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今年ももうすぐ終わってしまいますね…。ホントに1年が経つのは早い…。ブログもあまり更新できませんでしたが、直近の記事を見ると三笠宮妃百合子殿下の薨去の記事が印象的です。明治宮殿正殿何かで明治宮殿をご存知の方が、的なことを目にして、本当に激動の時代を乗り越えて生きてこられたんだなぁと感慨深いものがありました。明治宮殿豊明殿白黒写真でしか知らない明治宮殿の実際をご存知の方が今年までご存命だったなんてスゴイことです。前に『幻の室内装飾ー明治宮殿の再現を試みる』展を訪れた際のニュース記
大礼服のことで、福岡市博物館の『黒田侯爵家の名品』という展覧会のポスターを見て思ったんですけど…。最後の侯爵の黒田長禮さんって1903年と1904年に御裳捧持者を務めていたんですね!黒田長禮侯爵1903(明治36)年御裳捧持者集合写真上の写真の3列目の右端の人がそうですね。1904(明治37)年御裳捧持者集合写真上の写真だと2列目の右端の人ですね。当たり前ですけど集合写真に写ってる中学生の頃の姿と比べると、かなり印象が違うな〜と。相馬孟胤の渡欧に際し東京駅にて大正13(
イギリスで議会の開会式があったことをニュースで見ました。7日、ロンドンの英議会(ウェストミンスター宮殿)で演説を行うチャールズ英国王ページボーイは戴冠式の時と同じメンバーですね、やはり。ウィリアム王子の代わりに1人新しく入られてますけど…。カミラ王妃の方は戴冠式の時の妹さんのお孫さんとそのご友人だそうです。ちょうど思いつきで明治神宮の昭憲皇太后の展覧会の図録を見た後だったのでタイムリーだなと。先日、修復後、初めてお披露目された大礼服の修復前の姿の写真が載ってます。あとは通常礼服が…。
京都のルーブル美術館展に行きたいなと思って本箱の中を探していて、ふと御裳捧持者の衣装のことを思い出して…。白い梵天って水干の菊綴の変形だったんですね〜。でも言われてみれば、そんな気がするな〜と…。“往昔の内豎の服に西洋風を折衷して新たに定められたもの”ということらしいですから、然もありなんと…。そういうことを意識して見ると、可愛らしさが増して見えます?少なくとも自分はヨーロッパのそれより、日本の御裳捧持者の御役服のデザインの方が好きです😀マント・ド・クールもスゴく素敵だと思います😍
先日、NHKで『雨の神宮外苑学徒出陣・56年目の真実』を放送していたので、途中からですけど、ついつい観てしまって。せっかくだからDVDを観てみようとゴソゴソしていたら、こんなものが目について👇『侯爵家のアルバム-孝允から幸一にいたる木戸家写真資料-』という国立歴史民俗博物館の展覧会の図録です。木戸孝正さんは馴染み薄いですけど、木戸孝允さんと木戸幸一さんは日本史でお馴染みの方たちですよね。4歳3ヶ月の木戸幸一と3歳3ヶ月の木戸小六明治26(1893)年11月6日鈴木一真撮影少年時代
今日、自分のブログを見ていて気づいたんですけど…。明治神宮の公式ハッシュタグランキングで1位になってるじゃないで姿⁉︎男子大礼服は4位だし…。宮中新年儀式と御裳捧持者②は46位だし。なので、『歴史を拓いた明治のドレス』と『明治宮殿のさんざめき』と『宮中新年儀式と御裳捧持者』を読み返してみました?“みやびなる明治宮殿”の巻頭写真特集が良いですね。皇后美子着用の大礼服御裳捧持者明治宮殿正殿御学問所外観皇后宮御座所写真を見るだけでテンション上がりますヽ(*^ω^*)ノあと筆者
今日は星組宝塚大劇場公演『1789-バスティーユの恋人たち-』の一般前売りでした。朝10時からガンバってなんとか観られることになりました(*´꒳`*)それにしても『1789-バスティーユの恋人たち-』が、そんなに人気あるなんて思わなかったから今回のチケット難ぶりには驚きました(゚ω゚)まぁ、でもロナン役は礼真琴さんに似合いそうですよね。見た目は勿論、卓越した歌唱力がありますから。制作発表会で歌ってた《愛し合う自由》って歌も素晴らしかったですし。今回はオランプ役がヒロインだし、前回
今更ですけど、5月6日にイギリス国王チャールズ3世陛下の戴冠式がありましたね。現代風に簡素化されたそうですが、それでも荘厳で格式の高さを感じる式でした。「聖エドワード王冠」を頭上にいただいたチャールズ国王の姿は神々しさを感じました。そして、個人的には“ページ・オブ・オナー”を務めた少年たちが印象的でした。戴冠式終了後は大英帝国王冠に被り替えて…。ジョージ王子も9歳という若さ(?)で立派にお役目を果たしていて素晴らしいと思いました。当たり前ですけど、マント捌きって大変そうだなぁと思い
“麗しき御裳捧持者”の振り返り投稿があがってたので…。みんなの回答を見る記事を書いてから1年も経つのか〜と驚きました。『宮中新年儀式と御裳捧持者』の巻末に英国議会開会式では現在も御裳捧持が行われていると書かれてますけど…。素直に素晴らしいことだなぁと思います。キチンとした形で行われたのは今のところ2019年が最後ですけど…。今年はエリザベス女王が足に歩行困難が見受けられるということでチャールズ皇太子が代理で出席されてましたが、ページボーイの出番はなかった…。ガーター勲章授与式の後の
先々週に振り返り投稿の記事があがっていて、そういえば昭憲皇太后の大礼服の修復はどうなってるのかなと思い出しまして…。そんな時に本屋さんで☝️の本が目についたので買って読みました。東京新聞で連載していた“よみがえる明治のドレス”を書籍化したものです。修復前の昭憲皇太后の大礼服(大聖寺門跡蔵)修復前は経糸の劣化によって緯糸が浮いてしまっていた。修復は緯糸を駒縫いで留め付ける作業が行われた。修復中の大礼服の劣化の詳細の写真も載せてくれてます。刺繍の金属モール糸が外れ、泥紙が露わになった修復
振り返り投稿で『おんもほうじしゃ』の記事があがってたので、なんとなく書いてみました?みんなの回答を見る皇后陛下の御裳は4人で捧持して2人が扈従するというのがスゴく絵になるな〜と思います。ところで、この記事で取り上げた徳川熈大尉の関係で振り返り投稿に上がってきたのかななんて思ったりして?徳川熈大尉(戦死後少佐)。昭和18年7月12日、ソロモン諸島で戦死昭和6年(1931年)御裳捧持者徳川熈氏徳川熈大尉って、なんだか御裳捧持者の御役服姿の写真と印象が違うな〜と思ったんですけど、他の元
みんなの回答を見るそういえば『御裳捧持者の写真』の記事も1年経つんですね〜。何日か前に今年のガーター勲章叙任式のニュースを見て、ページボーイがいることに感動しました。イギリスは第二次世界大戦の戦勝国だから、戦前からの伝統を忠実に守っていられるんですね〜。大礼服の香淳皇后日本も第二次世界大戦で負けなかったらマント・ド・クールや男子大礼服は廃止されなかったのかな…とか、つい考えてしまうんですよね。大礼服の昭和天皇と通常礼服の香淳皇后ローブ・モンタントは今も健在ですが…。2019年の
みんなの回答を見るホントは昨日、記事を上げようと思っていたのに今日になってしまいました。そういえば『明治時代の生活は』って記事も1年前になるんですね〜。それから“明治”って2番目に長く使われた元号だったんですね!それもなんだか感慨深い…。明治という時代を改めて考えてみました。明治時代は現代の礎が築かれた時代です。初めて電灯が点いたのも鉄道が敷かれたのも明治時代。1日が24時間、1年が365日になったのも明治時代。子どもが小学校に通うようになり、大人が新聞を読むようになったのも明
みんなの回答を見る今日、何となくブログのトップページを見たら過去の記事の振り返り投稿の提案が上がっていたので…。『華麗なる明治』の図録のコラムを読んで、明治30年の御裳捧持者って誰が務めたのかな〜と何となく気になってたので『宮中新年儀式と御裳捧持者』を見返してみました。1897年、って、西暦で聞くとスゴい昔だな〜と思ってしまいますね…。明治30年御裳捧持者三条公輝氏若き日の三条公輝公爵が確かに可愛らしい。明治・大正・昭和と受け継がれてきた制度ですから親子で奉仕された方も大勢いら
今日で『華麗なる明治ー宮廷文化のエッセンスー』展が閉幕したんですね!令和への御代がわりに関する展覧会も、これで一旦、一区切りなんでしょうかね…。この展覧会では御裳捧持者のことにチラッと触れていてくれたのが良かったですね〜。明治宮殿の存続と命運を共にした制度なのに、これまでは、あまり触れられることがなかったですから…。『宮内省内豎、舎人、馭者、配膳人、玄関番、仕人等ノ服制ヲ定ム』明治21.10.01.内閣行政文書、国立公文書館それと今回の展覧会に合わせて『いざ、明治宮殿へ』と題し
そういえば、『華麗なる明治ー宮廷文化のエッセンスー』展の図録を通販で買って読んでたんですけど、やっと読み終えました。第1章では明治天皇の愛用品が色々と載ってますけど…。御軍衣明治天皇着用明治13〜明治19年(1880年〜1886年)軍衣は明治19年に改正される以前のものですね。こんな古いものがキチンと保存されていることに驚きます😲安芸宮島図金カフスボタン明治天皇遺品明治33年(1900年)金のカフスボタンや剃刀なんかも。これらの品々は貴重なものだな〜と思いますね、ハイ。剃
最近の記事のアクセス数を見ると、御裳捧持者についての記事が多かったので、何でかな〜と思ってたんですけど、茨城県立歴史館の『華麗なる明治-宮廷文化のエッセンス-』展が始まったからなんですね?会場には明治45年の御裳捧持者の集合写真も掲出されてるようで…。エントランスにはこんな撮影スポットも用意されてるんですね!なるほど〜と思いまして。“御裳捧持者”とは何ぞや?と思いますよね。それで御裳捧持者に関する記事のアクセスが多かったのかなと。女子宮廷服が沢山あるということですから、個人的にはスゴく興
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。元日といえば、今日は“新年祝賀の儀”があったんですね〜。去年と同様、ティアラ無しというのが寂しいですが、コロナ禍の国民へのお心遣いということですから有り難いことです。天皇・皇后両陛下のご長女の敬宮様が公務デビューを果たされたのも喜ばしいことです。あのお小さかった宮様が…と保護者的な感慨に耽ってしまいます。そして前にも何度か記事にした御裳捧持者のことも思い出してしまいます。昭和戦前期まではマント・ド・クールが新年式で着る
『宮中新年儀式と御裳捧持者』に載ってる大正五年御裳捧持者の渡邉昭さんの体験談のインタビューを読んで…。男子大礼服は細かい規定があるんですよね。せっかくだからちょっと書いてみようかと。∬有爵者大礼服∬有爵者大礼服は華族が着用する大礼服であり、爵服とも称する。有爵者大礼服の上衣は竪襟の燕尾服型で、房のある肩章を付ける。竪襟と袖口、帽子の右側面の一部は爵位によって色が異なり、公爵は紫、侯爵は緋、伯爵は桃色、子爵は浅黄、男爵は萌黄とし、この部分に飾章の五七桐文と桐唐草文を表す。有爵者(公爵
『明治・大正・昭和戦前期の宮廷服』の図録の主要参考文献に『宮中新年儀式と御裳捧持者』があるので、つい両方を読み返してしまいます。それで思い出したのが実際に御裳捧持者をされた方の話。一応、記事にしてみました😅わが国でも御裳捧持は大切な役目とされ、その人選は慎重に行われた。『昭憲皇太后史』には「第一に風采端麗の者を選ぶ、次に本人の学業成績を閲し、平素の行状、両親の身分、並びに職業、家庭の有様等を調査して」とある。昭和19年の御裳捧持者、神山昭彦氏の辞令「容姿端麗だったかどうかはわかりません
みんなの回答を見る『明治・大正・昭和戦前期の宮廷服』の記事を割とご覧いただいてるんだな〜と思って読み返してみると、なかなか興味深い内容だなと思ってリブログしてみました?図録の表紙にも使われている昭憲皇太后のマント・ド・クールが素晴らしいですね。バックスタイルも手抜かり無しって感じで。あと、スカート部分を後ろに大きく裾をとっているのが特徴的です。トレーン無しでも迫力がありますが、トレーンを付けると、これまたスゴい存在感で圧倒されますね。そして菊花の刺繍がホントに素晴らしくて見惚れてしまい
“おんもほうじしゃ”は皇后陛下や親王妃殿下の御裾持ちをした華族の子弟です。長さ3.9メートル、幅2.4メートルの引き裾は、きっと重かったでしょうねぇ。明治宮殿正殿そうは言っても、絢爛豪華な明治宮殿の正殿での儀式の様子を想像すると、とっても雅やかだったんだろうな〜と思います。戦闘第三〇四飛行隊長・日高盛康少佐。昭和20年8月15日、空戦の指揮をとった【「玉音放送」直前まで戦い続け、死んでいった“若き零戦パイロット”たち】というネットニュースで日高盛康さんのお写真を見て、ふと思い出して
今日で6月も終わりですね〜。6月30日といえば、水無月ですね。無病息災を願って、コロナにも打ち勝つようにとの願いを込めて、いただきたいと思います。水無月は旧暦7月1日に宮中で氷を食べる慣習に倣って、氷室から切り取った氷の形を模したお菓子を食べるようになったということで思い出したのですが、最近、なんだか『御裳捧持者の集合写真』の記事へのアクセス数が多いですね〜。そして“御裳捧持者”でネット検索すると、結構、色々とヒットするものですね。明治43年(1910年)御裳捧持者小笠原豊氏明治
緊急事態宣言が延長されましたね〜。ホントに3週間で状況が改善されるのかは分からないですけど…。明治37年(1904年)の銀座4丁目前に明治時代の生活は大変そうと書いたのを思い出して、『1億人の昭和史』の明治の巻を読んでみめしたけど、やっぱり明治時代は大変そう。電気はなかった。部屋の明かりは灯油のランプ。エアコン・扇風機はないので暑い日は風通しのよい場所で涼んだ。冷蔵庫はないのでスイカなどを井戸に吊るして冷やしたりした。暖房は、薪を焚べる暖炉。ガスはなかった。お風呂を沸かしたり、料
「明治宮殿のさんざめき』をなんとなくパラパラと流し読みしていて気づいたんですけど…。明治36年(1903年)の御裳捧持者の集合写真と紹介されてる写真は『宮中新年儀式と御裳捧持者』で確認すると、明治37年(1904年)のものですね!正しくはコチラの写真ですね↓まぁ、だから何なんだって感じですけど💦あと、『華ひらく皇室文化』の図録もパラパラと見てみたのですが、彬子女王殿下が序文の中で御裳捧持者のことに触れてますね。そう考えると今では御裳捧持者の存在自体は結構、知られてるのかな〜なんて思った
『宮中新年儀式と御裳捧持者』の最初に明治天皇・昭憲皇太后、大正天皇・貞明皇后、昭和天皇・香淳皇后のお写真があって、その後に正装姿の皇族のお写真や明治宮殿の写真が載ってるんですが…。昭憲皇太后御着用大礼服(マント・ド・クール)表紙になってる昭憲皇太后の大礼服や昭憲皇太后から貰ったトレーンに合わせて作られたという朝香宮妃允子殿下の大礼服も。こんなカバーもあるんですね。スゴい豪華で贅沢な品ですね♪朝香宮鳩彦王妃允子内親王殿下ご着用の大礼服(マント・ド・クール)朝香宮妃殿下の大礼服はアール・デ
なんとなく、自分のブログの人気記事一覧を見て、ビックリしました(´⊙ω⊙`)えらい前の記事ばっかりだったんで…。それで記事を読み返してる内に、御裳捧持者の本のことを思い出して読み返してみました。宮中では明治20年(1887年)から皇后陛下ならびに親王妃殿下方はマント・ド・クールと呼ばれる洋装大礼服をお召しになって、新年の儀式にお出ましになるようになりました。このとき、皇后陛下や親王妃殿下方のお召しものの裾をお持ちしたのが御裳捧持者です。この本は、宮中新年儀式と御裳捧持者についての歴史を明
先日から過去の記事を読み返しているのですが、2013年10月8日の『明治宮殿の暮らし』の中で使わなかった画像が沢山、画像フォルダ内に残っていたので、明治宮殿の画像をこの機会に公開しておこうと思います。1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で桜田門外の参謀本部が爆撃され、その火の粉が風に乗って飛び火し、明治宮殿は全焼しました…。そんなワケで、在りし日の明治宮殿を個人的に振り返りたいと思います…。明治宮殿は、旧・江戸城西の丸の跡地に建設されることが決定しました。1884(明治17
やっぱり、女子大礼服が見ていて楽しいですよね~御大礼服(マント・ド・クール)明治天皇の皇后(昭憲皇太后)着用明治20年代後半ボディとトレーンには緋色のビロード、スカートには白いサテンを使い、それぞれに菊花を刺繍しているという、ホントに超豪華なドレスですこれだけのものを仕上げるのに何十時間掛かるのでしょう・・・・・スカートは、後ろに襞が付いていて裾が長くとられています。このドレスは腰にトレーンを付けるタイプになっています。トレーンの長さは390センチ、幅240センチあるそう。
要は、去年の展覧会の図録のことなんです昨日の記事に自ら感化されて、読み直してみました。以前の記事では男性の大礼服を殆ど紹介できてなかったので折角の機会ですから今回、記事にしてみることにしました。文官(勅任官)大礼服加藤高明着用明治25-大正15年「文官」とは武官以外の官吏のことを云うそうです。「勅任官」は天皇の勅命によって任命される、一等・二等の高等官のことを指すのだそうです。非役有位(四位以上)大礼服渋沢栄一着用明治21-33年”非役有位”とは官職に就かず、位階に叙せ