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笠松町歩き、御鮨街道を歩き笠松の旧市街を北から南に縦断しました。今、最南端の木曽川堤防上にいます、例の木戸跡の辻から、まずは街道の西側の町をうろつきます。左、いせ道方向に。こちらも街道ですからよい感じの道。古い木製の町名の表示板。笠松別院の前で堤防に登っていきます、この道はこの先は町を出て堤防を行く道なので、今日はここまでで折り返します。コンクリート製の防火用水。右から書かれているのでかなりの年代物ですが現役?歴史ある大きな町なので街道沿いでない道にも
お休みの日に時間があって、朝早くには動き出せなかったのですがどこかに行きたい。岐阜街道(御鮨街道)上では比較的大きな岐阜県笠松の町、街道歩き時にスッと通り過ぎただけだったので一度うろうろ歩いてみようと思い立ち、名鉄電車でGO。御鮨街道というのは岐阜街道の別名(江戸に献上鮎鮨を運んだことによる)です、岐阜でもこの名前を多く解説板や案内板に使っています。やや遅めの午前中、笠松駅に降り立ちました。電車内から東口のあたりがレンガ建築に見えたのでこちらの改札から出てみました。おー!って
岐阜城下うろうろの続きです。(※は岐阜町金華の誇り記載の建物です。)橋を渡り、川原町に入ります。ここは有名ですし、さらっと。川原町全体の解説。今まで見てきた中で一番立派な屋根神様です、むくってます。カワボシ松井家※旧篠田薬局※ぎふうちわ屋さん。良い町並なのですが現役のお店はあっても内部を見学できる建物が無いのです。あんまり歴史的な解説もないし。個人的に好みの店がないと映画のセットみたいにさらっと通り過ぎてしまうだけの
さてここからは・・・。↓おおよそ赤線でかこんだ範囲をノープランで歩きます。最終的には長良橋を渡った先の街道沿いぽいエリアに向かう予定です、お酒もあるようですし笑。全体的にカバーしつつ、歩いてみて良さそうな景色が見えたらそっちにどんどん進む、みたいな。神山家※(岐阜町金華の誇りに載ってた古民家には※をつけていきます)足立彫刻所※国道脇の更地の奥によさそうな屋根が並んでるのでまずはあちらに向かいますか。広い更地の角に一軒だけ残った古民家が!細長い!
名鉄岐阜駅。今日は岐阜市内に残る古い町並みを探して歩きます。岐阜市内は戦災でかなりの範囲を焼失しています。しかし北部(岐阜公園あたり)は比較的被害をうけなかったエリアです。国立公文書館デジタルアーカイブここに全国の都市の戦災地図がありました。古い町並みの残る町を探すヒントになりそうです。他にも江戸時代の国絵図なんかもあって興味深いサイトです。人気の川原町はその代表ですが今まで岐阜に行った折、住宅地にも古い家が点在しているようなので気になってました。今日はスマホの地図
昨日は17時頃にホテルに戻りましたが、走りには出ず、ゆっくりしました。今日は出発が早いため、今朝もランなしです。4時頃から起きてるので走ればいいんでしょうけどね。ということでいろいろ雑記。岐阜市内をランニングしてて、以前から気になってた街道名があります。御鮨(おすし)街道調べると、江戸時代に長良川の鵜飼でとれた鮎をなれずしにして江戸に送る時の街道とのこと。5日ほどで江戸に着く頃にはちょうど発酵が進んでいい状態になったそうです。鮎鮨街道とも言われたとのこと。鮒ずしも食
岐阜のビジホで豪遊したあと、翌日は岐阜城へ行きはまたもバスを使用。岐阜は車以外だとバスを使いこなせないと観光できないようだじゃ、さっそく取り掛かりますかお、板垣退助像もあるリス発見。昨日も結構歩いたし(3万歩超え)、今日はラクしようとロープウェーで登るま、下りは歩いてもいいでしょ、とこの時は軽く考え、片道券を買ってしまったでーんいかにも天下布武って感じだもちろん城からの眺めも良し!復元とはいえさすがに名城十分に堪能して下山開始
・・・あと少しなので、のんびり歩きます・・・・・・この辺りからは、趣のある建屋が見られるように・・・お店を構えている建屋が多いですね・・・・・・広い道に出ました・・・ここからは、岐阜城がよく見えます・・・・・・岐阜街道は、この道路を渡り北へ・・・・・・この辺りは、初めて歩くのですがなかなかいい雰囲気です・・・・・・堤防道路手前を右折し・・・川原町へ向かいます・・・・・・狭い路地を出たら左折します・・・・・・そしてこの先の橋を渡
・・・ここからは、岐阜街道を岐阜公園まで4.2㎞をテクテク・・・・・・名鉄名古屋本線を渡ります・・・・・・岐阜街道沿いには、岐阜公園までの距離が道路にペイントされています・・・・・・今度は、JR東海道線の高架を潜ります・・・・・・岐阜街道は、路面舗装をうすだいだい色のカラー舗装となっています・・・・・・案内板も設置されています・・・・・・こんどは、名鉄各務原線を渡って一枚・・・・・・さあここからしばらくは、フツーな道の
・・・岐阜街道は、少しの間中山道と重複します・・・・・・中山道と御鮨街道の道標・・・・・・茶所から左折、西に進むこと50mほどで、右折北へ・・・・・・右に、加納宿の案内石版を見ながら橋を渡ります・・・・・・橋を渡ったら、正面に駐車しているワゴン車の前を左折・・・・・・ここには、石標が・・・・・・秋葉神社を通過・・・・・・この辺りの、道路側溝のグレーチングは・・・・・・県道1号線岐阜東通りを渡ってすぐの広い市道との隅に
・・・名鉄竹鼻線踏切渡ってからは、ジミーな街道歩きとなります・・・・・・建物の下をくぐっての神社・・・・・・春日町の交差点を通過・・・・・・三つ目川を渡ります・・・・・・鏡川沿いを・・・・・・鏡川を渡り、県道14号線を北上し、西川手8交差点を渡り・・・・・・そして東川手5交差点より、右手の道に入ります・・・・・・愛宕神社・・・今回街道筋に多い感じ・・・・・・昔ながらの、道筋っぽい・・・・・・馬頭観音と??神社・・・・・・橋のそばの建物・・・和洋折衷・・・・・・順勝寺前を・・
・・・ここからは、木曽川を木曽川橋で渡ります・・・・・・右手に、歩行者専用の橋で・・・・・・橋上からの風景・・・・・・アップで・・・左手山の山頂には、ちっちゃく岐阜城・・・・・・橋を渡り、右手に・・・笠松湊跡へ・・・・・・遠くに、138タワー・・・・・・雑草茂る中に・・・笠松湊・・・・・・新しい?道標・・・・・・全体・・・・・・横には、芭蕉句碑・・・・・・ここの休憩所でもぐもぐタイム・・・1時間ほどま
・・・今回は、JR木曾川駅からスタートです・・・・・・まず、気になった黒田小学校にある黒田城跡を見に行きます・・・・・・街道とは、反対方向へ・・・すぐに、小さな公園に正岡子規の碑・・・・・・今回の街道巡りは、好天時は、青色のワンポイントカラーで、曇りがちの日は赤色のワンポイントカラーでパシャしています・・・今日は、赤色のワンポイントカラーをメインとしています・・・・・・ワンポイントカラーで撮影してますが、同時に通常カラーも保存するようにセットしてますので、所々では通常版を掲載・・・
・・・酒見神社を出てからは、県道190号線をトレースします・・・・・・しばらくすると、道路沿いに野宮神明社・・・・・・ここの狛犬君は、一風変わり種?・・・・・・神明社横には、祠もありました・・・・・・これと言ってパシャするのがないので・・・・・・馬寄バス停・・・・・・時刻表は、1時間に1本・・・・・・馬寄交差点の先は、県道は名鉄を高架で跨ぐ形となりますが、街道はその手前で県道から別れ沿線に沿って進みます・・・・・・道筋に、石刀(いわと)神社
・・・前回に続き岐阜街道をお写ん歩・・・今日もいい天気・・・・・・で、JR一宮駅からの再開です・・・・・・アーケードに到着・・・・・・アーケードを抜けて行くと、正面に新清田神社が見えてきます・・・・・・神社を後に街道へ・・・・・・振り返って、一枚・・・・・・今回は、JR木曽川駅当たりの黒田地区までを予定・・・・・・この辺りの街並みは、いたってフツーな街並みです・・・・・・街道(フツーな市道)から県道190号に合流し、
・・・続きです・・・・・・右折してからすぐに、右手に山神社・・・・・・地蔵祠を右に見ながら・・・・・・信号交差点を越えます・・・・・・渡った先での風景・・・左手には頓乘寺と、趣のある建屋・・・・・・このお宅は、かなり立派な建屋でした・・・・・・またもや地蔵祠・・・・・・そして、郊外に出ました・・・・・・そして、コーナーの所には・・・・・・昭和天皇御巡幸碑と赤池一里塚が・・・・・・この辺
・・・続きです・・・県道136号を右折し、北へむかって歩きます・・・この道は、せまいですが一応県道155号線です・・・・・・常夜灯を見ながらテクテク・・・・・・すぐ横は、JR東海道本線・・・・・・数百メートルも歩くと、東海道本線からは離れていきます・・・・・・住宅の間からは、以前養老山地の庭田山頂公園から見えた稲沢市の三菱電機の高さ173mのエレベーター試験塔・・・・・・下津下町辺りに差し掛かりますと、街道の雰囲気がぐっとアップしました・・・
・・・今回は、岐阜街道をお写ん歩開始・・・岐阜街道は四ツ家追分で美濃路と分かれ、一宮宿を通り木曽川を渡り笠松宿から、中山道の加納宿に至りさらに北に進み、尾張藩領の岐阜町に至る街道で、岐阜の方からは尾張藩が長良川で獲れた鮎を鮎鮨にして江戸の将軍家へ献上するため継ぎ送った道で、「御鮨街道」と呼ばれたそうです・・・グーグルマップでは、鮎鮨街道とYAHOOマップでは岐阜街道と表記されます・・・・・・今日は、JR清州駅近くのコインパーキングに車を止めて、JR一宮駅までお写ん歩しました・・・・
岐阜街道(御鮨街道)を歩いてきたのですが、岐阜街道の終点がはっきりしません。郡上街道(飛騨街道)と交差する金園町2丁目交差点で、岐阜街道は、終わっているのでしょうね。しかし、「御鮨街道」はもう少し続きます。街道を突き当り、右に曲がったところに日蓮宗のお寺「妙照寺」があります。元々別のところに建立されたお寺ですが、慶長5年(1600)当時の岐阜城主織田信長からこの地を賜り、寛文2年)1662)移築移転したものです。この地はあの有名な軍師・竹中半兵衛の屋敷跡だったそうです。当
3月6日、梅林公園までジョギングしてきた。Ⅾ51の隣りには、子供向けの公園もあった。白梅。紅梅。結構、人も出てきていたよ。でも、コロナがなければ、もっとにぎやかなんだろうね。梅まつりも開かれていたはずだ。梅の木がいっぱい。芝生広場もあるね。ここからは、写真をどんどん載せるよ。梅林公園を後にする。瑞龍寺。歴史のあるお寺だ。この花はなんだ?カワズザクラだ。桜まで見れるとは!粕森公園遊歩道案内図。この
タイトルが長くて説明的になってしまいました。なんとなく気になっていた地味なあそこに行ってみようがだんだんとシリーズになってきたのです。今回の行ってみたはここが起点。こちら2016年夏、4年半前に歩いた岐阜街道(御鮨街道)で木曽川を渡る手前にあった道標。「左なごや道」がその時歩いた岐阜街道(別名御鮨街道)のことです。今回は「右津しま起(おこし)道」というこれといって名前のない道の方に行ってみようという歩きです。御鮨街道というのは江戸時代に岐阜から江戸に献上される鮎鮨を運んだ道だから
こんばんは。未だに台風の後処理に追われる2代目大工、三島です。今年は地震に大雨、台風。災害の当たり年ですね。ひどいものです。その中でも三島建設は台風で大忙し。修理依頼は山のよう。屋根、壁、カーポート……。通常の業務に加えて一気に押し寄せる依頼。てんてこまいで手が回りません。申し訳なくも最後はいくつかお断りしてしまいました。しかしここのところやっとひと段落。緊急性の高い工事は山場を超えました。(でも関連工事はまだまだ終わりそうにありません…。)はぁ、良かった。そんなワ
「東番所跡」を左折すると、直ぐ目前に「善徳寺」があり、旧中仙道はまたここで右折しました。右折すると直ぐまた変則的な五差路に出て、旧中仙道は直進しました。五差路の右手前角に立っていた道標の一部ですが、真ん中あたりが現在地です。旧中仙道は、この辺りで何回も曲がりくねっていることがよく分かります。五差路を過ぎると遠方に高い建物が見えてきました。多分岐阜駅が近づいて来たのだと思いました。五差路を過ぎるとほどなく左手に「専福寺」がありました。この寺には「
国道156号線との交差点を越えると左右に由緒ありそうな建物が並んでいました。左側の建物の壁に「御成道」と書かれた案内板がありました。その横の路地を指しているものと思いましたが、何の変哲もない道でした。「御成道」は、慶長5年(1600)9月の「関ケ原の戦い」の際徳川家康が通った往時を偲び、「岐阜お成り」と称して岐阜を訪れることは、歴代尾張藩主の重要な行事となっていました。このお成り行列が通った「岐阜街道分岐」(一宮市北方曽根にある徳隣寺近く)から岐
岐阜街道歩きの続き2月22日歩き終えた笠松駅から一宮市(名鉄一宮駅)まで歩きます。歩いた行程前回歩き終えた笠松駅に9時50分集合で、10時出発予定だったが、若干1名が時間になっても来ないので、連絡した所、30分ほど遅れるとのことなので、先に出発して途中で合流することにする。通算で7年間通い慣れた、名鉄名古屋本線(岐阜駅~豊橋駅)で笠松駅に到着。春日交差点で、街道に出ます。10:18名鉄竹鼻線の踏切を越え右側に、趣のある家並みが続きます。10:21
久しぶりのブログ更新です。昨年10月27日に中山道を歩いている時、段差に気が付かずに転倒。次の日はホテルで昼近くまで休憩。皆は深谷宿まで歩き、熊谷で合流。家に戻り、軽い捻挫かなと思っていたが、病院に行って診てもらうと・・・右足小指が骨折していますよ言われ、ギブスで約3週間、ギブスが取れて松葉杖で約3週間のリハリビ。松葉杖も取れて、軽く歩けるようになったのが、12月の半ば頃。療養中はやることがなく、平成30年夏旅行の計画やら暖かくなってから
伊奈波神社を後にして、金華山に沿って散策開始です。この岐阜から熱田へと続く街道は、将軍へ鮎鮨を献上する際に通ったことから、鮎鮨街道や御鮨街道と呼ばれました。まずは伊奈波神社の参道周辺から。GalleryKanda(旧樋本邸)昭和初期の建築を改装したギャラリー。旧松喜仏壇店(国登録有形文化財)明治晩期の建築。木目と格子の美しさに見惚れます。そば切りすず野店頭の鏝絵が目を惹く蕎麦屋。名店の雰囲気にそそられます。続いて
名鉄のハイキング・岐阜命名記念編の続きです。御薗の榎を後に…コースを続けます。すぐに、右に曲がっていきます。道標にあるとおり、この道は、江戸時代、御鮨街道と呼ばれる街道でした。御鮨街道は、それほど広くないのですが、わりと交通量が多いので、気をつけて歩きます。途中、ところどころにある、御鮨街道の説明書きです。御鮨街道の途中にある、お気にいりの喫茶店です。今回は寄りませんが、中の雰囲気がすごく好きです。横断歩道を渡って、さらに直進します。ここから、再びJR東海のさわやかウォーキング
こんばんは岐阜の二代目畳屋でございます。花粉症が二年前から発症して、ひどく成ってる今日この頃の私でございます。私の見解ではイ草は花粉症には効果無しですねしかしイ草には調湿効果、空気の浄化作用などいい所も沢山有りますもうすぐ春です衣替えやお部屋の冬仕様を片付けるタイミングで畳替えはいかがでしょうか!さて今日は岐阜市内中心部の町屋の並ぶ「御鮨街道」と言われる通りの建て替え新築のお宅へ町屋と言えば間口が狭く、表が商売屋さんで奥が住まいと奥へ長いお家の事を言います。御鮨街道は徳川幕府の
第二回御鮨街道歩きは、名鉄石刀駅から再スタートです。駅を出て街道に復帰するとすぐに大きい神社の石柱。こういうのは正式名称なんていうのかな?しかし、見回しても神社は見えないのでスルー。現代の大動脈である鉄道や高速道路も近くに。一方、御鮨街道、今は普通の裏道でも古い街道の雰囲気はかすかに残ってます。ん、突き当たりに何か石碑が・・・。ここに木曽川町道路元標がありました!イオンですねー。通過ですよ~。お昼は冷やし中華、暑い!丸