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本(ほ)とゝぎ春(す)なきつる可(か)多(た)をな可(が)む連(れ)者(ば)たゞ有明の月楚(ぞ)のこ連(れ)類(る)澤辺(さはべ)尓(に)咲(さけ)る紫(むらさき)ハ文箱(ふばこ)の紐(ひも)の朱(あけ)を奪(うば)ひ利口(りこう)の邦家(ほうか)を覆(くつがへ)春(す)姦臣(かんしん)を除(のぞ)く秘密(ひみつ)の文章(ぶんしやう)彼所(かしこ)へ流(なが)して遣水(やりみづ)の心(こころ)春(す)ゝし起(き)婦夫(つまおつと)ハ声(こゑ)高橋(たかはし)の時鳥(ほととぎす)我身(わ
《新古今和歌集・巻第十四・恋歌四》1266題知らず後徳大寺左大臣憂(う)き人の月はなにぞのゆかりぞと思ひながらもうちながめつつ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず後徳大寺左大臣月は、薄情な人のどういう縁なのか、縁ではないのだ、と思いながらも見入り見入りすることだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴
後徳大寺左大臣の和歌「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる」ほととぎすの声がした方を見ると、そこにはもう姿はなく、ただ夜明けの月だけが残っていた。夏の始まりの静かな朝、自然の中で感じた一瞬の美しさ、もの悲しさが心に残りますね。
《新古今和歌集・巻第十二・恋歌二》1125語(かた)らひ侍りける女の、夢に見えて侍りければ、よみ侍りける後徳大寺左大臣覚(さ)めてのち夢なりけりと思ふにも逢(あ)ふはなごりの惜しくやはあらぬ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆言い交わしていた女が夢に見えましたので、詠みました歌後徳大寺左大臣目覚めてのちに、夢であったのだと思うにつけても、恋い慕う人に逢うということは、そ
《新古今和歌集・巻第十二・恋歌二》1088恋歌(こひのうた)あまたよみ侍りけるに後徳大寺左大臣かくとだに思ふ心をいはせ山下ゆく水の草隠(くさがく)れつつ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆恋の歌を多く詠みました時に後徳大寺左大臣このようにとだけでも思う心を言わないで、岩瀬山の下を流れる水が草に隠れ隠れしているように、忍び忍びして泣いていることだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今日は沈む夕日を見れるかなぁ…と人工島の岸壁へ日没は19時過ぎという事で、岸壁に座って少し待っていた。この岸壁はいつも釣り人で賑わっている。夜釣りをするのか…重い釣り道具を担いで釣り人が降りてゆく。やがて陽が傾きゆっくりと沈んで行った。夕日を見るのは久しぶりだ。美しかったなごの海の霞のまよりながむれば入る日をあらふ沖つ白波後徳大寺左大臣新古今和歌集春上36後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじん1139年~1191年本名は藤原実定(ふじわらのさねさだ)右大臣藤原公
2024/1/28日曜日ふつうの冬の朝おはようございます😊調子わるくカメラもブレてる天気は良くて太陽エネルギーたくさん浴びる日曜日をEnjoyね〜♥
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》665返し後徳大寺左大臣今ぞ聞く心は跡もなかりけり雪かき分けて思ひやれども☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆返し後徳大寺左大臣今はじめて聞くことです。心というものは跡もないものなのですね。わたしは、雪をかき分けて、思いを送っているのですけれど。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》664雪の朝(あした)に、後徳大寺左大臣のもとに遣はしける皇太后宮大夫俊成今日(けふ)はもし君(きみ)もや訪(と)ふとながむれどまだ跡(あと)もなき庭の雪かな☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆雪の朝に、後徳大寺左大臣の所に送ってやった歌皇太后宮大夫俊成今日は、ひょっとして、君が訪れてくださるかもしれないと思って、しみじみ見つめていますけれど、
《新古今和歌集・巻第六・冬歌》645題知らず後徳大寺左大臣夕凪(ゆふなぎ)に門渡(とわた)る千鳥波間(なみま)より見ゆる小島(こじま)の雲に消えぬる☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず後徳大寺左大臣夕凪に、海峡を飛んで渡っていく千鳥が、波間から見える小島の、雲の中に消えてしまったことだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴
81郭公(ほととぎす)なきつる方(かた)をながむればただ有明の月ぞのこれる後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)【出典】『千載集』巻三・夏の歌・161・藤原実定「暁聞郭公といへる心をよみ侍ける」右大臣++【口語訳】(『最新全訳古語辞典』・東京書籍より)++ほととぎすが鳴いた方向を眺めやると、ほととぎすの姿はなく、夜明けの空にただ有明の月が残っているだけだった。++++++++++++++++++++++++++++□□□□□□□【和
《新古今和歌集・巻第四・秋歌上》304題知らず後徳大寺左大臣夕されば荻の葉向(はむ)けを吹く風にことぞともなく涙落ちけり☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず後徳大寺左大臣夕方になると、荻の葉を一方になびかせて吹く秋風で、なんということもなく涙が落ちることだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《
《新古今和歌集・巻第四・秋歌上》288文治六年、女御入内屏風に後徳大寺左大臣いつも聞く麓(ふもと)の里と思へども昨日に変る山颪(やまおろし)の風☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆文治六年、女御入内の屏風に後徳大寺左大臣その風の音をいつも聞いている同じ麓の里だと思うのだけれど、立秋の今日は、夏であった昨日とはうって変わって聞こえる山颪の風よ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
안녕하세요?©1984StudioGhibli・Hナウシカは窓の外を見ていました。「雲の下はすごい瘴気のうずだわ」구름밑은대단히독기의소용독이다.クルムミットゥンテダニトッキソヨンドギダ黒い雲の間から瘴気の雷鳴が見えます。空の上を見上げたナウシカは、太陽の真ん中からが黒い点がだんだん大きくなり、その姿が見えました。「ん?」응ウントルメキアの兵士は叫びます「動くな!」움직이지마!ウムチギジマその時、キーーン!ガガ
《新古今和歌集・巻第三・夏歌》219山家暁郭公(さんかのあかつきのほととぎす)といへる心を後徳大寺左大臣小笹(をざさ)葺(ふ)く賤(しづ)のまろ屋の仮の戸をあけがたに鳴く時鳥(ほととぎす)かな☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆「山家の暁の郭公」といった趣を後徳大寺左大臣笹を貫いた賤の仮小屋の粗末な戸を開ける、その夜明けがたに鳴くほととぎすであることよ。☆☆☆☆☆☆
《新古今和歌集・巻第二・春歌下》141題知らず後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)はかなさをほかにもいはじ桜花咲きては散りぬあはれ世の中☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず後徳大寺左大臣世の中のはかないことを、桜の花以外の物によってはいうまい。桜の花は、咲いてはかなく散ってしまう。その姿がまさに世の中なのだ。ああ、世の中よ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
《新古今和歌集・巻第一・春歌上》35晩霞(ばんか)といふことをよめる後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)なごの海の霞の間(ま)よりながむれば入る日(いるひ)をあらふ沖つ白波☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆「晩霞」という題を詠んだ歌後徳大寺左大臣なごの海の霞の間から眺めると、今しも入る日を洗っている沖の白波よ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今日は満月です金運アップを願います財布を空にして満月に当てます20秒くらい空にするのは出ていくものを無くすためですカード、お金、みんな出ていくものです月を詠んだ歌はたくさんあります秋の美しい月や夜の寂しさなどを詠んだものが多いです「ほととぎすなきつるかたをながむればただありあけの月ぞのこれる」後徳大寺(ごとくだいじ)左大臣(ほととぎすが鳴いた方を見れば、何も見えるものはなく、有明の月があかつきに残っているだけだったよ)素直で平坦な叙情歌です
新年1回目のバラの記事で「しのぶれど」というバラの品種について取り上げ、これは百人一首の平兼盛の歌から取ったのかな?、などと書きました。あらためて百人一首を確認してみると、「しのぶれど」という語句は平兼盛だけではなく参議等の歌にも登場しており、このバラの品種名は特定の歌のことではなく、一般的な短歌の表現から引用したものなのかもしれません。お正月と言えばかるた取り、かるたと言えば百人一首、ということもあり、今回これをきっかけに久しぶりに百人一首の全百首を読み返してみました。今回は百人一首や短
夏がやってきたと知らせてます!今朝の朝刊、目に止まったのが、俳句誌「ホトトギス」等に投稿して才能を認められた後藤比奈夫さん(103歳)の訃報!偶然なのかな?「ほととぎす」と言えば...『ほととぎすなきつるかたをながむればただありあけのつきぞのこれる』小倉百人一首後徳大寺左大臣の歌も...。
八十六後徳大寺左大臣ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる作者は徳大寺実定(とくだいじさねさだ)で、平安末期から鎌倉初期の公卿・歌人である。右大臣・徳大寺公能(きんよし)の長男で、官位は正二位・左大臣。父・公能は徳大寺家の二代目。徳大寺祖の実能(さねよし)は、待賢門院(藤原璋子)の同母兄である。父・公能は娘・忻子が後白河天皇の中宮となり、急激に昇進する。忻子の同母弟が実定である。同母妹に藤原多子(まさるこ)がおり、近衛天皇の皇后、次いで二条天皇の后となった。したが
どうして八十一番が八十番と八十二番の間に挟まっていたのを見逃したのか?スッキリ過ぎる歌だったので、対にするなら黒髪と言葉遊びだろってんで、つい飛ばしちゃったんですよね。ホトトギスだけに。てっぺんかけたか♪No.81ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる後徳大寺左大臣このホトトギスの歌は、堀川の君の濃厚後朝に対してサッパリ風味の何とも言えず透明感のある朝方ということだろうと思うんですが、ワタクシも道因法師・藤原敦頼右馬助に当てられたみたいで、やっちゃいました。
さて、記事の整理をしていますと、この書庫(アメブロではテーマ)はまだ完遂していなかったですね^^;よもや、ヤフブロがなくなるとは思わず(いずれなくなると思いつつ、ヤフー側の結構決断が早かったのには驚いたのが本音)、のんびり構えていたせいか、さらに幻の書庫となってしまいました^^;さて、残りは二十首ですね。頑張って作りましょう~。で、八十一首目は初夏の歌。今の季節は少し進んだ感じがありますね^^;ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる後徳大寺左大臣徳
相変わらずトーキョーは快晴です。今朝も雲ひとつなく晴れた朝を迎えました。帰りそびれたのか南西の空には有明月が浮かんでいました。夜と違って明るいので、三脚は使わず手持ち撮影でも大丈夫(^o^)ちょっと寒かったけど。またあとでね('-^*)/
81ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる〔後徳大寺左大臣〕(読み-歴史的仮名遣い-)下の句(赤色)はかるたの取り札と同じほとときすなきつるかたをなかむれはたたありあけのつきそのこれる(読み-現代仮名遣い-)太字部分はきまり字ほととぎすなきつるかたをながむればただありあけのつきぞのこれる【意味】あっ、ほととぎすが鳴いた、とその方