ブログ記事83件
2024年4月7日(日)。天気晴れ。一気に上着が要らない陽気になりました。京王線「千歳烏山駅」から京王バス「歳23千歳船橋駅行き」で、「芦花恒春園」バス停まで。バス停近くにある「粕谷村地蔵尊」。大きな欅並木が見えてきました。「蘆花恒春園」が近づいてきます。「蘆花恒春園」の入口。3年ぶりの訪問になります。「恒春園」は、蘆花の命名によります。「蘆花恒春園」の中の竹林。ここには、小説家・徳冨蘆花が、1907(明治40)年から暮らした家がそのまま残されています。元は「近隣の大工の妾の家」だそ
やっと桜が見ごろということで、今年はお花見に行ってみました。近場だと花粉が多いので、少し都心寄りの場所を探して、京王線沿いで行きやすい、蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)という公園に行くことに。芦花(ろか)公園という駅は京王線ユーザーにはおなじみですが、実際にその公園に行ったことがなかった。芦花公園駅、初めて降りたかも。大きめの通りから少し中に入るととても静かな世田谷区の高級住宅街。見るからに古そうなマンションとか。道行く人がみなお金持ちに見えてくる(笑)徒歩15分ほどで公園に到着。
愛することができる人は幸せだ。[ヘルマン・ヘッセ(ドイツの作家)]ああ、愛されぬことは不幸なり、愛することの出来ぬは猶更(なおさら)なり。(語注:・なり=である。)[徳富蘆花(作家)]人間は、愛そうとすることによって成長していく。[加藤諦三(著述家)]確実に幸福な人となるただ一つの道は、人を愛することだ。[トルストイ(ロシアの文豪)]※いろんな対象を愛していけることが、幸せに生きていくことのポイントなのだろう。[追記更新:24/02/18]※※今回のぶんと内容
芦花祭りに行ってきましたすごく大賑わいクゥドコションさんのソーセージ美味しいトルネードに切ると早く焼ける食べやすいカリッと焼ける良いこと尽くめシェフからは学ぶことが多い行って良かったですね!
徳富蘆花旧宅を見学させて頂いた後は、公園内を散策しました。蘆花恒春園や芦花公園で調べると、昔の武蔵野の面影を色濃く残している…みたいな紹介をよく見ますが、本当に木が多く、緩やかな坂などもそのままになっている感じでした。旧宅の門を出て東に進むとクヌギの木に囲まれた夫妻の墓所があります。蘆花は昭和2年(1927年)9月18日に、療養で訪れていた群馬県の伊香保温泉で、愛子夫人は昭和22年(1947年)2月20日に、同じく療養先の熱海で亡くなったそうです。
江口寿史展ノット・コンプリーテッドを見た後、少し南に足を延ばして、蘆花恒春園へ行きました。一般的に芦花公園と言われているのはこちらです。公園の北側に位置している正門から見ると、緑豊かな園内が見えます。庭園を思わせるような入口です。園内にはいってすぐの場所に徳富蘆花旧宅という石碑がありました。この公園は「不如帰」などを書いた明治・大正期の文豪・徳富蘆花が、明治40年(1907年)から亡くなる昭和2年(1927年)まで住んだ旧宅が、そのまま都立公園になっ
【敬老の日】(9月第3月曜日)国民の祝日。「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」と祝日法に記載されている。1951年(昭和26年)につくられた「としよりの日」が1966年(昭和41年)に「敬老の日」となった。2002年までは毎年9月15日だったが、祝日法改正によって2003年からは9月の第3月曜日となった。【かいわれ大根の日】1986年(昭和61年)に日本かいわれ協会が、かいわれ大根の良さをアピールしようと設けた日。9月18日としたのは、9月はその会合を開いた時で、1
日本初の公立植物園、京都府立植物園(約24ha)での朝顔展。いきなり、これは「ヤマガラ君」⁉植物園ですが、鳥撮りさんも多いです。いつもより早起きして見たかった「変化朝顔」とは。花だけでなく、葉の色、形も楽しませてくれました。お昼前には、母校の礼拝堂で友と待ち合わせ。国の重要文化財でもある礼拝堂は母校の精神、シンボル。徳富蘆花が在学時代を題材にした小説「黒い眼と茶色の目」では「五色の光線」が降る、と形容したステンドグラスは今も美しいです。軽く
7月13日蘆花恒春園に行きましたこの公園は徳富蘆花のすまいと庭、それに蘆花夫妻の墓地を中心とした旧邸宅部分その周辺の土地を東京都が買収して公園にしたものです京王線「八幡山」「蘆花公園」「千歳烏山」駅から徒歩15分3万坪近い広さえらく金持ちだったんだなあ何をしてた人だろう調べてみると明治・大正期の文豪でしたあの時代テレビなんてないし、文豪はアイドルみたいだったのかなそれにあの時代、このあたりは粕谷村といって農村地帯だったから土地も二束三文だったか
こんな記事を見付けました。ホントなの!?「用賀」の由来は「ヨガ」説住民も知らずしかし不思議な引力が?|乗りものニュース「用賀」の地名の由来は「ヨガ」だという説、本当なのでしょうか。「用賀でヨガ」そこに妙な引力を感じなくもありません。share.smartnews.com由来はともかく、音が通じているのは何かしら関係があると音霊的には考えます世田谷区には用賀だけではなく、インドに関わりの深い音霊のある地名が他にもあるんですそれが、芦花公園。徳冨蘆花先生のお名前が由来の
徳富蘆花は『みみずのたわごと』の中で移ろいゆく、つゆ草について語っています。・・・・・つゆ草は小さな小さな碧色の蝶のただ、かりそめに草にとまったかと思われる。寿命も短くて本当に露の間である。しかも、金粉を浮かべた花ずいの黄色に触発して惜しげもなく咲き出た花の透き通るような鮮やかな純碧色は比ぶべきものがないかと思うまでに美しい。つゆ草を花と思うのは誤りである。花ではないあれは、色に出た露の精である。姿もろく命色美しいその面影は人の地に見る刹那の天の
古来、松の緑に美意識を見出してきた日本人。また、杉や檜(ひのき)といった用材の針葉樹もお金になるという理由で重宝されました。そんな中、徳富蘆花は『自然と人生』の中で楢(なら)や櫟(くぬぎ)を称賛します。―なぜ?開国からすでに40数年経ち西洋風の見方や感じ方が浸透していたから。西洋の搾取が機械文明搾取であったのは否定できませんが美意識の革命もあったのです。―意外・・・。お金にならない木でも林の中を歩いているとリラックスしませんか。―はい。雑木であ
熊本市中央区大江に所在する県指定史跡の大江義塾跡及び市指定有形文化財の徳富旧邸です。熊本市HPによると、ここは、明治・大正・昭和にかけての大ジャーナリスト徳富蘇峰と、明治・大正の文豪徳富蘆花が、その父一敬とともに住んでいたところです。明治3年の熊本藩の改革の際、一敬は民政局大属に任命されて熊本に住むことになり、元田永孚の斡旋でこの家を手に入れました。同5年の明治天皇行幸のあとで、新町行在所跡の離れの払下げを受け、主屋に中二階とともに継足し、離れを一敬の父美信の隠居部屋にしました。
芦花公園、正式な名前は都立蘆花恒春園文豪の徳冨蘆花先生の旧宅が公開されてます。残念ながら屋内は撮影禁止お宅探訪の雰囲気だけで勘弁してくだされレトロ感日本家屋とベンチおじさん珍しいてんとう虫シロジュウロクホシテントウ?おざわ
熊本県北の桜の名所の菊池公園ですほとんどがソメイヨシノで満開ですね菊池氏の隈府城跡ですね南北朝時代は南朝の重臣でした元寇では博多まで出兵してますね15代武光は懐良(かねなが)親王を迎え大宰府で九州統一華々しい歴史ですねフデリンドウが咲いています「不如帰」の徳富蘆花の文学碑があります妻の愛子が隈府の生まれですねジャーナリストの徳富蘇峰は兄ですね大宰府とともに九州の歴史都市です今は静かな温泉町ですね桜の時期にあいにくの天気が続きますね
甲州街道と環状八号線が交わる高井戸陸橋(上高井戸一丁目)交差点から西へ向かいます。環状八号線の正式名称は東京都道311号環状八号線で、通称は「環八(かんぱち)」とひろく呼ばれています。皇居の周囲をめぐる内堀通りを中心とした環状一号線から八本目の環状道路でありますが、この外側の環状道路といえば主な一般道は甲州街道なら八王子で交差する国道16号線までありませんから、山手線同様に環八の内側が東京の中心だとする考え方があります。ここ高井戸陸橋交差点の最寄りにも京王線の八幡山駅がありますが、環八を南
<2022年3月30日>上州ドライブで訪れた群馬県渋川市の「伊香保ロープウェイ」。頂上の「見晴駅」まで行き。「天下の絶景」を眺めて、戻って来ました。登り口である「不如帰駅」の建物の「バルコニー」から、伊香保温泉街が見えます。「武尊山」方面でしょうか、頂上の眺めとはさすがに違います。さらに右側へアングルを変えると、こんな風景が見えていました。バス待ちのお客さんのところへ路線バスが到着。「芸術の散歩道アルテナード」の紹介。渋川駅から伊香保温泉の先まで「アルテ
この巻では、三人の作家の超有名な作品がごろっと収録されています。日本の文学〈5〉樋口一葉,徳富蘆花,国木田独歩(1974年)(アイボリーバックス)Amazon(アマゾン)500〜3,900円
韓国併合について韓国併合については最後まで反対していた伊藤博文を、安重根は暗殺してしまった。銃撃の犯人を知り「バカなやつじゃ」とつぶやいた伊藤の心中は如何ばかりだったろうか。朝鮮半島にある国家は、(李氏朝鮮にしろ、大韓帝国にしろ)国家の運営方針というか、骨の髄まで染み込んだ処世術のようなものがあるようだ。それは「事大主義」。事大主義(じだいしゅぎ)とは、明確な信念がなく、強いものや風潮に迎合することにより、自己実現を目指す行動様式である。東アジアでは外交政策の方針として用いられたこともあ
こんにちは。逗子の魅力を紹介するコーナー、今日は3回目です。「逗子が登場する文芸作品」である徳富蘆花の「不如帰」を紹介いたします。といっても、私は読んでいません(;∀;)先日逗子散歩で訪れた場所の一つに、「蘆花記念公園」があります。徳富蘆花が逗子に住んだ期間はさほど長くはありません。しかし、蘆花はここで文芸史上に残る名著を出します。「不如帰」徳富蘆花作逗子を一躍有名にした作品浪子と武夫の夫婦が病気や戦争など様々な障害によって引き裂かれていく物語。浪子は、病気療養のため父
2022・10・2の事淳久堂📷撮ってたら禁止ですって言われたけど此処から↓へ6枚は広告だから📷した方が喜ばれるよね7枚目からは存じません7枚目から↓水上勉の息子窪島誠一郎徳富蘆花坂口安吾漱石東京百句凄いね中野重治チャップリンアインシュタインチャップリン夏目漱石半藤末
以前読んだことありました。下ネタ満載の手紙を書きまくっていた川路聖謨の話を中心に、男色、心中など性に関するエピソードをまとめた本です。谷崎潤一郎が9歳の時に拉致未遂にあった話(犯人は酔っぱらった将校)夫婦生活を赤裸々に記した徳富蘆花の日記などもあり。
今日は七十二候で『玄鳥去(つばめさる)』。暖かくなる春先に日本にやって来たツバメが、再び日本から南の地域へと帰っていく頃です。今日のこちら地方の天気は、すでに台風の影響で荒天に!とてもツバメが遠出をするような長閑な空模様ではありませんでした。いつ降って来てもおかしくない曇天の中で外歩きをした今朝、帰宅した直後からシトシトと雨が降り出し、午後は、雷鳴が轟くザーザー降りになってきたのでした。次の世代にも忘れてほしくな
“宇宙(そら)”の和音♪通信/9月18日☆今日は何の日?【蘆花忌】明治・大正時代の小説家・徳冨蘆花(とくとみろか)の忌日。療養先の伊香保温泉で死去。58歳。京都の同志社英学校(同志社大学の前身)を中退。17歳の時にキリスト教の洗礼を受け、今治教会にて、伝道と英語教師に従事。この頃から蘆花の号を用いました。蘆花とは、イネ科ヨシ属の蘆の花の意味。その号は、自ら述べた「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。然もその見所なきを余は却って愛するなり」に由来。1898(明治31)年、
【かいわれ大根の日】9月18日としたのは、9月は設定しようと決めたのが9月、18日は8の字を横にして、1を立てるとかいわれ大根の姿(竹とんぼ型)になるためだという。【蘆花忌徳富蘆花の命日58歳没】『不如帰(ほとととぎす)』などで知られる明治の文豪。旅館千明仁和泉亭(ちぎらじんせんてい)で亡くなった。【満州事変勃発】1931年(昭和6年)9月18日、中国・奉天郊外の柳条湖で関東軍(大日本帝国陸軍)が満州鉄道の線路を爆破。この事件を期に、関東軍による満州占領が始まる。以前は「柳条溝」と
ハイキングコースの山道を、下りきった先に、突然目の前にこんな景色が開けました。お寺があり、人の姿も見えるようです。無事に海沿いの逗子の海岸線の道路にたどり着いたようです。ハイキングコースの山道から湧いていた湧水は、ここにこんな感じの瀧になって上の写真のお寺の横に瀧になり落ちてました。。この瀧は、高養寺というお寺で、明治時代の政治家、そして日銀総裁正二位大勲位子爵高橋
寒の戻り。今日は一日中、氷雨が降り続いた。最高気温2℃というが、もっと低い印象だ。ここ木更津東泉寺の境内では、一時の暖かさに惑わされて咲いた花々が打ちしおれている。椿は冬の花ではあるけれども、ここまで凍えていると気の毒になる。ようやく咲きそろってきたスズランには、雨の雫がスズナリになっている。咲いたまま凍り付いた桃、咲けずに凍り付いている桃。ほとんど冷凍の甘夏。中身を鳥にくり抜かれた柿の皮も、触ればパリパリ音をたてそうだ。
肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。by徳富蘆花
サウナ入ったことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう若い頃は、ダイエット目的でよく、はいりにいってましたが、汗はかくけどね。痩せないとか?(笑)最近は行ってないなぁ。前にも話したかもですが、おんせん県には天然のサウナ。『蒸し風呂』っていうのが存在するんですが、子供の頃、母がおんせんにいくと入ってたけど、ムンってくる感じが子供の頃は苦手でしたね。蒸し風呂はスチームサウナ的感覚かな?皆様は天然の蒸し風呂入ったことありますか?むし‐ぶろ【蒸風呂】〘