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ここに今、顕正会だけがいよいよまもなく二(に)百万(ひゃくまん)になる。この二(に)百万(ひゃくまん)の顕正会が真心込めて大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)に応(こた)え奉(たてまつ)らんとしている。その弘通の真心がついに佐渡(さど)に会館(かいかん)を建てるまでに来たんですね。私はこの事(こと)が有難い。いよいよこれから顕正会の御(ご)奉公(ほうこう)を貫(つらぬ)かなければいけない。このように、宗門は学会に諂(へつら)って国立(こくりつ)戒壇(かいだん)を否定し、偽(に
ことに今、日本国中だけではなくその日本国を諌めるべき正系門家が国立(こくりつ)戒壇(かいだん)建立(こんりゅう)の御(ご)遺命(ゆいめい)をなげうった。学会は極限(きょくげん)の大(だい)謗(ほう)法(ぼう)を犯してどうして国が守られましょうか。ついでに言(い)っておきますが、宗門は平成19年に塚原(つかわら)の地に石(せき)碑(ひ)を建てたという。これは信心(しんじん)からではないですよ。阿部日顕の名利の心から建てたんですね。実は今から十数年前、筑波大学の元教授と佐渡(さど)
そして、平(へいの)左衛(さえ)門(もん)は日本(にっぽん)の柱を倒したんです。大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)の御頸(おんくび)を刎(は)ね奉(たてまつ)ったんです。日本(にっぽん)が持つはずがない。ゆえに、たちまち自(じ)界叛逆(かいほんぎゃく)の大罰(だいばつ)が出てきたじゃないですか。大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)は竜(たつ)の口(くち)の大(だい)法(ほう)難(なん)の前に平(へいの)左衛(さえ)門(もん)が評定所(ひょうじょうじょ)に呼び出した時に「もし理不尽
さて、大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)の一代御化導における佐渡(さど)御(ご)流(る)罪(ざい)の意義というのはどういうものか。これを拝すると、まさしく三大(さんだい)秘(ひ)法(ほう)の御(ご)法(ほう)門(もん)を始めてお示し下(くだ)されたという所にあるんですね。ですから『三(み)沢(さわ)抄(しょう)』にはこう仰(おお)せになっておられる。「法(ほう)門(もん)の事(こと)は、佐渡(さど)に流(なが)され候(そうら)いし以(い)前(ぜん)の法(ほう)門(もん)は但(た
そして、この野外の大(だい)法(ほう)論(ろん)の4か月後に鎌倉(かまくら)からはるばると日妙殿(にちみょうどの)が幼子の手を引いて佐渡(さど)の大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)の下に参詣したんですね。。鎌倉(かまくら)から佐渡(さど)までは一千余里。その間には険(けわ)しき山があり、荒れ狂う海がある。しかも、当時は山賊(さんぞく)や海賊(かいぞく)も充満しておったんです。まして、この時は罰で自(じ)界叛逆(かいほんぎゃく)が起きて京(きょう)都(と)・鎌倉(かまくら)に内戦
一方、鎌倉(かまくら)にいる良観(りょうかん)は佐渡(さど)の念(ねん)仏(ぶつ)者(しゃ)達(たち)に「日蓮房(にちれんぼう)を殺害せよ」という指令を出しておったんです。そこで、佐渡(さど)の念(ねん)仏(ぶつ)の坊(ぼう)主(ず)達(たち)がみんな集まって謀(ぼう)議(ぎ)を為した。ある坊(ぼう)主(ず)は「今日蓮房(にちれんぼう)は塚原(つかわら)にただ一人でいる。どれほど力が強くても皆で射(い)殺(ころ)そうではないか」という提案(ていあん)をした。またある坊(ぼう)主(ず
で、佐渡(さど)の島というのは見ての通り非常に小さい島でありまするが「大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)が島に流されてきた」という噂(うわさ)はあっという間に佐渡(さど)中に知れ渡ったんです。島は念(ねん)仏(ぶつ)者(しゃ)でもって充満しているんです。そして、大(だい)聖人(しょうにん)を憎む心は鎌倉(かまくら)よりも強かったんですね。佐渡(さど)中が誤解をしてすっかり噂(うわさ)に騙されておったんです。どれほど大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)を悪僧と思(おも)っておったか。
そして、大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)の住まいとして宛(あ)てられたのは塚原(つかわら)にある三昧堂(さんまいどう)ですよ。三昧堂(さんまいどう)なんていえば名前はきれいですけれどもどんなものか。まず第一に、塚原(つかわら)という場所は佐渡(さど)で死人を捨てる山(さん)野(や)であります。佐渡(さど)では昔死人が出るとそれを全部塚原(つかわら)の山(さん)野(や)に捨てたんですね。その塚原(つかわら)の真ん中に(死人を弔(とむら)うという意味があったんでしょう)三昧堂
大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)が依智(えち)を立たれたのが文永8年10月10日ですね。今日が17日ですが、その1週間前の10月10日に依智(えち)を立たれた。そして、海を渡って佐渡(さど)の松(まつ)ヶ(が)崎(さき)に着かれたのが10月28日。そこからさらに険(けわ)しい山道を歩かれて配置先の塚原(つかわら)三昧堂(さんまいどう)にお着きになられた。佐渡(さど)は真ん中が平地でありまするが、両側に高い山が聳(そび)え立っておる。松(まつ)ヶ(が)崎(さき)から塚原(つ
さて、佐渡(さど)御(ご)流(る)罪(ざい)というのは大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)が「大(だい)難(なん)四箇度(しかど)小(しょう)難(なん)数(かず)知(し)れず」と仰(おお)せになっておられまするが、四箇度(しかど)の大難のうちの竜(たつ)の口(くち)の大(だい)法(ほう)難(なん)と一つなんですね。竜(たつ)の口(くち)の大(だい)法(ほう)難(なん)から分かれて一つの大難とするのではなく、竜(たつ)の口(くち)の大(だい)法(ほう)難(なん)から引き続き佐渡(さど)御(
ついに佐渡(さど)に会館(かいかん)が建ちまして、しかも、塚原(つかわら)を臨む側近き所に建てる事(こと)が叶いました。末法(まっぽう)の一切衆生をお救い下(くだ)さる大(だい)慈(じ)大(だい)悲(ひ)の大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)が骨まで凍る極寒(ごっかん)をこの佐渡(さど)で三度も耐え忍ばれた。まことにもったいない限(かぎ)りであります。全人類を現(げん)当(とう)二(に)世(せい)にお救い下(くだ)さる最(もっと)も尊(とうと)いお方が、最(もっと)も過(か)酷(こく
無糖博英です。佐渡会館御入仏式における浅井先生指導を掲載いたします。日蓮大聖人は竜の口の大法難以後佐渡に流罪され、約2年半の間3度の極寒の冬を過ごされました。佐渡においてお住まいとして宛てられたのは屋根や壁は隙間だらけのあばら家で、しかも、死人を捨てる野原に建てられた掘っ立て小屋の塚原三昧堂で、雪は屋内にまで吹き込んで床にまで積もる凄まじい所でした。その上、着ている衣は薄く、食糧も乏しく「今日切る、明日切る」との命の危険が伴う状態で、凡夫ならば3日とも持たない過酷な状況だったのです。
9月3日(日)、御住職様に千葉までお越しいただき、メンバー宅の御入仏式を執り行っていただきました。ブログを通してOさんからメールで問い合わせをいただき、昨年の6月にお子さん2人を連れて大石寺に参詣され、勧誡と御授戒を受けられました。その後は旦那様を折伏し、そして今年に入ってご両親も折伏され、前回の支部登山には6名揃って参加されてます。入信当初は、周りの創価学会員にバレないように、とひっそり仏道修行を希望されてましたが、やはり、正法に帰依し、正しく朝晩の勤行をさせていただ
7月22日(金)は、顕正会を脱会したメンバーの御入仏式でした。一人、また一人と、御本尊様を求めて信心に励む眷属が増えることはとても有り難いことです。正法に帰依できたからこそ、歓喜の信心をさせていただけるからですね今、世の中には22万近くの宗教団体が存在していますが、その多くは、邪義・邪法・邪師による似非団体です。皆さん、似非では幸せにはなりません『開目抄』「諸宗は本尊にまどえり。」『本尊問答抄』
先日、5月21日(日)は、2ヶ月ちょっと前に創価学会を脱会したTさんの御入仏式がありました。Tさんは、創価大学出身の方です。ニセ本尊に切り替わってから、朝晩の勤行をする際に歓喜を感じられず、疑問に思いながらも、創価学会に在籍し、ここ数年の間に何度か大石寺に足を運び参詣をしてた方です。勧誡を受ける際に、当初は、身内に内緒でとのことでしたが、それから毎月の御報恩御講に参詣している中で、彼自身に変化が起き、奥さんを折伏し、4月29日には大石寺に
10月15日(土)は、脱顕正会メンバーの御入仏式でした。本山から御住職様と御尊師様にお越しいただき無事に御入仏式を執り行っていただけました。御入仏式当日まで、迎え入れる諸々の準備があり大変ですが、やはり、御本尊様が御入仏され、御安置が完了すると部屋の中に魂が吹き込まれ安堵感と温もりを感じ、正しく常寂光土となります。これは日蓮正宗の御入仏式を体験され、自宅に御本尊様を御安置されている方であれば誰もが感じることです。ですが、私のメンバーで脱顕正会メンバ