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歩いて訪れることができる有名な麗水の観光スポットをお探しなら?ハメル灯台と亀甲船大橋がおすすめです!韓国をヨーロッパに初めて紹介したオランダ人「ヘンドリック・ハメル」にちなんで名付けられたハメル灯台!ハメル灯台は青い海を背景に赤い灯台が映える昼も華やかな光を放つ夜も両方美しいので、ぜひお越しください。ハメル灯台に近い亀甲船大橋では、ケーブルカーに乗って高いところで麗水の美しい夜を楽しむことができます🚩全羅南道麗水市鐘和洞458-7
中山道熊谷→本庄東海道と比べると旧跡が少ないですが所々に残ってます中山道で現存する数少ない常夜灯レンガ作りの酒蔵お土産に買いたかったのですが残念なから重いので諦めました東京から80キロ走破しました実際には脇道や周り道をしてるのでもっと歩いてます小山川の橋脚菜の花の絨毯山が近づいてきました本庄駅に到着今回の徒歩旅はここまで今回は寒く強風でしたが快晴で良かったです3月の定休日3/274月の定休日4/3・4・10・17・18・24JUN
こんにちは。風子(ふうこ)です。今回は、私が中学3年間かけて琵琶湖一周した(今もしています)話を書いていこうと思います。そもそもビワイチ(琵琶湖一周)とは?メリットは?ビワイチとは、琵琶湖一周の略称で、自転車で琵琶湖を一周できるようになったサイクリングルートの名称です。自転車だと、プロ・普段から乗りなれている方なら1日、初心者なら2日で200kmを一周できます。しかし、歩きになると話は別です。もちろん、2日で行けるはずがないのでかなりの日数を必要とするのですが、そんな時間は私には
中山道鴻巣→熊谷お天気は良かったのですが強風の向かい風で歩き旅にはキツかったです鴻巣宿を出発します道の真ん中に大きい送電線を見つけてビックリところが道を間違えていたので出会えた奇跡強風の中誰も居ない土手を歩きますムサシトミヨという埼玉の冷たい湧水の川にしか魚だそうですこの街中で清流でした後世まで残して欲しい熊谷駅に到着だんだんと都市部から田園風景が増えてきて山並みが近くなって来ました本庄に続く3月の定休日3/274月の定休日4/3・4・10・1
サマーストーリー1989年7月29日公開今世紀初頭のイギリス、ダートムア地方を舞台に、二人の若者の淡く激しい身分違いの恋の行方を描く。あらすじ1902年夏、友人ロバート・ガートンと共にダートムア地方を徒歩旅行するフランク・アシュトンは、途中足を挫いてしまい、野原で出会った美しい娘モーガンが引き取られて暮らしているナラコウム夫人の民宿に世話になることになった。いつしかミーガンに心魅かれてゆくフランクは、足のケガを口実に、ひとりここに残っていた。そんな彼に敵意をむき出しにするのは夫人
中山道の起点皆さんがよく利用してる国道の起点です今回も日本橋から始まりました神田明神で旅の安全を祈願します巣鴨の商店街板の橋があったので板橋埼玉県に到着蕨宿に到着今回は浦和宿まで陽気も良く徒歩旅には最高の天気でしたまだまだ続きます2月の定休日2/21・283月の定休日3/6・7・13・21・22・2720日の水曜日は祝日の為に営業しますJUN
先週末に岩手県の釜石市に宿泊。翌朝は早めに出て高速道路を使わずに下道を通り、東日本大震災で津波被害を受けた海沿いの状況を見ながら戻ることにした。そして出発し約30分経過した頃、私はとても懐かしい場所に行ってみることを思い立った。それは、大船渡市三陸町越喜来にある三陸鉄道リアス線の三陸駅である。この駅のホームに、30余年前の思い出があるのだ。この駅は当時から無人駅であった。それ以来であるが、そのホームに立ってみた。そして奥にある待合室、こここそが思い出の場所だ。ドアを開けてみ
尺取り虫方式の旅というのを皆さんはご存じでしょうか。最初は旧街道ウォーキングをしている人たちの間ではじまった言葉だと思います。2004年に徳川家康が五街道を整備してから400年を記念して、とくに旧東海道において、踏破の旅がマスコミで紹介されたり、それにあわせたイベントが行われたりしました。いにしえの旅を偲ぶのであれば、本来は東京の日本橋から京都の三条大橋まで歩き通すのが基本です。お正月に駅伝を観られた方も多いと思いますが、日本発祥の駅伝競走の最初の競技は、東京奠都(てんと)50周年を記念
この頃は、ずいぶん日が長くなりましたね!土曜日は、私の昔のお話をお届けしていたのですが、今日は少し久しぶり。*前回の記事はこちら『「体にいいこと」を知っていても、体はこわす。』東京はこのところずいぶん温かかったのですが、今日はちょっと肌寒くなるようです。来週はもっと寒くなるのかな…。あなたのところはいかがでしょうか?さて、土曜日は、…ameblo.jpせっかくなので、今までの時系列を外れたお話をしてみようと思います✨「バカになれ」って言われたことはありますか?学校教育のなかでは「
おはようございます🍀昨日の日曜日、東海道五十三次徒歩旅ソロで再開いたしましたヾ(〃^∇^)ノわぁい♪コロナ禍で中断すること早3年長かった〜。゚゚(*´□`*。)°゚。3年の間にメンバーさんにも諸事情が発生ソロ活になってしまいました😓んが!楽しく歩いてきましたよ(๑^^๑)/明日からしばらくは今回の東海道シリーズが続きます。お時間の許す方はぜひまたお立ち寄りくださいませ(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ本日は報告まで❤️
あとがきこの遍路の翌年平成9年6月、今度は大型バイクで再び八十八ヶ寺を巡った。9日を要した。その動機にはいろいろあるが、なんといってもお接待をいただいた方々へのお礼にもう一度訪れたかったのである。道ですれ違い際にお接待をいただいた方々にはお礼の仕様がない。しかし民宿や各種の店の人からまたとない心尽くしのお接待を受け感謝感激したことをこのまま放置しておくに忍びなかったのである。再訪するにあたってわずかばかりの粗品を持参した。そして、その節は誠に有り難うございました、これこれこういうことをし
1996年10月07日(月)小雨のち晴宝塚への帰路橋本より国道310号線を北上、紀見峠を越えて河内長野、富田林、松原を走る。大阪は乗用車なら中央環状線または阪神高速を走るところだが、自転車であることを考慮して、危険ではあるが最短距離の大阪市内通過を選ぶ。天下茶屋あたりからは繁華街の連続であるが、そのために歩道でなく自動車道を走る。法規上は違反であろうか。しかし歩道はとても走れない。まず歩行者には迷惑この上ない。次に歩道では道がデコボコで自転車では振動が激し過ぎてまこと
1996年10月07日(月)小雨のち晴高野山を自転車下山部屋に戻り朝食をいただく。ご飯を一粒も残さずお腹一杯にいただいて、青年修行僧諸君にお礼を述べ、8時10分、自転車で下山に就く。雨は霧雨状になっていたが、風を恐れてビニール合羽で防寒として走り出す。対向車はきわめて少ないのだが、路面が濡れていて走りにくい。スリップによるふらつきは一度もなかったけれど、バイクで似たことを経験しているので非常に気を使う。ペダルを漕ぐことは少なくほとんどはブレーキ調節のみで駆け下りる。
1996年10月07日(月)小雨のち晴勤行、そしてご住職より難問を受く4時30分起床。すぐに未明の外をうかがうと小雨だが間違いなく降っている。それに寒い。これは大変だ。下山をどのようにすべきか考えるも名案なし。テレビがないので天気予報がわからない。6時より勤行。ただ1人、お勤めに末席で参加させていただく。ありがたいことに、電気マットに座らせていただく。お経は難しくてさっぱりわからず、実に長い。時々青年修行僧のリンとした主導的読経で寺僧全員の読経が続く。約40分く
1996年10月06日(日)快晴無量光院の宿坊にて通夜遍路最後の夜はここ高野山で一夜通夜させていただきたく、且つ朝の勤行にも参加させていただけるお寺をと案内所に申し出ると、金剛峯寺の左隣の無量光院を紹介される。無量光院とはなんと良い名前であろうか。我流解釈だが、量り知れない広大無限の光、希望を与え注ぐ寺院と推測したいのだが。そうであれば、無量光、無量寿という言葉がすばらしい。通夜客は自分1人のみ。10数畳の大部屋に案内されると部屋の真ん中に大きなホームコタツが準備
1996年10月06日(日)快晴高野山13時30分金剛峯寺に着く。高野山町全体が観光客でごったがえし、人人人である。高野山は標高900メートル、約33万坪の面積を持つ盆地で、金剛峯寺は弘法大師の創建になる真言宗の総本山。金剛峯寺を参拝見学後、お大師が入寂された奥の院に四国遍路の報告お礼に参上する。有難や高野の山の岩かげに大師はいまだ在(おわ)しますなる
1996年10月06日(日)快晴自転車を押して高野山登山かつらぎ町の登山口に、道路距離標識があり、高野山まで25キロとか26キロと書いてある。お粗末な話だがここに来て初めて登山道の距離の大きさに驚く。畑仕事の老夫に聞くと、ずっと登り道でとても自転車には乗っては登れないとのこと。仕方ない、押して登ることにする。途中の1カ所、約1キロ位であろうか下り坂があったが。途中の休憩所で軽食を摂る。「よくこんなところまで自転車で来たな、学生じゃあるまいし。しかしここからでもあと
1996年10月06日(日)快晴肌寒い中、高野山登山口へ5時30分、薄暗い中、宿を出て高野山をめざして自転車を漕ぎ出す。走り出してすぐにしまったと思ったのは、寒さ対策をしていないこと。下着とポロシャツ、それにベストを着るも、自転車の風で震え上がる。力を入れて漕ぐもいっこうに体が暖まらない。途中で朝食にコンビニに立ち寄るも、寒さ対策にビールをやめて熱燗とおでんにする。結局、かつらぎ町の登山口に9時に着いたがその間ずっと寒さに悩まされる。今日は快晴の日曜日、道中の小学
1996年10月05日(土)快晴フェリーで和歌山に渡る再び元気を出して国道55号線を南下、16時20分、小松島港に着く。久しぶりに大汗をかく。急いで缶ビールをしっかり買い込み16時35分発のフェリーに乗り込む。渡航時間2時間ジャスト。船酔いには不思議と昔から強くその経験はないのだが、ビールにはすっかり酔っぱらって、日の暮れた和歌山港に着く。自転車のランプを点け、東西南北さっぱり分からない暗い市街を、ガソリンスタンドで教えてもらった道をほろ酔い気分で走った。和歌山駅近く
1996年10月05日(土)快晴霊山寺霊山寺の納経所に12時30分着。納経書に例によって書き込んでもらう。それには予め活字にて次の文章が印字されている。「一番始めに参詣した寺へお礼参りあなうれし行くも帰るもとどまるも我は大師と二人づれ」墨筆による主文は「願行成円」であるが、もちろん達筆草書ゆえ自分には読めない。そこで納経書き人に解説していただくところによると、「行脚願円満成就」とのこと。この横に同じく墨筆にて「徒歩巡拝平成八年十月五日」と
1996年10月05日(土)快晴霊山寺へのお礼参り道西山という所で十字路にさしかかる。地元の人の勧める、南下して阿波郡市場町の十番切幡寺へ出るか、東進して瀬戸内海に面する引田町へ出るか迷ったが、遍路初日に歩いた道を一部とは言え戻るというのはどうしてもこだわりがあって、結局東進する。朝日に向かうのは少し歩きにくいが、菅笠をグッと目深に被る。引田町に着くとトラック等の車が急に増える。しかし瀬戸内海に出て、海を間近に見るとやはりうれしい。海を左手に見てしばらく南下。
1996年10月05日(土)快晴放し飼いの犬に追いまくられる5時30分、暗い中をスタート。しばらくして路傍の農家の放し飼いの犬数匹に吠えたてられ、追いまくられて往生する。暗いので犬の姿が確認できない。猛烈に吠え、そして今にも噛み付きそうに近くまで入れ代わりたちかわり押し寄せてくる。たまらず、お大師さんには申し訳ないがお杖を振り回して小走りに走り、時々立ち止まっては追いかけてくる2、3匹の犬にめくらめっぽうお杖で叩きつける。わずかに犬に触れたのは1度のみ、それもかす
1996年10月04日(金)曇、PM晴間少し見える白鳥温泉町営。国民宿舎風。利用客が多く賑やかだが、残念ながら遍路客はなし。夕食時、食堂の従業員氏にビールをついでもらって結願の祝辞をいただく。ビールを3本おいしく空ける。♪歩行量=32.3キロ88番大窪寺。ご年配の車遍路の紳士に撮ってもらう。「歩き遍路さん?素晴らしい!皆さん!この人歩いて今から結願ですって!!」と通行参拝客に大声で紹介して下さる。定年遍路記1996.10.04(金)
1996年10月04日(金)曇、PM晴間少し見える廃車の農山村への不法廃棄問題を考える今日に限った事ではないし四国に限った事でもない、さらに遍路にも直接関係はないのであるが、廃車の農山村への廃棄放置の実状には全く腹が立ってくる。徳島、高知、愛媛、香川と四国四県を歩いてきたがどの県においても美しい農山村の美観を損なっているものの1つにこの問題がある。関西でもひどいもので、峠道や山道には廃車だけでなくテレビや洗濯機、机や畳など大型廃棄物が各所に捨てられている。特に車が
1996年10月04日(金)曇、PM晴間少し見える6時50分宿を出る。予定通りいけば今日は八十八番大窪寺で結願となる。病気や事故に遭わないように密かに自分にいいきかす。スニーカーは昨夕はビショビショであったが、夜半に2度も新聞紙を詰め替えていて、朝には湿ってはいるがそうひどくはない。靴下を2枚重ね、そして途中でもよく乾いたものとまたはきかえる。足元の不快感は1番いけない。八十六番志度寺宿よりわずか200メートル東。仁王様は巨体、仁王様らしき仁王様。境内広く樹木も
1996年10月03日(木)薄晴れPM3:30猛烈な雷風雨ありいしや旅館なんと懐かしい部屋!!先ほどの、雷風雨に遭った八栗山登山口から電話で宿の予約をした時には、携帯している宿一覧表でみると志度町には旅館が数軒あり、各宿の位置関係も全く判らずにそのうちの1軒に電話をかけたのであるが、M製作所さんを辞して宿に近づくにつれて、ここは20数年前の、2回目の出張で泊まった宿ではないかと感じた。そして、かなり古いが、内部は糖袋ででも磨いたような、掃除のよく行き届いた通り
1996年10月03日(木)薄晴れPM3:30猛烈な雷風雨ありM製作所20数年振り3回目の訪問1回目は昭和42年、九州への新婚旅行の帰路、この会社を目指して四国のこの志度町に立ち寄る。当時は技術屋のはしくれ、とても四国へなど出張ではこれない。九州はなおさらで、5月、8月の連休前後の数日を休みに加えてスクーターや軽自動車のマイカーで会社訪問したものだが、この志度町だけはその機会が無かったのである。そこで家内を志度駅に待たせ、1人で需要家を訪問するとそこの社長さん
1996年10月03日(木)薄晴れPM3:30猛烈な雷風雨あり猛烈な雷風雨にあう八栗寺を下って、国道11号に出る寸前、突然猛烈な集中豪雨にあう。あまりに突然でまわりの人々ほとんどがびしょぬれとなる。自分はたまたま宿の予約に電話を掛け始めたところであったが、あまりの雨で電話を中断し、ガラス戸を開けてタバコ屋に雨宿りの避難に入る。ところがこの店は留守。すぐに天井のところどころから猛烈な雨漏り。壁沿いに積んだ商品のタバコはびしょぬれ。レジスターだけでも直撃を避けようと
1996年10月03日(木)薄晴れPM3:30猛烈な雷風雨あり今朝はこの6月まで勤務していた会社の四国営業所に立ち寄るために到着時刻を考慮してゆっくりと8時10分に宿を出る。高松市城東町に8時35分着。事務所に入ると拭き掃除中の若い女性事務員人のみ。かつての仕事についての話を中心に10時まで居座ってしまう。長居を恥じ、あわてて元の遍路に戻る。お土産に讃岐うどんのセットをいただく。八十四番屋島寺標高282メートル、この登山で久しぶりに大汗をかく。境内広く且つ全
1996年10月02日(水)AM曇、PM薄日さす5時50分、逃げるような気持ちで宿を出る。不愉快な思いを一刻も早く忘れることが出来るように急ぎ足で白峰登山に入る。なかなか険しい登山である。頂上に出ると立派な自動車道。足は快調だがやはりアスファルト道路は疲れる思い。それに白峰寺手前までの道のり、両側が山で景色が全く楽しめない。しかし白峰寺に近づくと、すばらしい眺めに変わる。ここは景勝の五色台の最西にあたるところ。八十一番白峰寺(しろみねじ)7時30分着。五色台