後白河法皇と近衛基通の艶聞という大スクープを後世に伝えた九条兼実は、藤原忠通の3男として久安5年(1149年)に誕生しました。永暦元年(1160年)に従三位に叙せられて公卿に列すると猛スピードで昇進を重ね、長寛2年(1164年)に内大臣、次いで仁安元年(1166年)には早くも右大臣に昇ったのですが、その後20年間に亘りこの地位に据え置かれることとなります。これは左大臣の藤原経宗がその地位に居座り続けたこともありますが、当時は摂関家の勢威が衰えていて、平清盛と後白河法皇が主導していた政界において重