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徳川幕府は、関ケ原の戦いの勝者・徳川家康が1603年2月12日に征夷大将軍宣下を受けて始まりました。家康は1605年4月16日に将軍を辞職し、5月1日に三男秀忠が将軍宣下を受けました。これで、秀忠の家系が将軍家になりました。そのあと、家光、家綱、綱吉、家宣、家継と、将軍職が引き継がれました。しかし、1716年4月30日、7代将軍家継は享年8才で亡くなりました。次期将軍は、尾張藩6代藩主継友と紀州藩5代藩主吉宗の争いになりました。吉宗は家康の曾孫で、玄孫の継友より血筋が濃いと
こんばんは!!ブライダルナカノの愛植男です!世界中から集めた愛の名言集♥今日の名言はこの方改革なんか上下ともに迷惑あんなことやるものじゃない徳川家斉享保の改革を行った江戸幕府十一代将軍。水野忠邦を罷免して松平定信を取り立て、享保の改革を断行させました。享保の改革は江戸時代初めての住民サービス開始。それまで年貢をとるだけだった幕府が農民に援助や保護を与えたという点で江戸時代を50年延命させたとか。しかし
徳川家慶12代将軍1793年5月14日〜1853年6月22日、享年61才長男竹千代(夭折、享年2才)次男嘉千代(夭折、享年2才)三男命名されず(夭折、享年1才)四男家定13代将軍1824年4月8日〜1858年7月6日、享年35才五男慶昌一橋家6代享年14才六男春之丞(夭折、享年2才)七男悦五郎(夭折、享年2才)八男直丸(夭折、享年2才)九男銀之丞(夭折、享年2才)十男亀五郎(夭折、享年2才)11男命名されず(夭折、享年1才)12男田
赤門・・・朱塗りの門。江戸時代では、将軍家から奥方を迎えた大名が建てた御守殿門のことを丹塗りにしたところから俗に「赤門」と呼んだ。(東京大学の赤門)前回の記事で、ちょっと話題にした徳川家斉についてです。徳川家斉・・・江戸幕府11代将軍。将軍になった当初は田沼意次を排して松平定信を起用し、寛政の改革を行なったが、定信失脚後は家斉の親政となり、幕政はゆるむ。将軍職を次男の家慶に譲っても実権は握り、大御所政治を実施したが幕政のゆるみは甚だしかった。家斉の側妾は
徳川家斉は、27人の男子がいました。長男竹千代享年2才お万の方次男家慶享年61才お楽の方三男敬之助享年3才お歌の方四男敦之助享年4才正室五男命名されず死産正室六男豊三郎享年1才お歌の方七男命名されず死産お志賀の方八男斉順享年53才お登勢の方九男時之助享年3才お蝶の方十男虎千代享年5才お蝶の方11男友松享年2才お蝶の方12男斉荘享年36才お蝶の方13男斉明享年19才お八重の方14男
h=37cm、底部に文政三庚辰年平吉の墨書あり大黒天は、マハーカーラMahakalaという神が元の姿ですが、こういう姿で日本の神となりましたもともとはヒンドゥー教のシバ神世界の破壊者としての姿ですマハーMaha→大いなる(参考)マハラジャのマハと同じですカラkala→黒い(参考)カーランツ(黒スグリ)のカーラと同じですマハーカーラMahakala→大黒天→だいこくてん→大国天→大国主大神(おおくにのみこと)となりました米俵の上に乗り袋を肩に小槌を持つ姿は、五穀豊穣を表し、しばしば
徳川十一代将軍家斉は、23人の妻妾に55人の子を産ませました。男子27人、女子28人です。当時は、乳幼児死亡率が高く、成人したのは28人でした。側室・お美代の方は、21女の溶姫、23女の仲姫、24女の末姫を産みました。男子はいません。仲姫は3才で夭折しましたが、溶姫と末姫は数え56才まで生きました。東大本郷キャンパスは、加賀藩の上屋敷でした。将軍家斉の21女溶姫が加賀藩12代藩主前田斉泰に輿入れするに当り、赤門が建てられました。溶姫は、1813年4月27日生まれで、1827
小柴風花さんの熱演で、徳川将軍家治が亡くなって跡継ぎに貞次郎君が大きくなって鈴木福くんが徳川家斉となったその影には倫子姫や、お知保のかた、お品の協力があった史実とは違っているけれど倫子姫の娘も忘れ形見として育っていた徳川将軍家の大奥の中で権力闘争が行われてきたがそれぞれの命を燃やして必死で生きていたことだろう男女逆転の大奥をもう一度見たくなったあの世界も美しかった
\大奥最終回放送/🌸┈┈┈┈┈┈┈┈🌸最終回のご視聴、ありがとうございました🤍そして・・・皆さんお気づきになられましたか❓そう・・・徳川家斉役は#鈴木福さんが演じられていました😆家治様とはまた違う凛々しい上様のお姿を見逃した方は#TVerでぜひご覧ください❕…pic.twitter.com/5qmHZ6xtzFメニューを開く『大奥』毎週木曜よる10時<フジテレビ>@ohoku_fujitv386782,5956分前
昔の日本は大家族が一般的でした。5人も6人も兄弟姉妹がいる人がいて2世代の集まりとなれば大賑わいの大宴会になるのも珍しくありませんでした。今では大家族になればテレビで取り上げられるほど珍しい時代になりましたが卵子提供プログラムに携わっていると大家族を願う人も一定数いることもわかります。大家族といえば、徳川家斉将軍が日本では有名です。徳川家斉(いえなり)は、江戸幕府の第11代将軍です。17歳から55歳までほぼ毎年子ども
大江戸物語膃肭臍将軍家斉江戸幕府11代将軍・徳川家斉みなさんは、徳川幕府第11代将軍と聞いて、すぐにその名前を思い出せますか?幕府を開いた初代将軍・徳川家康や、生類憐みの令を出した5代将軍・徳川綱吉などと比べると、歴史上では少し影が薄いかもしれません。しかし、11代将軍の徳川家斉(とくがわいえなり)は、とあることでとても有名なんです!それは、彼の夜の生活の派手さ!徳川家斉は、江戸幕府の第11代将軍です。1786年(天明6年)に第10代将軍徳川家治(とくがわいえはる)が亡くなる
1789年のフランス革命から25年、英仏の抗争は大英帝国の勝利で幕を閉じます。フランスは大英帝国の海洋覇権に挑戦して敗北し、ナポレオン帝政も崩壊します。しかし、ここからが常に不屈の闘志で立ち上がるフランスの真骨頂です。根性、孤高、勝利!フランスは、最後には必ず勝ち組の座を勝ち取ります。このナポレオン戦争の講和会議である、ウィーン会議は我が日本の近代史をも変えます。フランス革命・ナポレオン戦争は、アジアを巻き込みました。オランダなどはナポレオンに踏み潰され、本国は占領されてしまいます。かつての海
10代将軍の家治の嫡子家基が生きていれば?元服もして家基として西の丸で次期将軍にほぼ決定していたが16歳の時に遠乗りで馬から落馬して大けがをしてしまい死去してしまう。実子の男子は家基しかいなく家治は落胆したという。諸説あるが一橋の陰謀とも当時の一橋家は吉宗の4番目の宗尹が長子家重を憎んでいたものもあり二代目治斉がかなりの親父の積年の憎悪を引き継いでおり暗殺したともいう説もあるその仔家斉が、家治の養子となり11代将軍にこれで田沼以下の幕閣は一掃一橋の息のかかる松平定信らが
「徳川家斉」信念をもって伝えれば必ず伝わるみなさん、おはようございます「独生独死独去独来」法然の教えです人間は生まれてくるのも独り死ぬのも独りこの教えを結婚式でした人がいました皆さんドン引きです特に新婦の親族しかし、30年以上経った今出席した人は皆、納得しています正しいことは信念をもって伝えれば必ずいつかは伝わるものなのですアリガトウ「1月30日」の國史です「徳川家斉、没」天保12年(1841年)第11代将軍の徳川家斉(いえ
「どうして、諸葛孔明のような有能の部下に恵まれないかな」知事は部下たちを見て嘆いた。知事は生殺与奪の権を握っている。部下たちは凍り付いた。部下たちを見て、知事は笑いながら、「私も劉備玄徳のようないい上司じゃないけどな」そう言った。部下たちは安堵したが、知事は何を考えているのか、わからない。笑っていいものか・・・、部下たちは顔を見合わせた。「自虐ネタを披露したんだけど、おもしろくないのか?」知事は不満顔。「知事。今の自虐ネタは、徳川家斉公の人柄を示すエピソードに
体調崩したときに食べるものは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう今日は、風邪の日。1795年(寛政7年)谷風梶之助さん(44)というお相撲さんが35連勝の現役のままインフルエンザで亡くなった日らしいです。将軍は徳川家斉さんの時代。44才でも現役の力士。江戸時代にインフルエンザ。気になることはありますが、嬉しくない記念日ですね。予防と警告でしょうけど。考えてみると私はずっとインフルエンザになっていません。昔の記憶では高熱と激しい咳と鼻水
佐藤雅美著「十五万両の代償十一代将軍家斉の生涯」を読み終えました。著者の佐藤雅美(まさよし)氏は初めて聞く作家です。Amazonで歴史小説を物色していて見つけました。主人公は徳川十一代将軍の家斉公。学校で習う日本史ではあまりクローズアップされない将軍です。それゆえ、家斉公を主人公としたこういう小説で人となりを知ろうと思いました。読んでいてわかったのは時代的には重臣田沼家が活躍していた時期です。むしろ日本史の教科書では田沼家による賄賂政治の功罪を詳しく書いていたように記憶しておりま
徳川家斉生年月日1773年11月18日(木)日干支庚寅同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)・三好長慶1522年3月10日(月)うお座・ヘンリー・フォード1863年7月30日(木)しし座・ヘレン・ケラー1880年6月27日(日)かに座・アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ1899年7月21日(金)かに座・ヘルベルト・フォン・カラヤン1908年4月5日(日)おひつじ座・リチャード・ニクソン1913年1月9日(木)やぎ座
令和5年十一月場所(福岡)誰が優勝するのでしょうか毎日が楽しみ・・・今年「仙台場所」開催大震災復興相撲感謝!☆相撲の事古代からあったのでしょうね日本書紀にも出てきますから・・・農作物の収穫を占うための祭りの行事の儀式とか・・・19世紀から20世紀すもう「角力」と書いたとか・・・近世から勧進相撲18世紀あたりから盲人・女性相撲が人気になったとか・・・徳川家斉時代には、上覧相撲がきっかけになり
「赤門」は通称で、本当は「旧加賀藩前田家下屋敷」。徳川家斉公のお姫様が前田家にお輿入れ。お姫様がお輿入れしたお家の門は赤くすることになっていたそうです。ドラマ『水戸黄門』の黄門は、諸説あるようですが、水戸光圀公の「中納言」は中国では家の門を黄色に塗るからと聞いたことがあります。東京メトロ湯島駅から「無縁坂」を登って行きます。
今や、知らぬ間に人類はグーグルAIに支配されています。各個人のスマホに示されるニュースや、全ての情報は実は一人一人全然違っていて、その人の閲覧履歴によって日本人のスマホが一億台あれば、一億通りのスマホになります。で、今朝の私のスマホにあがってきたトピックのうちの一つ。先週の、「大奥2、第15話」に関するコラム。このコラムニストが一番言いたかったことは「たとえ化け物でも、母は母じゃ」と言った将軍・家斉へのガッカリ感。←
こんにちは、lemonですサイコパス化物・治済編完結今回も仲間由紀恵さんがすごかった〜14話の感想はこちら↓↓『大奥season214話【ドラマ感想】』こんにちは、lemonです恐ろしい……仲間由紀恵さん演じる治済が怖すぎる13話の感想はこちら↓↓『大奥season213話【ドラマ感想】』こんにちは、le…ameblo.jp大奥医療編15話治済(仲間由紀恵)に取り入ったお志賀(佐津川愛美)は大奥取締役・滝沢となる。子を亡くした御台(蓮佛美沙子)は滝沢が殺したのだと掴みかか
姿かたちは人間なれど、正体は「人が苦しむ様に恍惚とする」化け物としか言い表せない一橋治済。(仲間由紀恵が怪演)みんなからは「とても好い人」と思われるように立ち回りながら実態は人を疑心暗鬼に陥れ、罪のない者同士を憎み合わせる。将軍家斉の正室・御台には子・敦之助があり、側室・お志賀には子・総姫があった。化け物「治済」(家斉の母)は、お志賀に「御台様から」として毒入りの菓子を送った。また、「御台はあなたに嫉妬している」と全く
こんにちは、lemonです恐ろしい……仲間由紀恵さん演じる治済が怖すぎる13話の感想はこちら↓↓『大奥season213話【ドラマ感想】』こんにちは、lemonです悲しすぎる展開でした…12話の感想はこちら↓↓『大奥season212話【ドラマ感想】』こんにちは、lemonです赤面撲滅に近づ…ameblo.jp大奥医療編14話人痘接種により赤面に罹らない体になった家斉(中村蒼)は、3代家光公以来の男将軍となった。家斉は子沢山だったため、幕府の財政を圧迫していたが、母・治済(
よしながふみさん原作は読んだことないですが、男女逆転の江戸幕府という、今までにない発想でとても面白いとの評判の漫画これをNHKがドラマにして大ヒットしてますね。シーズン1はみてませんでしたが(堺雅人さん菅野美穂さん共演版もみてない💦)今回は愛希れいかさんと古川雄大さんのご出演ということで、見始めたのです✨(お二人の出番は後半の幕末編ですね❣)そしたらまぁびっくり(・・;)ひときわ凄みがあり、サイコパスな一橋治済役の仲間由紀恵さんがとにかく怖い!!!
山手線に揺られて駒込駅にやってきた駅北口、郵便ポストはサクラ色「サクラポスト」決して風雨で色あせたのではありません本郷通りの橋、手摺のデザインはサクラ江戸時代の染井村(現在の豊島区駒込)がソメイヨシノ発祥の地と言われているからのようです駒込駅前、本郷通り横断歩道の先に大國神社手水舎狛犬たち拝殿大國神社は、豊島区駒込にある神社宮司の大島家が下野国より、天明3年(1783年)に邸宅と共に遷座、創建11代将軍徳川家斉が将軍職を継ぐ前
徳川家斉はなぜ50年にわたる安定した長期政権を築けたのか|山内昌之テンミニッツTV-1話10分で学ぶ大人の教養講座#山内昌之#歴史#徳川家斉続きはコチラ⇒https://10mtv.jp/pc/content/detail.ph...テンミニッツTVについて⇒https://10mtv.jp/lp/v21/?utm_source=y...江戸幕府11代将軍・徳川家斉は約50年にわたる安定した長期政権を築いた。その要因として、山内昌之氏は4つの点を挙
牧秀彦の本~📘「上様出陣」二徳川家斉挽回伝爆笑シリーズ第二弾一が無かったので第二弾から~✌️
今日は、「オットセイ将軍」とも言われている第11代将軍家斉(いえなり)について書きます。家斉は、将軍職そして将軍職を退いた後も大御所として約50年間も幕府の中心として君臨します。また、後年は、政治に対しても関心を失い幕府運営を疎かにし、その上に贅沢の限りを尽くしたために、幕府の財政が破綻、そしてこれが徳川幕府の権威をも失墜させ、これにより、徳川幕府崩壊への道そして、幕末の動乱へと進んでいきます。それでは、そんな家斉の人生を見てみましょう。家斉の将軍就任までの時代家斉は、