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こんばんは今日は天皇誕生日ですね。おめでとうございます㊗️関東は春一番が吹きました。2月なのに夏日になった所もあり春というより夏ですね。ミラノ・コルティナオリンピック、終わっちゃいましたね〜。泣いたり、喜んだり、連日楽しかったです💕改めて、ゆっくり記事を書きます。さてさて、週末は「梅まつり」開催中の水戸へ🌸毎年梅の季節になると氣になってた偕楽園に、今回初めて主人と行ってきました。千波湖を見渡せる高台に広がる梅林や竹林。徳川斉昭公の別邸「好文亭」は大変趣きがあり、予想以上に素晴らしい庭園で
この題名を読んでも?誰やねんかなり歴史に強い方なら知ってるかもぼくらは歴史の教科書で習う📚試験にでることおぼえるプチ同窓会あつてなんとなく神社⛩️と博物館へ企画展も寄ってみた平戸藩主まつら清隠居して静山は幕府からご意見番として江戸に都会すき❤️三勇像1839年水戸藩主徳川斉昭が三人を屋敷に招いた時静山80歳でも老驥伏櫪ろうきふくれき途中静山も熈も記録好きだいまならブログだ記録しまくる途中あれ?木の組み方くまちやんぽ
こういうイルミネーションイベントが行われているのですね。素敵(ლ˘╰╯˘).。.:*♡水戸の偕楽園といえば皆様もよくご存知でしょう。金沢の兼六園・岡山の後楽園と並ぶ日本三大名園の一つです。秋の萩なども見事なものなのですが,春の初めに咲く梅の花が全国的にも有名で,その時期には多くの観光客が水戸を訪れます。もしまだご覧になったことの無い方がいらしたら,是非水戸に足をお運びください。その偕楽園ですが,これまでは主に昼間に限られた場所というイメージが濃厚でした。桜の季節になると夜でもだいぶ暖か
昨日は、茨城県水戸市にある『偕楽園』に行ってきました。偕楽園は梅の名所です。徳川斉昭さまが、民を楽しませるために作ったと聞きました。私は、生まれてからずっとお隣の栃木県に住んでいるのに、一度も偕楽園に行ったことがありませんでした。昨日は偕楽園デビューです天気はいいですが、気温は7℃くらいしかなくて寒いです。風も吹いていました偕楽園を散策する前に、「茨城県立歴史館」でランチを食べました。サンドイッチを食べるのに、相当大きな口を開けましたサザコーヒーの『将軍珈琲』がついていましたよ
~徒然1~風邪菌との攻防戦、一進一退な戦況です。朝起きた時はまだ比較的大丈夫、仕事終わる頃に頭痛&喉の引っ掛かり。とにかく部屋を暖めて、加湿して睡眠。なのでこの土日も走らずに安静に過ごしました。今週の金曜に健康診断、土曜にどぶ汁なので風邪ひくわけにいかないのです。風邪ひいて喉腫れてたら胃カメラの管が通らないもんね。~徒然2~12月の奈良マラソン応援、なら和み館にて早苗ちゃん、首脳会談を奈良で開催、観光スポットを案内したって?奈良全面推し
この本はいろいろなことを教えてくれた。読み終わった今でも胸がいっぱいである。日本が日本を二分するような内乱を経ずに明治維新を経験することができたのは、この人物に負うたところが少なくないと改めて思った。それにしても、大政奉還をした上で、新政府の一員になるつもりであっただろう徳川慶喜にとって、自分を国賊として排除した薩摩の大久保利通と西郷隆盛、そして岩倉具視に対し、してやられたという思いは死ぬまで消し去ることのできないものであったことだろう。水戸藩で教育を受けた徳川慶喜にとって、天皇に敵対すること
正観さんによると…。(知って楽しむ情報集~人間観察40年の情報いろいろ)●一生懸命に働くそれ以前に能率を上げて一生懸命にやって、5時までにしてあげようという配慮はないように思われました。雇われている人の多くは、時間で働いていて、時間がきたらいなくなります。もし、時間に関係なく、一生懸命に働いたら、間違いなくリッチマンになれるでしょう。アメリカンドリームとは、選ばれた人が得ることができるのではない。時間決めの労働の制約にこだわらないで、いくらでも自分の体が動く限り働く人が手に
正観さんによると…。(みやびの山里・京都大原…1988年、小林正寛遊帆堂)〇念仏三昧堂法然の念仏発祥の地とされるここに念仏三昧(ざんまい)堂を建てたのだ。1198年のことだった。開山(初代)が法然で、2世が出家後の熊谷次郎直実(法名は蓮生)である。法然の死後16年たった安貞2年(1228年)、広隆寺の来迎坊にあった法然の棺から急に光が出て南南東を指し示したため、法然の弟子たちはここ(念仏三昧堂)に集まり、遺体を火葬にし直した。(光明寺の写真はネット画像です)
水戸には夕方に到着。夜散歩。夜の黄門さん。そういえば、なんで黄色なんだろう?水戸城水府とは、江戸時代の水戸の異称であり、水戸藩の産業振興として生まれた「水府提灯」は下級武士の内職から始まったそうです。今回は、オープンしたばかりのコンフォートホテルへ。ライブラリーがついているとこが良いです。会員登録すると、全国のホテルでライブラリー利用ができるみたいです。一人旅をしていた頃は、良く利用していたホテルでした。コンフォートライブラリーカ
こんにちは。もう2025年もあと残り2日となりました。前回まで北関東シリーズをやってましたが、一旦ここで中断して、今回から2025年の振り返りをしたいと思います。今回から数回に分けて2025年に出会った銅像・石像・木像たちをまとめていかせていただきます。今回はそのスタート2025年1月~4月分。コメントは少なめ(総括のみ)&写真は多めでやっていきます。よろしくお願いします。≪1月≫【豊臣秀吉(尾張中村常泉寺)】【日吉丸(中村公園)】(尾張中村豊国神社御朱印(正月
明治維新の魁となった水戸藩。藤田東湖を始めとした先覚者の登場もそうですが、水戸烈公と言われた徳川斉昭の藩政改革のもと、尊王攘夷派の「天狗党」と穏健派の「諸生党」が、藩内で激しい対立を繰り広げました。元治元年(1864)、改革派の「天狗党」は、藤田小四郎を旗頭とし筑波山で旗揚げし、「天狗党の乱」を勃発させます。そして、藩内抗争で「諸生党」に敗退し、武田耕雲斎に率いられて、京都を目指します。京都には、一橋慶喜がいたのです。総数800人を超える一行は、加賀藩との争いにも敗れ、敦
時代劇で登場する剣の達人は何人かいますが、今日はその中の一人であり北辰一刀流の開祖である千葉周作の命日にあたります。1795(寛政5)年に現在の陸前高田市(※他説あり)に生まれた周作の曽祖父はかつて剣術指南役であり、父も指南役に推挙されながらそれをほ辞して馬医者になったといいますから、千葉家には剣士のDNAが代々受け継がれていたのでしょう。当然のことながら幼少より剣術に親しんでいた周作は、16歳の時に親元を離れて中西派一刀流の浅利義信に入門。彼の師匠であった中西子正らにも手ほど
水戸城大手門前に建つ「徳川斉昭像」です。斉昭は「烈公」と称される「熱烈な攘夷家」でした。水戸藩主としては、「藩政改革」を断行しました。ただ、急進的な改革を危惧した幕閣とは対立し、隠居や謹慎を命じられました。ペリー来航後、幕府の「海防参与」に就任し、攘夷論の旗頭となり、井伊大老と対立。男女合わせて37人の子をなし、七男の七郎麿は、後に最後の将軍/慶喜に。(青竹:No.4208)
維新の魁となった水戸藩。水戸城下町を散策すると、彼方此方で、維新の群像の像や碑に出会います。ただし、水戸学は幕末の尊王攘夷派の理論的・精神的支柱となったものの、水戸藩の群像たちは沸騰した時代の初期に登場し過ぎて明治まで誰も生き残らず、明治政府には誰も頭角を現すことは有りませんでした。水戸東照宮の少し西。水戸協同病院前に建つ「藤田東湖生誕地の碑」と像です。藤田東湖は、徳川斉昭の腹心として「藩政改革」を推進し、斉昭が「幕政参与」となるや「側用人」として活躍しましたが、「安政の大
「金沢兼六園」、「岡山後楽園」と並び、日本三名園に数えられる「偕楽園」です。本来は「表門」から入り吐玉泉や大杉森を抜けて好文亭へ向かうコースが、作庭者や徳川斉昭の意図するコース(陰から陽の世界へ)ですが、多くの観光客は、交通の便が良い、東門から入場しています。今回も、東門から入り、時計廻りに散策します。「仙奕(せんえき)台」です。「仙波湖」を始め、周囲の景色を一望できるエリアです。かつては、石の基盤が据えられ、碁や将棋を楽しんだと言われる場所です。
先週土曜のブラアラキの続き鷲子山神社から車で約45分「西金砂そばの郷そば工房」で昼食なかなか良い雰囲気の店内常陸十割秋蕎麦と天ぷらの盛り合わせ蕎麦本来の味を味わう為に、汁の他に水もついてくるいわゆる水蕎麦も楽しめる蕎麦も天ぷらもうまうまやった(ノ^^)ノ食後、蕎麦屋から車で約10分西金砂神社所在地:茨城県常陸大宮市上宮河内町創建:806年2年ぶり2度目の参拝ブラアラキ~常陸佐竹の地編~(常陸太田市・那珂市)|血塗ラレタ日記
水戸偕楽園では、園内にある〔好文亭〕という日本建築に入りました好文亭は、水戸藩9代藩主徳川斉昭の別荘ですええっと〜この景色は好文亭に入ったばかりの時に撮影した風景だなぁ向こうの水面は千波湖という湖で、那珂川水系の淡水湖です*10月〜冬季営業で9:30〜16時ラストオーダー好文亭は3階建てになっていて、2階には眺めの良さそうな「好文cafe樂」がありました。手前には物販コーナーも併設されていました♪わたくしの個人的な〝感動ポイント〟は襖の引き手でした(笑)ほら、見て見てみて〜(^
水戸駅にメンバー全員が揃うと、早速クルマで周辺の観光をすることになりましたまず訪れたのはこちら弘道館です水戸といえば三代将軍徳川光圀なんですけど、弘道館では、創立者の水戸藩第九代徳川斉昭をクローズアップした資料館になっていますお、百日紅が綺麗ですね…あ、これ、弘道館内の壁紙内部を公開しているようです弘道館内の壁は、薄い紙を7枚その上に厚い紙を一枚重ねて貼り付けているそうです弘道館は日本最大規模の藩校で、15歳から40歳までの藩士とその子弟が就学していて、この写真はその生徒さんたちを
前回までの記事はこちら👇『2409銚子-波崎-鹿島サイクリング』前回までの記事はこちら👇『2409九十九里浜-銚子サイクリング』今回は九十九里浜からひたちなか海浜公園まで、太平洋岸に沿っていく計画です。1日目は神栖まで行き…ameblo.jp鹿島神宮を後にして、ここからは北浦東岸を北上、涸沼を通って水戸を目指します。北浦に立つ鹿島神宮一之鳥居は水底からの高さが18.5mと、厳島神社の16mより高いそうです。JR鹿島線の高架橋。直線がずーっと続いています。強風により、所々
幕末から明治維新にかけては数多くの有能な人材が輩出しましたが、間違いなくこの方もその一人。今日は、その水戸藩の頭脳、同藩の9代目当主にして第15代将軍・慶喜の実父であった徳川斉昭の懐刀と言われたとうこ藤田東湖の命日・没後170周年にあたります。東湖は1806(文化3)年に水戸で生まれました。父・藤田幽谷は幼少時より神童と謳われた秀才で水戸藩の儒臣を務めており、東湖もその才を受け継ぎ薫陶を受けて成長。19歳で家督を相続し、進物番200石に
今どんなことを招きたい?▼本日限定!ブログスタンプ家庭安泰、健康第一、日々平安…我が家の「招き猫」😸ヨメさんと一緒になった時にバイク屋さんからのプレゼントです…🎁「招き猫の日」日付けは「くる(9)ふ(2)く(9)」の語呂合わせ縁起物の招き猫には右手をあげた猫と左手をあげた猫の2種類がありますが、「右手」はお金や福を呼び、「左手」は客を招くと言われています。「洋菓子の日」日付けは、フランス🇫🇷ではサン・ミシェル(大天使ミカエル)が菓子職人の守護聖人となっており、その祝日が9/29
水戸光圀が編纂した「大日本史」が、幕末水戸藩の尊王攘夷思想のバックボーンとなった。それはもう誰もが知ってる、そのとおりの話なんですが。ポイントは「徳川の御三家にもかかわらず」つまり幕府を守るべき徳川一門の藩が、なんで反幕府思想の温床みたいになっちゃったのか、でしょう。まず前提として、「尊王攘夷=反幕府」では全然ない、ということを確認してください。ここのところを類型的に考えている人が多いですが。尊王攘夷というのは「正統な君主のもとに団結し、外国に屈するな」という思想であり、「いや、それは
日本三名園のひとつ偕楽園は1842年に水戸藩第九代藩主・徳川斉昭公のよって開園偕楽園は民とともに楽しむ場にした想いを込めた名前日本遺産『近世日本の教育遺産群』梅の名所約100品種、3000本梅の他に桜やつつじ、萩、もみじなど好文亭偕楽園内に別邸、華美に走らず、質実な建物梅の異名『好文木』から名付けた吐玉泉[とぎょくせん]大理石で作られた美しい井筒から絶え間なく湧き出る清水。好文亭の茶室何陋庵(かろうあん)の茶会で使うための水を運ばせるために作られた泉孟宗竹林🟰『陰の世界
水戸城跡周辺⚫︎徳川斉昭像水戸藩第9代藩主1829年に水戸藩主となり藩政改革に手腕を発揮藩の財政再建のために、衣食住すべてに対して質素倹約をすすめたり、紙、たばこなどの産業振興を図ったりしました。また、人材育成のための藩校「弘道館」や、領内の民ととも(偕)に楽しむという意味から名付けられた「偕楽園」を創設『一張一弛』の思想緊張とリラックスのバランスが大切⚫︎水戸城大手門↑水戸城の二の丸の正面、2020年に復元大手門としては日本最大規模⚫︎弘道館↓1841年徳川斉昭公が
実に15年ぶりくらいになろうか、今日は水戸の街へ。予定の昼過ぎまで久しぶりに街歩きをしたく、早めに水戸に向かうのだが、電車の遅延で予定の電車に乗り継げず30分後の常磐線各駅停車で約2時間、水戸の街へ。30分ほど自由時間が短くなってしまったが、約1時間半ほどの時間で水戸城に久しぶりに行ってみようかと。水戸駅前のデッキには粋な休憩スペースが出来ている。水戸黄門様ご一行の像は昔からある。散策ルートの地図は新旧比較地図。駅の観光案内所で貰ったこの地図がなかなか良かった
和本江戸期徳川斉昭旧蔵書「出定笑語」4冊揃い/平田篤胤/仏教批判/水戸藩/朱書きは徳川斉昭本人か/古書古文書/手書きです。62、43、54、62丁。26cm×17.5cm。手書き。元題簽1冊欠。徳川斉昭の号である「潜龍閣」の楕円形の印が押されている。出定笑語は平田篤胤の仏教批判の本。朱書きで感想などが書かれている。おそらく朱書きは徳川斉昭本人の書いたものではないでしょうか。【書名】出定笑語【巻冊】4冊揃い【著者】平田篤胤【成立】江戸後期
リアル放送の時、後半からしか録画できていなくて、アマプラで全話観れたので観てみました徳川慶喜が水戸藩徳川斉昭の7男ということで、それはそれは水戸水戸水戸、水戸藩水戸藩のオンパレードでした。弘道館で資料等みたのですが、映像で理解するのとは理解度が全然違いました理解力が足りないせいもありますが…水戸藩の存在感すごいです弘道館行った時、ものすごく徳川斉昭と徳川慶喜推しだなーとは思ったのですが、それほどすごかった大河の水戸藩すごかった。その一方で、現在の没落ぶりが際立ってしまって…
徳川家康の晩年の子である、9男の義直は尾張で50万石、10男の頼宜は駿河で50万石、11男の頼房は水戸で25万石を与えられて三家となります。頼宜は紀伊へ移って55万5千石になり、義直は木曽と木曽川筋の美濃を加増されて61万9千石になります。頼房には加増はなく、尾張家や紀伊家との差が大きすぎると文句を言って、35万石に高直しをしますが、領地が増えたわけではなく、世間的な見せかけの石高を引き揚げただけでした。石高が少ない状態のなかで、当主が江戸定府だったので江戸屋敷の経費が大きくなって、光
2025年5月大手門から出て、徳川斉昭。旧弘道館へ。入館料420円。売店で城カード350円購入。