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9月18日はかいわれ大根の日、沖縄しまくとぅぱの日、チリ独立記念日、711年…元明天皇の詔勅により太安麻呂が『古事記』の編纂に着手(新暦11月3日)、1652年…徳川家綱の将軍就任に伴い承應に改元1655年に明暦に改元(新暦10月20日)、1851年…『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』(現在の『ニューヨーク・タイムズ』)創刊、1922年…ハンガリーが国際連盟に加盟、1954年…蔵前国技館が正式に完成し開館式、1962年…ジャマイカ、トリニダード・トバゴブルンジルワンダが国連に加盟、196
711年元明天皇の詔勅により太安麻呂が『古事記』の編纂に着手。(新暦11月3日)1428年正長の土一揆。京都・醍醐附近の地下人が徳政を要求して蜂起。(新暦10月26日)1652年徳川家綱の将軍就任に伴い承應に改元。1655年に明暦に改元。(新暦10月20日)1896年松方正義が6代内閣総理大臣に就任し、第2次松方正義内閣が発足。1971年日清食品が世界初のカップ麺「カップヌードル」を発売。
1651年徳川家綱が江戸幕府4代将軍に。朝廷の勅使が江戸城に下向して将軍宣下。(新暦10月2日)1769年江戸幕府10代将軍徳川家治の側用人・田沼意次が老中格に就任。(新暦9月17日)1863年8月18日の政変。薩摩・会津両藩が公武合体派の公家を参内させ朝議により長州藩・急進尊攘派公家を京都から追放。(新暦9月30日)1945年皇帝溥儀が退位し満洲国が消滅。
読んでますチビチビね❶『保科正之』中村彰彦著中公新書保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主(中公新書)Amazon(アマゾン)1〜4,200円「保科正之」という名前はうろ覚えながら、徳川秀忠のご落胤で信州の保科家の養子になった人、くらいに思ってましたとんでもない、凄い方だったのだと、こちらを読んで知りました秀忠と側室‘おしずの方’の子で、家光とは異母兄弟となる、正室お江(お与江の方)の気性が激しかったのか、影を潜めてたのかもしれません、
上野の寛永寺のつづきです。寺域内に徳川歴代将軍のお墓(霊廟)があるんですが、お寺の人に聞いたら年に決まった日しか中に入れなくて最近はコロナでなかなか公開できていないということでした。なので、外側から見れるとこだけ・・・五代将軍徳川綱吉の霊廟の門「勅額門(ちょくがくもん)」四代将軍徳川家綱の霊廟の門「勅額門」写真だとなかなか暗いんやけど朱の門に金の装飾が豪華!徳川家らしい豪華さですね~これらの門は、第二次世界大戦の
さてさて…………【祇園祭ぎゃらりぃ】を出発したココロは、次の目的地へと向かう…………すぐに見えてきたぞーーーーっ【八坂神社(やさかじんじゃ)】京都府京都市東山区祇園町北側625久々の参拝となる『はんなり京都遠征①〜八坂神社〜』2018年3月我々は「はんなり京都遠征」に出掛けた。今回の企画は【霊山(りょうぜん)歴史館】と【坂本龍馬の墓】に行きたいって話がきっかけだった。事前の下調べで…ameblo.jp前回は、2018年3月に参拝由緒等詳細は、ユダヤとの関連を記載しているココロの過
中国福建省の黄檗山萬福寺の住持だった隠元隆琦は、日本からの再三の要請に応じて1654年(承応3年)に来日。三門:1678年(延宝6)横田道補信士による建立三間三戸、重曹の楼門造で門の正面柱間が三間で通路となっている。一般的な日本の禅宗寺院の三門は五間三戸が多い。左右に裳階(もこし)、階段を覆う山廊がある。徳川家綱から山城国の宇治に寺地を与えられ、1661年(寛文年)に故郷の寺と同じ名の黄檗山萬福寺を開いた。
なすび餅とらやどすんっ外良製、白餡ごま入む、むっちむち!可愛らしい♪♪♪ムチムチコロコロ。この存在感!ヘタもカワイイ♪早速パカリンコなんとっ!白あんの中に!胡麻が!胡麻がいます!!中が白あんとは思ってなくて、しかも胡麻が入っていようとは!!想定外すぎです!茄子の種ですかっ?い、いただきます!カワイイわわ、もっっちもち……の中の上品な甘さの白あん……を味わっていると、、胡麻が!胡麻がはじけて香ります!胡麻ってこんなに存在感ある食べ物でしたっけ!?香ばしいっ!
1621年徳川幕府前期の旗本で幕府船手奉行、御召船奉行走水、三崎奉行など歴任しました1674年に死去横須賀市の竹林山貞昌寺の裏山に甕に入れて土葬されましたが宅地造成で現在の新興住宅地に移築しかし墓はあっても案内板はボロボロで全くわかりません徳川水軍の将で船手奉行であった父、向井忠勝の五男として生まれ徳川家綱の元で父から続く船手奉行と将監を受け継ぎました
鎌倉と言えば~…の、鶴岡八幡宮。駅前ロータリーから若宮大路に出ると、頼朝が政子の安産祈願の為に寄進したという参道“段葛(だんかずら)”の入口が在り、そこに建つ朱鳥居は、“ニノ鳥居”である。ニノ鳥居から八幡宮とは反対側、海の方へ一直線に進むと、道路の中央に石鳥居が建っているのだが、これが実は“一ノ鳥居”である。一ノ鳥居が中央分離帯の様な状態になっている。横断歩道は無いのだが、片方の信号が赤になった隙に…頼朝の時代は木造だったそうだが、江戸時代初頭に石造になったとか。石造になった
インゲン豆が使われた料理といえば?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよういんげん豆の日(4月3日記念日)1673年(延宝元年)のこの日、いんげん豆を中国から日本に伝えたとされる隠元禅師が亡くなった。隠元禅師(1594~1673)は中国・明の禅僧で、江戸時代前期に来日して日本黄檗宗を開祖した人物。来日後、将軍徳川家綱により厚くもてなされ、中国にいた時と同じ萬福寺というお寺を京都・宇治に創建した。また、いんげん豆を禅の普茶料理(精進料理)の材料として普及させ
両国のぷらぷらの最後は鼠小僧のお墓で有名な回向院仁王門仁王様回向院の由緒書回向院の敷地?隣には旧国技館がありました国技館が建てられる前迄は、勧進相撲が主流で回向院を中心に行われていました力塚昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立玉垣には有名なお相撲さんの名前回向院浄土宗寺院の回向院は諸宗山無縁寺回向院と号します開基は江戸幕府明暦3年(1657年)振り袖火事と呼ばれる明暦の大火🔥で焼死した10万8千人を徳川家綱の命により、葬った万人塚が始まりとされる御本尊
前回のブログの続きです。先日、漸く...寛永寺に参拝しました(^^;・・・。参拝後...こちらの看板を拝見しました。事前調べで、徳川慶喜公の墓所が谷中霊園にあるコトは知っていました。寛永寺参拝後、手を合わせにお伺いする予定でした...現地で歴代将軍御霊廟...を初めて知りえっ?という感じでしたよ(^^;そして、御縁をいただけたのだ...と思いました。この日は...寛永寺→谷中霊園→歴代将軍御霊廟→入谷駅へのコースに急遽変更
黄檗宗という禅宗の一派をご存知でしょうか?禅宗といえば、臨済宗(主に公家や上層の武家に広まる)、曹洞宗(主に庶民に広まる)が有名ですが、黄檗宗を入れて三大禅宗としています。東京にはないのかと思いきや、結構あるようです(徳川幕府と縁が深いので無い方が不自然か。。。)。黄檗宗|仏教宗派・教義|東京の神社・寺院-八百万の神東京都内にある卍仏教の黄檗宗から寺院やイベント情報の一覧がご覧いただけます。yaokami.jp開山に深く関わったのが、時の四代将軍徳川家綱。なので萬福寺にも葵の
もうニタニタが止まりません気を取り直して、『さて問題!この絵は何を描いているのでしょうか?そしてその作者は』と言いたくなってます因みに私の第一印象は、『バニーコスプレをしたヤバイおじさん』・・・まだお正月休み用にキープしておいた本があるし、大坂夏の陣も読み進めたいし・・・でしたが、この絵を2回目観た時にはもう手に入れずにはいられませんでしたw先の問題、一応正解を書いておくと、『切株に座ったウサギ』アメトーーク「絵心ない芸人」の時のケンコバさんでなくても、『被ってる
回顧的に書いちゃあ、遠い目をしている私に、天気予報が言う。「寒さの底。来週は雪が降るかも」雪。雨が降り出せば、春はなお近くなるのに・・・。乾燥が続くと・・・また頭が何か思い出した。1-2むさしあぶみに見る明暦の大火と俗説「振袖火事」|消防防災博物館消防防災博物館はインターネット上の仮想博物館です。ひろく国民のみなさまに、消防防災に関する知識、コミュニケーションの場を提供するために設立されました。www.bousaihaku.com東京消防庁<消防
猪苗代の土津(はにつ)神社は、会津藩の始祖、保科正之公を祭神として祀っています。保科正之は、徳川秀忠の子で、家光の異母弟にあたります。家光の良き相談相手として、また4代将軍家綱の治世にあっては、後見役として、まさに天下の副将軍ともいえる立場にあり、徳川幕府が武断政治から文治政治へと切り替える歴史の大きな転換期に幕政のかじ取りをし、徳川260年の基礎を築いたと言われています。大きな白い鳥居は、新緑や紅葉の季節には見事なコントラストで参詣客を迎えてくれますが、一面の雪景色の中にあっても、圧
山谷掘公園からふたたび浅草地区へ合力稲荷神社に遭遇合力稲荷神社は、永禄年間(1558年-1569年)に、当時の山谷村に住んでいた小作人らが郷の鎮守として奉斎したのがはじまりと伝えられているそうです境内の入口付近に頑丈そうな「力石」江戸時代に寺社の祭礼などで力比べに使われた石と伝わり、持ち上げた人物「卯之助」名が刻まれている三ノ宮卯之助(1807年~54年)は、現在の埼玉県越谷市出身江戸時代後期に「日本一の力持ち」と称されて各地で力比べの興行をしたそうです卯之助
世界史の≪帝国主義≫から≪革命≫あたりの流れを追う為に読み始めた≪名画で読み解くシリーズ≫でした。自分の興味ある部分だけの拾い読みなので、詳しくなったわけではありませんが親しみは湧きました。やっぱり人名と顔写真(肖像画)がセットじゃないと残んないよね。ましてや、王様の名前はみんな同じだしさ自分で肖像画を検索して記事にしてるのに、次の日には「誰だっけ・・・」ってなっていましたもん。「忘れた方は、昨日の記事にもどりましょう」って、自分に向けたセリフです。話は世界史から飛びますが、
今日は休日出勤でしたよ……疲れたな……疲れて本も読めなかったので、息抜きのために癒し系を摂取。徳川幕府の将軍様を調べていたら、とんでもないものに出会いました。これ、画集なんですけど、2019年に府中市美術館で開催された展示会の公式図録らしくて。知らなかったな。知っていたら行きたかったな。まあ、その頃にはまだ東京に住んでなかったけど…表紙の変な生き物はウサギの絵で、徳川家光公の作品とのこと。まじか。普通に見てもジワるんですが、この絵の真髄は、この余白にあると思うね!↓家光公とい
ものすごい炎が立ち上っています。火元はおそらく・・・、いえ、それは一部の憶測ですから、今は差し控えます。瞬く間に、燃え広がり、多くの民家が火に包まれています。延焼を防ぐために、建物が取り壊されています。このままでは、江戸城に火の手が回ることが予想されています。江戸城では、老中たちがこの大火への対策を検討しています。そこに、家臣がやってきました。ついに、江戸城内に火の手が伸びてきたと報告したようです。老中保科正之が将軍家綱公に本丸から非難するよう、意見しました。家綱公
いよいよ「輪王寺大猷院」の徳川家光霊廟の最終回夜叉門を潜りその前には・・・徳川家光の霊廟である大猷院は、祖父である徳川家康の眠る日光東照宮の北東(鬼門)を守護するような大黒山に、僅か1年2か月という突貫工事で、1653年5月1日(承応2年4月4日)に完成したのです。1651年10月2日(慶安4年8月18日)、将軍宣下を受けた4代将軍、徳川家綱は、父、家光の遺言に従い、1652年(承応元年2月16日)大黒山に霊廟(大猷院)の建築を着手。徳川家綱家綱は11歳という若さだったため
生きて屍拾うものなし。時代劇「大江戸捜査網」のナレーションで繰り返し聞く言葉である。時代劇がめっきり少なくなり、寂しい限りだ。そんな中、少しずつ復活の兆しもみられるが、重厚感というか、時代考証が?と首をかしげるものが多い。多少の脚色はいいかもしれないが、史実を尊重し、現代に蘇らせてほしい。なぜなら、時代劇だからだ。江戸城の天守閣は、4代将軍家綱の時代に起きた明暦の大火で焼失し、再建されることはなかった。それなのに、5代将軍綱吉の時代や8代将軍吉宗の時代が舞台
阿部忠秋。江戸時代初期の徳川三大将軍家光、四代将軍家綱の2人の将軍を支えた老中である。知恵伊豆と言われた同じ老中の松平信綱の陰に隠れて、あまり知られていないと思う。阿部忠秋について詳しいことをここでは紹介はしないが、江戸幕府で最も長い間、31年間老中を務めた人物である。長いこと務めることができたのは健康があって初めてなしうるものである。そして、もちろん、重責に耐えうる能力、忍耐、使命があってだ。私は阿部忠秋について、いつか小説を書いてみたいと思っている。誰かに先を越されるか
スイスの説明会のために、広く浅く知っていた話を少し掘ってみる。日本とスイスの間には、文化交流や親善を目的とした地域同士の関係を指す姉妹都市に16件が関係している。サンモリッツと倶知安(ニセコ)、グリンデルワルトと松本市(安曇村)、ダヴォスと上田市(菅平)、ツェルマットと妙高市など共にウィンターリゾート、山岳地関連での結び付きがあるのもが多い。鉄道関係では共にアプト式のブリエンツ(ロートホルン鉄道)と島田市(大井川鐵道)が、サンモリッツと箱根町は古くからのリゾート地と言う関係で初代箱根の
気まぐれに動画を漁っていたら、懐かしの「鬼平犯科帳」のエンディングテーマにブチ当たりまして、毎日リピート再生しています。ジプシーキングスのInspirationですね。これ、心に染み入るなあ。江戸の四季の暮らしが映りながら、バックに流れる物悲しい(なぜか)ラテン系の音楽。特に、ラストの雪が降りしきる中で二八蕎麦食べてるのが個人的にグッとくる。寒そうなんだけど、人の触れ合いが温かそう。蕎麦が旨そう。(スクショ貼ってしまった)ふいに、昔のベタベタな時代劇ドラマを観たくなりました。休み
インゲン豆のアレンジレシピ▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよういんげん豆の日(4月3日記念日)1673年(延宝元年)のこの日、いんげん豆を中国から日本に伝えたとされる隠元禅師が亡くなった。隠元禅師(1594~1673)は中国・明の禅僧で、江戸時代前期に来日して日本黄檗宗を開祖した人物。来日後、将軍徳川家綱により厚くもてなされ、中国にいた時と同じ萬福寺というお寺を京都・宇治に創建した。また、いんげん豆を禅の普茶料理(精進料理)の材料として普及させ
三代将軍家光が世継ぎである後の四代将軍家綱の殺害を命じる。奇想天外な発想に始まる映画『将軍家光の乱心激突』が以前、NHKのBSで放送された。主演は緒方拳さん。家綱を守り抜く浪人の役だ。金で雇われたが、配下の者たちとともに命を賭して、仲間たちとともに家綱を守る。その一途な姿が美しく、最後は使命を果たし、花と散っていく。脇を固める俳優陣も豪華だ。松方弘樹さん、千葉真一さん、丹波哲郎さん、長門裕之さんら。家光を京本政樹さんが演じたが、まさに乱心のふるまいだった。家綱を演じた子役