ブログ記事720件
子供の頃、父親が転勤族であったため、道内各地を転々としてきましたが、一番長く暮らしたのが札幌市でした。そして学生時代は東京に・・・。初めて北海道に帰省の時、感じたのは「北の都札幌」のド田舎ぷりでした。夜10時頃にもなると都心部の人数が全然違うのです。学生時代から40年以上経ちました。今、私が住んでいるのは北海道後志地方の約50戸足らずの小さな集落です。薄暗い外灯が続いています。人家はありますが暗く空き家が多いです。東京がピンならここは完全にキリですな。人気がないのが当たり前
積丹半島のローソク岩は余市町豊浜の沖、約500メートルの海上にある高さ45メートルほどの岩礁。積丹半島は小樽、ニセコとともに後志の観光拠点の一つです。早朝、出勤前にローソク岩に火を灯してきました。こんなことが出来るのも田舎暮らしのいいところです。166mmにレンズを変えてみました。ローソク岩・・・確かにその名にふさわしい岩ですね。おっ!これはろうそくの炎が風で揺れているようにも見えます。これは風前の灯かな??所持しているドローンはズーム機能がなく単焦点レン
後志の秀峰二つ後方羊蹄山と尻別岳。後方羊蹄山を喜茂別コースの登山道入口付近からドローンを使い撮影。この方向から見る後方羊蹄山が一番美しいと思います。ドローンの向きを変えると尻別岳も見ることが出来ました。
337号線を走っていていつも気になっていた「バッタ塚」北海道開拓時代にトノサマバッタが明治13年に十勝地方で大発生し日高・胆振・後志・渡島と広がり明治18年まで被害が続いた為明治政府は本州にバッタが侵入するのを防ぐためバッタの卵塊を買い集め砂地にバッタの死骸と共に埋めて蝗害(こうがい)の根絶を願い1883年に造られたのがバッタ塚でした。
詳しくはこちらをご覧くださいhttps://www.spacedome.jp/https://www.spacedome.jp/event.html
ニセコからさらに足を伸ばして行きたかった場所がこちらとなります。ここは北海道後志管内にある京極町です。道の駅きょうごく名水プラザ。京極町は、水で有名です。自分で語るより、説明文のほうが雄弁で詳細を語るので、画像をみて欲しいかも。セイコーマートで売り出してる京極の名水は、ここです。うまいですので、自転車旅では世話なってます。売店では珈琲ゼリー売ってる。セイコーマートでもバラで売ってますが、うまい。6個セットで売られていました。こちらは後でセットのを入手。お土産にいいです。道の駅
5/12(日)早朝母を車に乗せて後志方面の観光名所へ。地元の特産物など美味しくて温かい物が飲食できお土産コーナーも充実。母は「普段こんな所へはなかなか来ないから」と喜んでいたようだった。普段から母は少食なほうなのでこういったフードコーナーで色々買ってもきっと全部は食べきれないと思い「好きなだけ食べて。お母さんの残した分を私が貰うから。」そう言って見守っていた。ところがあれよあれよという間に母は次々と平らげていき「あれっ?あんたの分がないね。」と。母が残
5/12(日)早朝母を車に乗せて後志方面の観光名所へ。地元の特産物など美味しくて温かい物が飲食できお土産コーナーも充実。母は「普段こんな所へはなかなか来ないから」と喜んでいたようだった。普段から母は少食なほうなのでこういったフードコーナーで色々買ってもきっと全部は食べきれないと思い「好きなだけ食べて。お母さんの残した分を私が貰うから。」そう言って見守っていた。ところがあれよあれよという間に母は次々と平らげていき「あれっ?あんたの分がないね
2024母の日このブログが上がる頃私は後志方面へ向けて出発している。母を誘い出してセミロングドライブへ。楽しんでもらえたらいい。―――――少し近況を。ここ2年くらいの間自分の中で大切にしてきた事が最近節目を迎え特に『終わらせなきゃいけないもの』でもなかったのだけれど自分の思っていた方向性にもなっていないため"このままいってもダメだな"と思い私が終止符を打つことにしてしまった。現状がすごく苦しくても明るい未来が見えていればまだ頑張れるのだけれど全く見えず
2024母の日このブログが上がる頃私は後志方面へ向けて出発している。母を誘い出してセミロングドライブへ。楽しんでもらえたらいい。―――――少し近況を。ここ2年くらいの間自分の中で大切にしてきた事が最近節目を迎え特に『終わらせなきゃいけないもの』でもなかったのだけれど自分の思っていた方向性にもなっていないため"このままいってもダメだな"と思い私が終止符を打つことにしてしまった。現状がすごく苦しくても明るい未来が見えていればまだ頑張れるの
後志総合振興局管内余市町白岩町にある奇岩、えびす岩と大黒岩。左側の不安定な形をした岩が「えびす岩」、右側の頂部に鳥居がある岩が「大黒岩」です。後志の積丹半島は奇岩と断崖絶壁のデパートのような場所。旧国道229号線の旧ワッカケトンネル、1956年(昭和31年)竣工。北海道の旧トンネルは閉塞されるのが一般的です。2010年(平成22年)3月に現在のワッカケトンネルが開通しました。旧国道229号線からは美しい海岸線を見ることが出来ました。左側の断崖は烏帽子岬。
スーパーで売られていた、中トロでねぎま鍋を作ってみました。昆布出汁と醬油、みりん、酒とシンプルな味付けです。メインの材料は中トロとネギです。これは家計に優しいですね。エノキやマイタケも入れてみました。中トロはあまり煮過ぎないほうがいいです。刺身で食べれるのモノなので、身肉の表面の色が変わるくらいでも十分でしょう。今日の晩酌の酒は旭川市高砂酒造の「純米酒大雪雪中貯蔵酒」。北海道産酒造好適米「彗星」を使用。「彗星」は淡麗な味わいの酒を造るのに適しているよ
北海道後志総合振興局の島牧村にある白糸の滝。山菜採りのついでに撮影してみました。雪解けが終わり草木が芽吹く前の荒涼とした断崖絶壁の地。巨大な埴輪像(大魔神のイメージ)が安置されていても全く違和感のない光景です。日本海海上の上空145メートルからの撮影。国道229線の旧道と新道が交差しています。雪解け水の増水期は過ぎてしまったようです。陸地からの距離があるのでこれでは滝の迫力は感じられません。接近して撮影。滝は3本確認できます。滝壺はありません。その名の通り白い糸
後志総合振興局にある町寿都町。他の日本海に面した町と同じく昔はニシン漁で栄えた町。現在はホタテや牡蠣などの養殖に力を入れています。寿都の牡蠣は「寿牡蠣」のブランドで販売されています。鰓と外套膜が発達しており、細マッチョでうま味成分がギッシリ濃縮されている感じ。同じ日本海で自生している岩牡蠣に食味が似ています。同じ北海道でも太平洋やオホーツクの牡蠣はスチームで、そしてこの「寿牡蠣」は生が一番でしょう!!漁師さんの直売所で購入しました。4月27日運がよくちょうど解禁日で
桜の咲き始めた春先、仕事がてらに思い出の土地を訪れたよ、現在の風景を見ながら、過去の思い出にトリップしたよ、そんな話。ホッケ定食も食べましたが。・・・・・・今週初めのことだけども、寒空の下だったけど、雪のない街中では、日の当たるところでやっとコブシやレンギョウが咲き始めていた。そして週中、会社からすこし先の、と言っても北海道的な意味での「少し先」なので、つまり数十キロ先の現場に行ってきた。そこには、キクザキイチゲ(菊咲一華)とかいう花が咲いていた
狩場山地の麓にある小さな沼、小田西沼。水面の海抜は285メートルあります。沼の周りはブナやシラカバの広葉樹で覆われています。まだ所々に残雪があります。山菜を採るにはまだ早いようです。あいにくの曇り空ですが新芽の緑が美しい!!神秘的な沼です。建造物はおろかゴミ一つ落ちていません。太古の昔のままでしょう。小田西沼に向かう林道には山菜のコゴミが生えていました。コゴミはこのくらいの大きさが一番美味しい。手で折るだけで簡単に採れます。全部は採らずに半分を残
後志総合振興局の島牧村は自然豊かな村。日本一の面積を誇るブナ林の面積はなんと11000haもあります。腐葉土で育まれる島牧村の山菜は質、量とも全道一でしょう。狩場山地の麓には、行者ニンニクとカタクリが広がっていました。島牧村の山の特徴として針葉樹がほとんどなく、ブナをはじめとした広葉樹林が広がっていることがあげられます。こちらはアズキナ。正式名称はナンテンハギというらしい。雪が解けたばかりの腐葉土から芽を出すアズキナ。札幌近郊で採れるつまようじのような、か
木巻岬灯台は後志総合振興局の南西部の島牧村栄浜地区にある小さな灯台。木巻岬の南側には難所として名高い西蝦夷三険岬の一つ「茂津多岬」があります。灯台が出来る以前、付近の海は海難事故が多発しており、陳情の末やっと建てられた灯台でした。灯火地上高は9.1メートル。国道229号線からコンクリート舗装された急斜面の道を上がっていくと木巻岬灯台があります。灯台の入口には忠魂碑がありました。石碑は建立から長い年月が経過しているのか、日付などの細かい碑文は読み取れませんでした。木
春の山菜の王者行者ニンニク。後志地方の南西部にある島牧村で採ってきました。ブナ林の面積日本一の島牧村は山菜の宝庫でもあります。行者ニンニクはあまり太くなく、葉は少し開いたものを採ってきます。今日はジンギスカンをアテにビールで晩酌です(後で日本酒も呑むけどね!)。使用材料は生ラム、行者ニンニクと薬味の山わさびだけです。お好みのジンギスカンたれをつけて頂きます。行者ニンニクはぶつ切りで。薬味は山わさび(正式名は西欧ワサビまたはホースラディッシュとも言います)を
小樽市の忍路海岸、小樽八景の一つ。川中美幸が1985年10月21日に発売したシングル「忍路海岸わかれ雪」でおなじみの海岸・・・じゃないですね!!(少しマイナーすぎるかも・・・)日本海に突き出した忍路半島の竜ヶ岬方面。イワシが飛び跳ねていました。このイワシの大群いつまで居座るつもりなのか??小樽塩谷・桃内方面。冬の牙をむき出したような怒涛は去り鏡のような水面です。春の海です。国道5号線の旧忍路トンネル。現在、周りは立ち入り禁止になっておりトンネルは土砂で閉塞されてい
北海道新聞の購読料が、6月から500円アップの税込み4,300円になるらしい。去年秋の夕刊廃止までセットでとっていたから、4,400円から新聞代は一旦減ったものの、半年強で元の水準近くまで戻ることになる。値上げの理由は、用紙代をはじめ、重油代、電気代、インキ代など、かつてないほどの新聞製作費の高騰によるもの、と地元の情報サイトにはあった。確かに値上げラッシュのいまなら、それを疑う余地はなさそうだ。それに、社員の人件費アップもあるし、新ビル建設の経費もある。むしろ、デジタル版を現行の3,
群来とはニシンが産卵のため大群で押し寄せ、産卵・放精によって海の色が乳白色になることを云います。後志の国、岩内町敷島地区の海岸が群来により乳白色になっていました。時々、海面から魚が飛び跳ねていました。まだニシンがいたのかな??それとも卵を目当てに別な魚が岸寄りしてきたのかもしれませんね。撮影したのは昼過ぎです。早朝であればもっとハッキリと乳白色が識別できたかも!!昔はこのゴロタ石の海岸にニシンが大量に打ち寄せ銀色に染まったと云われています。右側に
島牧村原歌地区にある龍王神社。社号漂は天然石です。昭和49年10月吉日とありますね。比較的新しい神社なのだろうか??塩ビ管で作られた鳥居とはビックリ!!二の鳥居も塩ビ管でした。塗装も剥げています。簡素な社殿ですね。参道は国道229号線に面しています。一の鳥居の前に広がる日本海。晴れた日には蜃気楼を見ることが出来ます。
狩場山地の山の一つであるフモンナイ岳(標高1338メートル)に源流があるフモンナイ川。後志総合振興局島牧村原歌地区を流れ日本海に注ぎます。普通河川なので島牧村の村長が管理している河川です。「フモンナイ」とはアイヌ語で渓流を意味するらしい。フモンナイ川の河口。家ほどもある巨石が転がっていました。河口から源流域までの高低差約1000メートル、延長は約10キロメートルほど。急斜面を下るジェットコースターのような暴れ川と云えます。河川はコンクリートとブロックにより護岸されて
島牧村原歌地区にある平盤。海面からの高さがないので満潮時や波が高い日には水を被った状態になります。釣り人には蒲原の平盤と云えば分かる人も多いはずです。風が強くピンボケになってしまった!!国道229号線の原歌覆道。原歌の磯の海底は岩場と砂地が混在しているようでカレイの遊動式の仕掛けによく毛ガニが付いてきたものです。まぁ、ボーナスのようなものでしょう。原歌覆道の横には小さな滝が流れていました。雪解け水だろうか??
小樽のウニ漁解禁日は例年5月15日のようです。まだ一か月半以上ありますね。我慢が出来ず、島牧村に行ったついでに生風味の粒ウニを買いました。島牧村の漁師さん手作りの粒ウニです。。値段は少々張りますが品質は最高でしょう!!高級感があります。日本酒は旭川の「男山純米酒」をチョイスしてみた!!五合瓶なので心持ちうれしい!!鮮度の良いキタムラサキウニ(通称ノナ)を加工しているので可食部の粒子が分かりますね。これは最高の晩酌のアテだね!!
後志の南西部島牧村の南、寿都町の町堺にある冨浦地区。まだ冬の気配が残る日本海は荒れていました。ソイやアブラコ(アイナメ)、ホッケの大物が釣れるらしいです。歌島漁港。防波堤は高くはありません。所々、波を被っていました。漁船は1隻もありません。漁師は皆、廃業してしまったのか??わずかに残っている民家。北の漁村の風景ですね。演歌が似合うな〜!
本日の北海道新聞朝刊〜小樽後志版から小樽市は、小樽のまちづくりの原点に立ち返り、将来像を示すべきです。まさに同感です。#小樽市#運河プラザのこれから?#市民が主役
後志を代表する山の羊蹄山とニセコアンヌプリ。中々気温が上がりませんね!!朝の国道は凍結状態です。羊蹄山の山頂の雪が解けるのはまだまだ先です。別名「蝦夷富士」の名は伊達ではありません。こちらはニセコアンヌプリ。久しぶりに美味しい湧き水を汲みに行こうかな!!
画像は後志の南西部にある島牧村栄浜地区の山奥から撮影しました。山奥とは狩場山地のことです。日本海のブルーが美しい!!しかしこの景色を見るには林道を歩き、その林道が途切れたら、尾根に向かい道なき藪の中を歩いて、ようやくたどり着くことが出来ます。まさに体力勝負です。でもその価値は十分にあります。