と徳川軍との合戦初めて入りました市内トップクラスの進学校!!の横を通り娘の高校へ寄り娘に歩いてきた事を伝えたら苦笑( ̄▽ ̄;)アハハトイレを借りて歩きましたこの道は昔電車が通ってたところたくさん名残があります今は市民の憩いの歩道です市民児童プール幼い頃来たなぁお城の横を歩きます今日は祭典賑わってましたいい匂いしてきた(´艸`)つづく
こんにちは、日本マイナー歴史研究専門家の原一六四(ひろし)です。今回は皆様にお願いがあります。いつも城跡など行くと、城跡で敵がどう攻めるのかなーとか逆にどう守るかなーなんて考えてしまうんですが、皆さんは、そんな事思ったことはありませんか?そこで、出来れば皆様だったら、城をどう攻める?という事を伺ってみたいなーと思った次第です。舞台は以前、歴史マニアックグッズで紹介した城ジオラマで作った上田城にしたいと思います。別に、ジオラマを見てじゃなくて、舞台は上田城という事
こんばんは!本日は戦国ファンの方お待ちかね!その中でも真田幸村ファンの方お待ちかね!その中でもゴージャスで迫力の逸品をお探しの方へ更にお待ちかね!オリジナルをご紹介させていただきます(^ω^)パワーストーン・京都/【大迫力の逸品】《戦国武将》【真田幸村】【六文銭家紋】彫刻【本水晶】大玉20mm【テラヘルツ鉱石】【ダークカラーカーネリアン】ブレスレット、桐箱付き【伏見の京屋】★真田幸村【六文銭】得意のゲリラ戦で徳川軍を打ち倒した「日本一の兵」強者に媚びず、精鋭徳川の大群を2度も打ち破り
天下をとった家康であったが、豊臣の反乱を恐れていた。そして、大阪城攻めを決行した。作戦は思惑通りであったが、出城として建設された真田丸には苦戦したものの、何とか大阪城を攻略し、豊臣氏が滅亡し、真の意味での徳川時代を築いた。実は、徳川軍迎撃作戦があったのですが、それは却下されました。もし、却下されてなかったら・・・徳川軍の大阪城攻めに対し、豊臣側は友軍を大阪城に集めました。当然、関ヶ原合戦で豊臣側についていた真田信繁は大阪城に向かいます。信繁にとっては初めての大将としての戦
掃討戦となった高天神城戦。あちこちに首塚が残る悲惨な戦場になりました。天正8年(1580年)9月、徳川軍は満を持して高天神城を攻撃した(第二次高天神城の戦い)。岡部元信は千程度の軍を率いて激しく抗戦するものの、兵糧攻めにあって兵の士気が大きく衰えた。勝頼も援軍を送ろうとするが、東西に敵を抱える状況でそれがかなわない状況が続いた。ついに翌天正9年(1581年)3月、逃亡する城兵が続出し、城代岡部元信以下そのことごとくが討死して高天神城は陥落した。わずかに生き残った城兵は助命されたが、武者奉行孕
ニットが手放せないLagoonの森です。体調を崩していたのもあって全く行けていなかったウォーキング。気温も下がり。足取りが重いですが行くぞ!今回のスタートは道明寺!歴史のある天満宮。七五三で訪れる人たちもおられました。今回のメインはここ!道明寺合戦跡!ここは豊臣軍と徳川軍が激突した合戦跡。好きな武将の後藤又兵衛が戦死した場所です。しかし、久しぶりのウォーキングは結構キツイです。寒くてもコツコツ歩かないとなぁ。がんばります。=HotpepperBeauty=Lag
撮影日:2017年9月18日「河内国分駅」から「玉手山公園」までは約1kmの道のりなのですがず〜〜〜〜〜っと坂道なんです。あっ、上り坂ね!まぁ、山頂にある公園なので仕方ないのですが運動不足のおじさんにはキツイです!ふぅ〜・・・その上り坂を見てもらう為に撮影したのですが分かりにくかったかな?上り坂が続く・・・途中、こんなポストを発見しました。“えっ!普通のポストに見えるって?”ポストの形ではなく、設置してある場所です。何と横断
徳川家康による今川氏の掛川城攻めについてはネット上には二次史料ベースのものでさえあまり見当たらないので、ちょっとメモを作ってみました。まずは12月分から。とりあえず、ネタ本としては愛知県図書館で画像データが提供されている「大三川志」を採用。大三川志自体についての国立公文書館の解説は↓です。http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/daimyou/contents/26.html永禄11年12月中旬家康は本多信俊に引間城を預けて掛川攻
NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』第34話再放送「隠し港の龍雲丸」政次(高橋一生)を失い放心状態の直虎(柴咲コウ)は現実を受け入れることができずにいた。一人で碁を打ち続ける直虎を心配そうに見守る南渓(小林薫)。一方、徳川家康(阿部サダヲ)の軍勢は井伊谷を通り抜け遠江を攻め進み、今川氏真(尾上松也)のこもる掛川城へと迫りつつあった。これに対し、今川勢も粘りを見せ、徳川軍は苦戦を強いられることとなる。戦の波は気賀の方久(ムロツヨシ)や龍雲丸(柳楽優弥)たちの目前にも迫っていた。
(8月27日付け、゙スポニチアネックズより…)…女優の柴咲コウさん主演のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の第34回『隠し港の龍雲丸』が本日、放送された(総合、午後8時ほか)。。。唯一無二の心の支えだった政次(高橋一生さん)を亡くし、直虎(柴咲コウさん)は失意のどん底に陥る。同じころ気賀では、龍雲丸(柳楽優弥さん)が民や仲間を守ろうと命がけの勝負に出る……。政次を失い放心状態の直虎は、現実を受け入れることができずに苦しむ。一方、家康(阿部サダヲさん)率いる徳川の軍勢は遠江を攻め進み、氏
NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』第34話「隠し港の龍雲丸」政次(高橋一生)を失い放心状態の直虎(柴咲コウ)は現実を受け入れることができずにいた。一人で碁を打ち続ける直虎を心配そうに見守る南渓(小林薫)。一方、徳川家康(阿部サダヲ)の軍勢は井伊谷を通り抜け遠江を攻め進み、今川氏真(尾上松也)のこもる掛川城へと迫りつつあった。これに対し、今川勢も粘りを見せ、徳川軍は苦戦を強いられることとなる。戦の波は気賀の方久(ムロツヨシ)や龍雲丸(柳楽優弥)たちの目前にも迫っていた。第34回
昨日から新潟県上越市で始まった謙信公祭今日は戦国ご当地グルメ合戦へしかし暑い😅上越市32℃約30店舗がズラリと並びました食べかけ(😅)上杉軍義の塩使用もちもちポテト織田軍名古屋手羽先からあげこれも食べかけ(😅😅)島津軍宮崎マンゴーかき氷徳川軍静岡県おこたま前田軍加賀百万石ジャンボロースステーキ串武田軍山梨県甲府市巨峰シロップのかき氷武田軍山梨県南アルプス市富士山溶岩焼その他徳川軍静岡富士宮やきそば前田軍粉雪スイーツ大友軍大分からあげ