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土曜日に和倉に着いて旅館に入る前に青林寺に夫が連れて行ってくれました門を入ると『御便殿は右側』と書いてあったのでお便所ではなく御便殿???なんと読む???と言いながら入り口に行くと扉が閉まっていて入場したい人は小さな鐘を鳴らすようにとありました鐘を鳴らそうとしたら扉があいてお庫裏さんらしき人が「いらっしゃい」と。「鐘を鳴らそうとしていました」というと「良い音なので鳴らしてみてみてください」と言ってくださり鳴らしてみましたやさしい音色です御便殿はごべんで
和倉の街中をブラブラ散策して和倉温泉に来たならと絶対に立ち寄らないと(^o^)いけない寺院に(^o^)お邪魔です本殿の右手に御便殿があります拝観を希望される方は据え付けの鐘を打って下さいと書いてあります鐘を打ってみると高い鐘の音でカンと音がしましたその音でお寺の方が出迎えしてくれます和倉温泉街のほど近くに明治25年に開創されました曹洞宗白巖山青林寺御本尊は薬師如来様御便殿【ごべんでん】の拝観や色々な体験できるのは日本でここだけでかもしれません
和倉温泉のガイドブックにこんなような写真(↓)が載っていたので、青林寺というところに寄ってきた。どうやらこの写真で有名になったようだ。ここのガイドさんに聞いた話を、備忘録として書いておこうと思う。(既にちょっとあやふやではありますが。。。)御便殿(ごべんでん)とは皇族が地方に来た際の休憩場所。維持管理が大変なので、普通は使用後すぐに壊してしまうらしい。現存するのは全国で3カ所だけ。うち一カ所は会社の敷地内なので公開されていない。和倉の御便殿は当時の皇太子(後の大正天皇)
二度目の訪問となった浜田城。本丸からの眺めと残存石垣の状況をさらっと眺めたところで、「←資料館」の看板が目に入りました。そうか。浜田城には資料館があったんですね(汗)。これまで1,700城ほどのお城を訪ねている筆者ですが、必ずしも資料館には立ち寄ってこなかったので、前回訪問の際には資料館の存在すら目に入りませんでした。山の下にあるようなので、車で山を下りて資料館にも立ち寄ることに。行ってみたらこれがすごい建物でした。遠目に見てもいやに重厚な日本建築だなあと思ったのですが、それもそのはず。この
斉藤静子さんたち都谷村の小学6年生は1924年3月に一日かけて広島に出て、翌日から二日間広島市と呉市をまわった。驚くのはその見学先だ。それはまさに「軍都広島」だった。一泊して比治山に登り御弁殿の前で記念写真をとり、みんな疲れた顔をして足を投げ出して写っています。そして、被服廠、糧秣廠を見学し、軍隊の服を縫う所と、牛を殺して肉の缶詰を作る所を見学し、血の流れる牛の肉を見て、もう肉は食べんでよ、と思ったものです。今度は、軍隊十一、七十一聯隊の中を見て、昼食は兵隊さんの食事を戴き、うどん茶碗
Bonjour!和倉2日目は晴れ、でっかい太陽が上がっていました。朝一番に行ったのは「青林寺」というお寺です。竹藪が美しくツツジの時期が良いとかツツジにはまだ早かったのですが素敵なお庭です。このお寺の客殿「御便殿本殿」が今話題になっているのです。1909年に後の大正天皇が皇太子の時に御休憩なさった建物。本当は七尾湾を見下ろす場所にあったものをこのお寺に移築したそう。皇太子がお座りになった所は200年前のままだそうです。天井なども素敵!こんなお部屋それが、この真ん中のテーブ
先週の日曜日のランチ香箱蟹のトマトクリームパスタ+サラダセットお友達の能登牛の濃厚ミートソースパスタ青林寺辻口さんのル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ☕️私の🍰友達の🍰
ブログにするのがずいぶん遅くなってしまいましたが…3/18(金)猿山で雪割草を愛でた後は門前にあるお蕎麦の『能登手仕事屋』さんへすぐそばに總持寺祖院があります訪れたのは何年ぶりだろう?平日とコロナ禍で最初は私たちだけでした(途中で地元の方が来られてました)てんぷらとわたしは生蕎麦(十割)娘は二八蕎麦を頂きましたお蕎麦はもちろんですが添えられていたお豆腐がおいしくて…後日、会社のH女史もご両親と訪れてくれて、お豆腐をお土産に買って帰ったのだと言ってました
この投稿をInstagramで見る拓朗🌞いしかわ観光特使🍡(@thanks_takuro)がシェアした投稿
『①外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で、幕府が威信低下し、そして、②最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避していくその間に起こった出来事に纏わる「お城」を採り上げる』シリーズです。前回のブログでは、「津和野藩」が「長州軍」の藩内通行を黙認した事を記載しましたが、「浜田藩」は、防波堤となると思っていた「津和野藩」が無抵抗であったことから、浜田、津和野両藩の境界付近である益田の「石州口」で、「大村益次郎」率いる「長州軍」と「幕府軍(浜田藩と福山藩)」両軍
朝は7:00に起床。昨夜遅くまで赤とんぼでダラダラとした割にはスッキリと目覚めて、朝ごはんを食べに出かけます。2月に広島に来たときに気に入った、中町の日の出鮨ありあけへ彼を連れて行くと、魚介類大好きな彼は大満足。そして、朝から飲む日本酒にも大満足。冷たい酒が体にしみ込んでいくうちに、体の隅々まで目覚めさせてくれるのです(注.意見には個人差があります)。朝食の後は腹ごなしに中央通りまで歩いて、三川町の交差点を渡ったところから旭町行きの赤バスに乗ります。今回の旅にあたって、彼はお父さ
【今日の気づき・学び第423弾】◆テーマ:インスタ映え、行ってみなけりゃ、分からない昨日今日と毎年恒例になっている親戚の集まりで和倉温泉へ行ってきました。そして今朝、宿泊先近くにインスタ映えするお寺があると聞いて、そこに皆で歩いていくことにしました。場所は「青林寺」ネットの画像を見ると、外の庭園が室内にある池?か何かの水面に移っているような写真。「どんなお寺???」そして到着してお寺の中に入ってみると…なんと外の景色が映っていた水面のようなものは、実はテ
こんばんは💚思わぬ時間が空いたので、先月12日に開館した浜田城資料館に出かけてみました🚗💨💨社会教育委員の会でも、この御便殿の活用や浜田城趾・資料館についての考えをまとめてきました📑💬それだけに、一体どういったものになっているのか気になっていました🍀開館してまだ1ヶ月も経たない状況ですが、駐車場には車がポツンと一台🚙止まっているだけ。入館してみると、来館者はわたし一人でした💧広い御便殿の内外をジックリ見学し、30分位の映像資料も観ました📺結局、1時間半程の時間を要しました⏱そ
長期間に亘って続けてきました御家門の松平家のお城シリーズも、いよいよ「浜田城」(島根県浜田市)で終了となります。浜田城復元CGI(城内案内看板より)「浜田城」の歴史と城主については、大坂夏の陣で戦績のあった吉田重治が入封して1620年代初めに築城します。その後、吉田家改易の後は松井松平家が統治します。この松井松平家は、戦国時代に今川氏や吉良氏に仕え、後に徳川家康の臣下になって松平家を名乗ることを許された家ですので、御家門の松平家とは少し違います。そして1836年に、「浜田