ブログ記事290件
国宝巡りがライフワークの私京都でまだ行ってないところがいくつかあるいくつかはおそらく永遠に非公開(西本願寺の黒書院など、龍光寺)ひとつは綾部市で、ちと遠いもう一つは待庵(大山崎)調べたらひと月前までに往復ハガキで申込すれば拝観できるらしいと慌てて申し込んだのが5月の終わり頃だったかいつもギリギリすぎるわー無事7/5希望日の予約が取れました。しかし今の時代往復ハガキはハードル高いです。とまあそんなとこなんで絶対に遅れられないと時間に余裕をもって家を出て京都駅までレンタサ
先日、京都と大阪の境にあります小さなお寺、妙喜庵に行ってきました。目当てはもちろん、茶室「待庵」です。千利休が作ったとされる現存唯一の茶室で、もちろん国宝に指定されています。(国宝指定を受けた茶室は3つだけ!)ここはほんとうにありがたいことに、お茶を習っていなくても見学できます。ただし1ヶ月以上前に往復はがきで見学希望日を書いて申し込む必要があります。見学できるのは日曜の指定時間だけ。そこが若干めんどくさい。でも絶対見せてもらえない国宝を思うと、たったそれだけの手間で見学でき
大山崎の天王山にハイキングに行ってきました。豊臣秀吉と明智光秀の合戦があったところです。まずは大山崎の資料館から。これは秀吉の甲冑の複製です。これだけ写真撮影OKです。町の資料館で小ぢんまりしていましたが、利休の茶室待庵の複製があったり、大山崎の油売りの話が詳しく分かったりと、なかなか充実していました。さて、ハイキングのはじまりです。まずは、登山口から少し登ったところにある宝積寺へ。三重塔がありました。豊臣秀吉が一夜で建立したという言い伝えがあるそうです。大黒天があって狛さん
胡蝶の夢七十二候「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」(3/15〜19)モンシロチョウが舞い始める頃胡蝶(コチョウ)は蝶々の別名「胡蝶」のおもてなし🍵「禅宗」の形成に大きな影響を与えたと伝わる「万物斉同」「無為自然」の思想家荘子著書『荘子』にある📖(自分が夢で蝶になったのか、蝶が夢で自分になったのか分からない)「胡蝶の夢」掛物は「松古今無色」千利休作、国宝茶室「待庵」に真似て「隅炉」のしつらえにしてみました濃茶お菓子は「咲分」と干菓子薄茶
みなさま、こんにちは。ポスチャースタイリスト古谷維久子です。先月、無事に第23回大人の遠足~名水・歴史・美術さんぽ@大山崎が終了しました。こちらの続きです。『第23回大人の遠足~名水・歴史・美術さんぽ@大山崎①ウィスキー樽からできた椅子』みなさま、こんにちは。ポスチャースタイリスト古谷維久子です。先週末、無事に第23回大人の遠足~名水・歴史・美術さんぽ@大山崎が終了しました。『【キャンセル…ameblo.jp『第23回大人の遠足~名水・歴史・美術さんぽ@大
妙喜庵国宝の茶室「待庵」にお参りしてきました…(^^ゞ内部はすべて撮影禁止なので絵はありません…(^^ゞ往復はがきで参観申し込みして…やっと参観が叶いました…(^^ゞ御朱印…(^^ゞ
6月に往復はがきで申込していた妙喜庵/待庵から拝観許可書が届きました…(^^ゞ嬉しいです…(^^ゞ時間の許す限り自分の眼に焼き付けてきたいと思います…(^^ゞ
おはようございます。昨日は、台風15号が日本列島を横断し、あちこちで線状降水帯が発生したり、竜巻のような突風(まだ竜巻と認定されていないので)が吹き、大型トレーラーが横転していたり、家が全壊、半壊されたりと大変な被害がありました。被害を受けられた地域の方々、お見舞い申し上げます。皆様のところの被害はありませんでしたか?今朝は台風一過で、また、気温が上がりそうです。どうぞ、暑さ対策もしっかりなさってください。今日は、今日は高台院の忌日です。高台院というと、誰なのと思われるかもしれません。
一昨日のブログで、蒸気機関の仕組みを考えたイギリス人科学者のニューコメンの凄さについてブログに書きました。世の中を大きく変えた彼の最初の一歩こそが、僕たちの便利な生活に役に立っていると考えると感謝しかありません。さて、日本文化に目をやると、独自の文化を生み出した偉人がいたのです。水墨画の祖:如拙(じょせつ)水墨画というと僕たちが最初に思い浮かぶのが、雪舟でしょう!ところが、日本で最初の水墨画と云われる瓢鮎図(ひょうねんず)を室町時代に描いた絵師こそが、如拙でした。室町時代四
京都・大山崎の住居と社寺ー聴竹居、離宮八幡宮、妙喜庵ー金澤成保秀吉が明智光秀を破った「天王山」の麓の地・大山崎を、友人らと訪れ、その特色ある住居と社寺を見学・参拝した。訪れたのは、環境とディテールを重視した「和風モダンな住居」聴竹居(重文)、製油発祥の地とされる離宮八幡宮、そして千利休が手がけた茶室・待庵(国宝)を有する妙喜庵である。いずれもJR山崎駅に、ほど近い。聴竹居と妙喜庵の見学・拝観には、事前の予約が必要で、内部の写真撮影は禁止である。環境共生の先駆となる和風モダン住
妙喜庵/待庵拝観申込用往復はがき…(^^ゞ国宝待庵…一度は行ってみたいです…(^^ゞ
昭和26年発行の茶道全集巻7に妙喜庵待庵の事を、武者小路千家13代有隣斎徳翁宗匠が担当して執筆しておられるので紹介します。概要興味深い点のみ⭕️宝暦時分に七代直斎宗守によって大修繕が加えられている。⭕️明治の始め頃は妙喜庵自体が荒れ放題で、茶席の中は百姓が藁を一杯入れていて全くの藁小屋となってしまっていた。⭕️この席でもう一つ変わった点は室外一畳が並んで附き三畳敷の様になっていて、これは後に出来た不審庵の席と全くその意匠を同じくしている。⭕️ただ使用する点に於いて、ある時は三畳敷とし
朝ごはんはトースト目玉焼きマッシュルーム玉ねぎピーマンのっけと人参ポタージュと珈琲。お茶のお稽古を熱心にしている友人に利休ゆかりの地を案内する。利休屋敷跡→さかい利晶の杜で1時間利休ツァー→茶寮つぼ市で茶粥定食→堺伝匠館で刃物とお土産みる→麹専門店雨風に行く→夕ごはんはちく満でお蕎麦を食べてUNIQLOで明日の為に極暖シャツ買って帰宅。今日は寒いわ😨〜〜。明日はもっと寒いらしい。無事運転できてよかった。良いコースで案内できたかも🦆。一日無事終わったことに感謝します。寝る前に麹屋雨風で
昨日までの抹茶・茶道で、思い出した東京都の郊外、日の出村に中曽根康弘元首相の別荘「日の出山荘」があるアメリカのレーガン大統領をこの別荘に招待し、お茶でオモテナシしたこんなところに、どのように案内したのかと思った中曽根首
この本(「日本壁のはなし」[物語ものの建築史]山田幸一著/鹿島出版会)古本屋で見つけて読んでみた。これが面白かった。そもそも日本に地震が多いので組積造でいう耐力壁という壁の存在が無かった。それも一因だけど、それは日本の家屋が冬の寒さより夏の雨を重視している構成になったことは周知の事実で前回読んだ「てりむくり」にも同じこと書いてある。『「てりむくり」を読んで』今年、松岡正剛氏が亡くなった。彼の「遊学1」、「遊学2」は私の大好きな本である。その彼の「千夜千冊」と言う書評がある
大阪から京都の大山崎にある「大山崎山荘」へ行きました主人がアンドリュー・ワイエス展をやっていることを知り急遽行くこととなりましたワイエスといえば「クリスティーナの世界」に魅せられたのが学生時代だったでしょうか?年表によると日本で初めて大々的に「アンドリュー・ワイエス展」をやったときに私も主人の別々に見に行っていたようです好きなものが似ていることはいいことです駐車場がなかったことを上に上がってから気が付きましたそして大山崎
名建築シリーズ76妙喜庵待庵往訪日:2024年4月10日所在地:京都府乙訓郡大山崎町竜光56見学:(現在日曜のみ)9:30~/10:30~(約1時間)料金:1000円(中学生以下不可)予約方法:・一箇月以上前に往復はがきに第三希望まで記載して申し込む(時間指定不可)・電話での問い合わせ不可アクセス:JR京都線・山崎駅前■設計:千利休■完成:1582年(天正10年)■国宝※内部撮影NG《妙喜庵の玄関前》ひつぞうです。JR山崎駅周辺は近世から現代に至る
※2024年6月、聴竹居記事から分離独立、加筆。京都府最小の町、大山崎町。面積わずか5.97平方kmと、全国の市町村でも15番目に小さいのですが、その小さな町に、千利休が作った現存唯一の茶室「待庵」や個人住宅としては初めて重要文化財指定を受けた藤井厚二設計の「聴竹居」、鎌倉時代の閻魔像で知られる宝積寺、製油発祥の地としていまも信仰を集める離宮八幡宮など、見どころがギュッと詰まっています。なかでももっとも有名なのはアサヒグループ大山崎山荘美術館。2021年晩秋、大山崎山荘美術館を訪ねまし
再度大河内風船子氏による待庵考🔴待庵は二畳敷で使ってはいないと言う以前のblogでも書きましたが待庵には勝手側に両引きになった襖があります。多くの写真ではこのことが蔑ろされてますが、何故に、襖なのか?次の間も使って茶会をしていると言う事。ご興味のある方はs51/4号の記事をご覧ください。図を示して解説しておられます。『s51/4待庵は二畳敷だけで使ったか?』待庵は二畳だけと思っている人。。。⭕️貴人を招いたとき次の間との間の太鼓襖を取り払い、釣り
今回は堺に宿泊しw、宿から徒歩すぐ、この日まずやって来させられたのはw、●さかい利晶の杜堺ゆかりの2人の人物がテーマ。湘南たいむも以前1年半住んでたゆかりの街w。。。・゜・(ノД`)・゜・。🏯歴史街道デジタルスタンプラリー☆14個目。凸(´Д`)ついでに入館w。。ついでかよ。笑リーフデ号千利休の生涯と堺待庵Σ('◉⌓◉’)御財印与謝野晶子記念館退場w。。千利休屋敷跡も観て、堺から、次の目的地へ、行きたくね〜w。。
正伝永源院〜春の庭園特別公開。昨日の記事からの続きです。今回の記事でラストとなります。『正伝永源院〜春の庭園特別公開』京都では現在、普段公開していない寺院の特別拝観や、非公開の文化財の特別公開が、期間限定でおこなわれています。今回は正伝永源院〜春の庭園特別公開に行ってきまし…ameblo.jp『正伝永源院〜春の庭園特別公開②』正伝永源院〜春の庭園特別公開。昨日の記事からの続きになります。『正伝永源院〜春の庭園特別公開』京都では現在、普段公開していない寺院の特別拝観や、非
モノクロ木版画「茶室待庵」茶道に関心がある日本の伝統文化オモテナシの心と美の総合芸術点茶の場茶室茶室の代表待庵
現存する日本最古の茶室『待庵(国宝)』を見てきたお話です。待庵があるのは大阪府との府境に近い京都府大山崎町そう、あの「天下分け目の天王山」と呼ばれた山崎の合戦で秀吉軍が陣を構えた天王山の麓の町です。JR山崎駅から徒歩30秒駅前にある妙喜庵『豊興山妙喜庵』臨済宗東福寺派の・・・小さなお寺さんです通常は拝観謝絶です拝観は寺用のない日曜日の午前10:30と11:30の2回のみ見学を希望する一ヶ月以上前に、往復ハガキで申し込みをします志納金千円です待庵は天正10年(1582年)山崎
神社仏閣の門前で、美味しい和菓子屋さんを探している人・・・この指とまれ♪今回の記事は、東京近郊の千葉県船橋市内にある不動尊の門前で見つけた「どら焼き」が美味しいと評判の和菓子屋さんをご紹介しますね。御滝不動尊(おたきふどうそん)と呼ばれる、1423年に創建された真言宗豊山派の寺院「金蔵寺(こんぞうじ)」まで来ています。御瀧不動尊金蔵寺公式ページ(千葉県船橋市金杉の寺院・真言宗豊山派)御瀧山金蔵寺(千葉県船橋市金杉)は1423年創建の真言宗豊山派の寺院で御瀧不動尊の名で親しま
妙喜庵点てについて(但し、磯野氏によると「妙喜庵点て」は後年に千家が隅炉に合わせて点前を作ったもので利休時代からの点前では無いとのことなので注意が必要です)私見この点前はあくまでも二畳で使った場合の事ですが私が前に紹介した様に待庵は当初、三畳で貴人を迎えたと考えられます。繰り返しになりますが、茶を知らない後々の妙喜庵庵主が勝手に隅炉にしてしまった(磯野氏)との見解に賛同します。以下も併せてご覧ください『s51/4待庵は二畳敷だけで使ったか?』待庵は二畳だけと思って
待庵は二畳だけと思っている人。。。⭕️貴人を招いたとき次の間との間の太鼓襖を取り払い、釣り棚を使い出炉の今日で言う本勝手で点前をしたという説に納得出来ますね♪青木宗鳳完全指図帳より⭕️貴人点その他粟田氏曰く「青木宗鳳とは、津田宗及六世伝子(宗及ー江月ー小堀遠州ー黒田正円ー山田乗仙ー青木宗鳳)で、遠州流の元祖は津田宗及ではじめは宗及流と称したが、のち一般にこれを遠州流と呼称するに至ったものである」参考デ
今日は、気温は比較的、高ったのですが、風が強かったため、かなり寒く感じました。能登半島の地震による犠牲者が増えたことを知り、本当に心が痛みます。避難生活を強いられ、また、ライフラインに支障が起きている方々も多いと聞きました。少しでも早く、普段通りの生活が送れるよう、心よりお祈り申し上げます。今日は、初釜の濃茶の時に使う「茶杓」について、書きます。この茶杓の銘は、「老松」です。妙喜庵住職武田士延作の古材を使った茶杓になります。この妙喜庵に
待庵(Taian)のレシピサントリー山崎・・・・・・・・25mlグリーンティー・リキュール・・15mlグリーンミント・リキュール・・5mlレモン・ジュース・・・・・・・15mlソーダ・・・・・・・・・・・・UP使用グラスコリンズグラス製法ソーダ以外をシェークして氷を入れたグラスに注ぎソーダで満たしてビルド度数11%1994年サントリーザカクテルコンペティションネーミング賞受賞作品。後藤浩久氏。侘び茶の租、千利休の茶室「待庵」。その土地の「離宮の水」で仕込んだウ
*日本人の美意識*丸山真男の「洪水型」/「雨漏り型」と「ササラ型」/「タコツボ型」*日本的永遠性1~4*普遍的日本論1~12*生住異滅と自然の摂理~・~・~■2項並立・往来が永遠に反復する日本的な世界観日本の美といえば、「もののあはれ」や「わび・さび」が有名で、これらは、飛花落葉のような、自然の無常感と結び付けがちですが、無常とは、万物が流転することで、万物は、生滅変化するので、永遠に不変な物は、ありません。ただし、自然の摂理で、1日が朝→昼→夕→夜や、1年が春→
…利休・作とされる茶室。【42】二畳隅炉で、床を塗り回しの室床(ムロドコ)とし、壁には苆(スサ)を入れ、天井を棹縁天井と化粧屋根裏に分けている。二畳と襖を隔てて一畳板畳付次の間・勝手の間が附属する。屋根は切妻・杮葺(コケラブキ)・土庇つき。利休は亭主と客が心を交えて座を造ると云う「一座建立」の精神に基づき、茶室の極小化を指向したと云う。同時に利休は、都市の中にあっても俗姓を離れた山里の風情を宿す「市中の山居」を理想としており、それが待庵に表