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昨日の日曜日は日帰りで富士山に登ろうか大菩薩連嶺を縦走しようか一丁平でピクニックするか前日まで悩んでいましたが、天気予報を見て、ロングコースは次回にして、今回は智子先生を連れてピクニックに行くことにしました。智子先生が前夜遅くなるというので、せっかくだから私だけ先に出発して近くの山を歩いておこうと八王子城跡へ行くことにしました高尾山の北には北条氏が築いた八王子城の跡があり、山城から北高尾山稜まで繋がって歩くことが出来る八王子城-Wikipediaja.m.wikipedia.
4/10水曜日2時間20分4kmのお散歩八王子城址駐車場広い駐車場の横にエビデンス施設まずは立ち寄りトイレとビデオガイド北条氏が築城、先日訪問の小田原城とも関係が深いらしいスタート殆ど樹林帯の道広い道を行きます唯一の展望東南の景色小屋の中に八王子神社築城の時に建築だから400年前山頂の本丸に本丸です~山頂としては広いけど城址としては狭く、天守閣が立つ広さではない下りは周り道でこの先に行きたいけどここは道でしょうか?Uターンして広
今日の東京地方は一日を通して曇り空で、傘をさすほどでもない雨がパラつくこともありました!気象庁のデータから東京地方の今日の気温の状況を確認しますと、最高気温の15.1℃が観測されたのが0時59分で、最低気温の9.0℃は11時38分に観測されていまして、つまり前日の気温が残っていた未明に一番気温が高くて、日中はそこから気温が下がって行ったことになりますね!それにしても、ようやく桜が見頃を迎えたタイミングで「花曇り」とか「花冷え」とか、天気がイマイチですねぇ(^^;さて今日の記事は「日本100
日本100名城の八王子城址。本丸へはここから1時間弱。はっきり言って、登城というより登山です😅ここまで来れば本丸までもう一息です。階段の上に見えるのが八王子の地名の由来となった八王子神社です。北条氏照が築城する際、八王子権現を城の守護神としたのが始まりということです。ネットで見た写真では朽ちかけた建物だったりしますが、どうやら以前の建物は台風で倒壊してしまい、最近再建されたもののようです。本丸は視界が開けていませんが、直下の松木曲輪からは遠く新宿まで見渡
日本100名城の八王子城址御主殿跡に向かう古道を10分弱歩くと、石垣に守られた御主殿跡が見えてきます。立派な橋を渡って行きます。八王子城御主殿入口の門です。この程度の復元がちょうどいい感じかもですね。御主殿は礎石が残っているほか、建物はないんですが、間取りが復元されていました。このような展示方法を初めて見ましたが、イマジネーションを掻き立てられ、中々いいですね。八王子城は山城なので、本丸ははるか山の上。普段は麓の御主殿エリアが政治の場であり、また、生活の場でもあった
続日本100名城の滝山城址を後に、タクシーで日本100名城の八王子城へ移動しました。所要30分強、¥4,700也。お城の麓にある八王子城跡ガイダンス施設の前で降り、先ずは情報収集。無料ですが、コンパクトによくまとまった綺麗な施設でした。受付に日本100名城スタンプもありましたし、八王子城と滝山城の素敵な缶バッジもありました。日本100名城スタンプは、小田原城に続く2つ目ゲットです。これで日本100名城も続日本100名城も残98づつ。先は長い😅予め八王子駅で弁当を購入し
1/15(日)~16(月)の2日間、東京・埼玉の「お城巡り」に出掛けました。16日(月)の午後からは、雨が上がることを期待して午前中に「滝山城」に訪城を済ませました。そして「八王子城」(東京都八王子市)の最寄り駅JR「高尾駅」で下車して、取り敢えずマクドでサッと昼食を済ませ、12時35分発の「西東京バス」で「八王寺城跡入口」バス停で下車しました。バスは約5分少しで着きましたが雨がまだ降っていたので、先程のカッパを被って登城スタートとなる「ガイダンス施設」まで約10分超歩きました。施設
御主殿へと続く虎口の階段を上っています。御主殿の門が見えてきました。直角に曲がるこの場所には櫓門があり、常時見張りが居ました。攻め手は守備側の総攻撃を浴びながら門を目指し、且つ閉じられた門を破壊しなければなりません。ここで落命した兵も数多いることでしょう。脳内ジュークボックスで「信長の野望」の城攻めのBGMが流れています。ゲームだと人命云々より勝つか負けるかしか考えませんが、リアルな城跡に来ると、その生々しさに足が竦みます。結果から言えば、門の向こうの人々は全滅しているのです。
先々週に桶スポに行った後、体力不足改善と思ってジムに行ったりとかしてたら身体が付いてこなかったみたいでまんまと風邪をひいてしまいましたワクチンも打ってたし喉が腫れたような感じだけで熱も出なかったのでコロナじゃないよなって思いながら病院に行きましたなんか風邪症状だと院内に入れてもらえず外のテントに回されて厳重隔離状態で診察されたけど、まぁ喉の腫れもたいしたことないなぁって言われて薬をちょろっと出されておわりでした。しばらくは大人しく過ごそうと思ってたら仕事の谷間
2020/12/29(火)九合目まで来たところです本丸周辺の曲輪の説明九合目には金子曲輪、本丸近くには松木曲輪、小宮曲輪などがあったそうです階段の上には八王子神社があります階段歪んでますね古いからねえ~八王子神社灯篭だけが神社の雰囲気を出してます・・・北条氏照が八王子城築城にあたり城の守護神とした八王子権現が祀られているよく見ると八王子神社って書かれてました神楽殿でしょうか舞台に上がったら床が抜けそうですこの階段の上に本丸跡があります
八王子城。御主殿跡の中央部。↑ここは、会所跡。池付きの庭園の南西側。↓そして、庭園の東側が“主殿”跡。(上図の黄色の部分の中央部。)主殿は、城主・北条氏照の執務室、及び、生活空間。そして大勢が集まる事が可能な広間も。御主殿跡の南東部の土塁上から会所跡方向を見渡すと…↓↓↓土塁の外側を見下ろすと、曳橋。
八王子城。御主殿跡、西部。↑通路跡と思われる遺構。↓下図、左側の青い縦線部分が通路跡。上図の左下部分の一際太い横線が…↓↑こちらは、石畳状の通路跡。↓石畳状通路跡の南側には、塀の跡。
八王子城。御主殿内、中央北部。ここは、柱穴跡が並んでいる。建物が在ったようだ。草原の中に規則的に並ぶ石が、微かに見えるが、これも建物跡。↓その向こうには、大きな石がゴロゴロしているが、これは池の跡らしい。↓池の在る庭だった模様。池の向こう側を歩く人神人(ひとしんど)君。↓更に奥へ!巨大山城八王子城精密ルートマップ(2016年版)
八王子城、御主殿跡。その北東部には、通路跡と考えられる遺構も。↑通路跡。↓通路跡と平行するように、“塀”の跡も。塀の柱穴らしき物も。更に奥へ!巨大山城八王子城精密ルートマップ(2016年版)戦国浪漫[堀籠隆]楽天市場2,200円合戦地図で読み解く戦国時代(SBビジュアル新書)[榎本秋]楽天市場1,100円日本の城改訂版第23号八王子城[デアゴスティーニ]【送料無料】《発売済・在庫品》楽天市場627円
八王子城、御主殿跡内部へ。御主殿跡遺構図。↓まずは、入口近く(北東部分)から。↑建物の礎石群。その手前に水路跡。↓礎石の近影。↓更に奥へ!巨大山城八王子城精密ルートマップ(2016年版)戦国浪漫[堀籠隆]楽天市場2,200円合戦地図で読み解く戦国時代(SBビジュアル新書)[榎本秋]楽天市場1,100円八王
八王子城。城主・北条氏照が通常政務をとっていた御主殿の入口へ。所謂、虎口(こぐち)。直角に左折する事、2回。カタカナの“コの字”型の通路。階段の高さ、或いは幅が一段ずつ微妙に違い、若干昇り難い。侵入して来た敵のスピードを落とす工夫かと。2つ目の折れ曲がりには、門が在った模様。それは櫓門だったかも知れないし、違うかも知れない。ここから、御主殿内へ!【お買い物マラソン限定価格】【高品質不織布マスク】マスク50枚+1枚在庫あり耳が痛くならない不織布マスク使い捨てマス
八王子城。曳橋を渡った先、左側には…↑謎の空間が。↓ここは、400年程前の石垣がそのまま残っていた部分。綺麗に立方体に加工した石ではない、古い形態の石垣、“野面積み(のずらづみ)”。渡って来た曳橋を振り返る。↓更に奥へ!巨大山城八王子城精密ルートマップ(2016年版)戦国浪漫[堀籠隆]楽天市場2,200円日本の城改訂版第23号八王子城[デアゴステ
昨日の続きです。今回は御主殿虎口から御主殿内部です。御主殿虎口の模擬復元冠木門です。下図ピンク色丸印の所です。1648年の古絵図です。この絵図から虎口は枡形になっています。現在は模擬復元冠木門があるだけです。門を入り、左側を見たところです。土塁が巡っています。この右にカメラを回すと御主殿内部です。江戸時代文政5年「新編武蔵国風土記」の八王子城本丸跡荒涼の図です。この本丸とは御主殿のことでしょう。文政5年は1822年のことです。大手道が山崩れで見え
8月26日、八王子城跡へ。https://hshiro.fuma-kotaro.com/広い無料駐車場があるのがウレシイ。バスでもアクセス可能。各所を見る前に、幟がある場所へ。ガイダンス施設(無料)です。中にはお城の歴史などが解説されています。ここでMAPなどをもらうといいでしょう。またこれより先には売店や自販機は無いので注意。八王子城は北条氏照が1571年頃(戦国時代)に築城。小田原城の支城でした。北条氏の家系。氏照は氏康の息子。北条氏照は元
どうも♪今度こそ!今度こそ!本気でダイエットをする!…と考え中のぽよパパです( ̄▽ ̄)H29.12.3(日)姫ママと日本100名城『八王子城』へ行って来ました♪八王子城とは…関東屈指の山城であり、小田原に本拠をおいた北条氏康(うじやす)の三男、北条氏照(うじてる)が築いたお城である。豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められ落城。この八王子城落城が決め手となり本拠の小田原城は開城、氏照は兄の氏政(うじまさ)と共に小田原城下で切腹し、北条氏は滅亡しました。さて
八王子城の御主殿は城主がガッツリ暮らしてたんだなっていうのがわかって、ちょっと辛いそんなわけで、御主殿の紹介はまだまだつづく主殿政治の中心だって屋根は板葺か檜皮葺きだったらしいぞ案外質素だよね彦根城で杮葺だのみてきた後だと、なんか主殿跡礎石らしきものが置いてあるだけ一応あちこちに何があったかが書かれた印が置いてある主殿の奥には掘立小屋何に使われたのかまではわからないのかな見張りとか?でも奥にそんなもの作らな