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GWは今年も掛川へそしてお出かけ(妹甥っ子と)メインは豊川稲荷参拝(三大稲荷の一つ)甥っ子の車でレッツゴー前夜は雨風が激しくガタガタとドアが揺れる音で何度も目を覚ました明けて→☁☁曇り空だが西に向かうから大丈夫晴れて来るはずコースもランチ処も甥っ子に任せっぱなし「ぼちぼち〜」と言われて着いた所がエ〜ッ「お城じゃん」と妹と喜び合う🎉「ねえ何ちゅう城?」となる→正解は吉田城正確には吉田城鉄櫓(くろがねやぐら)この階段がち
三井アウトレットモール岡崎でランチとお買い物をした後はこの日の本来の目的地に行きます。岡崎市東公園内にあるこの洋館は、徳川家康に仕え徳川四天王の1人である本多忠勝どうする家康では山田裕貴さんが演じてます。の末裔である本多忠次氏が昭和初期に東京都世田谷区に建てた洋館をそのルーツである岡崎市に移築復元したものです🏠旧本多忠次邸|岡崎市ホームページ愛知県岡崎市公式サイトwww.city.okazaki.lg.jp東公園の駐車場も無料だし入館も無料なのです立春も過ぎてお雛様の季節になり
こんばんは。今日は金曜日、今週は、なんだか時間経過を早く感じる1週間でした。さて、話は前回からの続きになります。箱柳城跡から車で20分くらいでしたかね、到着したのは井田城址です。住宅街であり、主要国道(R248)近くで、歓楽街もある場所になります。岡崎城と徳川、松平家の菩提寺の大樹寺との直線で結ぶ中間点みたいな位置に存在します。すでに遺構などはありませんが、かつての城址に想いを馳せました。道路1本挟んだ隣接する井田公園では、ボール遊びなどに夢中になる子供たちの声が響き渡っていました
大東流合気柔術練心館https://daitoryuaiki.web.fc2.com/HMD飛翔塾元和道場https://hishoujyuku.wordpress.com/村松整骨院http://muramatsu-seikotsuin.com/Sundaylifecoffeehttps://www.instagram.com/sunday_life_coffee/拳槙流空手道拳槙会http://kenshinryu-karatedo.wixsit
おはようございますこんばんは~今日の記事は昨日の続きで彦根城の玄宮園です彦根城の天守閣のある本丸から西の丸へ抜けましたこちらから見るのもいいですねこの西の丸から林の中の路を下に降りると「玄宮園」があります彦根城に来たのなら此処「玄宮園」に寄らない手はないですよ謂れは忘れましたけど広い庭園です彦根城を背景にここからが絶景かな?庭園内を巡って行きましょう茶室がありましたね\500也~ちょっと入ってみたかったですが茶道の心得ないので遠慮しました茶室の畳
見つけた時が買い時と、Amazonで読みたかった本を6冊注文。うち5冊が本多平八郎忠勝(写真は桑名にある銅像)の関連本。以前は戦国武将なんて全く興味がなかったのに、今ではすっかり忠勝ファンで、昨年は桑名にお墓参りにまで行ったほど。時代を超え、真っ直ぐで強い人に魅力を感じるのかなと。
今年から始めた日本100名城めぐり6城目のお城は、国宝彦根城です【日本100名城めぐり】2025年4月5日NO,30高遠城長野県2025年4月5日NO,29松本城長野県2025年4月6日NO.27上田城長野県2025年4月6日NO,28小諸城長野県2025年6月8日NO,54大阪城大阪府2025年8月28日NO,50彦根城滋賀県◆彦根城の概要・日本の名城として名高い彦根城は、江戸時代には井伊家の居城でした・琵琶湖のほとりに築かれた平山
6月26日、沼田城訪問の後は高崎へ。宿へチェックインの後、駅の西方向にある高崎城へ。遺構は少ししか残っておらず、主なスポットは図の通り。メインの遺構は中央の太い赤線部分の櫓跡。切岸や出枡跡などの形状は、現在の地形にも残っています。昔の図ではこんな城。駅の西、東西500m、南北1kmほどに広がっていた結構大きな城。右下の出枡跡は特徴的。1590年の小田原攻めの後、家臣団と共に徳川家康が関東に移封される。徳川四天王の井伊直政は最初箕輪城に入城。その後、より地域を
今回かは、時系列の記事です🙇♀️浄土寺にあります、本多忠勝の墓参りです。本多忠勝徳川家康に仕えた武将。松平氏発祥のころからの譜代の家柄で、三河の生まれ。代々平八郎を通称。父忠高(ただたか)は織田信広を安城城に攻めて討ち死に。ときに忠勝は2歳。13歳のとき1560年(永禄3)松平元康の尾張大高城への兵粮搬入に従ったのを初陣として、以後57回の戦いに参加しながら一度も手傷を受けなかったが、その勇猛ぶりは、72年(元亀3)武田信玄との合戦のあとで「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に
稲沢2日目は、夫の応援には行かない予定。夫は、神奈川の監督も兼ねているから、早朝から出かけて行ったが、私はのんびり。で、9時頃ホテルを出て、電車で、岡崎へ。岡崎と言えば、徳川家康公だよね~。以前から行きたかった岡崎城。去年は、彦根城。その前は、犬山城と岐阜城。名古屋城も行ったね。15年位前に、岡崎に来た事があったが、都合が合わず行けなかったので、稲沢に来た時に行きたいってずっと思っていた
井伊谷宮さんから歩いてですね直ぐ隣の龍潭寺さんにそのまま来ましていや〜っこちらも初めてお伺いさせていただきましたがこちらも良い所ですね〜っ!!!改めて何でこの近くで仕事してたのに何で当時こなかったのかなぁ…まぁ良く言えば若かったんだよなまぁ良く言えばですけどね…あれっ?そう言えば最近のこっちのアメブロの方は最早、寺社仏閣巡りの記事ばっかりになっちゃてるな😀まぁ良いじゃんね!あの2011年から2013年の頃は今みたいな余裕なんて全くなかったんだしいつか状況は好転するって思い込んで
2025/3/29井伊の赤鬼井伊直政彦根の騎馬像徳川四天王のひとりであり、家康公の天下取りを支えた男、井伊直政(幼名虎松)は、永禄4年2月9日、井伊の庄祝田(ほうだ)で井伊家の嫡男として生まれた。父直親が2歳の時に今川氏真に謀殺され、虎松も命を狙われたが、次郎法師(直虎)の叔父である新野親矩の嘆願により助命された。母(三河国鳳来寺)の再嫁先の松下清景屋敷(浜松市南区頭陀寺)などで幼少期を過ごした後、15歳で徳川家に出仕。徳川家康の小姓となり、旧領地である井伊谷の領有を認められ
ここは山形県鶴岡市にある鶴ヶ岡城跡の鶴岡公園。荘内神社は本丸跡に建っています。お濠に囲まれている境内はやはり城址に建っていた上杉神社とよく似ています。道路に面した鳥居から社殿へ参道がまっすぐ続いていました。こちらは一ノ鳥居になるのかな。二の鳥居?鳥居から見た印象は素朴でのどかな雰囲気でした。立派な手水舎。新しめな狛犬さんたち。狛ちゃんたち、なんとなく、私には興味なさげでした😅参道のほうをじっと見つめる狛ち
今回、希望してない休みが4連休になり旅に出ました。朝6時から観光今回、一眼レフ持参でしたので写真がスマホで撮ったものしかないです。椿大神社徳川四天王の本多忠勝像本多忠勝墓所徳川十六神将の平岩親吉墓所尾張徳川家藩主徳川宗春墓所時間があるので、名古屋飯堪能中です。
本田忠次郎邸見学登録文化財徳川四天王の始祖昭和7年世田谷に建てた住宅と壁泉を岡崎に移築復元したものステンドグラスが沢山使ってあり照明は壁に埋め込まれているまだいっぱい使われているけどとりあえずここまでお風呂がすごい広くここまでやるか・・・大きい出窓には観葉植物部屋女中室もあるしこの部屋は応接間に隙間が空いてると
周辺を探索していると、このような表示を見つけましたこの辺りは「房総の小江戸」と呼ばれているそうです。遠くに城がありますよね。大多喜城です。この城は徳川四天王のひとり、本多忠勝によって築かれたそうです。時間に余裕があったので、せっかくだから行ってみようかと思ったのですが、宿泊先のスタッフから「今は改装工事中で天守閣に行けない」と言われたので諦めました。というわけで、今回も観光はせずに、部屋に引きこもって執筆していました。ちなみに、これが
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
天下の道にスライムがあらわれた!天下の道は、愛知県岡崎市にある正式名「中央緑道」という2021年3月に整備された散歩道なんだ籠田公園と桜城橋を結ぶ約600mの緑道だよ。綺麗に整備されていて歩きやすいんだ道であり、広場でもある空間「みちひろば」がコンセプトらしいんだけど、「緑道」「天下の道」って・・・もう「道」って言っちゃってるじゃん家康公を支えた徳川四天王(本多忠勝、酒井忠次、榊原康政、井伊直政)の像が立ち並んでいることから、天下の道とも呼ば
私が本当に好きな女性作家は、世界広しと言えども2、3人しかいない。その一人が茅田砂胡(かやたすなこ)で、英国のジェイン・オースティンと堂々肩を並べている。ジャンルはファンタジーとSFを混ぜたような感じ。主人公はだいたい女性なのだが、全員がおよそ女性らしくない、女性を売りにしていない男らしい(?)女性。皆、さばさばして実に気持ちがいい人物ばかり。ほとんどの作品がシリーズ物なのだが、それぞれがまた繋がっているという複雑さ。しかも基本の舞台は大宇宙という壮大な世界で、前述の通りファンタジーとしても
さて姫路薔薇園を後にし、増位山へは北側のそうめん滝コースから登ります。しばらくは交通量の多い国道を南下しますが結構遠いんです(播但線砥堀駅のすぐ北西側の谷筋です)途中歩道橋を渡り、狭い踏切を渡って細い道を入って行きます。すると家が無くなったあたりから渓流沿いの道となりますこの辺は姫路城の石切場跡で大きな石がゴロゴロそうめん滝への遊歩道もあり、紅葉も綺麗な所です糸滝?この辺の滝の総称がそうめん滝といいます。少し先に増位山への登山口近畿自然歩道があります北側斜面は日が届かないので暗くて
戦国時代、数々の武将が名を馳せる中でも「井伊の赤鬼」として恐れられた人物をご存じですか?そう、彼の名は井伊直政。徳川家康の四天王の一人で、関ヶ原の戦いで先陣を切って敵陣に突撃した勇猛な武将です。あなたは、戦場で赤い甲冑に身を包み、長槍を振るって敵を圧倒する直政の姿を想像したことがありますか?彼が率いた「赤備え」部隊は、全身赤に統一された鎧を着用し、戦場で一際目立つ存在として恐れられました。馬具まで赤く染められた彼らの姿は、まさに「赤鬼」と呼ばれるにふさわしい威圧感だったと言
「義に背けば勝っても勝ちではなく、義を貫けば負けても負けではない」江戸時代初期の大名井伊直孝の名言である。徳川四天王の1人、井伊直政の子で、徳川氏の譜代大名筆頭となった井伊家の礎を築いた人物である。井伊家は35万石を有する大大名となったが領地は京都に接する彦根であり、西国大名に対するにらみを利かせていた。井伊直孝は大老に就任し、名実ともに、江戸時代初期において徳川幕府の盤石な態勢を築いた。さて、冒頭の言葉に戻りたい。義を大切にする、その強い意志
本日も妄想にお付き合いください。真雅さん「聖宝。女性は強いな。」聖宝さん「急になんですか?オリンピックの話ですか?」真雅さん「いや、川崎麻世さんとカイヤさんを見てるとつい、、。」聖宝さん「また俗な話ですな。しかも古いわ。わしはまた天皇の系統を守った持統天皇の話か、このわし理源大師を生み出したおかんのことかと思いましたがな。」真雅さん「なんのこっちゃ。ほなけど実の子供でもないのに守り育てた尼さんはおるな。」聖宝さん「えっ?小泉今日子ですか?お師
天海(280)「関原の戦終て後、近江の草津にて、大御所思召旨やありけん。しばらく御父子御対面なかりしに、康政深夜に独り大御所の御陣に参り諫進めらせしに、御心とけて速に御対面おはしければ、御所の御悦ななめならず。御みづから御筆をそめられ、康政が此度の忠志、当家あらん限りは、子々孫々に至る迄も忘るる事あるまじきとあそばせれけるとぞ聞こえける。」(「台徳院殿御實紀」)家康は、関ケ原の戦いに遅参した秀忠に激怒し、草津まで来ても会おうとはしなかった。若い秀忠は追い詰められ、絶
天海(279)「慶長十一年五月、また榊原式部大輔康政居城上州舘林にて腫物なやむよし聞こえければ、江戸より酒井右兵衛大夫忠世、土井大炊頭利勝をつかはされ看侍せしめたまひ。また醫院延壽院玄朔、道三親清父子その外内外科どもをして治療せしめられ、其上井上半九郎正就、朝倉藤十郎宣正、高木九兵衛正勝、大久保与一郎忠益、神尾五兵衛守世、弓削多源七郎昌吉等、日夜奔走してその病をとはしめられる。大御所よりも村瀬茂助直吉を御使してとはせらる。」(「台徳院殿御實紀」)榊原氏は三河仁木一族
ご来訪ありがとうございます✨正しく認めてもらえる世が世なら…また戦争の結果は少しは違ったかも…東條英機は…多くの芽を摘み取りました…https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08160613/「徳川四天王」を先祖に持つ「超エリート将軍」は、なぜ東條英機打倒に奔走したか|デイリー新潮徳川四天王(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政)の酒井家の末裔(まつえい)にして、恩賜の銀時計と軍刀を二つながらに備える陸軍の「超エリート」。…www.da
徳川四天王榊原康政の系譜上越市立歴史博物館で開催中
こんにちは。世の中、というかわが街・名古屋では「お盆」の中日ですが、皆さま如何お過ごしでしょうか?私については、今週も通常通り「月~金」でフツーにお仕事させて頂いております。とは言え、週末は我慢できずに近所をウロウロしてますし、この夏は自ら「夏の課題」として以下のものに取り組みました。東岡崎駅の徳川家康さん像の近くにできた「四神像」のパトロールアフターどうする~の「三河武士のやかた」の現状調査細井平洲さんめぐりで行きそびれた太田川駅の「嚶鳴広場」の確認長久手古戦場公園のモニュメ
徳川家康生誕地の岡崎城(日本100名城)最寄り駅のひとつである、名鉄東岡崎駅前に徳川家康騎馬武者像があります。今回、そこに4つの銅像が建立されました。これは三河武士団の「忍耐・知恵・勇気・信頼」の4つの心構えを象徴したものです。これはこれで素晴らしいと思うのですが、個人的な感想をいうと岡崎市の想いとこれらの像は趣旨がズレていると思うのです。その動画がこちら(45秒)岡崎市はこの像の完成にちなみ、徳川家康ゆかりの地の知名度向上につながることに期待を寄せていますとのことですが、こ