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DATE:26/07/06MON発表年:2020年収録時間:78min鑑賞:CD青龍刀権次二代目神田山陽天保六花撰河内山宗俊丸利の強請三代目神田松鯉大岡政談徳川天一坊伊賀之亮加担神田山裕118
神田伯山さんの講談を聞いてきました😆✨✨👇️神田伯山さんの講談を聞くのは2度目😌チケットは毎回抽選だそうで、なかなか当たらないのですって🤔お題は【徳川天一坊】全20段あるうちの、途中5・6・7・8段を聞く会。毎回聞きに来てない人のために、それまでのあらすじ、ラストまでの流れもかいつまんで話してくださいました😃他、普通にまくら?雑談??も聞けて楽しい時間でした😆玉川祐子師匠と玉川太福さんの話が面白く、検索してみました😃玉川祐子師匠は、102歳で現役の浪曲曲師浪曲師と
神田昌美•神田阿久理2✖️4🟰八講談会女性講談師•二人の講談会「神保町落語カフェ」…初めて入る会場でもあり楽しみにしていた。神保町駅に11時半に着いてしまったので、会場を見定めてから近くのドトールで本(岸田秀の『唯幻論始末記』)を読み時間を過ごす。根多帳昌美→『山内一豊の妻~出世の馬揃え』阿久理→『徳川天一坊〜越前切腹』仲入り昌美→『爆裂お玉~福富別邸』阿久理→『徳川天一坊〜伊豆味噌』昌美さんはマクラで「子供が五人です」と言っていた。内助の功の
ようやく冬らしくなって参りましたね。来たる12月18日(月曜)は、第18回2×4=八講談会〜神田昌味・神田阿久鯉二人会〜開場13時30分場所は神保町らくごカフェ今回の連続“徳川天一坊”はあの、あの、あの『網代問答』‼️背筋がピーンと伸びる根多です。また今回から昌味お姉さんは“爆烈お玉”開講です。是非是非いらして下さい。ご予約はらくごカフェさんまでお願い申し上げます。
神田阿久鯉講談会IN鎌倉(第55回)於ぎゃらりー伊砂大岡政談徳川天一坊第一話名君と名奉行仲第二話天一坊の生い立ち
5月27日金曜日〜その13夕食。献立は、チャーハンおにぎり、冷奴、ベイクドポテト、豚汁。デザートに、HonoluluCookie、GODIVA50%COCOA・CACAO、緑茶。(写真)50巻組カセットテープセット『浪曲百番』第37集〜「大岡政談~徳川天一坊〜」太田英夫(S63年12月21日キングレコード)を聴く。(写真)「新選組」と第36集はモニター済み。
本日は、墨亭さんに春陽先生の『徳川天一坊』を聞きに来ました。今日は全二十話の第三話目、二十話中、唯一天忠坊日真という悪徳坊主が暗躍する噺です。之から先は、殆ど台詞が無い存在で、名前は登場するけど、全く見せ場の無い人物です。事件の立ち位置は重要なんですけどね、赤川大膳と藤木左京より立場も上なのに、この後はほぼ出番も台詞もあまり無い。さて、そんな『徳川天一坊』の続きが聴ける春陽先生の会、こんな内容でした。1.小夜衣草紙「蛤のお吸い物」マクラでは、相変わらず愛山弄りから入る春陽先生。此処に
4月20日火曜日~その3チェリオグレープを飲む。(写真)8トラックテープ『二時間浪曲名人さわり集20選』~「石松三十石船」広沢虎造「灰神楽道中記」相模太郎「紺屋高尾」篠田実「大岡政談徳川天一坊」浪花家辰造「父帰る」天光軒満月「天保水滸伝笹川の花会」二代目玉川勝太郎「野狐三次いれずみ纏」東家浦太郎「壺坂霊験記」浪花亭綾太郎「唄入り観音経」三門博「海に男」天中軒雲月「佐渡情話」寿々木米若「会津の小鉄名張屋新造」京山幸枝若「赤城の子守唄」春日井梅鴬「薮井玄亥」日吉川秋水「河内山玄関先
天一坊法澤が、なぜ悪に加担したのか!?勿論、本には細かく書かれてはありません。なぜなら、私なりに思うにそれは『野暮』だから。そんな気持ちの部分を書いたら気持ち悪いでしょう。あの素直な法澤が、なぜ、悪人になったのか?それは、父親に逢いたい。母親とも逢いたい。と、願う旅に答えは有ると思います。それでも法澤・天一坊の気持ちを思うならば、父親と母親が、あそこまでの悪人だと分かり、それでも両親に会いたいと願う。更に、伝蔵の存在も、天一坊を悪にしましたね。伝蔵と母親の関係を沢山語る展開ならば、天一坊
江戸城大広間では、重い空気の中五ツ辰の刻より、将軍吉宗公は元より、老中・若年寄、南町奉行大岡越前守、北町奉行諏訪美濃守も同席しての『徳川天一坊』に対する最終評議が下された。報告の内容は、紀州での山田惣右衛門、神山大門の調べ、及び、昨日の白洲での調書が読み上げられて、全員一致の評決で「天一坊は真の御烙印にあらず。」との結論に。また、如何なる経緯で一味が、これ程巧妙な陰謀が企てられたか?それを明らかにすべく、南北町奉行には、一味を生捕りにせよ!!と、将軍吉宗公及び松平伊豆守より下知が飛ぶ。両奉
前回の『桂川市兵衛』の噺は、丸々脱線秘話でして、せめて八代吉宗の秘話にして欲しいですよね、とは言えあと二話で、大団円なんですねぇ。その前に、二代目神田山陽先生のと、この本の大きな違いが、まず、知恵伊豆こと松平伊豆守と大岡越前との関係です。山陽先生のは、知恵伊豆が大岡越前に対して『町奉行の分際で!老人首座の私が、御烙印に間違いない!と、言うのに、なぜ、再吟味などと上様にご注進申し上げる!!』と、怒り狂い、吉宗に越前守の注進を取り継いだ用人伊勢守も、知恵伊豆の顔色を見て真意を伝えないので、越前
講釈は、時に脱線するものではありますが、『紀州調べ』で、いよいよ天一坊一味の悪事が暴かれようとしているのに。。。『隠密』と言うキーワードで、無茶苦茶噺が脱線します。徳川時代の隠密事情とは、どう言うモノだったのか?テレビ東京の『隠密同心』では、「死して死屍(しかばね)拾う者無し」と、その悲哀と探索の難しさを強調していました。将軍家の御庭番が、隠密として他国へ潜入する!何んて話は、柳生一族が御庭番の時代には、頻繁に有ったようで、『子連れ狼』は、正に隠密vs諸藩の戦いの物語でした。この本が扱って
山田惣右衛門は、感応院で「若君の位牌」を手に入れた翌日は、叔母の家から若松屋と高蓮寺を、四人で手分けをして訪問した。惣右衛門と猿の三次は若松屋を、そして神山左門と辰三の二人は、例の位牌を持参して高蓮寺を訪問する事にした。山田「お久しぶりです!山田ん所の、惣介です。若松屋の旦那、女将さんは御在宅でしょうか?」主人「惣右衛門さんの息子の惣介さんですか?お懐かしい。何年ぶりだろう?立派になられて。。。おい!婆さん、惣介さんが見えたぞ!」女将「惣介さん、本当に立派になられて。旗本屋敷に仕官されて
アさて、この本には関白九条家客分の山之内伊賀亮が登場しないので、神田派の『徳川天一坊』の「網代問答」に相当する部分を、大坂城代と赤川大膳との問答として、「飴色の網代の輿」に付いての簡単なやり取りで終わります。ここは、三代目伯山→二代目山陽と受け継がれた神田派の講釈で、是非、聴いて欲しい所ですよ。そう言えば、あの松之丞さんがいよいよ、六代神田伯山を襲名して真打になります。伯山と言えば三代目で、八丁荒らしの異名で、まず、『徳川天一坊』で蔵を立てて、『清水次郎長傳』で、熱海に別荘を持ったと言われる
大坂はいよいよ、豪商たちの青田買い!天一坊詣が始まり、鴻池善右衛門を筆頭に、米問屋の池田屋卯兵衛、口入屋座頭近江屋富五郎、そして堺の元締音羽屋惣右衛門といった面々が、奉加帳を作り千両単位の寄進がなされます。常楽院「大膳殿、狙い通りですなぁ。今日で既に、二万両程の寄進がありましたよ。」大膳「取り敢えず、雇い入れた家来に、十両程度渡してやりましょう。また、三千両を金主である住友様之助殿へも返しましょう。」感応院「江戸表へは、いつ出発でしょうか?」大膳「これよりは、幕府の沙汰に従うしかありませ
アさて大坂城代屋敷での一件から、十日が過ぎて大坂中が、『御烙印天一院御坊』の噂で持ちきりとなり、一目天一坊を見ようと、野次馬が更に増えて増えて、長町島屋前には、テキ屋が屋台を出すわ、市が立ち物売りが露店を出すわで、お祭の様な騒ぎになっていた。そんな島屋に、獣の皮のチャンチャンコを着た浪人風の五十を過ぎた、髭だらけの熊みたいな男がやって来た。男「六之助と喜三郎が居るのは、分かってるんだ!!箱根の親方が来たと、言え。」門番「誰だ!貴様は?!」男「だ・か・ら、ここに、水戸の浪人と鍋島の浪人が
享保六年三月一日、大坂城代土岐丹後守から、徳川天一坊に対して面会の申し込みがある。大坂両町奉行から警護の申し出が有ったにも関わらず、これを断り自前の行列で大坂城代屋敷を目指した。アさて、その行列はと見てやれば、大坂長町の島屋から城代屋敷までは丁度、一里あまりの距離があります。行列の先頭、葵の紋の唐櫃の中には御烙印を示す二品、『お墨付』と『備前長光の短刀』が入っていて、麻上下を付けた六人の警護侍がそれを守ります。続きまして、下に!下に!と槍と鉄砲が、十二人ずつ続き、その後ろに金紋葵の漆箱、次
日向守からの御烙印天一坊様現れる!の、報は直ぐに城代土岐丹後守へと伝えられて、『此れは天下の一大事!!』と、大坂は上を下への大騒ぎ!!蜂の巣を突っ突いたとはこの事。丹後守は早馬を飛ばして、事の次第を老中松平伊豆守へと報告した。報告を受けた知恵伊豆こと、松平伊豆守が困り果てた。『三代家光公にならば、水仕女の澤乃といい仲になりややを産ませたんですか?!』と、尋ねる事もできたが。。。八代様は、全く知らない人だから。。。困ったぞ!!DNA鑑定で、一発で白黒が分かる現代とは違い、このお墨付の真意を鑑
西町同心、藤井三十郎が島屋の隠居所に現れた事を、島屋旅館の方へと伝えに文右衛門が伺うと、玄関の門番に止められてしまう。どうにかこうにか、用人山村甚之助と面会ができて、西町奉行松平日向守の名代で、藤井三十郎と言う同心が来て、『徳川天一坊』なる者について、その素性を明らかにするよう沙汰が有った。速やかに日向守役宅へ出向いての申し開きの対応を願いたいと伝えると、甚之助は落ち着いた様子でこれを快諾し、文右衛門には、御烙印に間違いないから安心する様にと言い含める。これを聞いて安心した文右衛門は、直ぐ
明けて享保六年、松も取れて早くも二月半ば、十五日の朝。日本橋の長町は、黒山の人だかりになっておりました。従来、ここ長町は表通りは道頓堀へと続く道で、当時も道頓堀には芝居小屋が五座ありまして、大変な繁盛でした。更に裏町長町は、堺へと抜ける街道で紀州からの人や品物、そして熊野詣に参る人々で、それはそれは賑やかな所ではありますが、それにしても何事か?と言う人集りでした。徳川天一坊御旅館そんな大きな看板が、島屋の前に掲げられて、三方の塀には紅白の幕が張られて、正面玄関には葵の紋所の入った幕になっ
人生において願い事が、思惑通りに成就することは、かなり稀だと思いますが、それが善行ならばまだしも、悪事となりますと、なかなか天は許してくれない様です。アさて、悪党が描きます八代将軍吉宗の御烙印『徳川天一坊』を奉り上げたる陰謀は、直筆のお墨付と備前長光の短刀があるので、どう考えても九分九厘上手く行くはずだと思うからこそ、金主、住友様之助は三千両と言う大金をこの陰謀に出したのです。そしてその準備金を、越後村松の守門山から大坂へと運ぶ日がやって来ました。そして様之助は、手下の者之中から選りすぐり
三両貰った感応院は、質屋から正装の衣を受け出して久しぶりに袈裟を付けて、若松屋の藤井六之助を訪問した。一方、六之助は酒、肴を揃えて感応院をもてなし、だいぶん酒に酔って来た頃を見計らって、法澤を『徳川天一坊』として幕府に訴え出る話を切り出した。感応院「私も、おさん婆さんが生きていた時に、紀州家へ訴え出るつもりで居たんですよ。それを、女房のサワが反対して。。。あの女は、いやに硬い所がありまして、法澤も母親贔屓で、御烙印のフリをするのを嫌がりましてねぇ、結局、お墨付と短刀を持って家出されたんで、
藤井六之助と常楽院天忠は、法澤を八代将軍徳川吉宗公の御烙印である!と、名乗り出る為の段取りを打合せする中で、流石に、将軍家の後継ぎ候補として、名乗りを上げるのだから、準備金もそれなりに必要となる。五百両くらい迄の銭ならば、二人で用意できるのだが、実際に、最後は大名行列の態で江戸表に登場する事になるし、幕閣への根回しもそれなりに金子が必要となる。つまり、二千両、いや三千両と言う準備金が必要になると、二人は考えた。そこで、三千両の金子が用意できて、この御烙印の話に安心して乗って貰えるのは、村松
四人は江戸表に入ると、伝蔵と法澤の二人は下谷新寺町の青雲寺へと直行し、お兼と伝蔵の母親は馬喰町の旅籠「刈豆屋吉左衛門」に宿泊していた。母「だ・か・ら、私は嫌だよ!めくらのふりして騙すなんて!」伝蔵「違うって、騙すんじゃなくて、芝居なんだ。天忠様は、本物だから祈祷なさったら、群衆の中から、昔からの怪我や持病が治る人が必ず数人出るんだ。でも?万に一つ、出ないかも知れない。すると、天忠様が恥をかいてしまわれる。それは困るんだ、だから、そんな大切な役だから、お袋!!頼む、めくらの役を演じてくれ。」
三人は、守門山を出て村松から長岡へと向かった。長岡で一泊し、彌彦神社へもお詣りをした。その長岡から船で十六里。越後新潟へと出て佐渡見物へと向かいます。この本が発売の明治44年当時は、長岡ー新潟間は蒸気船が運行していて、20〜25銭という運賃で運行されていた。しかし、享保のこの頃は帆掛け船ですが、それでも120〜130人くらいの客を乗せる定期船で、この越後新潟と言う土地は、竜巻の名所として恐れてられていたそうです。三人が乗り合わせた船が、あと三、四里で新潟の港に入るという所に来て、船員と船頭
法澤、伝蔵、そしてお兼の三人は、やっと守門山へと到着し、田畑が広がり人家集落が三、四十もある村へと出た。早速村人に、「浪人頭、住友様之助殿の家は?」と、尋ねると、「冠木門の立派なお屋敷だ!あの高台に在る」と教えられる。そして、長屋と隣接したその大きな屋敷へ、三人は門を潜ると、すぐ門番に止められた。伝蔵「浪人頭の住友様之助様に御目通り願います。」門番「何方から参った?」伝蔵「私と妻は、美濃、長洞の常楽院天忠殿の使いで、書状をお持ちしました。」門番「そちらのご出家は?何方から参られた?」
平塚の立場に在る居酒屋で、江戸表は浅草でガキの頃からの知り合い、願人坊主の蜻蛉寸達と言う悪党を、伝蔵は見付ける。伝蔵「寸達!お前、何してやがる?!」寸達「お前と一緒だ、鯵の塩焼で一杯やってる処よ。お前さんは、旅姿だなぁ?江戸を売ったのかい?」伝蔵「子分がへまして、浅草に取方が来やがって。。。慌てて行田に逃げたんだがぁ、そこにも、色々あって居らんなくなってなぁ。こいつと二人して逃げてる最中ヨ。」寸達「そうかい、なら、金儲けを教えてやろうか?ご両人、二人して、狐にならねぇーかぁ?!」伝蔵「
行田を出た伝蔵は、大宮と川越の間に在る木賃宿に居た。ここで、お兼と落ち合う算段だったのだ。伝蔵が来て七日目、それはそれは酷い雨の日だった。宿の女中が伝蔵に声を掛けた。女中「お客さん!伝蔵さんっていいましたねぇ?」伝蔵「そうだがぁ?」女中「あんたに、お客さんだよ。女の人、えかく別嬪さんの。(笑)」伝蔵「そいつは女房だ!姐さん、部屋に上げてくれえ。」お兼が、豊田屋を逃げて伝蔵と合流したのだった。持ち逃げした三十両と嘉十の長ドスを持ってやって来たのだ。二人は、その日は木賃宿に泊まり、翌朝早
入墨者となった伝蔵は、寄場から帰ると仲間を売らなかってんで、スリ仲間から一目置かれる存在に。『伝蔵兄ぃ!』と呼ばれます。やがて、子分の数人を持つようになるんですが、十七、八までは巾着切りだった伝蔵。いい旦那衆にも太い関係ができ、今日も今日とて、若衆の四、五人を前に、悪事の道を語っております。伝蔵「いいかぁ?見るからに金持ちそうな旦那の財布、紙入れをスリ取ったなら、空かさずその旦那に『落としましたよ!!』って財布は返すんだ。何故か?分かるか?」子分A「拾ったって言えば、ありがとう!って礼が貰
既に、この本は三分の一を読み終わりましたが、山之内伊賀亮も、天中坊日真も登場しません。それなのに、伝蔵の生い立ちに二話十頁を割いております。と、言う事は、この伝蔵なる人物は、それなりにキーマンなんだろうかぁ。そうそう、前回の干物を伝蔵が掻っ払うエピソード!!圓朝作『双蝶々』の小雀長吉の、幼い頃に、くさやを盗むエピソードが、丸っ切り同じでしたね。悪い餓鬼は、だいたいやり口が同じなんですね。さて、捨子した伝右衛門と、された伝蔵のその後です。伝右衛門は、流石に翌朝、茶店に置き去りにした我が子が気