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2024年4月7日(日)。天気晴れ。一気に上着が要らない陽気になりました。京王線「千歳烏山駅」から京王バス「歳23千歳船橋駅行き」で、「芦花恒春園」バス停まで。バス停近くにある「粕谷村地蔵尊」。大きな欅並木が見えてきました。「蘆花恒春園」が近づいてきます。「蘆花恒春園」の入口。3年ぶりの訪問になります。「恒春園」は、蘆花の命名によります。「蘆花恒春園」の中の竹林。ここには、小説家・徳冨蘆花が、1907(明治40)年から暮らした家がそのまま残されています。元は「近隣の大工の妾の家」だそ
学生時代は、右翼の学生だった。日学同の集会に参加をした。大東亜戦争肯定論の林房雄の本や、生長の家の谷口雅春総裁の復元憲法改正論、三島由紀夫の反革命宣言、文化防衛論を読んだ。徳富蘇峰の近世日本国民史を全巻購入。学生時代は、右翼の学生だった。日学同の集会に参加をした。大東亜戦争肯定論の林房雄の本や、生長の家の谷口雅春総裁の復元憲法改正論、三島由紀夫の反革命宣言、文化防衛論を読んだ。徳富蘇峰の近世日本国民史を全巻購入。さらに、財務省のパペット、メディアに媚び、ワイドショーに左右されている。即刻
菊池公園の慰霊廟ですどうやら西南戦争の官軍だけのもののようです田原坂では薩軍の墓はひとまとめにつくられてます慰霊の碑、忠魂碑、殉国の碑、どうして三重なん?一番見晴らしのいいとこですね近くには花見の宴がスタンバイです徳富蘆花の文学碑もあります妻の愛子さんが隈府なんですね愛子さんの遺髪碑もあります内助の功が大きかったんですね遊具に子供が来てますね春休みなんだ終末は大賑わいですね西洋タンポポも花盛りです
セカイの図書館けんゆうしゃ硯友社、読みはさっき知りました。明治の文学結社として、何度も活字ではみたことあります。その資料を展示する硯友社文庫が2023年末に九段下に開館しました。内覧会徳富蘇峰関連資料もある予感がします。土曜(のみ)開館というのも行きやすく。成簣堂文庫は明日
下記の商品は本日入荷したホンの一部です。『三島由紀夫の総合研究(三島由紀夫研究会メルマガ会報)』合本第4、9〜11、16〜21、23、26〜33、36、38、40〜46号の計28冊一括平成19年~令和元年、三島由紀夫研究会編集、刊売価10,000円『増補正訓日本書紀通釈(索引共全6巻)』(飯田武郷)昭和17年、畝傍書房刊売価13,200円『聖徳太子全集(既刊全4冊揃)』(聖徳太子奉讃会監修)昭和17~19年、龍吟社刊売価12,000円
セカイの図書館塩原温泉には、徳富蘇峰が訪れています。塩原は文学の里(画像はHPから)塩原図書館
川根本町を旅するpart32~日本平に富士見に行く2~本編の前に我が家のプチネタ。今日のお題は「ももた、年越しの散髪をする2」。ということで、前回お約束の前からのショットをお届け。冬なんで多少長めにはなってるハズですが、全体にシュッとしております。久方ぶりに耳もピンと立って、なかなかのりりしさ。愛犬びいき全開っ!!!!僕のモデル料、高いですよぉちゃんちゃん。旅行3日目、午後3時過ぎ。日本平夢テラス前の
蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.197。難問でしたねぇ😅。いつものように皆さん正解とはなりませんでした🥺。それでは正解と画像解説です。元田中にある田中神社出題した画像の表にまわります田中神社境内には徳富蘇峰勉學之處の石碑があります。正解は、徳富蘇峰でした。評論家・徳富蘇峰(1863〜1957)は肥後国(現在の熊本県)の豪農・徳富一敬の五子(長男)として生まれ、熊本洋学校に学び、明治九年、同志社英学校に入学。新島襄旧邸
みんなの回答を見る2023年の『大河ドラマ「どうする家康」-NHK』を楽しむにあたって読んだのが、司馬遼太郎の歴史小説などの種本といわれる徳富蘇峰による『近世日本国民史』の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康を読むことにしたのが、1年前くらいのことでした。『大河ドラマ「どうする家康」-NHK』では、この本が種本になっている感じはしませんでしたが、今、司馬遼太郎先生の戦国時代の作品を読んでいると、確かに種本となっているなと感じることがありました。
「多忙とは怠け者の遁辞(言い逃れの言葉)である。今日なすべきことを今日しなかったら、明日は必ず多忙である」(徳富蘇峰)先送りすれば数珠つなぎで先送りになる。いつまで経っても忙しいまま。優先順位をつけ、やるべきことはさっさとやってしまう。心を亡くすと書いて「忙しい」これが一番マズイ
アッ、さ~て・・・それでは~私目が今読んでいる本~1)何処へ(石坂洋次郎)2)後鳥羽伝説殺人事件(内田康夫)3)徳富蘇峰終戦後日記「頑蘇夢物語」(講談社文庫)4)徳富蘇峰終戦後日記Ⅱ「頑蘇夢物語」続編(講談社単行本)5)なしくずしの死(セリーヌ)フランスⅣ集英社ギャラリー[世界の文学]96)マンデルバウム・ゲイト(スパーク)イギリスⅣ集英社ギャラリー[世界の文学]57)新潮日本古典集成今昔物語集本朝世俗部四8)日本古典文学全集今昔物語集三(小学館)9)日本古典文学大系
11月3日(金)蘇峰公園(大田区山王)奥さんが「マックのオレオクッキーチョコレートフラッペを食べたい」と言うので、池上のマックに。マックのドリンクが@490とは、スタバ並みになってきた感あり。で、その後、チャリで山王の「蘇峰公園」に。ここは、紅葉が綺麗だと思う(当然、まだ緑)。蘇峰公園までは、家からチャリで30分ほど(軽めの運動)。🔴マック池上駅前店(大田区池上)オレオクッキーチョコフラッペ@490。蘇峰公園(大田区山王)徳富蘇峰の居宅跡(山王草堂)
日本平吟望台(ぎんぼうだい)に到着しました。夕日が柵の格子を照らし出して綺麗です。家内に言われて、夕日と石柱の写真を撮りました。昭和5年、日本平観光の発展を図る日本平登山道路整備に着手した清水市(現静岡市清水区)が徳富蘇峰さんに委嘱して展望に優れた場所を4ヶ所を選択、それぞれ望岳台、超然台、鐘秀台、吟望台と命名され、昭和10年に石碑が建立されたそうです。そのなかで、駿河湾、伊豆半島、富士山を一望できる絶景ポイントが、ここ吟望台との事でした。
日本平吟望台(ぎんぼうだい)に到着しました。昭和5年、日本平観光の発展を図る日本平登山道路整備に着手した清水市(現静岡市清水区)が徳富蘇峰さんに委嘱して展望に優れた場所を4ヶ所を選択、それぞれ望岳台、超然台、鐘秀台、吟望台と命名され、昭和10年に石碑が建立されたそうです。そのなかで、駿河湾、伊豆半島、富士山を一望できる絶景ポイントが、ここ吟望台との事でした。
このところ読むのが止まっている本を、読むのを再開しようと思います。その本は、マコーリーの『イギリス史』の英語版の原本、全五巻、25章構成で、一巻あたり500ページで、全部で2500ページほどある本です。この本は、第一巻と第二巻のいわゆる第一部の10章でいわゆるイギリスの1688年の名誉革命でいきさつをイングランド中心の視点で描き、第三巻と第四巻のいわゆる第二部の12章でアイルランド及びスコットランドでの革命の展開とヨーロッパ大陸での英仏の抗争の顛末を描き、残る第5巻の第三部の5章で
アッ、さ~て・・・それでは、私目が近頃読了した本~1)李登輝・いま本当に伝えたいこと(早川友久)2)トラベルミステリー十津川警部捜査行「阿蘇・やまなみ殺意の車窓」西村京太郎~~~読書中の本~1)若い川の流れ(石坂洋次郎)2)禅語百選(松原泰道)一言一言が勉強になります。3)新版・台湾の主張(李登輝・PHP文庫)4)徳富蘇峰(米原謙)日本ナショナリズムの軌跡5)徳富蘇峰終戦後日記「頑蘇夢物語」(本人)6)終戦後日記Ⅱ「頑蘇夢物語」続編(徳富蘇峰)混沌の中から日本再編を、大言論人の
下記の商品は本日入荷したホンの一部です。『近世日本国民史西南の役』(講談社学術文庫全7冊揃)徳富蘇峰著平泉澄校訂昭和55年、講談社刊売価3,000円『近世日本国民史明治維新と江戸幕府』(講談社学術文庫全4冊揃)徳富蘇峰著平泉澄校訂昭和54年、講談社刊売価1,320円『近世日本国民史織田信長』(講談社学術文庫全3冊)徳富蘇峰著平泉澄校訂昭和55~56年、講談社刊売価1,300円上記の商品はインターネット古書検索サイト「日本の古本屋
7月13日蘆花恒春園に行きましたこの公園は徳富蘆花のすまいと庭、それに蘆花夫妻の墓地を中心とした旧邸宅部分その周辺の土地を東京都が買収して公園にしたものです京王線「八幡山」「蘆花公園」「千歳烏山」駅から徒歩15分3万坪近い広さえらく金持ちだったんだなあ何をしてた人だろう調べてみると明治・大正期の文豪でしたあの時代テレビなんてないし、文豪はアイドルみたいだったのかなそれにあの時代、このあたりは粕谷村といって農村地帯だったから土地も二束三文だったか
「徳富蘇峰」読了。世界が見えていた人だったようだ。しかし、太平洋戦争中の戦争賛歌、賛辞、高揚、発揚などの行為は、人が変わったかのようでもある。終戦の詔勅は、敗戦であることを理解できず前日には赤飯を炊かせたとのこと。世界が見えていたはずではなかったか。A級戦犯とされながらも、老師のように扱われたらしい。今日では、多くの人がこの名前を知ることはないのではないか。戦中には既に80歳。私はこの人の書物を読んだことはないが、やはり古めかしく感じるだろう。先日、中曽根元総理の「私の履歴書」を読み、その中に
熱海の老舗旅館古屋旅館は、徳富蘇峰の常宿で当然そこでも本を読んでいました。その本を読むスペースを現代風に解釈してできたのがSecondLobby書ヲ読ム旅人です。残念ながら、星野リゾートリゾナーレ熱海のブックスカフェと同じく宿泊者専用ですが、魅力は十分。ここも行かねばならないところです。完全ネット予約などDXをすすめた記事もあります。
今日、5月31日は大正から昭和前期に活躍した俳人の嶋田青峰(しまだせいほう)の1944年(昭和19年)の忌日である青峰忌。嶋田青峰は、1882年(明治15年)、現在の三重県志摩市の生まれています。1908年(明治41年)には、熊本出身の徳富蘇峰が創刊した国民新聞社に入社し、高濱虚子の部下となり、虚子退職後は、国民文学部長として文芸欄を担当する一方で、1911年(明治44)から俳誌『ホトトギス』の編集を担当し、1922年(大正11)には篠原温亭と俳誌『土上(どじょう)』を創刊しています。
蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.169の答えです。そんなに有名かな😵💫孔雀この画像で正解された方が何人かおられましたよ😊。それでは正解です田中神社難問の部類かなと思っていたら、多くの解答が寄せられ、皆さん正解でした😊。社号標京都市駒札読めないから、こちらでどうだ😄。由緒呼んでね😆最初使おうとした画像奉納提灯で分かってしまうかな〜と思って却下😵💫この画像だけだったら、超難問だったかな🤔徳富蘇峰の石碑別の問題で使うこと
熊本市中央区大江に所在する県指定史跡の大江義塾跡及び市指定有形文化財の徳富旧邸です。熊本市HPによると、ここは、明治・大正・昭和にかけての大ジャーナリスト徳富蘇峰と、明治・大正の文豪徳富蘆花が、その父一敬とともに住んでいたところです。明治3年の熊本藩の改革の際、一敬は民政局大属に任命されて熊本に住むことになり、元田永孚の斡旋でこの家を手に入れました。同5年の明治天皇行幸のあとで、新町行在所跡の離れの払下げを受け、主屋に中二階とともに継足し、離れを一敬の父美信の隠居部屋にしました。
明治〜昭和の近代を代表する日本のジャーナリスト・徳富蘇峰の旧宅があった場所に1988年に開かれた公園。お隣の区にある蘇峰公園。以前、この近くのマンションに住んでいた。その頃は、子どもを連れてよく散歩に出かけていた。久しぶりに寄ってみた。階段の上に覆い被さるように、みごとな青紅葉。ここも秋なると真っ赤になるのだろうか。上は庭園になっている。新緑が綺麗。すれ違った二組の方は、お二人ともまだ歩けない小さい子を抱っこして散歩していた。遊具があるわけじゃ無いので、子ども
らんめるお散歩で、よく通る道から見上げると小高い山があります。いけるんだろうか❓柵が見えるから行けるでしょで息子がいる時に一緒に行ってもらいました笑ビックリ‼️誰かのみかん畑の中じゃない⁉️人ひとり歩けるくらいの、細ーい細ーいガタゴトの道急勾配で転がるかと思ったよわかりますか❓この細ーい道らしきもの。蜜柑🍊をクンクンするらんちゃんめるちゃんもクンクン大好きな香りだね。「甘夏」か「清美」だね。もちろん、らんめる抱っこです。本当に危ないから登り切ると。。。
前記事の続きです勝海舟記念館で勝海舟の生涯を学習した後は、記念館の裏手にある勝海舟夫妻の墓へ勝海舟は、明治32年1月19日死去五輪の形式は、海舟が生前に図案化して指示したモノ『海舟』の文字だけを水輪に刻ませています(写真右側)文字は、徳川慶喜の筆だそうです左の石塔は、海舟の妻・たみ(民子)の墓たみサンは遺言で「勝のそばに埋めて下さるなわたしは小鹿(長男)のそばがいい」と言い残したものの、養子・精くわし(徳川慶喜の
2020年3月下旬のさいたま市大宮区の大成町界隈の散策の続き。「普門院」の続き。普門院(その1)のレポ『普門院(その1)~埼玉県さいたま市の寺院・史跡』2020年3月下旬のさいたま市大宮区の大成町界隈の散策の続き。鉄道博物館駅から、「大山御嶽山道標(安政7年銘)」を見学し、「レールウェイガーデンプロムナード…ameblo.jp墓地を進むと、柵の置かれているお墓が見えて来ます。こちらは、「小栗忠政一族の墓」。大宮市指定史跡。「大成領主小
「壇ノ浦の戦い」に平家が敗れ、ときの安徳帝は僅か8歳で崩御されました。そして、赤間関の「阿弥陀寺」に奉葬されました。建久2年に、ときの朝廷は、御陵の上に「御影堂」を建てています。明治維新後、廃仏毀釈に際し、勅願寺である阿弥陀寺を廃し「天皇社」を成し、明治8年には、「赤間宮」を「官幣中社」としています。昭和15年に「赤間神宮」と改称しましたが、その後、空襲被害を受けました。「水天門」です。二位尼(清盛夫人)が詠んだ辞世の句「今ぞ知るみもすそ川の御流れ波の下にも都あり
こんにちは都営地下鉄浅草線終点西馬込駅から徒歩8分昨年に続き今年も池上梅園を訪れました早咲きが終わりかけでしたが、遅咲きは見頃でした花香実梅園を出て次に向かいます蘇峰公園に来ました蘇峰公園は徳富蘇峰の旧邸宅敷地を大田区が譲り受け整備して1986年公園としてオープンしました邸宅は一部が山王草堂記念館として残されています蛇窪神社(上神明天祖神社