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★第二十七代安閑天皇は奈良時代の天皇です。御名は勾大兄尊(まがりのおおえのみこと)、広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)。御父は継体天皇、御母は尾張連草香の娘、目子媛(めのこひめ)。継体天皇には皇后との皇子、天国排開広庭尊(あめくにおしはるきひろにわのみこと)、後の欽明天皇がいましたがまだ幼く、長子である兄の勾大兄尊が皇太子となり即位されました。勾大兄尊は幼いときより器量が優れ、寛大で人君にふさわしい人柄であったといいます。皇太子の時も天皇をよく補佐されました。
1月18日その2[出来事]1954年-プロ野球・名古屋ドラゴンズの経営から名古屋鉄道が撤退。中部日本新聞社の単独経営となり3年ぶりに「中日ドラゴンズ」の名称に戻す[誕生日]50年-ジル・ヴィルヌーヴ、F1ドライバー[忌日]1470年(文明2年12月27日)-後花園天皇、第102代天皇1646年(正保2年12月2日)-細川忠興。小倉藩の初代藩主[記念日][その他](機動戦士Ζガンダム)U.C.0088年-アクシズ、ゼダンの門の旧ア・バオア・クーを破壊。グリプ
1月18日が命日・忌日の有名人・著名人1471年(文明2年12月27日)51歳崩御(?)後花園天皇陛下日本の第102代天皇1862年71歳没(気管支炎)ジョン・タイラーさん第10代アメリカ合衆国大統領1873年69歳没(感染)初代リットン男爵エドワード・ブルワー=リットンさん小説家、劇作家1922年35歳殉職(吹雪の中、遭難)吉良平治郎さんアイヌ民族の郵便逓送員1957年満94歳没(?)牧野富太郎さん植物学者日本の植物学の父植物学の日1980年
2019/03/27配信<第102代後花園天皇>(将軍)足利義教〔くじ引き将軍〕1429年尚巴志・琉球統一勘合貿易・復活1439年足利学校永享の乱〔足利持氏〕1441年嘉吉の乱〔将軍義教VS赤松満祐〕1457年コシャマインの乱〔アイヌ〕
第一〇三代後土御門天皇は、室町時代の天皇です。御父は後花園天皇、御母は藤原信子。御名は、成仁(ふさひと)。嘉吉二年(1442年)生。在位は、寛正五年(1464年)から明応九年(1500年)。文正元年(1466年)に大嘗祭が執行されましたが、翌年応仁元年に応仁の乱が起き、以降九代二二一年にわたり大嘗祭は中断しました。応仁の乱は、八代将軍足利義政の弟義視と、義政の子義尚が次の将軍の座をめぐって対立したのが発端の乱です。京都を主戦場に約十年に及んだため、後花園院と後土御門天皇は、義政の室町
本日は旧暦6月18日ですが、応永二十六年六月十八日(1419年)は、伏見宮貞成(さだふさ)親王の第一王子として彦仁(ひこひと)王が誕生された日です。伏見宮家は崇光天皇の第一皇子、栄仁親王を祖とする持明院統の嫡流に当たる世襲親王家で彦仁王は崇光天皇の曾孫にあたります。第百一代称光天皇の御世でしたが、天皇には皇子がなく弟も薨去されていたので、天皇が崩御されると後小松上皇は彦仁王を猶子に迎え皇位につけました(後花園天皇)。貞成親王は伏見宮家の二代目当主でしたから、宮家の役目を果たしたこと
本日は旧暦の五月二十五日ですが、この日は二つの天長節が重なる日です。後土御門天皇と霊元天皇です。戦国の世となり、後土御門天皇の即位時に行われたのを最後に大嘗祭が途絶えてしまいましたが、それを簡略化ながらも復活させたのが霊元天皇です。★嘉吉2年(1442年)のこの日、後花園天皇の第一皇子成仁(ふさひと)親王が誕生されました。この頃は室町幕府の時代で、騒乱が続いている時であり、後花園天皇はそうした中で政治に無関心だった足利義政に戒めの詩を送った話が残されているような頃のことです。そうし
蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.159。簡単な問題として出題したわけではありませんが・・・・解答を寄せられた皆さん正解でした😆。正解画像は出題した画像とは別の日に撮った画像を使用します。それでは正解です。朱色の門が美しいこの寺院は泉涌寺山内(塔頭)寺院悲田院聖徳太子が身寄りのない老人や放置されている子供を収容する施設として造られたのが悲田院の始まりといわれる。延慶元年(1308)無人和尚がこれを一条安居院に再興し四宗兼学とし
名古屋のシンゾウです1月末日、やっと試験結果が届きました。得点は136点でした。まぁまぁ見込み通りでした。「念字門」、「佐々木盛綱」、「小野霞」、「錦の水」、「西御座」の5問は全く知りませんでした。イージーミスが無ければ140点の筈なのですが、イージーミスが2問あったようです。どれが間違ったのかは分かりません。これが情けないですね。毎回、イージーミスは5問までは仕方ないと思っていましたので、運が良かったと思います。前にも書きましたが、生活の中に京都が無い私には、京都的常識は全くありま
2022-12-17大徳寺の中を通過中あちこち入るとこがあるねトコトコ〜法堂三玄院石田三成のお墓だってトコトコ〜三門この2階に利休像を置いたがために、秀吉の怒りをかったんだね〜こちらは、見学出来たんだ〜入ってみたいけど、今日も、スタート受付は、かなり遅い時間(受付時間は、人によって決まってる)だったのに、建勲神社に寄ったから、15分くらい時間取ったし、急ごうトコトコ〜龍源院トコトコ〜黄梅院出まーすトコトコ〜交差点で信号待ちしていたら、スタッフさんたちと一緒にな
北朝初代光厳天皇山國陵即位西暦1332年退位西暦1334年皇位年数2年第102代後花園天皇後山國陵即位西暦1428年退位西暦1464年皇位年数36年右京区京北の桜の名所で名高い『常照皇寺』に祀られている。この苔むした階段を登った先に御陵がある。御陵印所在地因みに常照皇寺と言えば、某〇次郎さんが『鉈を持った爺さんに追いかけられた』事件で有名(笑)
横山大観横山大観(よこやまたいかん・1868年9月18日~1958年2月26日)<画家>岡倉天心とともに近代日本画の確立尽力し、はじめは酷評されましたが、やがて第一人者の位置に上り詰めました。「生々流転」「屈原」など、見る者に強い印象を与える大作を多く残しています。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~≪Shikako(しかこ)☆のおまけ≫横山大観氏
2019/03/27に公開<第102代後花園天皇>(将軍)足利義教〔くじ引き将軍〕1429年尚巴志・琉球統一勘合貿易・復活1439年足利学校永享の乱〔足利持氏〕1441年嘉吉の乱〔将軍義教VS赤松満祐〕1457年コシャマインの乱〔アイヌ〕
近鉄桃山御陵駅から歩きました〜京都市伏見区新町52216時14分。めっちゃ逆光。後崇光太上天皇伏見松林院陵。🙏1372-1456室町時代の尊称天皇。応安5=建徳3年3月25日生まれ。栄仁(よしひと)親王の第2王子。母は三条治子。崇光天皇の孫。40歳で元服し,伏見宮家第3代をついだのが45歳。応永32年54歳で親王となるが,後小松上皇と称光天皇父子の間で皇位継承問題がおき出家。称光天皇の死で長男彦仁(ひこひと)が即位(後花園天皇)したため,文安4年太上天皇の尊号をうけたが,翌年
モースモース(1838年6月18日~1925年12月20日・アメリカ)<動物学者>明治期のいわゆる「お雇い外国人」です。専門である動物学を教えたほか、大森貝塚を発見するなど、近代日本の学術発展に深く貢献しました。また、海外向けに日本を紹介する書物なども執筆しました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~≪Shikako(しかこ)☆のおまけ≫モース氏以外で6月18
後鳥羽・順徳天皇大原陵、北に位置します。当初は十三重塔背後の法華堂を持って、堂塔式陵墓でしたが、明治期の神仏分離により当地に移築されました。第82代後鳥羽天皇(1180-1239:在位1183-1198)大原陵第84代順徳天皇(1197-1242:在位1210-1221)大原陵・・・・・・とされるのは、永らくこの法華堂でした。■法華堂1241年修明門院により法華堂建立、後鳥羽天皇納骨。摂津、水無瀬離宮の建物を移築。1243年順徳天皇
本日は旧暦6月18日ですが、応永二十六年六月十八日(1419年)は、伏見宮貞成(さだふさ)親王の第一王子として彦仁(ひこひと)王が誕生された日です。伏見宮家は崇光天皇の第一王、栄仁親王を祖とする持明院統の嫡流に当たる世襲親王家で彦仁王は崇光天皇の曾孫にあたります。第百一代称光天皇の御世でしたが、天皇には皇子がなく弟も薨去されていたので、天皇が崩御されると後小松上皇は彦仁王を猶子に迎え皇位につけました(後花園天皇)。貞成親王は伏見宮家の二代目当主でしたから、宮家の役目を果たしたことに
名古屋のシンゾウですPCの問題を掲載し始めましたが、Excelで画像を作る作業に嵌っています。①シート上に例文を作成し、②それを画像としてコピーし、③その画像に加工を加え、④大きさを整えてブログに張り付ける、この一連の作業、たまらなく楽しいのです。飽きっぽい私としては新しい発見です。これが発展すると、絵心の全く無い私でも、作品が作れるかもしれません.....「金閣寺」だったりして!!....妄想が止まりません。本日の問題です。―――――――――――――本日の問題(40)《漢字書
名古屋のシンゾウです。先日、Youtubeの4K動画の話をしましたが、昨日、面白い動画を発見しました。自身の京都力を試すのにも最適です。それがこちらです。このままでは、画面展開が少し早過ぎますので、「設定」で再生速度を0.5にして、同時に字幕をオン、画質を最高の2160p4k、全画面表示にして、私は見ています。再生速度を半分にしましたので、バックの音(間延びした音)は消した方が良いと思います。どうしても音が欲しい場合は、ブラウザの別タグで気に入った音楽を流せば解決します。.....どこかで
★第二十七代安閑天皇は奈良時代の天皇です。御名は勾大兄尊(まがりのおおえのみこと)、広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)。御父は継体天皇、御母は尾張連草香の娘、目子媛(めのこひめ)。継体天皇には皇后との皇子、天国排開広庭尊(あめくにおしはるきひろにわのみこと)のちの欽明天皇がいましたがまだ幼く、長子である兄の勾大兄尊が皇太子となり即位されました。勾大兄尊は幼いときより器量が優れ、寛大で人君にふさわしい人柄であったといいます。皇太子の時も天皇をよく補佐されました。
11月30日、休日は京都に<imgwidth="16"height="16"alt="車"src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/125.gif"class="emoji">天皇陵巡りです。残りの天皇陵12ヵ所を回ります。歴代天皇は昭和天皇まで124人、陵墓は96ヵ所(重祚・合葬の為)昨年から回り始めて、いよいよ終盤です(*^^*)この最初の「大原の陵」にhttps://ameblo.jp/syen
浄土宗大本山光明寺。総門を潜ると…巨大な山門が見える。江戸末期、ペリー来航の6年前に再建されたとか。“天照山”という扁額は、室町時代中期、永享8年(1436年)の裏書付きの、後花園天皇の直筆だそうだ。山門の向こうには、本堂の屋根が見える。↓近くで見ると、やはり巨大!二階部分には上がれない。高野山大門や、南禅寺三解脱門でも感じた事だが、この門だけで、我が家よりも大きい!山門を潜って裏側か