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お命頂戴第1話将軍徳川家慶役伊吹吾郎さん。水戸黄門三代目格さんのイメージが強くて、困る。しかし、12代将軍を選ぶとは…ドラマ制作者はマニアなのか?↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
水戸家から一橋家に前回は慶喜が小心者だったために鳥羽伏見の戦いが起き、幕府の滅亡につながってしまったという話をしました。しかし、彼を小心者だと批判する人たちも一致して認めていることがもうひとつあります。それは「頭がずば抜けてよい」という評価です。最後の将軍となった慶喜は将軍に最も近い親戚である御三家のひとつ水戸家の出身で、父親は水戸藩第9代藩主の斉昭(烈公)です。慶喜は斉昭の七男として生まれ、11歳のときに御三卿(8代将軍吉宗の子孫を祖とし、御三家同様に将軍後継者とな
薨去された師の御誕生日に日生劇場で、【天保十二年のシェイクスピア】を拝見しました。既に、同作品は大千穐楽を迎えられていますが自身のケジメとしてYouTubeのチノポスで、師が語られた【天保に関する箇所】で御衣黄がピーンときた部分のみ、纏めてみます...よろしければ、お付き合いくださいませ。因みに、題の日付は学んだ日です。では、本題へ...御衣黄の覚書から、記します。*詳細が気になった方は著書やYoutubeを探して確認してくださいね竹内の日本史書いて覚える(P1
こんにちは最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。◇◇◇◇◇侍女の亡霊が家慶将軍に見参大正14年9月5日/読売新聞十二代家慶将軍、嘉永の末ごろの話。千代田の大
昨年NHK-BSでアンコール放送されていた前の大河ドラマ『篤姫』は毎回、欠かさず観ていた。本放送の大河ドラマ『光る君へ』が全くつまらなかったことと比べ、その雄渾さには魅了された。篤姫の嫁した徳川家定の兄弟姉妹は26人全員が成人までに早世さて、主人公の天璋院篤姫(写真=晩年の天璋院)は、大奥にあがって13代将軍・徳川家定の御台所となるが、その家定は、篤姫が御台所になってわずか2年で亡くなる。満34歳での病没で、篤姫との間に世継ぎをなさなかった。実は篤姫は、家定の3番目の
徳川家慶12代将軍1793年5月14日〜1853年6月22日、享年61才長男竹千代(夭折、享年2才)次男嘉千代(夭折、享年2才)三男命名されず(夭折、享年1才)四男家定13代将軍1824年4月8日〜1858年7月6日、享年35才五男慶昌一橋家6代享年14才六男春之丞(夭折、享年2才)七男悦五郎(夭折、享年2才)八男直丸(夭折、享年2才)九男銀之丞(夭折、享年2才)十男亀五郎(夭折、享年2才)11男命名されず(夭折、享年1才)12男田
*2月18日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回は近現代史のしらたま教授との歴史トークで、テーマは天保の改革周辺。本日は、水野忠邦青雲の要路のおはなしです。あんみつ「しらたま先生、天保の改革を断行したリーダーは老中首座・水野越前守忠邦(1794~1851)。肥前唐津藩6万石の藩主にして、水野氏は譜代大名ですから入閣の資格はあったにせよ、かねてから老中になって幕政を主導したいとの意欲まんまんだったという人です」
※こちらの記事は、令和3年4月25日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第4回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【『青天を衝け』の楽しみ方】・第1回―渋沢家について・第2回―身分秩序について・第3回―平岡家について
徳川家慶生年月日1793年6月22日(土)日干支丙午同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)・ニッコロ・マキャヴェッリ1469年5月3日(水)おうし座・徳川家綱1641年9月7日(土)おとめ座・前田綱紀1643年12月26日(土)やぎ座・ボブ・マーリー1945年2月6日(火)みずがめ座明日は「丙午」の方の性格を、簡単に載せます。
人間の姿かたちはしているもののその正体は、血も心もない冷酷で残虐な「化け物」・・・現実のこの世にも、松永太、木嶋佳苗、角田美代子や赤堀恵美子、青葉真司などが有名ですが、身近にも存在。大奥シーズン2でも、物語の主題とされています。(問題提起をしたいから、こうした作品になるのです)一橋治済(仲間由紀恵)=八代将軍・吉宗の孫人が苦しむさまを見ることが快感。実の息子までも、目の前で殺そうとした。同じ吉宗の孫である松平定信(安達祐実)と
11月7日放送の「大奥2」。高嶋政伸が演じる12代将軍・徳川家慶は、自分の娘の徳川家定(愛希れいか)を日常的に犯すという近親相姦のために家定を13代将軍にすることとし、身近においていた。老中の阿部正弘(瀧内公美)は実際にも切れ者であった人物。劇中でも聡明で志が高くていさぎよく、かつおおらかで天然。家定は家慶から逃れるべく、老中の阿部をたびたび呼びつける。次期将軍に、じきじきに呼ばれるので阿部は緊張していたがやがて真実に気付く・・・
日本史の中ではあまり注目されませんが、今日は江戸幕府第12代将軍いえよし徳川家慶の命日・没後170周年にあたります。家慶は1793(寛政5)年に第11代将軍・徳川家斉の次男(※母は側室の香琳院)として江戸城で生まれました。長兄・竹千代が早世したため早くから将軍継嗣となりましたが、父・家斉が50年にわたり将軍職を務めたため、家慶が引き継いだのは1837年・45歳の時でした。そのためか、家慶については〝凡庸〟という評価があり、趣味に
今回は、徳川幕府十二代将軍徳川家慶の墓参りです。黒船来航時の将軍です。徳川家慶とは幼名敏次郎。1837年(天保8)将軍職を継いだが、家斉在世中は家斉の大御所政治に実権を握られた。1841年、家斉の死後、老中水野忠邦を首座に任用して幕政の改革を行った。しかし、改革は急激にして、また各方面に厳格にすぎたため人心を失い、忠邦は2年余で失脚した。その後、阿部正弘を老中首座に起用し、有力諸藩の改革派勢力に対して柔軟な路線を採用したため、幕末の雄藩連合運動の素地をつくることとなった。1853年(
旦さんが、福島県郡山に、2泊3日の出張に行って来ましたそのお土産が、こちら👇️と………(シャインマスカット~💖)こちら👇️です「日本三大まんじゅう」柏屋薄皮饅頭ですなんと‼️このお饅頭のお店の柏屋さん創業が嘉永五年‼️嘉永5年は西暦では1852年‼️江戸時代で、日本にペリーが来航する前年❗徳川将軍は、家慶・家定の頃です日本が、動乱の時代を迎える頃です箱の右上にもババーンと大きく書いてあります中身はこちら👇️つぶあんにしてもらいました🎵美味しそう~☺️食べるのが楽しみ
(2021年9月12日放送分)問題1市の名前を漢字一文字で表記する、蕨市があるのは埼玉県。では、燕市があるのは何県でしょう?1…千葉県2…岐阜県3…新潟県正解…3解説新潟県内で新潟市に次いで人口が多い燕市は、新潟県のほぼ中央部に位置する市です。2006年(平成18年)3月20日、燕市と西蒲原郡吉田町、同郡分水町の3市町の新設合併で現在の燕市が発足しました。特に洋食器の生産が世界的シェアを誇り、「商人の町」と言われている三条市と並んで金属加工を中心に栄えたことも
『英雄たちの選択スペシャル:大奥贈答品日記』を見た。大奥年寄の瀧山黒幕説なるものを紹介し、その論拠として跡部伊賀守(良弼)に言及していた。十三代将軍家定の生母たる本寿院が贈答品とともに、実家の「跡部」のことを瀧山に頼み、その直後に伊賀(※1)が留守居に昇進したというのだ。当時の伊賀は留守居格元清水附支配であった。「元清水附支配」とは従来の「三殿家老(御三卿の家老)」のことであり、明屋形(※2)とはいえ、留守居格三殿家老から留守居への昇進は、ごく自然なことであったろう。将軍の生母を動
一万円札の顔になる渋沢栄一の物語。👇吉幾三(将軍家慶)と竹中直人(徳川斉昭)の意外な関係☝️☺️判る?☺️→実は奥さん同士が姉妹なんですよ😉斉昭の奥さん(御三家御三卿の正室は「御簾中」)は相関図にも載ってる原日出子さん演ずる登美宮吉子。相関図には載ってないけど十二代将軍徳川家慶の正室(御台所)は楽宮喬子。お二人の宮様の御父君は有栖川宮織仁親王☝️⭐四女:喬子女王/寛政7~天保11(1795-1840)浄観院殿。⭐七女:吉子女王/文化1~明治26(1804-1893)貞
◇今年初のかき氷食べましたこの夏の特別作品制作もほぼ決定しテンション上がってこんな感じです写真が横になってしまうのです、ごめんなさいマンゴーと抹茶昔のかき氷のように甘ーい味でなくシャリシャリ氷で食べたあとマスクの中が涼しいのが今年風(笑)ですね◇本日の名言です「徳は事業の基(もとい)なり」◇さて本日の「一ノ瀬芳翠の人生が輝く書道」は徳川家慶です徳川家慶1793-1853政治の腐敗を一掃する気概を持った将軍でした海岸
◇先週、注文した本が届きました尾形光琳のケース入り「初刊のみですからね!」って虎ノ門ニュースで著者が叫ぶのにつられて注文しましたが、すぐに読める気がしない6巻ですからね◇その前に「司馬遼太郎さんじゃん!!」と注文したのが届いたら全4巻知らずに1巻だけ買ってもうてでも、なんとか2,3,4巻もそろいまして◇文化庁の講座始まる前に子どもへの言葉がけを復習しようと「子供が育つ魔法の言葉」を注文届いたら「あー、これ、もう家
m(__)mおいら今日誕生日m(__)m久々の関東での誕生日。メール、本当にありがとうございますで、いただいたそのメールで知ったんですが…この方も誕生日だったそうで(笑)アナ女王ちょっと驚いたあとアマガミの主人公のミャーも今日らしく(笑)ゲームもアニメも好きなのに知らんかったm(__)m自分が知っている今日誕生日キャラは赤土晴絵さん「咲阿知賀編sideA」監督さんですね画像はなぜか女子高生バージョン
咲夜、名古屋おもてなし武将隊の「絆」公演を関係者対象のゲネプロで見せていただきました(ゲネプロは舞台や演奏会などを本番同様にステージで行う最終リハーサル)信長から家康までをぎゅーっと濃厚にパワフルに演出される「絆」は以前にも観覧しましたが、今年も華やかでよかったですステージの写真撮れないのでホールの様子をどうぞこちらで写真撮ると決まりますねえ!良い脚本と演者、音響、照明それぞれのスペシャリストが最高の力をぶつけるエネルギーが観客を
誕生日の特典案内もらって半年ぶりかも、の映画「フォードvsフェラーリ」観てきました上映時間長めでしたがとても面白かった!「CAT!」も観たいんですよー今回、ジェームス・コーデンが出演してるので、観たいー!大ファンなんですさて本日は「現代日本の礎をつくった偉人たち」の動画をみてください「第12代将軍徳川家慶」を一字で揮毫しました父・家斉公が50年将軍職にあって13代将軍となった後も父の院政のせいで影が薄いのですがペリー来航を知らせる
綱敷天満神社愛媛県今治市桜井6丁目にある神社に、古い鳥居と狛犬があったので載せてみました。神社由来菅原道真公が筑紫へ下向の時風波の難により当地へ流着され、郡司越智息利ら里人と共に道真公の至誠に接し、後に片身の神像を素波神と称して奉祀した。伊予旧記によれば天慶5年9月25日の創建と伝えられている。元弘3年9月25日国主伊予守越智通村より神殿の再建と神田の奉納があり、河野一門の崇敬篤く、天慶5年素波神を綱敷天満宮と改称した。正徳2年神仏分離により荒神社に合祀したが、享保5年6月28日松山藩主松
今日は朝から雨の1日となった。雨で青空は見れなかったので…撮り貯めた空を…今日は雨だが、明日は晴れて暑くなるみたいだな💦今日も徳川霊廟の続きを…今回は第十二代征夷大将軍の徳川家慶(いえよし)。徳川家慶(1793~1853年)は十一代将軍・徳川家斉(いえなり)の次男なのだが、僕は今回調べるまでどんな人物か分かっていなかった….というか存在すら知らなかった💦存在感が薄かった家慶だが、その原因は父親である家斉と息子で第十三代将軍の家定(※いえさだ)。この2人が有名なのでインパクトがなかっ
日本史の授業で『天保の改革』を主導したとして、皆さんもこの人物の名前には聞き覚えがあることでしょう。水野忠邦今日は、江戸時代後期に権力をふるったこの老中の命日にあたります。忠邦は1794(寛政6)年に唐津藩第3代藩主・水野忠光の次男として生まれました。長男の芳丸が夭折したため、11歳の時に唐津藩の世子となり、その2年後には後に自らを引き立ててくれた徳川家慶(当時は第11代将軍・家斉の世子)に謁見しています。1812年に父・忠光が隠居したことで弱冠18歳で家