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家にいるときの朝ごはんはバナナとヨーグルトとかごま豆腐が好きでよく食べます。大したものは作ってない。だから、お宿の朝ごはんはとっても楽しみ。ごはんが進んでしょうがない。今日もごはんをお代わりしてやりましたよ。昆布とかきゃらぶきとか好き。まだお宿の中、写してなかったね。中から入口を見た所。左手に御台所・受付が並んでいて通りに面したところは小物や手作り品を売ってました。入口から中を見た所。くまちゃんが座ってる後ろの引き戸のところはかつては厩(うまや
東京国立博物館で開催中の「江戸大奥展」江戸とパンダを楽しむ旅1日目で行っておりました『江戸とパンダを楽しむ旅【1日目】』ちょっぴり旅に出ておりました行き先は東京ただの観光です(笑)今回の旅のテーマは「江戸とパンダを楽しむ」ということで、まずは1日目東京に到着後、まず向かったのは…ameblo.jp会場内は一部のみ写真撮影OKNHKで放送された「大奥」の衣装が展示されていました。逆転大奥のほうです。録画したまま、まだ観れておらず早く観なくてはあとは歴代正室(御台所)のパネルも。
🎉【南野陽子&月亭方正舞鶴スペシャルショー】あの❤️“ナンノこと”南野陽子さんと月亭方正さんの豪華コラボが舞鶴にやってくる‼️🎤歌あり🎶🎭落語あり💃トークにダンスまで飛び出す、スペクタクルな120分‼️皆さま、乞うご期待✨📅開催日:2025年5月22日(木)🕡開演:18:30(開場18:00)📍会場:舞鶴市総合文化会館小ホール👤出演:南野陽子・月亭方正🎟チケット:前売4,000円(自由席)当日4,500円【チケット取扱・お問い合
くぎ‐かくし【×釘隠し】の解説長押 (なげし) などに打った釘の頭を隠すための金属や木製の飾り。御鈴廊下(おすずろうか)とは?意味や使い方-コトバンク日本大百科全書(ニッポニカ)-御鈴廊下の用語解説-江戸城内、将軍の生活の場である中奥(なかおく)から、御台所(みだいどころ)・側室(そくしつ)の居室のある大奥への通路で、出入りの際に鈴を鳴らして合図をしたためこうよばれる。普段は密閉してある御錠口(おじょうぐち)という杉戸をあけさせ...kotobank.jp鈴の音は神道が始
千代田城大奥は徳川将軍の一大ハーレムであり、女の園だった。さはさりながら、御台所(将軍の正室)や子供たちの暮らしの場でもあった。将軍は多くの側室や奥女中の中から夜伽(よとぎ)として将軍の寝所に呼び、一夜を共にし、己の欲望を満足させるが、目的はもちろん、世継ぎ(子供)をもうけることが主であった。徳川家斉(いえなり)などは子供が五十三人もいた記録がある超多産系将軍だった。ここでは『大奥秘話』などの俗書を取らず、『系図纂要』『神君年譜』他の史料に依って前回の続き「染子」の実態を再掲として記す
第69回静岡まつりを観に行って来ました。駿府大演舞場拝謁の儀花魁道中大御所花見行列和太鼓演奏・わくわくプレイランド・葵舟火縄銃演武青葉会場
このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。天璋院篤姫シリーズ前回のお話はこちらから『天璋院篤姫④「日
このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。天璋院篤姫シリーズ前回のお話はこちらから『天璋院篤姫②「凛
この春に開かれる静岡まつりのメインイベント「大御所花見行列」の御台所役が決まりました。静岡市で開かれる静岡まつりの大御所花見行列で、徳川家康の正室・御台所役などを決める選考会が行われました。書類選考を通過した9人は静岡まつりへの思いなどを語りアピールしました。静岡まつりは4月4日から3日間開催されます。大御所役はタレントのつるの剛士さんとお笑いコンビ「ずん」の飯尾和樹さんが務めます。YahooNewsより
福が離婚に至った理由として『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』にはこう書かれています。福が夫に恨みを抱き、まだ幼いわが子の稲葉正勝(後の小田原藩主)を抱きかかえて家を飛び出したというのです。福が夫の女性遍歴を苦々しく思っていたという史料もあり、離婚原因はいわゆる夫の「不倫問題」にあったことになります。現代の感覚からいっても、まだ、この説のほうが理解しやすいのではないでしょうか。ただ、そうなると福が夫と離縁したあとに竹千代の乳母になったことになり、通説とは順序が逆
先日、肉球変態部でお出かけ。こちらへ行って来ました〜初めて都立中央図書館とやらに行って来ました有栖川宮記念公園とやらの中にあるのねー知らんかったなんだったら有栖川宮公園も知らんかったけどよろしければズームにして良くご覧になってみてくださいな将軍さまかなり多忙と書かれてるけど?そう?そんなに働いてなさそうだけど??←打首確定御台所なんて着替えすぎじゃね?しかも、将軍より良い物食べてるとか。現代じゃ悪妻と呼ばれますよ?←打首かつ野晒しの刑確定
名称:龍岡城別名:龍岡五稜郭、桔梗城城郭:稜堡式遺構:御台所築城年:1864-1867年築城主:松平乗謨(大給恒)主要城主:大給松平氏所在地:長野県佐久市田口下町3000-1指定文化財:国史跡続日本100名城水堀石垣御台所田口城からの眺望城郭図龍岡藩高札場
宮尾登美子の『天璋院篤姫』を読み終えました。下巻は家定薨去の後、家茂が将軍に就き、公武合体の思惑で皇女和宮が将軍に降嫁するところから始まる。後家となった篤姫(天璋院)は、大奥3千人の尊崇を集める御台所。和宮入城後、大奥は江戸方と京方に分かれ、二派の熾烈ないがみ合いが繰り広げられる。薩摩の分家から嫁ぎ、徳川の人間になり切って大奥を統べる篤姫。朝廷を至上のものと考え、万事に御所風を貫く和宮。そんな二人はそれぞれ江戸方と京方の女中たちに取り巻かれ、打ち解けるわけがな
『吾妻鏡』建保4年(1216)3月5日付で、14歳になった竹御所が祖母の北条政子の計らいによって、鎌倉幕府三代将軍源実朝の御台所(京の公家出身の姫)の猶子になった事実が確認できます。こうして竹御所はあらたに実朝夫妻という家族を得たものの、17歳の時、実朝が暗殺されて再び家族を失ってしまいます。そして、事実上唯一の肉親といえる政子が嘉禄元年(1225)に亡くなると、その葬儀を竹御所がとりおこないました。彼女が喪主の立場だったことがわかります。実朝亡き後、政子が親代
鎌倉幕府を開創した源頼朝が死に、その次男、3代将軍実朝が暗殺されて源氏の血筋は絶えた――これは、日本史の常識です。しかし、その常識が覆されていた可能性がありました。この話のキーパーソンが竹御所という女性です。どんな女性だったのか、知られざる生涯を振り返りながら、頼朝の血筋を巡る謎に挑んでみましょう。「鞠子」が実名だとされますが、定かではありません。頼朝の男系の血筋が絶えた後、京の摂関家から迎えられた4代将軍九条頼経の御台所(正室)の住まいが竹御所と呼ば
第68回静岡まつりを観に行ってきました。花魁道中火縄銃演武和太鼓演奏拝謁の儀~出発式(駿府大演舞場)大御所花見行列~大御所ISSA(DAPUMP)さん大御所花見行列~御台所
と言っても老人の耳には届かず…。また土曜日実家に行ってきたんですが…。そこまで爆買いはしてないんですが買い物好きなのでやっぱり行っちゃうんでしょうね。なんとこの間、木曜日私が帰った後買い物に出たようです。その辺に何げなく打ち捨ててあるレシートを見つけました。あの日はすごく寒くて「今日はもう出かけない、暖かくしてるわ」って言ってたのに私が帰った後すぐ買い物に行ってる。だって、その日私もスーパー寄って実家に食べ物買ってきてるんだよ~!!!私が作ってきたものも最後
原作宮尾登美子『天璋院篤姫』脚本田渕久美子楽曲吉俣良レビュー一覧11~20回21~25回26~30回31~35回36~40回キャスト今和泉島津家於一(おかつ)→篤姫→天璋院宮﨑あおい島津忠剛(しまづただたけ)長塚京三篤姫の父お幸(おゆき)樋口可南子篤姫の母島津忠敬(しまづただゆき)岡田義徳篤姫の兄菊本(きくもと)佐々木すみ江奥女中
前回の豊臣完子繋がりで、その母親のお江の方の再嫁先での子供達について触れてみるお江は、近江の浅井長政と、織田信長の妹であるお市の方との三女として生を受けたやがて、浅井家が伯父の信長に滅ぼされると、母や2人の姉と共に織田家の庇護を受ける長姉が淀殿、次姉がやがて京極家に嫁ぎ、豊臣と徳川を和睦させるべく働いた初なのだけど、この2人の姉には子孫がいないお市の方が柴田勝家に再嫁するにあたり、姉妹は母と共に越前に移ったのだけど、今度は勝家が豊臣秀吉に滅ぼされ、その際、お市の方は勝家と運命を共にする
『大奥』ついに松平定信が本性を表しました。宝暦8年(1759)に生まれます。父は、徳川吉宗の次男田安宗武。定信は吉宗の孫。幼い頃から頭脳明晰で、将軍候補として名が挙がっていました。しかし、奥州白河藩に養子に出されたことで、白河藩主を務めることとなり、将軍への道は遠くなった。その頃江戸は、商業の発展を重視した田沼意次の政治により、華やかな江戸文化が花開いたが、一方で賄賂や縁故による人事も横行していた。大奥も意次と繋がり、政治力を取り戻していく。しかし、定信が11代将軍家斉の老中となり、大
なんだかんだで、やっとこさ紫式部のラスト忘れてた高階為章からの流れうかつにも、この人の流れから有名人バリバリ出てる為章の孫娘と中御門家成との間に四条隆季という人が生まれて、その流れから後嵯峨天皇の中宮や伏見天皇の生母が出ている隆季の子の隆房は、平清盛の娘との間に隆衡を生し、隆衡は坊門信清の娘との間に隆親を生すこの坊門信清の別の娘は鎌倉幕府の3代将軍、源実朝の妻となった人更に、隆親と足利義氏の娘との間に隆顕が生まれる足利義氏の母親は、北条時政の娘つまり、尼将軍政子の姉妹義氏から5
フジテレビが誇る時代劇の名作大奥シリーズ【大奥~華の乱~】が、今なら、TVerで無料配信しています!https://tver.jp/episodes/ep33e1u0yoTVer-無料で動画見放題TVer(ティーバー)へ、ようこそ。TVerにあるテレビ番組はすべて無料!最新話から過去人気番組まで見放題!tver.jp御台所鷹司信子をつとめた大好きな作品。みだいさん。自身、台本を読んでいても驚いた衝撃の最終話へいきつくまでの御台所信子の心のうちは、、、回が
今回は、徳川三代将軍家光の正室鷹司孝子の墓参りです。鷹司孝子とは江戸幕府3代将軍徳川家光の御台所。鷹司信房の娘。母は佐々成政の娘か。諱は孝子。家光との婚姻は、将軍家御台所を摂家など京から迎える先例となる。しかし、本理院自身は不遇で秀忠の命により城内の別御殿に住み中之丸様と称した。これは本理院の嫉妬深さのためといわれるが、詳細は不明。宝暦13(1763)年贈従一位。墓所は小石川伝通院。
皆さんは、江戸時代に最も幕府に影響を及ぼした女傑といえば、誰を思い浮かべるでしょうか?おそらく私を含め多くの方が、彼女の名を挙げることでしょう。春日局今日は、多くの歴史ドラマに登場する、徳川家光の乳母にして彼を3代将軍の地位に就かせた最大の功労者であり、江戸幕府隆盛の基礎を築いたといってもよい、この女性の命日・没後380周年にあたります。本名を斎藤福(ふく)といい、美濃の名代・斎藤一族の血を引く彼女は1579(天正7)年生まれ。父・斎藤利三は明智光秀の家臣
あなたの前世は・・・2回も家康さんからエールをもらい前世が大将軍とは何かの縁があるのかとおそれ多くも感じてしまうわたくしです(それでも女性に生まれたいので子供を持てなかった御台所かお局さまか)でも戦は嫌いですが、相手が攻めてきたら応戦しなきゃ国を乗っ取られる訳ですものねその当たりは仕方なく戦わざるをえない時を超えて今の世も戦いもあります控えたくても宗教に染まってしまった如く頑なになってしまうとコミニュケーションもアクセスもとれませんいつの世も平和
先週の大奥の仲里依紗の怪演が素晴らしすぎて唸ってしまった!思えば時かけの真琴のアフレコも素晴らしかった。好きすぎて何度も見た映画。仲里依紗凄いなぁ。床の演技もかなり色気おび熱が漂っていた。*ネタバレになるので以下は読まない方が良いです↓娘を亡くしても将軍として世継ぎを産まなきゃならん定め。子を失って錯乱してしまうのも見事でした。今回の大奥はフジテレビ版とはまた違って良い!際どいシーンあるがNHK凄いなと腰抜ける見応えのある良作になってる。ワシは大奥にいたらず
「日野富子」は悪女か救世主か。|千世(ちせ)|note北条政子、淀君と並んで三大悪女と言われている日野富子。彼女は本当に悪女だったのでしょうか?正直、私は彼女の生きた時代はまだまだ勉強不足で、本当のところの理解には及んでいないのかもしれません。特に「応仁の乱」の理由も、実に様々な要素が絡まっていて、文献を見直すたびに、新たな疑問が湧いてしまい、なかなか細かく事情をくみ取る事が出来ないでいるのです。…note.com
初代鎌倉将軍(鎌倉殿)である源頼朝、二代目将軍源頼家、三代目将軍源実朝。その源実朝と、妻坊門信子(西八条禅尼)のことを研究書でいろいろと調べていると、実朝の不信感、反抗心、孤独など、苦悩のようなものが伝わってきました。まず、①妻(御台所)を、京の都から娶(めと)りたいと言い出す。(ただし、当時実朝は13歳で、周囲の大人たちが計らったものだとする説もあり。ですが、私は、彼の後年の行動から、当時から自らの意志で、そうしたいと言ったのではないかと考えています。)②武芸はやらな
時代小説絶唱~身代わり姫の恋~源鞠子ー通称「竹御所」は鎌倉幕府二代将軍頼家の息女である。16歳年下の四代将軍頼経と結婚した。親子ほどの年の差夫婦ながら、竹御所と頼経の夫婦仲は極めて良好で、鞠子はやがて16歳年下の夫の子を懐妊する。当時、妻の鞠子は32歳、夫頼経は16歳。若い夫は妻の妊娠を殊の外歓んだといわれている。しかし、初産・高齢出産に加え、蒲柳の質で身体の弱かった鞠子は難産に耐えられなかった。鎌倉御家人たちに惜しまれながら亡くなった鞠子は、また頼朝の血を引く最後の源氏であった。
今日から5月。そういえば5月1日ってメーデーでしたね。もともと労働組合って縁がなかったので関係なかったけど、最近はどこ見てもそれらしい事って全くやっていない感じ。昨日の抜けるような青空から一転、今朝はどんより。午後から雨予報。まったくもって天気が悪い。それに寒い。昨日の青空に誘われて、近くをぶらぶらと歩いてきました。近くと言っても隣駅の近くまで。それにしても、これまで知らなかった旧跡が結構あるもんです。ぶらぶら途中の道の案内板に出ていた御台所の井戸。御台所