ブログ記事279件
連日寒い日が続きますねお茶するにはいい感じです明日は日常の茶事火曜日上級クラスは隅炉(仕様)にて正午の茶事です昨年末に偶然隅炉の茶室を見せていただく機会がありまだまだ使いこなすには難しい茶室だなぁと思いながら道具組に思いを馳せておりましたなかなかお稽古の機会も少ないかと思いますので皆さまと一緒に楽しみたいと思いますご参加の皆さま宜しくお願い申し上げます場所は箕面箕楓軒※只今エレベーター工事中の為昇降は階段にてご理解ご了承の程宜しくお願い致します席入り11時半(水屋方は
旧正伝院書院表庭園の有楽椿旧正伝院書院の表玄関の庭を横切ると、大胆にも斜め真っ直ぐに延びた石畳の路地がある。石畳の路地と含翠門その先の小さな門があって、含翠門と呼ばれる。含翠門から見た旧正伝院書院含翠門:門が額縁隣中が絵になるように造られている。門の先の右手には緑の芝地が広がり、奥の方に四阿(あずまや)が佇む。広芝地と四阿(写真中央)正面に有
「待庵(タイアン)」は、乙訓郡大山崎町の臨済宗東福寺派・妙喜庵・内にあり、利休・作と伝わる。天正10年、山崎の戦いの折に「羽柴秀吉」の命により陣中に建てられ、後に同寺に移されたなど諸説ある。茶室内は2畳隅炉で、小壁に掲げられる「待庵」の額の文字は僧・芳叔(ホウシュク)の筆。
電車で奈良からはルートが悪いがJR山崎駅の前にある行きは京都乗り換え帰りは大阪経由になった。大きな環状線一周旅行です・しかし高速道路が出来て車なら約半分の時間で行ける・・が地図を見てビビったインターチェンジが小さな環状道路で永久にぐるぐる回って出てこれなさそう地図:JR山崎・待庵↓妙喜庵奈良から拝観受付はがき↓
千利休の理想が凝縮された現在最古の茶室極限まで削ぎ落された2畳の侘び数奇の空間
…(国宝)」のある寺院は?大山崎町に在る「妙喜庵」は、臨済宗東福寺派。室間期の明応年間の建立。開山は春嶽士芳(シホウ)禅師で、連歌の祖・山崎宗鑑の屋敷を寺にしたとも伝わる。「待庵(タイアン)(国宝)」日本最古の茶室建造物で、利休・作、唯一の現存遺構。山崎の合戦の折、羽柴(豊臣)秀吉の陣中に利休が建てた二畳隅炉の茶室を解体・移築したと伝わる。躙り口(ニジリグチ)が設けられた小間茶室の原型で、数寄屋建築の原型ともされている。
千利休の生誕500年によせて、ささやかな特集をしつらえています。「わび茶」を大成し茶道の礎を築いた利休。その卓越した美意識で人々を魅了し、多くの逸話や名言を残しました。しかし、世の権力者は茶の湯を人心掌握に利用し、利休は茶人の枠を超えた存在(政治顧問というのでしょうか)になっていきます。信長と秀吉に重用されながらも、秀吉の勘気を受け切腹に追い込まれた利休。切腹理由は謎に包まれ、本能寺の変と並ぶ戦国ミステリーといわれています。利休の波乱の生涯や、奥深い茶の湯に興味を持たれまし
眠っていた記事にNHK「歴史探偵」をプラスしました。今年は千利休生誕500年三浦綾子生誕100年らしいです。知らなかった。「利休とその妻たち」もちろんフィクションですが、残された手紙など引用されているので、少しだけでも利休に対する秀吉の心の内を知ることができたように思います。利休亡きあと大政所(秀吉の母)に書いた手紙〈かえすがえす、一段と息災、昨日利休の茶にて御膳もあがり、おもしろくめでたく候まま、お心安く候べく候〉利休の茶とは、利休流の茶。秀吉の心の中から、利休を
おはようございます。ずっと停滞している台風11号の進路が心配です。台風から遠く離れていても、前線の影響で、ゲリラ雷雨など発生しています。どうぞ、お気をつけてください。さて、今日から大徳寺興臨院の公開され、茶室涵虚亭(かんきょてい)」も公開されます。今年は、わび茶の完成者といわれる千利休の生誕500年です。その千利休や弟子のゆかりの茶室が京都にはたくさん残っています。国宝が特に素晴らしいとは言い切れませんが、現在、国宝の茶室は三つあります。その内の二つが京都府内にあります。一つは大山崎
【食育クイズ:Vol.1021】「京都府」の「茶室文化」おさらいクイズ!「千宗旦」の次男「一翁宗守」興した「武者小路千家」の茶室名は?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞【食育クイズ:Vol.1020】(「京都府」の「花かんざし文化」おさらいクイズ!「舞妓さん」がつける9月の「花かんざし」とは何の花?)の↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】「京都」の「舞妓さん」は、まだ暑さの残る「
名古屋のシンゾウです「京都検定」で漢字力の無さを知り、「漢字検定」に出会いました。今年、2022年、1級受験の準備を始めました。最新の過去問題集とテキストを購入し、PCでデータ入力を始めました。しかし、見たことの無い漢字が続々あり、それをIME辞書に登録する作業量が予想外に多いことに滅入ってしまう日々が続きました。「京都検定」1級に合格したものの、気分が晴れませんでした。「漢字検定」1級の出題内容は、①漢字の読み、②漢字の書取、③故事・諺、④対義語・類義語、⑤同音・同訓異字、⑥
【食育クイズ:Vol.1013】「京都府」の「茶の湯文化」おさらいクイズ!千利休が完成させた「茶室」に一体化する「庭」の事を何と言う?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞【食育クイズ:Vol.1012】(「京都府」の「伝統行事」おさらいクイズ!「京都、今宮神社」で三度撫でて持ち上げるとご利益がある石の名は?)の↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】「京都、今宮神社」の「神占石(かみうらい
【食育クイズ:Vol.996】「京都府」の「茶の湯文化」おさらいクイズ!「京都、大山崎」にある「千利休」作の「国宝の茶室」とは?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞【食育クイズ:Vol.995】(「京都府」の「納涼川床文化」おさらいクイズ!「鴨川納涼床」は二条からどこまで設営される?)の↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】「鴨川納涼床」は「二条」から「五条」にかけて4つのエリア(上木屋町
…唯一現存するとされる国宝の茶室は?「待庵(タイアン)」である。天正10年、山崎に陣を敷いた羽柴(豊臣)秀吉は千利休を招き茶室を造らせたと云う。妙喜庵3世功叔和尚が利休の弟子であった縁で、同庵にそれが移築されたと云う説が伝わっている。建物は切妻・杮葺(コケラブキ)・南側に深い土間庇を付けおろす。その下にある躙り口(ニジリグチ)は、通例よりもやや大きく取ってある。壁面には下地窓と連子窓(レンジマド)を設ける。茶室の内部は2
日本には3棟国宝の茶室があります愛知県犬山市の織田有楽斎が作った如庵京都市大山崎の利休が作った待庵京都市大徳寺内の小堀遠州が作った密庵如庵と待庵は見に行きました密庵は大徳寺の塔頭龍光院(りょうこういん)内にありますこちらのお寺は開山以来門を開いたことがないとか現在拝観謝絶特別公開もなしこちらのお寺には国宝や重文がたくさんあって3年ぐらい前かなミホミュージアムで初めて公開されたそうですが私は気が付かなくていけませんでした建物は四畳半
関西…特に京都大阪奈良は昔から都が置かれたり水運を利用した経済拠点だったりと、教科書に載っている地が沢山ある事は知識としては知っていた。が、実際その場に立って遠い昔の臨場感を味わうなんて事は北関東在住の身としては殆ど無かった。宝塚歌劇場は阪急電鉄創始者小林一三氏が沿線開発の為に造られたって事は知っていたが、それが大阪梅田からどれ位の距離でなんて事は体験しないとわからない。まして、山崎山荘が天王山の中腹に位置し明智光秀が落武者狩にあった地だと言う感慨は、この地の歴史を身体で感じられ感動した。山
待庵(たいあん)、京都山崎の茶室。千利休がつくったことが確証される唯一の現存茶室。国宝三茶室のひとつです。江戸初期に利休庵から妙喜庵(みょうきあん)に移設され、戦災や自然災害をくぐり抜け、代々の妙喜庵の和尚さんが大切にされ、今私たちが目にできる、文字通りの国宝。内部写真はNGですのでHPより掲載します※写真は山崎観光案内所HPより二畳台目の茶室は、最小限の茶空間。コーナー壁は柱型を出さず土壁にて広がりを出し、床の間は二畳に対して大きな70㎝奥行き、天井は亭主上
資料を読んで答えよ【資料】「茶道(茶の湯)」の源泉は、鎌倉時代に禅宗とともに中国から入ってきた宋風の喫茶習慣です。それが次第に寺院や武家社会、庶民に広がり、作法や道具、設え、精神的な訓練まで含む総合文化として日本で独自の発展を遂げました。とくに「侘び・寂び」を重んじた茶道のスタイルを、桃山時代に千利休が完成させました。利休ら茶人たちは、自分好みの道具や設えを創造し、後世の文化にも大きな影響を与えました。Q.229下線部より以前に、侘び茶を創始したとされるのは誰?①一級宗純②村
十人十色。無限に広がる茶の湯の空間とは私たち人間にはイメージするという力が備わっていたりします。以前お話した細部に至るまでの模倣を施すことにより、模倣によって得られる周囲からのレスポンスを肌で感じ、その模倣の対象となる者の思いに触れるというサイクルを繰り返し、己の心を育む私たち人間。だれかのなにかに触れることで、何かの拍子にある対象に触れた時、頭に浮かぶイメージ、エピソードがそれぞれの心にあったりします。茶の湯ってそういうイメージする力、それぞれの心の
炉のお稽古もあと2回今回のお稽古は隅炉風炉先屏風で仕切り2畳の茶室。これって待庵じゃないですか!待庵071「待庵」でお茶を点ててみる|お茶を楽しむ生活mikiocha.jugem.jp実際には京間なので、もっと広いでしょうけれど。隅炉はお点前としては風炉と同じ向きですが湿し灰を撒く濃茶で中蓋、中仕舞いがあるなど炉の要素もあり楽しいですね。桜も散り始め桜のお道具も今日が最後。5月になるまで、季節感のお道具に悩む時期です。今日のお菓子は野の花モチモチして微かな青の
ようやく蔓延防止も終わったので、今年初めて、京都に帰って茶道のお稽古に行くことができました。桜がそろそろ咲いているかと期待していましたが、今年は寒い冬だったので、残念ながら、桜はまだでした。お稽古は吊り釜、徒然棚でまず薄茶。次に4畳半の茶室を2畳隅炉に区切って,国宝の茶室、待庵の形にし、濃茶のお稽古でした。画像はネットからお借りしました。先生ともう一人の弟子が、こんな感じに座ります。2畳は狭くて、すぐそばにお客様が座るので、かなり圧迫感があり
2021-11-25山崎聖天から下りてきましたよ〜なんだろ??見たことあるけど、名前忘れたJRの山崎駅前までやって来ました資料館に行けば、原寸大模型があるのね〜そういや、あったかも?以前ウォーキングで行ったとこ〜離宮八幡宮ご挨拶〜で、紅葉燃えてますスゴイね〜今回の紅葉の中で1番綺麗だったんじゃないかしらんうんうんでは、帰阪しま〜すだ〜れも居ない駅のホームの待合室で、温かいドリンク休憩大阪のグランフロントへ行ってみよ♪
老松(おいまつ)茶入本能寺の変の後豊臣秀吉が明智光秀に勝利した「山崎の戦い」山崎にある天王山での戦いであったことから別名「天王山の戦い」その後秀吉は山崎に城を構え千利休は茶室『待庵』を作りましたその茶室の近くには松の木があり天下人となった秀吉が訪れる度に松の枝に袖が擦れたことから『袖擦りの松』と呼ばれ縁起の良い松とされていましたしかし後に枯れてしまいその松の木で『老松』茶入が作られたそうです松の木目が透明漆に透けて見えるのが特徴千宗旦(利休の孫)が使っ
一万坪強の広大な江之浦測候所『小田原文化財団江之浦測候所へ.。.:*☆.。.:*☆』今も進化し続けている江之浦測候所(2017年10月開館)江之浦測候所|小田原文化財団かつて蜜柑畑だった小田原市江之浦の地に、現代美術作家・杉本博司が設計…ameblo.jp柑橘畑の名残が残る新エリアへ🍊水場や傾斜運搬機が残ってるこの雰囲気懐かしいー!殺生禁断🐝石柱(江戸時代)蜜柑小屋は化石窟約60年前の小屋が、雰囲気はそのままに内観は、わざと古く演出しているかの様な新しい見せ方!子供の
先日のお稽古老松茶器を使いました老松茶器のいわれ天正10年秀吉が明智光秀と戦った時陣となったのが現在国宝の茶室がある山崎にある妙喜庵山崎といえば「山崎の戦い」別名「天王山の戦い」この言葉は勝敗や運命の重大な分かれ目を表す勝負のことを表すようになりましたこの妙喜庵には利休が建てた茶室「待庵」があります2畳の極小の茶室で壁も黒く塗られ利休の求めた茶の湯を表す茶室だと聞いていますこの待庵の横に松が植えられていたそうです陣中の秀吉が通るたびに袖
この投稿をInstagramで見る株式会社GreenRoom(@greenroom.yukishi)がシェアした投稿