ブログ記事1,603件
徐福伝説の残る金立公園をのびぶら歩き。徐福とは秦の始皇帝に「はるか東の国の彼方に三神山があり、そこに住む仙人が不老不死の薬を作っている」と申し出、五穀・百工・童男童女三千人を与えられ旅立ち、上陸したのがいまの佐賀県あたりだったと伝えられている。金立公園内にある徐福長寿館に入ると徐福が発見した不老不死の霊薬だといわれているフロフキ(カンアオイ)などを煎じたお茶をいただく。今回の目当、バイカオウレン、フクジョソウと季節の花ウンアンロウバイ、シナマンサクを鑑賞。バイカオウレンは牧野富太郎のお母さ
↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(76)』↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…ameblo.jp↓第1話から読んで頂けると嬉しい限りです・・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(1)』この作品は、以前、
二ギギは徐福のことでニギギはニギハヤヒのことらしい。だから、ニギギとニギハヤヒは同一人物。ニギハヤヒは物部氏の祖先で、ニギハヤヒはのちの秦氏(はたうじ)。そして、トゥーランドブイログいわく、すべての日本人はニギギの血が入っているってことらしい。歴史を知ってたら、徐福なんて、クソやんけ、と思うけど、でも、それでええんやと思った。俺が何もないのに頭に暴言が浮かんだりしてしまうのはそういうご先祖さまがおられたからやと思うことにしようと思う。ご先祖さまと共に生きるって、そういうことやろうし。
↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(75)』↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側…ameblo.jp↓第1話から読んで頂けると嬉しい限りです・・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(1)』この作品は、以前、
タイトルの「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」は『古事記』に記された有名な日本神話で大国主命(おおくにぬしのみこと)が、ワニ(サメ)に騙されて皮を剥がされ苦しむ白兎を助け蒲の穂綿でくるまると元に戻る物語です。この神話は、大国主命と美しい姫との縁を結ぶ助けとなり縁結びや医療(治療)の神話としても知られ鳥取県の白兎神社に祀られています。白兎神社の先代の宮司が興味深い考察をされていまして白兎というのは実は野に住む兎でなく神話時代にこの地方を治め信望の高かった一族
これらは、2013年の春に亡くなられた[図鑑細辛・寒葵]の著者、岸勝美氏が細辛・寒葵の歴史を本草学などの文献資料を出版する旨をお伝えしたうえで各団体・各施設・各図書館の許可をもらって撮影された貴重な資料を纏め上げた綴本「細辛寒葵史図譜」の一部ですが、完成間近にしてお亡くなりになりました。Thetraditionalgardeningflorapicturebookisthethingwhichgatheredupthevaluabledocumenttha
↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(74)』↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…ameblo.jp↓第1話から読んで頂けると嬉しい限りです・・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(1)』この作品は、以前、
死を覚悟しての船出2件についてです。一つ目、今回は行かなかった那智の浜の近くにある補陀落山寺について。以前、NHKのブラタモリでも取り上げられていたのですが、番組の終わりがとてもいつものちょっと明るい感じではなく、かなりドヨーンとしたものでした。→補陀洛山寺(別院)-那智山青岸渡寺公式ホームページ→補陀洛山寺:熊野の観光名所以下、抜粋。補陀落渡海の根本道場この補陀洛山寺は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だっ
↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(73)』↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…ameblo.jp↓第1話から読んで頂けると嬉しい限りです・・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(1)』この作品は、以前、
新井崎神社(にいざきじんじゃ)丹後国與謝郡京都府与謝郡伊根町新井(P有)■旧社格村社■祭神事代主命宇迦之御魂神徐福丹後半島のもっとも東側、若狭湾に張り出す断崖絶壁の海の際に東面して鎮座する社。伊根町「新井(にい)」の最東端、「新井崎」に鎮座します。◎「新井(にい)」は「丹生(にふ)」からの転訛でしょうか。「丹後舊事記」には「子の日崎(ねのひさき)、俗に新井と云ふ」と記されています。北辰信仰の影響が見られる宇良神社(浦嶋神社)とは祭を共に行ったりと関連がみられ(宮司は両社を
ご訪問ありがとうございます自己紹介昨日1月6日古代出雲王朝の王家の神々の陵墓に行ってきました出雲の国譲りとして語られる神話は現実には悲痛なお話でお隠れになったオオナモチとスクナヒコの御二方は非道な者達が起こした事件によって常世の国へ御渡りになられました急遽現地に足を運んだのはその首謀者が私が守護神とする神(もしくは一族)でこともあろうに事代主(スクナヒコ)が祀られている聖地を古代出雲王朝の子孫からすると仇であるその首謀者が祀られているかもと勘違いしてい
↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(72)』↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側…ameblo.jp↓第1話から読んで頂けると嬉しい限りです・・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(1)』この作品は、以前、
【中国街頭インタビュー】中国の若者の主張「日本人の祖先は中国人」「日本人の祖先=徐福(秦の時代に東方へ渡った人物)」「秦の始皇帝が不老不死の薬を求めて三千人の童男童女を東方に派遣したから」pic.twitter.com/enLJptqLxM—保守速報(@hoshusokuhou)December31,2025
霊峰冠岳(鹿児島県いちき串木野市)登山も無事に『西岳』山頂にたどり着き,休憩してから下山することに!「西岳」から下山し「経塚」へ寄り道をしてから,さらに寄り道して『材木岳』へ!自然の岩石が積み重なった様子が材木を積んだように見えることから材木岩とも呼ばれ、様々な言い伝えが残されているようです。「材木岳」は冠岳登山の道中で、1番好きな場所です次なる目的は『煙草神社』です!途中はこんな道も無事に「煙草神社」にたどり着き,洞穴のような場所を進むと…その昔、蘇我馬子が崇峻天皇の怒り
令和7年12月29日(日)は霊峰冠岳(鹿児島県いちき串木野市)に行ってきました。年末は毎年恒例になってきました!身も心も清めて年を越したいですな冠岳は…「今から二二〇〇年もの昔,秦の始皇帝の命を受け不老不死の妙薬を求め蓬莱を目指した徐福がその冠をこの山に留めたところから『冠嶽』の名を得た」ともいわれています。が…結局、徐福さんは嬴政(始皇帝)さんを裏切ったんですよね…キングダムファンからしたら複雑(笑)さっそく登り始めると…いい雰囲気です!鎮國寺から登っていくと「西岳登
徐福公園和歌山県新宮市徐福1-4-24約2200年前に霊薬を求め渡来した徐福が定住の地とした地にあり、徐福の墓のある公園です。徐福伝説司馬遷の「史記」の巻百十八「淮南衡山列伝」の記述によると紀元前200年頃、方士(神仙、医薬、保健の技を持つ肩書の人物)の徐福は、秦の始皇帝に、「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」と具申します。始皇帝の命を受け3,000人の童男童女と百工(技術者)を従え、五穀の種を持って東方に船出し平原広沢(広い平野と湿地)を得て
とても有名だが、歴史(学)からは敬遠され黙殺され気味。秦の始皇帝が不老不死を求めて、徐福を東の蓬莱山を目指させる。一度渡航した徐福の報告を聞き、大船団を送り出す。そうして、そのまま徐福一団は日本に根づき、帰国することはなかった。日本各地に徐福伝説は残る。徐福の墓も沢山あり、さながら邪馬臺国のように。候補地が数多存在する。高知の長曾我部元親は秦の始皇帝の末裔であると口伝していたほどに。蓬莱山は富士山のことだろうと云われているが、不思議に記紀には触れられていない。様々な技術者集団だったのだろう。
小野龍海’s歴史塾このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。ono-no-tatsumi.amebaownd.com少し前に「アマテラス」が3人いる事をお報せしましたが、実はツキヨミも3人いますので、この二人の関係を今回はご紹介しようと思います。最初に壱岐島の月読神社をお伝えする方が良いでしょう。↑月読神社月読神社の縁起には次の様に書いています、「当社では、月夜見命、月弓命、月読命の3柱をお祀りしております(いずれも同神)(右)月
↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(71)』↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…ameblo.jp↓第1話から読んで頂けると嬉しい限りです・・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(1)』この作品は、以前、
習近平が今の地位を維持するには台湾戦争で勝利する事しかない👇。のだそうだ。自由諸国から観れば習近平もプーチンも70代半ば、一般人なら定年で介護施設を探す年代だ。二人とも不老長寿の信者かと・・・・・・。紀元前219年、秦の始皇帝の命で、方士(道教の仙術をつかう)徐福は不老不死の薬を求めて、童男童女3000人を従えて山東省から船出した。徐福の渡海は『史記』にも記されている。その後の行方は杳として知れず、再び帰ることはなかった。ところが、徐福が漂着したなどという痕跡(伝
いつもありがとうございます🤗💫いつも感謝です🤗🏖今日も1日良い日でありますように🤗🌠🌌🙇♂️
「氷川清話」という勝海舟の語録集を学生時代に読んだ。赤坂の氷川町に住み氷川伯と呼ばれていたらしい。氷川と云えば、思い出す。この「氷川」だが「火の川」が元ではないかと「卑弥呼」は「日の御子」ではないかと云われたことを思い出す。こういう瞬間は、目からウロコと云うのだろうか何やらスサノヲの正体を探っているとドンドン広大な原野に放り込まれたようで、なかなか途方も無い思索となる。書いてる人の情報量が半端ないので、読む方も大変。ヤマト政権が掌握していたのは関西中心で概ね愛知辺りだろうか。関東は正に未開
パラレルが見えるように妄想が浮かぶ🩵🩵🩵🩵🩵🩵🩵🩵🩵🩵🩵🩵🩵斉国の方士であった徐福は始皇帝の命により不老長寿の薬を求め東へ行く。広くはこのように聞く。でも出雲口伝において徐福は斉国の王位継承者でありしかし秦の始皇帝統一前に呉によって滅ぼされそんな彼は一国の王を夢みた。徐福は東を目指しそして出雲へ辿り着く。当時の日本は出雲王家によって連合国家を形成していた。徐福は出雲王家に取り入り王家の姫の婿になる。出雲王家の姫との間に生まれた徐福の息子、天香語山。
↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(70)』↓このブログを沢山の方に読んで頂きたいため、ランキング・フォロー頂けると嬉しいです↓前回の話では・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…ameblo.jp↓第1話から読んで頂けると嬉しい限りです・・・・『漂泊する鬼の始祖(鬼舞辻無惨と産屋敷家の闘争の裏側で…)(1)』この作品は、以前、
小野龍海’s歴史塾このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。ono-no-tatsumi.amebaownd.com今回は高句麗を興したと伝わる「高雛牟」が具体的に誰の事なのかを特定したいと思います。手がかりは『桓壇古記』の63~64Pageに以下のように書かれていました。↑桓壇古記の63~64Pこの内容から高句麗を興したのは檀君という称号を復活させた「高雛牟」で天帝の子供だと分かります。この名前から分かる通りで「高一族」だ
今日もお読みくださってありがとうございます。佐賀県議会議員いちのせ裕子です。今から約2,200年前、秦の始皇帝の名を受け不老長寿の薬を求めて渡来した…徐福伝説は日本各地に伝わりますが、佐賀では昔から「徐福さん」と親しまれいくつもの伝説が残っています。それどころか「佐賀市徐福長寿館」という徐福研究の資料展示や最新情報を発信する施設もあり、今年、開館30周年を迎えました。今日は「徐福はどこから来たのか?DNA解明で解き明かす」というタイトルで記念講演
今回は本筋のコトタマの学びはお休みして日本人で知らない人はいない「浦島太郎」に込められた意味について書きます。流行りの都市伝説と思われるかもしれませんが、こんな言い伝えもあるのかと思って頂ければと思います。確実な物証は存在しないですが、コトタマの学びの中で伝えられるのは以下のような事です。(小笠原孝次先生の所説)浦島太郎のあらすじはよくご存知と思うので省きます。時は紀元前ニ百二一年、秦の始皇帝が天下(中国)を統一し、秦の皇統を2世より万世に伝えようと計画しました。始皇帝はお気に入り
新宮では乗り換え時間が50分ほどあるので、駅から徒歩2,3分の所にある徐福公園に寄ってみた。秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬を求めて、若い男女3000人や技術者などを引き連れ日本に渡来し、農耕や漁法などの技術を伝えたという徐福。日本各地にその伝説が残っているがここ新宮もその一つだ。レトロな街並みの中に異彩を放つ中華風の門、中に入ると徐福の石像や中国山東省から寄贈された由緒板などの碑や記念樹、何と徐福の墓まである。まぁ、徐福については諸説あり、「史記」に記述されている以外は想像の域を出ない
随分と日にちが経ってしまいましたが、とても良き時間の記録として✨今月11日、1111の日。東京都在住.Yさんの、富士山本宮浅間大社の同行参拝&お話し会を行いました。とても笑顔が素敵なYさんは、悩みはないとすでに軽やかでいらして、同行参拝を通してのこの磁場を使い、更なる進化を望まれてのご参加でした。柔らかで波動が高く強く、愛に満ちている方、初めてお会いしましたが、以前から知っているようなそんな感覚もしました。ひと目見た時から、彼女の柔らかな愛のそよ風に包まれるような、そんな感覚もしました。