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第百九代明正天皇は、江戸時代の天皇、女帝です。御父は後水尾天皇、御母は徳川和子(まさこ)、徳川秀忠と織田信長の妹お市の娘お江の子です。つまり、徳川家康の曾孫で、三代将軍家光の姪でもあり、織田信長の家系の血と信長に滅ぼされた浅井家の血も引いています。御名は、興子、女一宮。元和九年(1623年)生。在位、寛永六年(1629年)から寛永二十年(1643年)。後水尾天皇は第三皇子でしたが、徳川幕府の後押しがあり天皇に即位されたといいます。和子の入内はその家系や、不遇な時代の
第百十代後光明天皇は江戸時代初期の天皇です。御父は後水尾天皇、御母は園光子、また異母姉は明正天皇であり、当時の将軍徳川家光の姪で家康の曽孫でした。寛永十年(1633年)生。御名は、紹仁(つぐひと)。在位は、寛永二十年(1643年)から承応三年(1654年)。徳川家光から家綱の時代にあたります。後水尾上皇は第四皇子の紹仁親王が十一才になると、明正天皇に譲位させました(後光明天皇)。東福門院(徳川和子)が養母となっていたため、徳川幕府は外戚の立場を保ち、後水尾上皇が引続き院政を敷きました。
10月30日が命日・忌日の有名人・著名人1626年46歳没(?)ヴィレブロルト・スネルさん天文学者、数学者スネルの法則1654年(承応3年9月20日)21歳没(天然痘)後光明天皇陛下第110代天皇後水尾天皇第四皇子1823年80歳没(?)エドモンド・カートライトさん実業家、発明家自動織機(力織機)の開発1903年満35歳没(胃癌)尾崎紅葉さん小説家、俳人1910年82歳没(?)アンリ・デュナンさん国際赤十字創始者赤十字社を創設ノーベル平和賞
「3歴代ノ天皇(その110」今日は、廃藩置県みなさん、おはようございます参議院選挙も後半戦酷暑の中本当のことを胸に刻みたいと思います来週の三連休の真ん中の日を投票日とした理由を述べよふるさとを護る文月、七月わが国は日本国民が護る(笑)楽しく國史を学びご家族のためご自身のためにお役に立てれば幸いですコメントお待ちしています!7月14日は廃藩置県が行われ中央集権国家となりました薩摩藩の島津久光は断固反対自宅から大量の花火を
語り部アロマが紡ぐ「やまと語り二十八」聞いていかれませんか。太平の世が続いて、国民が日々の仕事に勤しむことのできたのは、ひとえに御恵みのおかげてありました。賑やかな江戸と華やかな長崎、その間には厳かな京都があって、昔の姿を伝えていました。京都とその付近一帯を上方‐かみがた‐と言ったのも、京都が都であったからであります。幕府では徳川家康が御所を御増築申し上げたり、御料を奉ったりしてから、家光や綱吉らもこれに倣って朝廷を敬いました。家宣は、新井白石の意見を入
「114第百十代後光明天皇」今日は、シーボルト事件みなさん、おはようございます10月10日はシーボルトが帰国する時荷物の中に持ち出し禁止の地図が出てきました国外追放と再渡航禁止処分になりましたがオランダで日本を紹介する書物を出版しました第百十代後光明天皇(ごこうみょう)後水尾天皇(百八代)の第四皇子です1643年、御即位あそばされました養母は東福門院の徳川和子です徳川氏は外戚を保ちました1644年、東寺の五重塔が徳川家光により
江戸時代の天皇はほぼ全てが、月輪陵、後月輪陵に眠っているのですが、後水尾天皇の親王、内親王で日嗣をついだ方々とその生母との陵墓の位置関係を図で示しました。はじめに第108代御水尾天皇の陵の場所第109代明正天皇第110代後光明天皇第111代後西天皇第112代霊元天皇月輪陵は元々、四条天皇の陵墓として造られて、四条天皇の陵墓は、明正天皇の右隣に有りました。霊元天皇の時には当初の陵墓地は手狭になったので、拡張工事が行われたようです。
永谷園社員、創始者ゆかりの京都で授業お茶漬けと朝食の関係とは-Yahoo!ニュースYahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN関連記事·「日本最大級の偽文書」か郷土史の定説ひっくり返るかも…京都・山城の古文書·「村田ツ子」さんは一体誰?閉所の京都市施設に謎の石碑、扱い苦慮「...7歳総絞り着物帯セット七五三女の子-NETIZENKU.COMNETIZENKU.COM...7歳女の子正絹着物フルセット本絞り日本製総絞り刺繍,
青漆爪紅台子は、元伯宗旦が東福門院のために好んだ、華やかさと風格を感じさせる棚ですが、東福門院とはどのような人物だったのでしょうか。東福門院像光雲寺蔵東福門院(諱は和子まさこ)は、1607年に徳川家康の内孫として、江戸城大奥で徳川秀忠と江との間に誕生しました。1612年に後水尾天皇が即位すると、家康は和子の入内を申し入れ、1620年に女御として宮中に入りました。家康は徳川家が天皇の外戚になることを期待して和子の入内を申し入れましたが
ルーターの故障で一日からパソコンが使えませんでした。さきほど新しいものに切り替えたのでまたアップできます。\(^o^)/第百九代明正天皇は、江戸時代の天皇、女帝です。御父は後水尾天皇、御母は徳川和子(まさこ)、徳川秀忠と織田信長の妹お市の娘お江の子です。つまり、徳川家康の曾孫で、三代将軍家光の姪でもあり、織田信長の家系の血と信長に滅ぼされた浅井家の血も引いています。御名は、興子、女一宮。元和九年(1623年)。在位、寛永六年(1629年)から寛永二十年(1643年)
梅雨が明けると暑い日が続きます夏の朝に咲く可憐な蓮の花…京の穴場蓮の寺シリーズその2は「大蓮寺」です。寺名とおり、大きな蓮が咲くことで有名です白・赤・黄の40以上の品種が咲きます慶長5年、深誉は伏見の地で金色に輝く阿弥陀如来に出会い、供養する者がないことを不憫に思い五条に仏堂を建て安置したのが始まりです。しかし後に、この阿弥陀如来は真如堂の阿弥陀如来であることがわかり訴えられ返還することになりました…非常に残念に思った深誉は21日間念仏を行うと、最後の夜に旅
第百九代明正天皇は、江戸時代の天皇、女帝です。御父は後水尾天皇、御母は徳川和子(まさこ)、徳川秀忠と織田信長の妹お市の娘お江の子です。つまり、徳川家康の曾孫で、三代将軍家光の姪でもあり、織田信長の家系の血と信長に滅ぼされた浅井家の血も引いています。御名は、興子、女一宮。元和九年(1623年)。在位、寛永六年(1629年)から寛永二十年(1643年)。後水尾天皇は第三皇子でしたが、徳川幕府の後押しがあり天皇に即位されたといいます。和子の入内はその家系や、不遇な時代の長
第百十代後光明天皇は江戸時代初期の天皇です。御父は後水尾天皇、御母は園光子、また異母姉は明正天皇であり、当時の将軍徳川家光の姪で家康の曽孫でした。寛永十年(1633年)生。御名は、紹仁(つぐひと)。在位は、寛永二十年(1643年)から承応三年(1654年)。徳川家光から家綱の時代にあたります。後水尾上皇は第四皇子の紹仁親王が十一才になると、明正天皇に譲位させ後光明天皇が即位しました。東福門院(徳川和子)が養母となっていたため、徳川幕府は外戚の立場を保ち、後水尾上皇が引続き院政を敷きまし
Makealomgcorridor(From"Kaiki")若し朕の外出を氣遣(きずかわ)ば、皇居より(後水尾)上皇御所に通ずる長廊下を造るべし!(「槐記」より)本年を令和維新発火の年に↓Name御名:Emperor"Go-Kōmyō"後光明天皇Go-KōmyōIn後光明院PersonalName御諱:Tsuguhito紹仁Father御父:Emeperor"Go-Mizunoo"後水尾天皇Mother御母:FujiwaranoMi
赤坂Bizタワー店〝ローズソーダ〟青山フラワーマーケットティーハウスへ。今年、ずーっと行きたかったの。お店のドアを開けると、植物もXmasからお正月仕様に🎍お花の持つエネルギーのパワーに、圧倒されました。(どれだけ疲れてるんだ⁈)注文が届くまで、お花の美しさに見惚れていましたよ。今年は、美術館に足繁く通って、美しい物をいっぱい観たなぁ。中でも、トーハクは熱かった!東寺展では、魂抜きされた仏像が、美術品として展示されていることに感動し、三国志展では、NHK人形劇の衣装が
天気の良い日が続きますね~ここ数日でチョッピリ顔が黒くなった気がします手間でもちゃんと日焼け止めを塗らないとね~ホンマは顔がパシパシするから嫌いなんですけどねっさて今日は西淀川区へこちらは福住吉神社(ふくすみよしじんじゃ)正面鳥居文化四年・・・って西暦でいうと1807年だからこの鳥居は年齢で言うと・・・212歳、丁卯の兎年だって今日は、ちょびっとだけ神社の見方を変えてみようかと思って境内を舐めるように見てきました(笑)手水舎ちょろちょろ~・・・っと時間をかけ
第110代天皇後光明(ごこうみょう)天皇在位期間1643年~1654年なお、「⑫」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系12代遡る」という意味です。紹仁(つぐひと)親王。後水尾天皇⑫の第4皇子。明正天皇の異母弟、後西天皇&霊元天皇⑪の異母兄。1633年生まれ。10歳(数え11歳)で即位。剣術とお酒を好み、仏教や『源氏物語』は嫌いだったと言われている。天然痘のため在位のまま21歳(数え22歳)で崩御。◆1651年由井正雪の乱があり、幕府は末期養子の禁を解くなど浪人対策に努め武断
第百十代後光明天皇は江戸時代初期の天皇です。御父は後水尾天皇、御母は園光子、また異母姉は明正天皇であり、当時の将軍徳川家光の姪で家康の曽孫でした。一六三三年生。御名は、紹仁(つぐひと)。在位は、一六四三年から一六五四年。徳川家光から家綱の時代にあたります。後水尾上皇は第四皇子の紹仁親王が十一才になると、明正天皇に譲位させ後光明天皇が即位しました。東福門院(徳川和子)が養母となっていたため、徳川幕府は外戚の立場を保ち、後水尾上皇が引続き院政を敷きました。後光明天皇は歌道より剣術を好
【平成29年10月27日(金)参拝】引き続き月輪陵。後光明(ごこうみょう)天皇陵御陵名:月輪陵陵形:九重塔所在地:京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺後光明天皇(ごこうみょうてんのう、寛永10年3月12日(1633年4月20日)-承応3年9月20日(1654年10月30日))は、江戸時代前期の第110代天皇(在位:寛永20年10月3日(1643年11月14日)-承応