ブログ記事46件
奉戴(ホウタイ)し、国家安泰や世界平和を祈願する行事は何か?現在も東寺(教王護国寺)灌頂院(カンジョウイン)に於いて真言宗一宗を挙げて勤修(ゴンジュorゴンシュ)しているのは「後七日御修法(ゴシチニチミシホ)」である。承和元年の空海の上表により、翌2年正月に空海が大阿闍梨として勤修した事に始まったと伝えられ、現在は全真言宗の各山会と東寺によって行われている。毎年正月の元日から7日までの宮中節会(セチエ)の後、8日から14日までの7日間、宮中真言院
一度KIKCAFEリセットしようと動き出した私。考える事や企画する事は大好きなのに、今年は新年明けてからかなり激しく暴走中。人と会ったり一人の時はパソコンにずっと向かっている。そこに銀行の書類の提出や火災保険の見直しが重なり、来週はチーム平成の引継ぎや打ち合わせと、今週はちょっと電池切れになりそうです。そんなところに、善通寺関東別院から、先日の東寺の写真が届きました。今年スタートからの仕事量、後七日御修法で空海を近くに感じ、背中を押されたのかもしれません。1日がすごく早いのに、反
昨日は、真言宗総本山東寺(教王護国寺)の『灌頂院』にて執り行われた『後七日御修法(ごしちにちみしほ)』の結願の日、参拝させていただきました。南大門横の石碑の上でアオサギが羽を休めており、微動だにせず佇んでおりました。後七日御修法は空海が承和二年(835年)に宮中の真言院で営んだ、鎮護国家・五穀豊穣・国土豊穣・人々の幸せを祈願する真言宗最高の儀式。宮中で元日から7日までの間に様々な神事が行われ、その後の8日から14日までの7日間に仏事での修法が行われたことから後七日御修法と言われています。明
今回の京都の本来の目的は、後七日御修法。後七日御修法は、国家安泰や五穀豊穣、世界平和を祈願する真言宗最高の厳儀なのです。今年は、何かとご縁のある善通寺の法主が後七日御修法を担当されるという事で行ってきました。善通寺関東別院からツアーで京都入りしていますが、私達は得意の現地集合です。前日はお天気雨が降ったり、雪チラチラ降っていましが、後七日御修法最終日に当たる1月14日は雲一つない晴天でした。菅猊下と、同じくご縁を頂いた京都随心院の亀谷門跡猊下のお見送りからのスタートでした。とても重々
く【後七日御修法(ごしちにちみしほ)】京都東寺で真言宗最高の厳儀とされる法要承知元年(834年)から脈々と続くこの行事は、真言宗各山から高僧の方々が集まって「御衣」とよばれる天皇陛下の絹のお召し物を加持。国家安泰や世界平和を一日3回七日間お祈りします🙏🐉今年は総本山善通寺菅智潤猊下が大阿闍梨(お導師)を勤めるため、結願の最終日に家族総出でやってきました。入堂時の様子退堂時の様子総本山善通寺菅智潤猊下雲一つない青空のもと大きな朱傘をさし、ゆっくりと歩くそのお姿はまるで平安絵巻の
抜けるような晴天の今日1/14は、真言宗の中でも一番大きな儀式、「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」の最終日です!!この儀式は、国家安泰や五穀豊穣、世界平和や国民の安寧などを、真言宗の十八本山の猊下や高僧方が一堂に介して、ご祈祷をするという、京都の東寺を舞台に1200年も続く一大イベントです。今年はコロナが明けて4年ぶりで、修法の終わった灌頂院へ一般の参詣が可能になりました。灌頂院の中は撮影禁止なので外の様子
令和6年1月11日後七日御修法中日いよいよ御修法も折り返しとなりましたこの機縁に、今年も参列出来てよかったです真言長者総本山善通寺法主菅智潤大僧正猊下東寺南大門と五重塔
遅ればせながらあけましておめでとうございます。1月も早くも半ばに差し掛かってまいりました。三が日には多くの方の初詣があり、また元日には「正月大護摩供養」をさせていただきました。一昨日1月10日、京都の東寺(教王護国寺)に行ってまいりました。正月8日から14日まで『後七日御修法』と言われる方法会が行われています。もともとは宮中で行われていましたが明治以降は東寺において勅使を迎え真言宗十八本山が一堂に会する真言宗最高の法儀として執り行われています。今年は真言宗善通寺派の菅管長猊下が大
おはようございます。今は小寒、いわゆる寒中と言われます。年賀状を出しそびれた方やこの時期の年賀状の返信は寒中見舞いをお送りします。ただ、関西とか、松の内が15日までの地域は、それまでは年賀状で大丈夫です。とはいえ、関西以外のところの方は、そういうことを知らなくてびっくりでしょうし、また、逆もですよね。こういう地域差もむずかしいですね。今日は成人の日、各地で二十歳を祝う会が行われます。本日、成人のお祝い会を迎えられる方々、おめでとうございます。成人を祝う儀礼は古くからあり、男子に
💖後七日御修法💖今日から東寺で、後七日御修法が始まる(1月14日結願)玉体安穏・鎮護国家・五穀豊穣・万民豊楽を祈る法会。元来は宮中真言院で行われた宮中行事。空海の奏上によって承和2年(835年)に始められた真言宗最高の法儀として執り行われている。能登半島地震の1日も早い復興を願います🙏
忘れもしない10月25日。松戸の5周年イベントに突然何かに引っ張られたように、お店を休んで行きました。帰りに北千住で途中下車し、昨年オープンした友人のカフェAJOBASEに立ち寄ったのです。そこに、ひょこっと現れたのが二瓶聖卓さんでした。ほんの一瞬の出会い。お坊さん好きの私だったので、そのまま盛り上がり10月30日に早速KIKCAFEに遊びに来て下さったのです。そこからシンクロは加速。11月7日、私が通っている弘法大師生誕のお寺、善通寺の関東別院の岩崎僧正をご存知ということで
…玉体(ギョクタイ・天子など貴人の身体)安穏、鎮護国家の為に行なわれる密教修法を【74】「後七日御修法(ゴシチニチミシホ、ミシュホウorミズホウとも)」と云う。空海の上奏により、承知2年から始められたとされ、東密所伝の極秘の大法で、東寺の長者がこれを勤めた。「前七日」の神事に続く「後七日」の修法からの命名。
事相の究極が法会だとする人がいます確かに多くの檀信徒たちに密教を見せる機会はありませんが、むしろ護摩にせよ修法にせよ後七日御修法のように古くは誰にも見せずに密かに修法するのが密教であろうと思います法会が大好きなのは人に見られる快感とイベントに興じてある種の興奮を求めているのでしょう事相の究極と言う割には「護身法をお解きになって…」などと法会の最後を締めくくるのです修験道の九字護身法に九字を戻す法があったり護身法で甲冑を着て終わって
東寺に行きました(2022年1月13日)。ガイドは京都検定マイスターの二村盛寧先生。平安遷都桓武天皇が794年に遷都した時に貴族は誰も千年の都になるとは思っていなかったらしい。竹取物語が出来たのが平安時代の初め。竹取物語(たけとりものがたり)とは?意味や使い方-コトバンク日本大百科全書(ニッポニカ)-竹取物語の用語解説-平安時代の物語。一巻。『源氏物語』には「かぐや姫の物語」(「蓬生(よもぎう)」)、「竹取の翁(おきな)」(「絵合(えあわせ)」)とあり、「竹取翁物語」と題
【罰ゲームとご褒美?後七日御修法(ごしちにちみしほ)】今月の高野山、どうしても行かねばならぬ。行けるか?体力的に新幹線乗れるか?寒いと体調悪くなるんだけど、、直前まで家で寝てたのでホテルも予約してないが、まずは京都まで行ってみる。友だちと食事して天気も良く大丈夫かな〜と油断一瞬、夕食に食べたお茶漬けの鯛に食あたりした。駅のトイレで2時間吐き続け、油汗したたる。ここで死ぬのかと思った。何の罰ゲームか?次の日、なんとなく復活してきた。あまり動けないので遠出はできないけれど、せっかく京都に来
【京都・東寺】後七日御修法(2023/1/8)1月8日から1月14日までの一週間にわたって、東寺で行われていた真言宗最高の秘儀【後七日御修法(ごしちにちみしほ)】が終わりました。【弥勒下生の暗号】北京冬季五輪が閉幕(2022/2/21)この修法の眼目は「鎮護国家・五穀豊穣」です。元々は宮中で行われていましたが、室町末期に一度中止され、江戸初期に復興しました。明治維新後は東寺に移行されました。(間違いがあったため訂正します)NHK-BSの【京都の大宇宙・東寺】をご
京都散歩今回は、梅小路公園〜東寺梅小路公園の南側にある水辺の道をテクテク途中でオオサンショウウオ発見水族館こっちって教えてくれてるのね公園のすぐ横にはJRが走っていて新幹線東海道本線嵯峨野線いろんな電車を見ることができます特に梅小路蒸気機関車館で乗車できる蒸気機関車が動いているのを目の前で見ることができます最初バックしながらやってくるのでちょっと違和感。でも大きな汽笛の音がして動き出すと童心にかえってドキドキ💗わくわく😃その後大宮通りを南下し
どこかへ行こうとか、何かやろうという気がまったく起きない一日だった。やはりこれだけ寒いと、家を出ようという意欲が失せてしまう。だから、読みかけになっている本を読もうと思ったが、ちょうどここからが読み続きという部分で、なぜかそこからは急に難解な文章・内容になっていた。読み返したり、前の方をもう一度読んだりしないと、思考がなかなか追い付いて行かないので、新書版の1ページを読むのに5分ほども掛かってしまう。いやもっと長いかも。そんなことをしているから、5,6ページを読んだところで急に
令和5年1月11日後七日御修法中日昨日に続いて、後七日御修法中日にて東寺をお詣りしました宮中から勅使が来られる本日はさすがに多くの方が参拝されておりました昨日とは打って変わって、寒さも幾分和らぎ、陽射しもあり、過ごしやすい中での参拝が叶いました国家の安泰、玉体安穏の祈願はもちろんですが、落ち着くかに見えてまたぶり返して来た新型コロナもある程度落ち着くように願っておりますまた本日はたくさんの知り合いの方とも東寺でお会いすることが出来ました真言長者飛鷹大阿闍梨大覚寺尾池門跡善通寺
1月もすでに10日目になる。今日は私の誕生日なので、夜には千葉の娘の家族から、「暖かく過ごしてね」というコメントとともにフリースの上着が届いた。孫たちからもメールが寄せられた。嬉しい限りだ。でももう後期高齢者だし、早い話がアラウンド・エイティ、〝あらハチ〟なのだ。それでも高校の同級生は、毎年、大作の絵画を書き上げて、展覧会に出しているし、以前に深泥池の写真集を出した同級生の女性は、今も折りを見て深泥池に通っているそうだ。大きな望遠レンズ付きのカメラと三脚を運ぶだけでも、
令和5年後七日御修法、すでに8日より開白しており、本来は例年中日に参拝しますが、今回も別件の所用がある関係で、中日を朝に控えた本日、京都入りしました。そして、明日も参拝しますが、東寺(教王護国寺)にまいりました。京都の業者さんに聞くと、本日は暖かいそうですが、香川人の私にとってはじんわり来る冷え込みでした。真言宗各本山の管長様クラスが一心に「国家安泰」「玉体安穏」「萬民豊楽」をお祈りされるこの行事、いつまでも固く守り抜きたいですね。南無一切三宝南無両部界会南無大師遍照金剛
おはようございます。毎日寒いですな。今は小寒、いわゆる寒中と言われます。年賀状を出しそびれた方やこの時期の年賀状の返信は寒中見舞いをお送りします。ただ、関西とか、松の内が15日までの地域は、それまでは年賀状で大丈夫です。とはいえ、関西以外のところの方は、そういうことを知らなくてびっくりでしょうし、また、逆もですよね。こういう地域差もむずかしいですね。さて、今日の京都は、ゑびすさんやらほていさんのお出ましで、なんだか、現実的!コロナで冷え込んだ経済の建て直しを祈願いたしましょう。
【山形】がけ崩れ10軒巻き込み(12/31)31日未明、山形県鶴岡市で大規模ながけ崩れが起き、住宅などおよそ10軒が巻き込まれました。これまでに70代男性と60代女性の2人が救助されました。しかし、80代男性と70代女性の夫婦と連絡が取れず捜索をしています。気象庁によりますと、鶴岡市では今月の降水量が12月として過去最も多い500.5ミリでした。(引用終了)皆さん、こんばんは。本記事をもって2022年最後の記事とさせていただきます。大晦日の未明、山形県鶴岡市で大きな土砂崩れが発
北京五輪、17日間の祭典に幕「鳥の巣」で閉会式(2/20)アグネス@agnes2001hisae3+6+9=18‼️ミロク(弥勒)の暗号‼️https://t.co/dIJyA0stRi2022年02月21日08:1220日夜、北京冬季オリンピックが閉幕しました。閉会式の生中継は見ていませんが、印象的だったのはフィギュアスケート(男女)、カーリング、スピードスケート女子かなぁ~6+6+6=18今朝は、どこのTV局でも今大会のダイジェストを放送しておりまし
今朝、朝ランの為に外に出たら、雪が降り出した・・・。けっこう降りしきってきたので、一瞬だけ「朝ラン止めとくか・・・」と、弱気になったが、ここでさぼると、このままずるずる行きそうなので、踏みとどまって、走りだした・・・。今朝のコースは、朱雀コースだったので、東寺さんに向かったが、今東寺さんは、年間最大行事「後七日御修法(ごしちにちみしほう)」の真っ最中なので、その様子も観たかったしね・・・。とは言っても、朝ランの時間帯は、まだ法要が始まってね~ので、雰囲気だけでも、と思って行
令和4年後七日御修法が8日より開白しております。今年も昨年に続き、お見舞いは一切禁止となっておりますが、見学に東寺に行って参りました。お天気は数日前とは打って変わって快晴、連休最終日でもあり大勢の参拝客で境内は賑わっておりました。今年の真言長者は、私の地元香川県観音寺市の延命寺名誉住職が務められております。誠に誇らしい限りです。国家安泰はもちろん、今も広がりを見せつつある新型コロナ特にオミクロン株の早期退散を私もひたすら祈ります。左から3人目が善通寺菅法主。真吾長者大覚寺尾池門跡
京都へ日帰りドライブ京都旅の目的は大庭雅ちゃん出演のアイスショー13時の開始にてちょっと東寺に立ち寄ってみました。行事の日程に後七日御修法西口から入って五重塔を目指します。七福神いらっしゃるのね〜亀石肩やら膝やら痛いので撫で撫で…と沢山の僧侶の方々なになに?ごしちにちみしほ…ありがたい行列に当たりました。なんの下調べもなく行き当たりばったりにしては凄すぎですよね…結局時間切れにて五重塔には行き着けず30分のイベントアイスシ
観智院観智院は南北朝時代に建立された塔頭。国宝客殿には宮本武蔵が書いたといわれる襖絵があります。その昔、NHKの大河ドラマで武蔵が取り上げられたときに修復。武者隠もあり、廊下も鶯張ですが、今は音がしません。↓写真とは反対側です(^_^;)ちらっと写真の右端に写っている木造の五体虚空蔵菩薩は晩唐の作とされ、お顔が長め。山科の安祥寺が大風(台風)で倒れた時に、賢宝が東寺に移したようです。賢宝とは-コトバンク朝日日本歴史人物事典-賢宝の用語解説-没年:応永5.6.30(1