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下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、平安時代初期の貞観五年(863年)に、神泉苑で御霊会が行われ、この御霊会が創祀であると伝えられており、約千百年以上にわたり、貴人の怨霊を御霊八所の神としてお祀りし、厄疫退散の社として崇敬されてきた。当初、愛宕郡出雲郷(寺町今出川の北あたり)の下出雲寺の境内に鎮座していたと伝わっており、後に新町出水の西に移り、天明十八年(1590年)に現在地に遷座した。古来より、皇居および公家町とその周辺の産土神として崇敬され、殊に江戸中期に朝儀復興に寄与された霊元天
応仁の乱以来、550年ぶりに神仏習合の祈り京都・北野天満宮に延暦寺の僧侶訪れ「北野御霊会」コロナ終息願うhttps://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/353046知ってたら行った!昨日、仕事だったけどね!でも、奉拝したかったぞー!
おはようございます京都のkojiro(小次郎)ですいつの間にか梅雨が明けましたね。今年はつい先日まで全国各地で大雨の被害が発生していたので、いつ梅雨が明けたのか小次郎はまったく分かっていませんでした。日本気象協会によると近畿地方の梅雨明けは7月31日ごろだそうです(最近は梅雨明けの日を特定しないのですね)。さて、今回の「kojiroの京散歩」は前回・前々回に引き続き京都市中京区門前町にある「神泉苑」の7月の様子をお届けします。今回は神泉苑と祇園
KBS京都テレビ今夜8月2日21:00-21:55放送第55回神霊と生きる都~疫病退散へ1200年の祈り~2020年8月2日放送新型コロナウイルスの感染拡大に悩まされる現在。未知のウイルスとの闘いは今に始まったことではなく、遠い昔から人類が向き合ってきた問題である。今回は、京都の人々が疫病退散を願い祈りを捧げてきた1200年の歴史を紹介する。京都市中京区にある神泉苑は、桓武天皇が都を平安京に遷した際、天皇専用の「禁苑」として造られたところ。863年
久しぶりに行って来ました。☺
八坂神社京都市東山区祇園町北側祇園祭が執り行われる7月一ヶ月間限定の「御霊会御朱印」を頂きました。御霊会御朱印
東寺真言宗神泉苑京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町祇園祭の時期限定の「御霊会」御朱印を頂きました。「御霊会」御朱印
前回、『深泥丘シリーズ』の世界観のモデルとして、クラインの壺を想定させていただきました。また、これまでのブログの中で、クラインの壺の特異点を貫くチューブを連想させる「穴」のイメージが何度も作品の中で登場しており、現実の深泥丘界隈にもそのような場所があることをご紹介してきました。今回、深泥丘界隈になぜそのような「穴」が生じたのかを書かせていただき、ブログ『京都市某区深泥丘界隈散歩』を締めくくりたいと思います。最後にご紹介するのは、深泥池の東約3kmのところにある崇道神社です。祭神
山鉾巡行新型コロナウイルスの感染拡大を受け、今年の祇園祭の山鉾巡行が中止になりました。1200年以上の歴史のある祇園祭において、山鉾巡行が中止されたのは数えるほどしかありません。応仁の乱や太平洋戦争などです。明治時代にはコレラの流行で延期になりました。祇園祭が始まった平安時代の貞観年間、インフルエンザが流行し京都でも多くの死者が出ました。人々は、疾病や災害は、非業の死を遂げた人の怨霊の仕業だと考えていましたので怨霊を鎮めるために「御霊会」という祭儀を開きました。この「御霊会」
京都市北区紫野にご鎮座する今宮神社は現在、健康長寿や良縁祈願のお社として有名です。ご祭神は大己貴(おおなむち)神(大国主神)、事代主神、奇稲田(くしなだ)姫です。しかしながら、この土地には平安建都(794年)以前から、疫病を鎮めるため疫病(素戔嗚尊)を祀った社があったと言われています。一条天皇の御代(994年)、疫病を鎮める社として創祀され、新たな社との意味で「今宮」と号されました。※大きな楼門疫(えやみ)社日本では、古くから疫病や災厄がおこると疫病を
夫:君は京都の御霊神社(上御霊神社)と下御霊神社を訪ねたのだったね。昔、疫病が流行し御霊会が執行されるようになったんだ。妻:御霊神社前の唐板煎餅は応仁の乱後に始まった由緒があるらしいわ。私のお気に入りの加賀ほうじ茶で、母と一服しました🍵。
こんばんは⑥からの続きです。前日の夜、お風呂に入って神泉苑の後は晴明さんのところに行こうかな、と思ってましたが何か違う気がして、どこに行くのがいいのか考えてみました。ふと、八坂神社が浮かびました。「神泉苑の後は八坂神社に行ったらいい?」と言葉にしたら「正解!」と突然言われました。驚いてたら「そなたは、す~ぐ、晴明のところに行こうとするからの~」と言う口調でスサノオさまと気づきました。「年末に来て以来、全く来ぬではないか」と言われ「すみません…」とあやまると「もう
前回の佐伎治神社の話しのつづきです何故…お礼詣りに行くことになったのかある日…長男がボソッと長男{今度、祭でんなん💧私{へ~良かったやん(≧∇≦)通常。100%無縁の仕事をしていて氏子でもないのに…祭にでるやて✨🎵と単純に喜んでました…この時は(笑)本人は早朝から始まり12kmの歩き7日間のうち3日間の担当…この3つが苦だった様子💧(笑)その祭が佐伎治神社式年大祭【高浜七年祭】です〈公式HPより〉〈福井県無形民俗文化財〉巳年。亥年の6月卯の日~
御霊会祇園祭の発祥相撲節7月7日に展覧相撲が行われていた事にちなんでいます。7月1日からです。↓期間限定書き置きの御朱印
7月1日から7月31日までです。祇園祭の頃に出されます。
色鮮やかなツツジと新緑が眩しい季節。ぶらりと、神泉苑にやって来ました。平安京遷都と同時期に、大内裏の南に造営された禁苑で雨乞いや祇園祭の元となる御霊会が行われた神聖な場所です。今でも、自然豊かな神泉苑には雀や烏や鷺などの鳥たちが飛来してきます。龍が棲むという法成就池に映るツツジ。満開の頃には、さらに華やかに色めきます。
Shaudowの『日本人と自然災害6』838年7月5日~862年2019.06.13H・A・笑童人間は生まれてきてはいけなかったのだろうか神は悲しみを与えるために私たちを創造したのだろうか‥‥その答えは自然と接する日本人の生き方にあったそして、やはり日本人は昔から日本人そのものであった日本人は、多くの自然災害を経験し学習することによって、自然と共生することを学ん
花園会館でcoffeebreakを終え、妙心寺から程近い神社を当日最後に参拝しました。花園今宮神社花園御霊会等の詳細は最後にして境内をご紹介。手水舎由緒書祭神素戔鳴尊由緒当今宮神社は平安時代、長和四年(1015)六月、都に疫病が流行した際、三条天皇のご託宣により神殿が建立され厄除神である素戔鳴尊をお祀りし疫病除け祈願したところ、お詣りする人々で大いに賑わい間もなく疫病も鎮静した。永寿七年(1052)五月、再び疫病が流行した。
Shaudowのひとりごと~その28『祭の起源』2018.11.06H・A・笑童「八百万の神」。日本人は古来からすべてのものに神が宿ると考えていたようだ。それは山・森・水・雨・風といった自然のみならず、生きとし生けるもの、あるいは人間が作り出した造形物まであらゆるものに神は宿ると考えていた。そのような時代を何千年、何万年と過ごしてきた日本に「仏教」という外来の神を崇拝する宗教が6世紀にやってきた。もちろん私的にはその何百年も前か
前夜いただいた高島屋の横山大観展を鑑賞してから四条大宮へ移動。冬の旅特別公開寺院の拝観目的の移動ですが、その前に、新撰組目的で上洛した際参拝し、ブログではアップしていなかった神社を参拝。梛神社(元祇園社)出張ついでに壬生界隈を散策した時以来ですから、少なくとも25年ぶり以上の参拝になります。場所は壬生寺や八木邸(屯所址)、前川邸のある界隈から北へちょっと行った坊城通と四条通の角にあります。悲しいかな、久し振りだけどそんな昔じゃないなと気持ちに為るのが歳を重ねた証
怖い話ウィーク♪怨霊の記事に入る前に、一体どのようにして「怨霊」というものが意識されていくようになったのか、その歴史をご紹介したいと思います(^^)朝廷での権力争いが相次いだ奈良時代〜平安時代。否応無しに巻き込まれ、悲運のうちに命を落としてしまった国家の重鎮たちもたくさんいました。タイトルにもある「御霊」とは亡くなった人の魂の美称で、「御霊信仰」とは悲運のうちに命を落とした人の霊魂の祟りに対し、その霊魂の怒りを丁重に慰めることで平穏を回復しようとする信仰をいいます。「祟り」とは元々は神様
八阪神社の祇園祭は、御霊会だったのです。開運神社ナビゲーター(R)西邑清志のオフィシャルブログは、こちらに引っ越しました。続きは、↓↓↓http://namuji.co.jp/
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京都市東山区にある八坂神社さんに御霊会の御朱印を頂きに行きました。御霊会の御朱印授与は7月末までになります。
「悪王子社」八坂神社摂社「悪王子社」(あくおうじしゃ)【御祭神】素戔嗚尊の荒魂『御由緒』「悪王子社」は、八坂神社の第二摂社。現在は八坂神社境内に鎮座するが、元は東洞院四条の『元悪王子町』にあった。その創建は「八坂神社」の『大政所御旅所』と同じ伝承に基づく。天延2年(974)京に住む“秦助正”という長者の夢に神が現れて「我は悪王子である。汝の家を影向の地とせん。二十日後には祇園大神がその居宅に神幸されるから速やかに朝廷に奏問せよ」と告げた。翌朝、庭の塚から蜘蛛の糸
おはようございます京都の小次郎です今日は久しぶりに音楽を聴きながらこのブログを書いています。突発性難聴を発症してからの小次郎は、自ら音楽を聴くことはほとんどなくなりました。小次郎がお気に入りだった楽曲は、以前(発症する前)と同じ音で聴くことはできません。もう二度とコンサートに足を運ぶことはないでしょうね…つらいなぁ。そんなことを嘆いても聴力は回復しないので、この状態に慣れる(我慢)するしかありませんね。さて、今回の京散歩も前回に引き続き京都府京都市中
祇園祭の最後の日、神泉苑に行ってきました。二条城の近くにあります。京都市地下鉄の二条城前からすぐです。歴史を振り返ると、創建当時は相当広かったようです。神泉苑は、御朱印が9つあります。御朱印帳も販売されており、全て御朱印の書かれたものも用意されています。この日は、祇園祭の最後の日です。御霊会の御朱印をいただいてきました。神泉苑の御霊会は、祇園祭に繋がっていったものです。神泉苑は、昔学生の頃にバスでよく前を通っていたところです。いつでも行けるということは、なかなか
祇園祭で賑わっている、京都に行って来ました。まずは、主催の八坂神社へいつの間にかいただける御朱印が13種類に増えていました。ただし直書きしていただけるのは「祇園社」のみです。「御霊会」「祇園社」「悪王子社」「美御前社」「冠者殿社」「北向蛭子社」「疫神社」「刃物神社」「大國主社」「又旅社」「玉光稲荷社」「大神宮社」「青龍」今年の京都は、暑いです。軽い熱中症と人の多さでまだ鉾も山も見ていません。
平成28年12月26日参拝今宮さんってホントは大鳥居あるよね‥、でも人と一緒だと気軽に車停めてもらえないじゃない、贅沢な悩みw楼門楼門前の狛犬はもっこりさんです(#^ω^)元々この場所にあった疫社が船岡山に遷座してる間に新しいお宮を祀ったので、今の宮で今宮神社と称されたそうです。再び疫病が流行し、疫社は今宮神社の摂社として奉還されました。拝殿提灯に明かりが灯ってキレイ‥♡時間は16時30分、あせって授与所に閉門時間を聞きに行ったら「ゆっくりお詣りください〜」優しい(´