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豚肉に含まれるビタミンB1摂取不足の脚気で亡くなった徳川家茂いえもち公と豚肉を食べ、大奥で豚一とあだ名をつけられた徳川慶喜公。
南條範夫著「十五代将軍徳川慶喜」全2巻を読みました。先日は司馬遼太郎さんによる徳川慶喜のお話「最後の将軍」を読みました。「最後の将軍」は慶喜の半生、特に将軍後見職に就任してからを1冊にまとめたものでした。「十五代将軍徳川慶喜」は2冊にわたるお話なので、さらに深掘りできるのではないかと思い読んでみた次第です。さらに言えば新選組隊士の一人、沖田総司との関係も書かれているとのこと。新選組については色んな著作があるかと思います。有名なところでは司馬遼太郎さんの「燃えよ剣」があります。「
11月7日、静岡駅へ着。静岡駅の改札を出て北口方向へ少し行った場所にある、公衆電話のプラモニュメント。https://www.city.shizuoka.lg.jp/s2746/s013132.html静岡市内には16か所以上にプラモニュメントが存在します。静岡でプラモデルが繁栄した理由は、徳川初代将軍の徳川家康にあります。家康と2代目の徳川秀忠、3代目の家光が駿府城、静岡浅間神社(せんげんじんじゃ)、久能山東照宮を築いた際、装飾を担当する職人を全国から集めた。その後
第三回:江戸時代編江戸時代は、庶民の文化が花開き、暮らしの中から「日本らしさ」が芽生えた時代。次回は、江戸を通して「国家と民の融合」を考えます。🌸第三回:江戸時代―静かなる繁栄と終焉戦乱の世を経て訪れた、長い安定の時代――江戸。徳川家康が幕府を開いてから、およそ260年。日本は、世界でも稀な「平和の持続」を実現しました。武士は剣を置き、町人は商いを磨き、農民は土地を耕し、この時代に“日本の文化の基礎”が完成していきます。🌾【江戸の豊かさ】江戸時代は、身分制度
徳川慶喜の末裔はなぜ「家じまい」を決めたのか?!yahooニュースが2025年12月7日14時30分に投稿の記事です!https://news.yahoo.co.jp/articles/c9eab41ccd7191c4003e40607ee0a4f2c1c69665徳川慶喜の末裔はなぜ「家じまい」を決めたのか5000〜6000点の膨大な資料5代目当主・山岸美喜さんが語る「家の歴史を日本の歴史にする作業」とは江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜の家系、徳川慶喜家5代当主の山岸美喜さんが
🌄🏯🎎🇯🇵徳川最後の将軍は**徳川慶喜(とくがわよしのぶ)**で、江戸幕府15代将軍です。大政奉還を行い、約300年続いた徳川の世を終わらせた人物として知られ、明治維新後の動乱期に「江戸無血開城」を導き、近代日本の礎を築いた功績も評価されています。❤️江戸無血開城:幕府崩壊後の戊辰戦争で、江戸城を戦火から守り、血を流さずに新政府へ引き渡すことに貢献しました。男性がいて後を引き継ぐ意思があっても女性が当主であり家じまい…旧公爵徳川慶喜家第5代当主の女性のお顔、目力あり、大きな耳の形が
やはり、明治維新がキモですね徳川家15代の中で最後の慶喜だけ、谷中霊園にお墓があります。他は菩提寺の増上寺に6基、寛永寺に6基にあり、家康と家光は日光にお墓があります。—ラクシュミ(@dqgsM2ip0WUVkoD)December5,2025hirokoでしたメインブログはこちらからEternalEarth✿地球とともにセッションメニューはこちらからセッションメニュー
最近で一番ショックだった出来事。墓じまい問題が将軍にも起こるとは・・・報道では個人での管理を続けるのは難しく、然るべき公の機関に譲渡したいとの事。徳川宗家に委ねるのは難しいのでしょうか?御一新後、慶喜公から家達公が宗家を譲り受け、現在の宗家は家達公(田安家)の血筋ですが、分家とはいえ、慶喜公は徳川最後の将軍です。徳川と何ら関係のない団体が管理するのか、宗家がどう対応されるのか興味があります。そして、この徳川慶喜家の当主・山岸女史。最近、Xの書き込みで炎上したとか・・・↑の
「最後の将軍」徳川慶喜家も墓じまいへ5代目当主の決断「住んでもいない300坪のお墓の維持費用が現実的でない」(FNNプライムオンライン(フジテレビ系))-Yahoo!ニュース近年、増加傾向にある“墓じまい”。今、多くの人がお墓問題に頭を悩ませています。こうした中、あの名家も絶家(家系が断絶すること)と墓じまいに取り組みだしました。「イット!」が取材したのは、江news.yahoo.co.jp最後の将軍・徳川慶喜の墓「家族から公の方に移行」5代目当主が“墓じまい”決断
「青天を衝け」最終巻の4巻目を読み終わりました。4巻とも面白かった。今まで知りもしなかった渋沢栄一が身近な友達みたいに感じます。それと徳川慶喜。2人とも私の中では、勝手ながら身近に感じるし、そうだ友ではないですね。英雄だな。徳川の江戸幕府から明治への新時代を築いた私の中の英雄です。同じ時代に日本を思い、奔走した名士は多々いたのでしょうが、本を読んだ関係で特にこの2人です。言い出したらきりがないのですが、徳川慶喜は大正2年(1913年)76歳で亡くなられ
周防大島を出発してから一時間ほどバスに揺られ今度は錦帯橋にやってきました。ここで名物の岩国寿司を頂きます錦帯橋へ来るのは家族旅行で高校生の夏に来た時以来です。紅葉の時期なので大変美しい景色でした✨そしてのんびりと岩国城下を散策しながら…岩国徴古館へ向かいました。こちらでは、貴重な史料を学芸員さんの丁寧な解説付きで見せていただけるという大変PREMIUMな時間を過ごしました✨第二次長州征伐のまえに幕命により吉川家との交渉を試みた近藤勇たち。けれど残念ながら吉川家は
慶応三年十月十四日(1867年11月9日)江戸幕府十五代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上しました。十五代、二百五十七年に亘る徳川幕府の時代が終わった時です。旧暦でいえば本日が旧暦の10月14日、大政奉還158年目の日です。つまり、現代は江戸時代が終わってからたった158年しか経っていません。たった158年でずいぶん日本も世界も変わったと改めて数字をみると驚かされませんか?上記の絵は、その前日慶喜が二条城で、在京の重臣にその決意を伝えている絵です。この絵は原画が、称徳記念絵画
本日発売の週刊大衆。歴史偉人「裏素顔」は、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の特集です。原作/跡部蛮イラスト/萩山明日香次回掲載は12月8日です。歴史偉人「裏素顔」をよろしくお願い致します。
「青天を衝け」3巻目を読み終えました。3巻目は、渋沢栄一を軸に明治維新後の物語です。この「青天に衝け」に出会うまでは、渋沢栄一は1万円のデザイン、位の認識でしたが、江戸末期から明治を駆け抜けた人物であること、そして様々な重要人物と関係しながら、明治をスタートさせた人であること等々、引き込まれます。その3巻の登場人物が、徳川最後の将軍徳川慶喜だったり、西郷隆盛、大隈重信、伊藤博文、と倒幕から新政府を立ち上げた面々、それから新政府になって三菱財閥の起源である日
今朝の最低気温は2,8度、最高気温予想は11度、天気予報は曇りです。今朝、TV番組録画視聴したのは『ザ・プロファイラーラストサムライ~リストラ後の大転身~』でした。大政奉還後に第15代将軍・徳川慶喜は静岡に隠居した。それまで幕府の武士だった、侍たちの動向を解説していた。明治政府はちょんまげ禁止、刀の帯同禁止を言い渡した。将軍の部下だった、侍二名は、侍たちの生計を立てる為に、原野だった牧之原を開墾して、お茶の栽培に転身した。明治政府は彼ら二名に県知事への依頼をするが、二名とも辞意
当初は入手するつもりがなかった。大河ドラマを毎年、見ている訳ではないので特に思い入れなどなかったが、この間、徳川家広氏がテレビ出演を果たし、また特にベトナム人の奥さんには良くしてもらっているので暫く経ってから購入することにしたのだ。これまでも見聞きしてきたように徳川家康は駿河の今川家、尾張の織田家、甲斐の武田家という戦国時代の真っ只中で生まれた。徳川家康の誤算というのは最初に結論を言ってしまうと主君の今川氏真の死のほか、やはり本能寺の変による織田信長の自害であろう。この織
✨没後150年山田方谷×大政奉還記念講演会に参加してきました✨岡山で開催された「没後150周年記念講演山田方谷と大政奉還」。登壇されたのは•徳川斉正さん•野島透さん•杉山慎策さんという豪華な3名の先生方。講演と鼎談を通して、歴史の裏側にある“人の働き”の尊さを深く感じました。⸻■大政奉還の裏にあった、見えない支え第15代将軍・徳川慶喜が、大政奉還を断行したのはわずか30歳の時。その決断と行動の背景には、表舞台には記されない多くの人の知恵と働き
おはようございます、城郭愛好家、庭園愛好家の海人三面相です。すっかり休日気分となりブログ更新が遅くなってしまいました。先ほど休日診療所の横を通りましたが、駐車場から車があふれ、インフルエンザの流行の凄まじさを目の当たりにしてきました。皆様もお気をつけくださいませ。昨晩、ブラタモリを見ていたら京都の「二条城」について放送されていました。「二条城」は言わずとも知れた世界遺産の一つですね。皆様ご存知と思いますが、御所との位置関係はこんな感じです。その二条城「二の丸御殿大広
福地源一郎さんの生涯ですヨーロッパから帰国した福地源一郎は1866年に再び幕府から「外国奉行支配調役格通詞御用頭取」に取り立てられて旗本格になります源一郎は外国で新聞や演劇を見て大変興味を持ちましたがこの時は攘夷派の意見に押されて採用されませんでしたこの時源一郎は酒等に走りかなりの放蕩ものとされたみたいです翌年1867年「大政奉還」になります源一郎は再度徳川慶喜が大統領になり新政権の主導権をと願い出ますしかし肝心の徳川慶喜の心が判然としないとまたも断られます
勝海舟の名言「嫌われなければ男の仕事はできない」勝海舟は幕末の動乱期に活躍した政治家・海軍奉行である。幕府の中にありながらも開国を唱え、また西郷隆盛と会談して江戸城無血開城を実現させた人物である。彼の言葉「嫌われなければ男の仕事はできない」は、その激動の時代を生き抜いた勝ならではの覚悟を示している。人に嫌われることを恐れていては、正しい決断はできない。時には反対を押し切り、非難を浴びても、筋の通ったことを貫く勇気が必要である。勝は保身ではなく、国を思う信念で動い
理想の芸能人夫婦は?▼本日限定!ブログスタンプうーん、わかりません…「いい夫婦の日」日付けは「いい(11)ふうふ(22)」の語呂合わせ我が家は"再チャレ"組なので、まぁそれなりに教訓は持ってるつもりです😊適度な距離感、干渉し過ぎない、でも無関心でもいけない…うーん、あとはヨメさんの手のひらの上でダンナは楽しむこと…👐😅「小雪」本日は二十四節気のひとつで第20番目の「小雪」(しょうせつ)です。「小雪」の一つ前は「立冬」(11/7頃)、一つ後は「大雪」(12/7頃)です。この頃か
11月22日が命日・忌日の有名人・著名人1896年37歳没(腸チフス)ジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニアさん技師、観覧車の発明者1907年78歳没(?)アサフ・ホールさん天文学者火星の衛星ダイモスとフォボスを発見1913年満76歳没(感冒(急性肺炎を併発))徳川慶喜さん江戸幕府第15代将軍⇒『徳川慶喜(1837年10月28日生~1913年11月22日没、江戸幕府第15代征夷大将軍)』1941年28歳没(墜落事故)ヴェルナー・メルダース
先日、夫が紅葉を観に行こうというので、お散歩に出かけました。日暮里駅から谷中霊園へ立派な銀杏の木が・・・何もよく考えずに歩いていると、徳川慶喜公のお墓の案内が・・・矢印を頼りに到着たまたま、お詳しい方がいらっしゃいまして、徳川慶喜家の墓じまい、5代目当主が決断膨大な遺品の引受先探す|毎日新聞江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(1837~1913年)の玄孫(やしゃご)にあたる主婦、山岸美喜さん(57)=名古屋市=が、明治期に創設された「徳川慶喜家」の5代目当主と
今日は司馬遼太郎の小説【最後の将軍〜徳川慶喜〜】を買って見ました!感想は後ほど‥‥ブックカバーが【牛乳石鹸】の赤箱で面白い!
日本橋のこの字は、徳川慶喜が書いたものらしい。日本橋は5街道の起点として知られている。国の重要文化財に指定されている。一見閑散とした感じもするが、橋上は人であふれかえっていた。東京オリンピックの時にかけた高速道路が橋上を覆っていて、煩わしい感じがするが、そのうち撤去されるらしい。そうなるとだいぶすっきりするだろう。下を流れる川は日本橋川というらしい。
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541世界遺産・元離宮二条城二条城は大政奉還を徳川慶喜が宣言した二ノ丸が有名ですが、家康の命令で規模を小さくしたものの、敷地は広大です。広い庭園を散策すると、春は桜、秋は紅葉が十分楽しめますよ。
算命学でよく出てくる『墓守』『家系の流れを終わらせる』といった言葉。お墓の云々はともかく、家系の流れを終わらせて綺麗に締め括ると言われても、ごく一般の平民家庭(後述との対比で敢えてこの書き方にしています)では終わるものは勝手に終わっていくんじゃないの?という感じですよね。特に大きな財産もなくお墓の数もまあ知れている場合、あまりすることはないかも知れません。けれどもこの方のような場合は。徳川慶喜の玄孫さんによる「家系の断絶」など天将星持ちさんで家のこんがらがって山積みになった難題
カバー写真のゆうちょ銀行ATMはどうやっておろすんだ?感満載だった。2025年11月16日の日曜日の話である。前日は関西からわざわざ遊びに来てくれたパンツ山根さんと大酒飲みブロガーLotusさん、大酒飲み悪友T川氏と4人で飲んだくれた。『満を持してビールを飲んだ4人の大酒飲みの物語』2025年11月15日の土曜日の話である。前日は息子の通院付き添い後、高校生活で現役最後のサッカー公式戦だった。なので、その足で会場に向かい到着したのは試…ameblo.jpせっかく遠
この人は伏見宮家に9男に生まれます、皇族といっても崇光天皇16世の子孫で9男ではどうにもなりません。天皇家の宮家も、跡取り以外の男子は寺に入れることになっていました、寺に入れれば妻が娶れず子が生まれないので皇族が増えることが防げるからです。この能久親王には入る寺さえなくて、寺に入っている皇族の附弟【仏道の弟子】になって寄食するという分際でした。1867年【慶応3年】に幕府が上野門跡の派遣を申請してくると、幕府の力は衰えているから断ろうかという議論もあったのですが、あいつならば江戸に遣わ
📘読了!『最後の将軍』司馬遼太郎の名作『最後の将軍』を読み終えました。幕末の最後を締めくくる将軍・徳川慶喜を描いた歴史小説です。📚どんな本?江戸幕府が終わりを迎える激動の幕末。その中心にいたのが第15代将軍・徳川慶喜。彼の生涯や決断が、司馬遼太郎らしい視点で描かれています。✨読んでみて慶喜は「逃げた将軍」ではない!理性的で冷静、すごく頭が切れる人物として描かれています。幕末の裏側や空気感がすごくリアル政治の駆け引きや藩同士の思惑など、教科書ではわからない部分がよく分か