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明日4月21日(日)まで、十二年に一回のご開扉が行われています。天台宗の大磯町高麗2-9-48慶覚院です。拝観には堂内受付で500円の拝観料が必要になります。しおりと散華、仏像類の説明書きなどをいただけます。十二年に一度のご開扉は、大磯町指定有形文化財でもある本尊千手観音立像です。他にも堂内には神奈川県指定重要文化財の地蔵菩薩坐像、境内仁王門には大磯町指定有形文化財の阿吽の仁王像があります。堂内には未指定の多くの仏像があり、未調査ながら破損仏の小さな観音立像と思われる古像もあ
ご訪問ありがとうございます💖誰かの気持ちが軽くなったり、誰かに気付きを与えられたり、誰かに愛💖を感じてもらえたら嬉しいな💖みんなにもっともっと輝いて欲しいから✨🌈✨*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*2024年4月15日🌸春の例大祭🌸に参列してまいりました🌿出雲大社東京分祀では年始・春秋の例大祭の時のみ御扉(みとびら)が御開扉(ごかいひ)となります。普段閉じている御扉が開くと、やはり普段とは違うエネルギー✨を感じます💖謝恩詞や神語を参列者全員で奏
こんばんは!@Ricoです。昨日、ちろっとお知らせした巳成金大祭✨の話。↑ちなみに「みなるかね」、と読みます‼️無事に早起きしまして、、、上野駅、5時前到着🏃♀️この時間やと、まだ暗いよね💧まだ、清水寺観音堂さんも扉開いてないわそして、いつものルートを足早にテクテク👣すると、夜明け前の深い藍色のなかに光る💡上野不忍池辯天堂✨じゃん‼️この空の色、見たことない。。。とっても幻想的な雰囲気です✨✨✨で。もちろん、先ずは、宇賀神さまへご挨拶🙏→笑っとる雰囲
今末法に入っては教のみ有って行証無く在世結縁の者一人も無し。権実の二機悉く失せり。此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す。「是の好き良薬を今留めて此に在く。汝取って服すべし。差えじと憂ふること勿れ」とは是なり。(教行証御書)去る2023年6月11日、御報恩御講のため日蓮正宗総本山大石寺へ参詣して参りました。この日はあいにくの雨でした。御開扉が終わって奉安堂を出たところで、富士山が雲から数分間だけでしたが、頭を出しておりました。
武相卯歳観音霊場の続きです真照寺から百草観音堂迄、ハイキングコースを歩かされヨレヨレなのに、百草観音堂から次の清鏡寺まで移動手段がない😱😱😱😱😱Googleでは、2キロ26分の徒歩となってるけど、どうみても山越えしないと行けないし、26分じゃ行かない!でも、歩くしかないのだ!Googleでは、ほぼ平坦って言ってるけど、嘘です住宅街を通る時は上り坂ですその次は下り、また上り坂と二山越える感じでした途中で道を誤ったのか、Googleでは帝京大学のキャンパス内を通れと言ってる😱守衛さん
武相卯歳観音霊場の続きです百草園駅の真照寺から百草観音堂へ移動しますGoogleの徒歩道案内を頼りに歩くのですが…えっ?!何これ?!ハイキングコースじゃないか!😱😱😱想定外の案内にちょっとパニック😱😵しかし、後戻り出来ない…日がくれる前に山越えしないと…誰も歩いてません15分くらい上って行くと、トレランしてる1人とすれ違ったたけ…かなり不安な気持ちで山越えしました😭百草園正門前に合流、アスファルトの道路に安堵します百草園から暫らく下って行くと幟旗が見えたので、ここかな?
武相卯歳観音霊場の続きです永泉寺→上柚木観音堂→永昌院→永林寺→玉泉寺→保井寺→宗印寺の次は真照寺へ〜宗印寺から平山城址公園駅迄歩き、京王線で百草園駅で下車、そこから徒歩6分真照寺の寺号標が見えて来ました寺号標と山門六地蔵赤い幟旗に導かれて…恵比寿堂お堂内にはえべっさん🐠日野七福神の恵比寿天です観音様お大師様本堂真言宗智山派寺院の真照寺は、清谷山蓮華院真照寺と号します真照寺は、法印弘意(長元9年1036年又は天寿元年1053年寂)が開基となり、長和年間(10
武相卯歳観音霊場の続きです保井寺の次は日野市平山の宗印寺に移動したいんだけど、歩くと40分掛かるバスもあるけど、待ち時間が40分以上…ちょっと疲れちゃったので、途中にある公園のベンチで休みながら、バス🚌を待つ事にしました😅平山城址公園駅行きのバスで最寄りバス停で降りて徒歩6分寺号標と山門が見えて来ました山門本堂曹洞宗寺院の宗印寺は、大澤山宗印寺と号します宗印寺は、慶長4年(1599年)中山助六郎照守が開基、一東天樹(寛永12年1635年寂)が開山となり、創建第3世大本恵立
武相卯歳観音霊場の続きです永泉寺→上柚木観音堂→永昌院→永林寺→玉泉寺の次は1.7キロ先の保井寺へ玉泉寺から徒歩20分保井寺に着きましたほうせいじと呼びます山門境内案内板太鼓橋と本堂太鼓橋は十三詣りの時に渡るそうです保井寺曹洞宗寺院の保井寺は、龍潭山保井寺と号します保井寺は、北條氏の家人井上某法謚麒山麟永居士が開基、永林寺4世照鑑(1595年寂)が開山慶安年間(1648〜1651年)には、寺領4石5斗の御朱印状を拝領御本尊虚空蔵菩薩武相卯歳観音霊場四十八ヶ所1
武相卯歳観音霊場の続きです八王子下柚木の永林寺の次は、500メートル先の玉泉寺へ〜玉泉寺入口寺号標があります庚申塔玉泉寺参道みまもり観音様山門お地蔵様本堂真言宗智山派寺院の玉泉寺は、吹王山不動院玉泉寺と号します玉泉寺は賢海(永徳3年1383年寂)が開山し創建山王社の別当寺を勤めていたと言い、明治初年に松木村続木山医性寺を合寺したと言います御本尊不動明王武相卯歳観音霊場四十八ヶ所13番札所修行大師像鐘楼堂観音堂は離れた場所にあるようですこちらが観音堂
少しだけ、身体が楽になりました武相卯歳観音霊場の続きです何処まで書いたっけ?😅永泉寺→上柚木観音堂→永昌院の次は2.5キロ離れた永林寺へ〜永昌院から徒歩35分くらいですが、Google頼りなので、歩くの遅いです永林寺の寺号標総門江戸時代中期の1758年建立徳川家康に赤門の建立を許されました総門の案内板赤門を過ぎると両側には羅漢像16羅漢像の案内板笑佛笑ってるおばあちゃんの像です山門江戸時代前期の1669年建立山門の案内板山門の扁額山門の仁王様勅使門平成24
令和5年6月6日京都に住んでいた時に東寺で初めて知った大元帥明王。その後、ネットで検索したら奈良の秋篠寺で毎年6月6日に御開扉とのこと。それを知ったのが去年の夏前。一年近く待った甲斐があり念願の参拝。久しぶりに一緒に参拝にお付き合い頂く和平さんと大和西大寺駅で待ち合わせ。ここからは歩いて17分。ところが道中私が喋りすぎて道を行き過ぎ15分もロス。秋篠寺の南門到着。南門をくぐると新緑が眩しい。受付で参拝料を納めパンフレットを頂く。大元帥堂にはすでに行列。行列の途中で泰山木が
武相卯歳観音霊場の続きです永泉寺→上柚木観音堂の次は中山の永昌院へ上柚木観音堂からは1.5キロ徒歩20分の距離ですが、もう少し掛かったかも🏃🏃🏃上柚木観音堂から畑の横を通り、農道の様なあぜ道みたいな山道を超えて国道側に出ました永昌院手前には立派な藤棚綺麗に咲いてます永昌院の寺号標が見えて来ましたここだここだ…かなりインパクトある寺号標ネコちゃん😺ちゃんの像もあります山門山門扁額観音堂曹洞宗寺院の永昌院は、飯成山永昌院と号します永昌院は、葛澤豊前守が開基大檀那と
武相卯歳観音霊場の続きです永泉寺から徒歩10分くらいの上柚木観音堂へ〜🏃🏃🏃上柚木観音堂入口案内がありました御開扉と武相卯歳観音霊場の幟旗手水舎柄杓もあります😁こちらが観音堂の様です創建は不詳当寺の本尊は石像でしたが、明治に火災に遭い🔥、新たに木造の准提観音を作り並木原より現在の神明に移転し、堂宇を再建明治の中頃迄、永林寺の僧が堂宇を管理していましたが、現在は上柚木地区持ちとなり、神明溝中で管理春と秋の2回、観音講が開かれている様です御本尊准提観音武相卯歳観音霊場四十
気持ちが上向きにならない😵😫今日は一粒万倍日らしいから、何かしなくっちゃ!4月15日武相卯歳観音霊場札打ちの5回目この日の工程はかなりハードでした先ずは、橋本駅からバス🚌で永泉寺へ山門永泉寺由緒書山門扁額階段を上ります本堂曹洞宗寺院の永泉寺は、高雲山永泉寺と号します弘治元年(1555年)武田信玄の叔父である永野和泉が、党族争いから逃れ諸家臣とともに鑓水(やりみず)に移住して、一宇を建てたことに始まります御本尊釈迦牟尼仏武相卯歳観音霊場四十八ヶ所14番札所回向柱と
この日、最後の札打ちです原当麻の観心寺から歩いて向かうは下溝の清水寺…寺号標こちらが山門かな?本堂曹洞宗寺院の清水寺は、補陀落山清水寺と号します清水寺は、坂上田村麿が、観音勧請の地として定めた当地に、天応院8世天山存雪(慶長15年1610没)が、慶長元年(1596年)に開山し、寛永年間(1624〜1644年)に東岳寺から慧林宗哲を迎え、伽藍を建立したと伝わります御本尊聖観世音菩薩武相卯歳観音霊場四十八ヶ所32番札所回向柱と御手綱扁額本堂横から2階本堂からの眺め武相
コロナ療養中で、記憶がぶっ飛んでおります確か、4月11日4回目の武相卯歳観音霊場の札打ちの途中だったかと…祐照庵大戸観音堂→慈眼寺→普門寺→長徳寺→高厳寺の次は原当麻の観心寺へ〜どうやら、ここが観心寺の様です戦没者供養塔御開扉と武相卯歳観音霊場の幟旗〜回向柱と御手綱本堂時宗寺院の観心寺は、聲音山観心寺と号します康安元年(1361年)遠藤左近景宗が創建、慶長19年(1614年)には、中島落合両氏が開拓した当地へ移転したと伝えられています御本尊聖観世音菩薩武相卯歳観音
武相卯歳観音霊場の続きです祐照庵→慈眼寺→普門寺→長徳寺の次は上溝に移動久しぶりに長徳寺移動中で心折れた巡礼ですが、長徳寺の如意輪観音像に励まされ、少し気持ち落ち着きました改めて次の観音様に会いに上溝の高厳寺を目指します高厳寺に着きました高厳寺は白瀧山高厳寺と号します当初は南部山と称し、江戸期は小田原玉瀧坊配下の本山修験寺院で、同じ上溝にあった同門の南覚寺住職が当寺も兼務していた様です現在は元町自治会館が建てられ、一角に観音堂として当寺が残りました御本尊正観世音菩薩行基作
昨日は無事に三浦三十八地蔵尊卯年開帳の霊場を結願し、やれやれ…ほっとしてます武相卯歳観音霊場の札打ちの記事に戻ります普門寺と間違えた慈眼寺を後にして、普門寺に〜こちらが普門寺〜😅🤣武相卯歳観音霊場四十八ヶ所は赤の幟旗が目印〜本堂真言宗智山派寺院の普門寺は、金剛山普門寺と号します天平年間(729〜749年)行基菩薩により開山その後、江戸時代迄の経緯は不明慶安元年(1648年)徳川幕府より17石7斗の御朱印を賜り、元禄11年(1698年)頼真により中興開山されました御本尊
祐照庵大戸観音堂から普門寺に向かうのですが、当初は大戸観音堂から50分の徒歩で普門寺に向かう予定でしたしかし、予定時間より早く詣でる事が出来た為、バスを乗り継いで普門寺迄行く事に…これが間違いの元でした😫😵ズルして、歩かなかった罰だった…乗り継ぎバス停の時間が無くて、慌てて反対側のバスに乗っちゃって相模原駅に戻っちゃったよ!😱😱😱地元以外のバス🚌は乗るもんじゃないね!😵相模原駅からもバスに乗り間違えて出発寸前に気がつく有様なんとか普門寺の最寄りバス停迄辿り着いたんだけど、小一時間
武相卯歳観音霊場の続きですこの日、最後の札打ちです高乗寺から高尾駅に戻り、京王八王子駅に移動…そこから徒歩数分の福傳寺へ〜雨が本降りになりました😭☔福傳寺山門参道と卯歳観音霊場の幟旗六地蔵弘法大師像回向柱御手綱は有りません本堂真言宗智山派寺院の福傳寺は、安榮山明王院福傳寺と号します天文2年以前に開山されました過去帳には、天文22年(1553年)願主権大僧都清榮の記録の記載があり、開山は清榮ではと言われています子安神社の別当寺で、江戸時代には子安明神領6石を幕府よ
高尾興福寺の次は同じく高尾の高乗寺へ興福寺から高乗寺まで徒歩32分弱高乗寺の境内案内板高乗寺の縁起案内板8仏の石仏卯年🐰の守り本尊の文殊菩薩私の守り本尊😁酉年🐔の守り本尊不動明王孫ちゃまの守り本尊丑寅年の守り本尊虚空蔵菩薩り〜ちゃんと長女の守り本尊武相卯歳観音霊場の幟旗と正面には本堂六地蔵鐘楼堂手水舎本堂曹洞宗寺院の高乗寺は、龍雲山高乗寺と号します応永元年(1394年)永井大膳大夫高乗が開基、峻翁令山大和尚を招き開山しました永井大膳大夫高乗は片倉城
八王子の吉祥院の続きです😁児育地蔵堂お地蔵様吉祥院二十三夜堂跡の石碑と縁起案内板鐘楼堂稲荷堂十五仏がズラリと並んでおります二十三夜堂勢至菩薩と観音菩薩が安置されている様です吉祥院がトトロのお寺と言われている理由が分かりました😁トトロとメイちゃんだわ~ネコバス小トトロに中トトロカンタのばあちゃん?カンタのばあちゃんをイメージしてるとか…なんと軒下には真っ黒クロスケもおるよ如意輪観音納経所横には花御堂と誕生仏あれれ?!私、本堂の写真どうした?撮影したつもりだっ
武相卯歳観音霊場巡りの続きです喜福寺→金剛院→信松院→真覚寺の次には長安寺へ〜🏃🏃🏃長安寺山門武相卯歳観音霊場の幟旗と参道この敷石は、武蔵中央電気鉄道で使われていた敷石です八王子から高尾の甲州街道を走っていた路面電車で、1939年に廃線になりました本堂曹洞宗寺院の長安寺は、祥雲山長安寺と号します創建は不詳、陽山嶺日敦大和尚(正保2年1645年寂)が開山したと伝わります御本尊釈迦牟尼仏武相卯歳観音霊場四十八ヶ所21番札所回向柱と御手綱本堂には葵の御紋徳川家から御朱印を
信松院の松姫にさよならして、次に向かうは真覚寺寺号標と御開扉合図の幟旗本堂真言宗智山派寺院の真覚寺は、常光山観音院真覚寺と号します寺伝によると、鎌倉時代中期の文暦元年(1234年)の創建と伝わる応永18年(1411年)に、長山修理亮忠好が中興し開基、降源が開山御本尊不動明王武相卯歳観音霊場四十八ヶ所22番札所多摩四国八十八ヶ所霊場71番札所花まつり💐なので、花御堂と誕生仏ここでも甘茶をかけさせて頂きました😁お地蔵様鐘楼堂天保年間(1830〜1844年)建立心字
みんなの回答を見る今年や来年以降確実に推進会や地方部総会なども再開されていくんだろうなぁ。僕自身もう絶対信心と真剣に向き合いはしませんがね。(マジか)静岡に御登山をしに行くにあたっては行きと帰りの高速で何を飲み食いするかってところに重きを置いていきますから。バス移動中も寝入っちゃうし御開扉(ごかいひ)やってるさなかも横に知り合いが座ってなけりゃちょっと寝ちゃったりもしますから。(マジか)今後ますます県外への移動が続いてくるからこそに複数のチャージャーを持ち歩くこともスゴくいろんな意味が
4月8日武相卯歳観音霊場四十八ヶ所の巡礼3回目…この日は京王八王子駅の福傅寺から高尾駅の高乗寺迄を歩き遍路の予定〜午後から雨予報が出てたのと、早めに京王八王子駅に到着したので、予定変更して、喜福寺から札打ちを始めました京王八王子駅から徒歩40分喜福寺に到着〜🏃🏃🏃山門タヌちゃん🦝シャクナゲかな?階段を上がると本堂の様ですちょっと変わった六地蔵御開扉の幟旗本堂真言宗系単立寺院の喜福寺は、北岸山喜福寺と号します寺伝によると、宗伝(応永元年1394年寂)または、亮慶(永享
武相卯歳観音霊場の続きです宗保院→祥雲寺の次は西成瀬の観性寺へこの階段を登ります本堂曹洞宗寺院の観性寺は、三枝山観性寺と号します観性寺は、東雲寺3世松山南茂和尚が万治元年(1658年)開創御本尊の如意輪観音は行基作と伝わります御本尊如意輪観世音菩薩武相卯歳観音霊場四十八ヶ所4番札所回向柱と御手綱本堂扁額弁財天日枝神社武相卯歳観音霊場の御朱印この日は宗保院に1時半に到着そこから徒歩移動でしたから3ヶ所のみの札打ちでした~😭あ〜松岳院まで行きたかった…😓
武相卯歳観音霊場御開扉巡りの2回目宗保院の次は昨年も御開扉で訪れた祥雲寺へ〜寺号標祥雲寺さんは石仏が沢山〜今年の干支の🐰六地蔵仁王門ちょっと小ぶりの仁王様本堂とマニ車本堂の縁起については昨年の薬師霊場の時のリブログ記事を参照して頂ければ幸いです😅本堂扁額ライオン🦁みたいな狛ちゃん観音様と守り本尊の石仏観音堂御開扉の観音様はこちらで拝観出来ます昨年の武相薬師霊場のお薬師様もこのお堂で拝観しました武相観音霊場の御朱印直書きで拝受しました達筆過ぎる御住職の筆さばきに
4月6日母が亡くなって2ヶ月妹宅で位牌を預かって貰っているので、月命日のお詣りと、残ってる手続きや入金返金されたものを2人で確認4時間程の空き時間に2回目の武相卯歳観音霊場の札打ちを町田界隈でしました先ずは原町田の宗保院へ〜🏃🏃🏃寺号標鐘楼堂御開扉の目印の武相卯歳観音霊場の幟旗仁王門あみあみの中の仁王様六地蔵福寿観音水屋おぉ~これは秋葉大権現様か?本堂曹洞宗寺院の宗保院は、金森山宗保院と号します宗保院は、大河伊与(元亀元年1570年没)が開基、天文年間(1532