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明治神宮にて。落合莞爾さんや華頂さんが、明治の真実を少しずつ明かしてくれているおかげで、戦後の自虐史観が徐々に払拭されつつあります。日本國や世界の調和を促すために、古から並々ならぬ尽力されてきたご先祖様を敬うことは、極々自然なことです。その自然なことをさせないために、私たちはメディアや教育に洗脳されてきました。1人でも多くの人の洗脳が解けて、自然とご先祖様を敬える世となりますように。鎮守の杜は、来るものを拒まず、去るものを追わず、空から来る生きもの、陸を這う生きもの、あらゆる生命体を受
明治37年御製榊葉にかけし鏡をかがみにて人も心を磨けとぞおもふ明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「神前の真榊の枝にかける鏡を心の鑑として、己が姿をうつし、人間も神にあやかって、各自の心をみがくがよい」「上枝に八尺の勾璁の五百箇の御統の玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取り繫け、下枝に白和幣、青和幣を取り垂でて、この種種の物は、布刀玉命、太御幣と取り持ちて、天兒屋命、太詔戸言禱き白して~」(「古事記」岩波文庫)「榊葉にかくる鏡」とは
三上山(近江富士)昨日は朝は雨降ってましたが、午後からは雲が多いけど良い天気でした。ずっとびわ湖の西側の写真ばかり撮っていたので、今回は東側を撮るつもりで見てみたら、木の向こう三上山がいい感じだったので、いつもより大分引いたところから撮影しました。よーく見ると釣り人がいますので、探してみてください😉遠くの景色ばかり見ていたので撮影時は気づきませんでしたが、実は人が映り込んでました😅拡大してみると釣りをしている人なのはハッキリわかるけど、個人の特定はできそうもないので、肖像権的
明治37年御製言葉もて教ふることはやすけれどかたきは人のおこなひにして明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「言葉をもって人に教えるのはたやすいことであるが、それを行ないとして実行するのは、ほんとうに難しいことである」出羽国米沢藩藩主・上杉鷹山は、「してみせて言って聞かせてさせてみる」と言いました。山本五十六は「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」と言いましたが、これらには共通した部分があります。管理
明治37年御製苔むせるいはねの松の萬代もうごきなき世は神ぞもるらむ明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「苔むした古い巌に根を張って生えている松の古本のように、万代の後までも揺らぎのないこの世を、神はお護りくださるであろう」朝鮮半島、台湾、北京(北支事変)と戦いが続き、ついに国の存亡を賭けてロシアとの戦争が始まりました。陸軍は苦戦を重ね、近代戦の難しさを知ることになります。幕末そして西南戦争の頃から軍産政の癒着が深まり、様々な疑獄事件
上皇・上皇后両陛下が、東日本大震災の際に詠まれた和歌であります。天皇陛下が詠まれた歌は御製〈ぎょせい〉、天皇陛下以外の皇族の方が詠まれた歌は御歌〈みうた〉と言います。<東日本大震災の津波の映像を見て>黒き水うねり広がり進み行く仙台平野をいたみつつ見る上皇陛下<仮設住宅の人々を思ひて>被災地に寒き日のまた巡り来ぬ心にかかる仮住まひの人上皇陛下野蒜とふ愛しき地名あるを知る被災地なるを深く覚えむ上皇后陛下野蒜とは東松島市
明治37年御製言の葉にあまる誠はおのづから人のおもわにあらわれにけり明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「言葉に言いつくせない誠の心というものは、自然にその人の表情に現れるものである」「誠」とは辞書によれば、「真心。真実の心」という意味だそうです。では「真」とはなんでしょうか。何を基準にしているのでしようか。古神道では、特定の物差しを以て何かを評価するのではなく、惟神に沿っているかどうかを問います。しかしこの「惟神」に明確な定義が
「子供の心を忘れない」「ハッと驚く」感性を忘れないでいたいですね。「すなほなるをさな心をいつとなく忘れはつるが惜しくもあるかな」明治天皇の御製だ。大人になると、素直な心を失ってしまいがちだ。素直な心は、幼心(おさなごころ)でもある。子どもの頃は、好奇心があり、何も見ても「ハッと驚く」感性を持っている。そして、毎日をワクワクドキドキして過ごす。「感動すること」「ハッと驚くこと」「好奇心をもつこと」「ワクワクする
明治37年御製國民はひとつ心に望まもりけり遠つみおやの神のをしへを「神のをしえ」とは、惟神之道です。元々神道(古神道)には、経典、教義、教祖、戒律などありません。経典が揃い、また何かにつけ是は良い是は悪いと整理されていればわかり易いのですが、定まったルールや教義がないと、掴みどころがなく、頭で理解するのはとても困難です。日本に仏教が伝来してから、古神道は官製の「神道」となり、今あるような形式の神社をつくり、そこに神職やその組織、祝詞集や様々な理論が整ってゆきました
明治37年御製國民のひとつこころにつかふるもみおやの神のみめぐみにして明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「国民が心を一つにして国のためにつくしているのも、御祖神の御恵みがあってのことと思われる。」明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「国民が心を一つにして国のためにつくしているのも、御祖神の御恵みがあってのことと思われる」世界の強国ロシアとの戦いは、日本の存亡を賭けた戦争でした。天皇は決して望まれてい
明治37年御製國といふくにのかゞみとなるばかりみがけますらを大和だましひ日清戦争と日露戦争に際して、明治天皇は「開戦の詔勅」を出されました。そして、そこでは必ず国際法に関する一文が明記されました。たとえば、日清戦争の詔勅には「国際法に戻らざる限り」とあり、日露戦争の詔勅には「国際条規の範囲に於て」と書かれています。これは日本が戦争に際して国際法を順守するという道義国家としての宣言でもあります。ところが、大東亜戦争の時は、昭和天皇が何度も念を押されたにもかかわらず、
明治37年御製國のためあたなす仇はくだくともいつくしむべき事な忘れそどこの国でも若者が戦争に駆り出される時は、それぞれの国の政府命令によります。勿論志願する人もいるでしよう。なので一概には言えませんが、それでも人殺しがしたくて戦地に行く人は少ないのではないでしょうか。戦いの中にも慈しみと平和への思いが必要であるというのが、明治天皇のお考えでした。それは203高地戦の後の敵将ステッセルへの扱いによく表れています。それは世界各国で高く評価されました。武士道とでもいうべ
明治37年御製くもりなき人の心を千早ぶる神はさやかに照しみるらむ人は曇りなき心を持つことで、神々の輝きをまとうことができる。心が清らかではなく強欲で、自分たちの利益しか考えないような政商と軍人達が結託して、他国を侵略してゆく。局地的な紛争を繰り返すことで既成事実をつくり、それを国家間の戦争へと導く。19世紀であっても、このような初期の軍産複合体が暗躍していたように思います。日本でも日清戦争の結果、下関条約で、朝鮮の独立、台湾と遼東半島と澎湖列島の割譲、2億両の賠償金
明治37年御製きく人のこころのそこも洗ひけりよどまずおつる水のひびきに明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「間く人の心の底一までも、洗い清められたことだ。滞りなく流れ落ちる水のすがすがしい響きによって」1961年アイゼンハワー大統領の国民への離任演説で、彼は次のように語っています。「私達は政府の委員会などに於いて、意図されたものか否かに拘わらず、軍産複合体による不当な影響力を排除すべきです。」「この軍産複合体の影響力が、私達の自由
おはようございます✨いつも私の拙ブログにお越しくださりありがとうございますこれからもよろしくお願い致します。良い週末をお過ごし下さい(^^)d【御祭神ゆかりの主な出来事】明治七年(皇紀弐千五百参拾四)の今日。明治天皇が靖国神社に初の行幸。御宸筆の御製を賜る「我が國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」明治3年の今日・国旗制定記念日1870年(明治3年)のこの日、太政官布告の商船規則により、日の丸のデザインと規格が示されたことに由来するもの。
1月19日、歌会始の儀が行われました。来年のお題は「夢」宮内庁が歌会始の募集要領発表宮内庁は19日付で、来年の歌会始のお題を「夢」とする募集要領を発表した。応募は未発表の自作で1人1首。「夢」の文字が入っていれば、「夢幻」「夢中」「夢路」のよ…www.sankei.comこの和歌を詠む独特の節回しの練習には「君が代」を歌われると以前竹田恒泰さんがおっしゃっていました。竹田恒泰さんの君が代講座では、御製、御歌それぞれの節回しで「君が代」を歌われています。この歌会始は江戸時代
神社参拝⛩️旅好きレイキヒーラーのれいこです🤗埼玉県大宮の氷川神社さまに上がらせて頂いたあと今度は明治神宮さまへレイキの肇祖臼井甕男先生がリスペクトされてた明治天皇さまこの日は現代レイキヒーリング協会の新年靈授會があるので参拝者のなかにはレイキ関係者も多かったと思う🤗私もそのうちのひとり😁北参道から入った😁参拝の前にお腹空いて(笑)朝から何も食べてないここらで何かしらお腹入れとかないとあと靈授會の懇談会のディナーまでお預けになりかねない😣と団子とお
明治37年御製かぎりなき世にのこさむと國の爲たふれし人の名をぞとゞむる明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「この世のある限り後の世にまで伝え残そうとの思いで、国のために死んでいった人々の名前を、しっかりと留め残すのである」日清戦争の兵士の犠牲は13,800人でしたが、日露戦争の戦没者は88,429人、負傷者も15万人を超えました。厳しい戦いが予想されていたとはいえ、あまりに大きな犠牲に明治天皇も大変驚かれ、哀しまれたことと思います。
きょうの「朝日新聞」33面。🤔🤔🤔陛下、人々の笑顔に和んだ心情詠む歌会始の儀新年恒例の「歌会始の儀」が19日、皇居・宮殿「松の間」で開かれ、今年の題の「和」の文字を詠み込んだ歌が披露された。出席者にはマスクの着用を求めなかったほか、コロナ禍で絞っていた陪聴者の人数をコロナ前の約3分の1にまで増やし、この日は25人が出席した。(後略)(多田晃子)★★★ソレでは、御製をどうぞ。をちこちの旅路に会へる人びとの笑顔を見れば心和みぬう〜ん。アタシがいうとトヨエツもといセンエツき
❖皇室の新年恒例の宮中行事『歌会始の儀』が皇居・宮殿「松の間」で開かれました。今年のお題(勅題)は『和』💮天皇陛下・御製をちこちの旅路に会へる人びとの笑顔を見れば心和みぬ💮皇后陛下広島をはじめて訪(と)ひて平和への深き念(おも)ひを吾子(あこ)は綴れり💮敬宮愛子内親王殿下幾年(いくとせ()の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ❖来年のお題は『夢』ビジュアル百科写真と図解でわかる!天皇〈125代〉の歴史Amazon(アマゾン)${EVENT
後楽園を出て、お城を臨む茶屋で、茶蕎麦とミニカレーセットを戴く。量たっぷり。1500円橋を渡って、お城側から。正面が、お蕎麦食べた茶店。烏城を見て、庭を歩いて、岡山城へは、3度は来た事がありますが、来る度、企画が変わっているので、今日も違う筈。でも、今日はお城は眺めただけ。後楽園側へ戻り、ぐるりと川岸を歩いて、空襲で焼失したお城が再建されて、行幸された昭和天皇が詠まれた、御製。岸ちかく烏城そびえて旭川流れゆたかに春たけむとす右上に素敵な光。今日もありがと
明治37年御製橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本の國をたもたむ明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「橿原の宮で即位された神武天皇の建国の定めを拠り所として、わが日本の国柄を守っていきたいと願っている」「上則答乾靈授國之德。下則弘皇孫養正之心。然後兼六合以開都。掩八紘而爲宇不亦可乎。」日本書紀によればこのように述べられています。(建国の詔)「上は乾霊の国を授けたまひし徳に答え、下は皇孫の正を養ひたまいひし心を弘めむ。然して後に、
https://youtu.be/rm_taEVkw8I?si=XeveIRnARluMeVsh浦安の舞の歌詞は、1933年(昭和8年)昭和天皇が詠んだ御製です。「天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」古語では、うらやすのうらは心を表すそうです。心安らかに平和を願う意味が込められている歌詞なんですね。昨年初めて浦安の舞ワークショップに参加しましたが、次の所作に移るときの間に何かエネルギーが流れ行くような感じがしました
明治37年御製神垣に朝まゐりしていのるかな國と民とのやすからむ世を明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「神域に朝参拝してお祈りすることだ。日本の国が栄え、国民が安らかに暮らせる世の中であるようにと。」当時明治天皇は宮中祭祀に消極的でほとんどが代拝でした。しかし敬神の念が薄れた訳ではありません。日清戦争以降、代拝率増に比例するかのように、神を詠んだ御製が増えてゆきます。天皇は日清戦争に反対されていましたが、御決断される前に現場では
新年あけましておめでとうございます。「今年の抱負は?」と聞かれますと、やはり『明治天皇御製』の良さを皆さんに知って頂きたいということです。明治天皇御製は、レイキの世界では125首が有名ですが、意外とその重要性を知らない方も多くおられるようです。肇祖(ちょうそ)臼井甕男先生は、レイキ実践者の心の糧にと、明治天皇御製から125首を選んで、その御心をしっかりと学び人格形成の基とするようにと指導されました。しかし、日本のレイキ実践者の中にも明治天皇御製を知らない人は多数おられます。また
明治37年御製かみかぜの伊勢の内外のみやばしら動かぬ國のしづめにぞたつ日本が神国であるという記述は、日本書紀の神功皇后紀に初出します。解釈はいろいろありますが、私は「神祀る国」という意味だったと理解しています。その後、南北朝時代の北畠親房が「神皇正統記」に「大日本ハ神国也」と述べたことで、日本=神国という思想が確立した感があります。ただ、ここでの神国は神が守る国という意味も含んでいました。それは鎌倉時代の元寇(弘安・文永の役)の経験が重なったからです。当時
明治37年の御製です。おもひ入るこころひとつによりてこそさかしき道もわけつくしけれ明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「成し遂げようと思いつめる心ひとつの力によってこそ、険しい道も踏みわけつくして、目標へたどり着くことができるのである」この時期はまだ日露戦争の激戦が続いていました。37年末に旅順が開城されますが、日本海海戦は38年の5月なのでまだ始まっていません。37年2月に日本がロシアに対して最後通牒を発令してから、同月に仁
○2023年9月9日に、台湾故宮博物院を訪れ、3階の、『故宮博物院翠玉白菜・肉形石』、『故宮博物院:玉器精華展』、『鑑古─乾隆朝の宮廷銅器コレクション』、『故宮博物院:古金耀采』と見て来て、やっと2階へ移った。○その2階では、『故宮博物院ー筆墨見真章』、『故宮博物院ー筆歌墨舞』、『書畫家的幽默感』、『故宮博物院:摶泥幻化—院藏陶瓷精華展』、『故宮博物院:摶泥幻化—院藏陶瓷精華展2』と見て来た。○すでに12時を過ぎていたが、1階へ移動して、そのまま見学を続けることとした。その1階で最初に見たの
明治37年御製おもふこと常にたえせぬ世にしあれば心はひろくもつべかりけり明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「次から次へともの思いの絶えないこの世の中だから、心ばかりは広くゆったりと構えて過ごしたいものである」明治天皇の重圧は、とても想像できません。国の存亡を賭けた戦いに直面し、一喜一憂の戦況に心を悩まされたことでしょう。トップは孤独なものです。ひとりで責任のすべてを背負い、戦地の軍人達に心を寄せ、犠牲者とその家族の心情を受け止めて、
本日は旧暦11月2日となりますが、正王元年十一月二日、西暦では1288年11月26日、後宇多天皇に第二皇子の尊治(たかはる)親王が誕生しました。尊治親王とはその後即位され後醍醐天皇となられる方です。後醍醐天皇は、日本史で必ず教わる天皇の内でも有名な天皇です。私も歴史を再勉強するまで、ほんの数人しか知らなかった天皇の内のお一人が後醍醐天皇でした。この当時の朝廷は大覚寺統(亀山天皇系)と持明院統(後深草天皇系)の二つに分かれていて、相互に天皇が即位されるという状況でした。祖父の亀山