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新聞コラムでたまたま知った「旧尾崎テオドラ邸」。所在地を見たら、出かける予定の世田谷区。お上りさんなので、近いんじゃない?ついでに見てこよう!と旅の計画にプラス。まだ外構はできていないようでした。HPによれば、入館はチケット制。外観だけ見学して、次の場所へ。招き猫で有名な豪徳寺。裏門から入れるようなのですがよくわからなくてウロウロ。立派な山門を入ると三重塔がありました。招き猫さん発見。招き猫授与所は外国の方で長蛇の列。芍薬が美しかったです。
桜田門外の変-歴史探偵桜田門外の変。新史料が発見され、従来のイメージが大きく変わろうとしている。井伊直弼暗殺にかかわったピストルと事件直後に起きた内戦の危機。幕末の大事件を調査する。www.nhk.jp今夜は、NHKの「歴史探偵」で桜田門外の変が取り扱われますね。桜田門外の変といえば、幕末の万延元年3月3日、江戸城に登城中の彦根藩主・大老の井伊直弼の行列が水戸藩浪士(薩摩藩浪士・有村次左衛門も参加)に襲われ、井伊直弼が暗殺された幕末の大事件ですね。この際
柘榴坂の仇討2014年9月20日公開浅田次郎による短編集『五郎治殿御始末』のうちの一編を映画化。桜田門外の変で主君・井伊直弼を守り切れなかった彦根藩士・志村金吾が、明治の世となり時代が変わろうともなお主君を暗殺した敵を探し続ける時代劇。あらすじ🏯安政七年三月三日、江戸城桜田門外で大老の井伊直弼が襲撃され殺害される。主君を守り切れなかったことを悔やんでも悔やみきれない彦根藩士・志村金吾のもとに、仇を討てとの藩命が下る。明治の世になり時代が大きく変わっても武士としての矜持を持ち敵を探し続
碁盤斬り2024年5月17日公開草なぎ剛を主演に迎え、白石和彌が初挑戦した時代劇。身に覚えのない罪により、故郷・彦根藩を追われて娘の絹と二人、江戸の貧乏長屋暮らしを送る実直な浪人・柳田格之進。ある日、旧知の藩士から我が身に起こった冤罪事件の真相を聞いた格之進と絹は、復讐を決意する。あらすじ浪人・柳田格之進は、身に覚えのない罪を着せられ、妻も喪った上、故郷の彦根藩を追われて娘の絹とふたり、江戸の貧乏長屋暮らしを送っていた。そんな暮らしにもかかわらず、かねてから嗜む囲碁にもその実直な人柄
平安時代に遠江国司だった藤原共資の養子となり、井伊谷に居館を構えて井伊氏を称した人物で、後に彦根藩主となる井伊氏の初代当主になる。井戸は江戸時代に彦根藩が整備したもので、浜松市北区引佐町井伊谷の水田の中に土塀に囲まれた一画が残る。
紅葉の時期に金戒光明寺から真如堂に移動する途中にたまたま紅葉に魅せられて寄ったのが、金戒光明寺塔頭の「栄摂院」(えいしょういん)でした。そうだ京都行こうのコマーシャルに取り上げられてから人が多くなった真如堂に比べ、落ち着いて色鮮やかな紅葉を楽しめるので、その後も何度か寄りました。栄摂院は、浄土宗の大本山『金戒光明寺』の塔頭寺院で、三河の時代から徳川家康に仕えた武将・木俣守勝ゆかりのお寺です。木俣守勝は晩年は井伊直政の下で彦根藩家老をつとめた人物です。
先日「彦根城」へ行ってきました彦根はキャンプでよく目前の8号線を通って行き来していましたが城前も通ることがありましたが「あ~?やっぱり混んでるなー」と思ってわざわざ寄ろうと思わず(いつもキャンプ道具満載積んでる)通り過ぎるだけでしたが知り合いが日本の城巡りをして天守現存の城ではここが城巡りではラストとの事で誘われたので見に行った次第です最初車で行こうかと思ったが都合が合わずバイクでとも思ったが帰還さきにまた京都中心部に寄ることとなったので
柘榴坂の仇討(ざくろざかのあだうち)2014年日本映画監督若松節朗(わかまつせつろう)脚本高松宏伸原作浅田次郎出演中井貴一阿部寛広末涼子藤竜也中村吉右衛門桜田門外の変で主君を撃たれてしまった彦根藩の武士が、仇を探しているうちに時代は明治と移り仇討ち禁止令が出てしまう…⚫︎あらすじ彦根藩の下級武士、志村金吾(中井貴一)は、剣術の腕を認められ、彦根藩藩主で幕府大老の井伊直弼の警護役になる。しかし安政七年、井伊直弼を警護中に水戸浪士からの襲撃
旦那さんが平日お休みを取ってくれたので、久しぶりにネパール料理を食べに行きました豪徳寺にある「OLDNEPALTOKYO」さんoldnepaltokyooldnepaltokyo.com二年前に初めて伺って、「ダルバート」に感激したんですよねちなみに、ダル=豆バート=白ご飯多民族国家であるネパールにおいて、唯一、全国で伝統的に食べられているお料理だそうです今回はシーフードカレーを頂きたかったのですが、残念ながらメニューになく(日替わりメニューのようです)前回いただい
彦根と言えば…皆さんは、何を一番に思いつきますか🧐彦根城🤔井伊直政🤔井伊直弼🤔佐和山城🤔石田三成🤔まだまだありますよ…彦根城を巡り、次に向かったのは四番町スクエア。ひこにゃんに会いに行きました😄ひこにゃん彦根藩二代目藩主井伊直孝に縁の白猫がモデル。兜は歴代藩主の天衝脇立と同じ。江戸にある豪徳寺で井伊直孝が、俄雨にあい雨宿りしていると手招きする白猫に近寄ると、直後に雷が落ちる。難を逃れた直孝は白猫に感謝。ひこにゃんひこにゃん、おっとりしていました🐱ひこにゃんを撮影してい
いつになったら原稿用紙の話になるんだ!とお叱りを受けそうですね。その話はすぐに集結するんですが…周辺にたくさん書きたいことが散在していて…(^^ゞところで、私は若い頃アイビールックにはまった。これは次兄の影響だ。彼は私にビートルズとアイビーと釣りとボウリングとワーゲンビートルを教えてくれた。男を作るに十分なアイテムだ。ところでケネディをはじめ、アメリカの大統領でブルックスブラザースの愛用者は多い。何故か。ハーバードはアイビールックの本丸だからである。所謂、アイビーリーガースは
このタイトルは勉強に全く関係がなく、私は楽しんで書いていることに今気が付いた(笑)浅田次郎は文筆家であるのに、筆不精だという。「作家の筆無精」と自称しているらしい。なんと!(^^よく作家は、書く道具や机、椅子、部屋に拘る。東大阪に司馬遼太郎館があるが、そこに彼の書斎が残っている。まぁ、いかにも…という感じだが。。。余談だが、司馬の奥さんは自宅に届いた宅配便のあて名が『司馬』ではなく、『福田』だったため、受取を拒否したというエピソードがある(笑)拘りと言えば、私はケネディ大
ある映画をAmazonPrimeで観た。『柘榴(ざくろ)坂の仇討』という映画だ。三度目ぐらいだと思う。原作は浅田次郎。よくよく考えたら、この作家の作品には馴染みがあった。この映画は事件だけは史実だが、あとは創作。以前、“桜田門外ノ変』という映画を観た時に少しググったが、事件後2年で関係者の大半が何らかの形で処罰ないし、自刃している。襲撃に不参加の“見張り役”まで処分した。お上への反逆許すまじの執念と幕府の統制力を感じた。大老と言えば、今の総理大臣にあたるだろうか。当時
どうも街探訪家の境界散歩(さかいあゆむ)です。「そういえばまだ乗ったことないな」思い立ったが吉日とばかりに、先日、東急世田谷線に初乗車しました。三軒茶屋から下高井戸までの10駅を結ぶ路面電車は、2019年に開業50周年を迎えたとのこと。その「宮の坂駅」から徒歩約5分の所にある「大谿山豪徳寺」に参詣しました。豪徳寺は曹洞宗の寺院で、彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺です。緑が豊かで静かな時間が流れる境内は、都会にいることを忘れさせてくれます。そんな豪徳寺でひときわ目
サンティリャーナ・デル・マル-見どころ、交通&周辺情報|地球の歩き方地球の歩き方家や教会が中世そのままに保存されており、町全体がナショナルモニュメントに指定されている。町の起源は、トルコで殉教した聖フリアナの聖遺物を祀る修道院...世界遺産:絵のような美しさ!イタリア・オルチャ渓谷の田園風景農民が作り上げた緑の絶景に...毎日キレイ中世のころから名もなき農民たちが、何百年もかけて実りの大地に変えた。中世からルネサンス時代にかけて、オルチャ渓谷が歩んだ歴史をたどり
こんにちは、philosophiaです<桜田門外の変>は幕末の安政7年(1860年)3月3日に大老井伊直弼が桜田門外で水戸浪士ら一八名により暗殺された事件。『桜田門外ノ変』(上・下)吉村昭著従来幕府側からの視点で安政の大獄とセットで描かれることが多く襲撃側の水戸脱藩浪士の日記をもとにした視点は斬新でした!ちなみに、赤穂浪士討ち入り、桜田門外の変、二・二六事件は雪にまつわる三大事件ですねぇ~。challenge→change→
田原で文化財など巡って-東日新聞東日新聞田原市で16日、国や県、市の指定文化財などを巡る「道の駅×文化財スタンプラリー」が始まった。参加者に抽選で特産品などの「渥美半島の恵み」が贈られる。国重要無形文化財「新野の盆踊り」3年ぶりに阿南町で120人の踊り手が参加地元の夏の伝統...Yahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN14日に始まった阿南町の「新野の盆踊り」は国の重要無形民族文化財に指定され、500年の歴史があるとされます。例年は3日間夜通し踊り明かします
辛いよまあ、慣れたけど彦根城みなさんご存知日本に12しかない現存天守閣さらに日本でたった4つしかない、国宝のお城でございますではお邪魔しまんにゃわ彦根城は慶長9年・1604年に工事が始まり、約20年かけて完成した近世城郭です彦根城天守はそんなに大きくはないですが屋根に多様な破風が設けられているのが特徴琵琶湖一望柱すごいなぁ彦根城は彦根藩35万石井伊家の居城で別名金亀城とも呼ばれます直政、直勝の手によって築城されました荒神山結局ね、ひこにゃんは出没時
東急世田谷線・宮の坂駅が最寄り。かつて近くに住んでいたのに、入ったことが無かった。当時はお寺や神社に入ることがあまりなかったため。世田谷を離れてから、テレビでここについて改めて知って行きたくなった。▼まねき猫電車ニャンコのペインティングカー▼大谿山(だいけいざん)豪徳寺城山通りの入り口まねき猫発祥の曹洞宗の寺院この地を通りかかった鷹狩り帰りの彦根藩主・井伊直孝が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることにした。寺で過ごして雷を免れた。直孝は、この猫に救われたことを喜
『人間というもの』ー司馬遼太郎●歴史と正義ー①✪われわれが、身辺の何が美しいかということを思うのは、その民族自身が発見するよりも、他のすぐれた文化によって、衝撃とともに教えこまされるという場合が多い。日本人が秋の月を美しく思うというのも、弥生式時代の日本人もそう思っていたのではなく、のちに中国の漢詩が渡来し、その類的体系の中で月の美しさを知ったと見るほうが自然である。げんに秋の月を美しく思うという感受性は、こんにちでもさほどの普遍性はなく、アメリカ人はそうは思わないそうであ
こんにちは。GWは天気も良く、どこも人だかりだそうで。私は庭の草むしり&時々仕事、あとは先日屋根裏にイタチが侵入してきたので色々と防御策を練って過ごしております。さて今回は、彦根城内堀を舟に乗って石垣を堪能したいと思います。10日間のうちに3回訪れましたが3回目は桜も満開。石垣と桜って白米と味噌汁くらい相性がいいですよね。約45分のお堀クルージングです。亀さんも「いってらっしゃーい」と言ってくれているような。舟から観る外側の石垣もまたいいものです。
4月1日に、掃部山公園に建つ井伊直弼公の銅像を見てきました。明治時代に彦根藩士が山を購入し井伊家所有となり明治42年(1909)、横浜開港50年の記念に直弼像が建立されました。この縁でここは直弼公の官職である「掃部守」に由来する「掃部山」と呼ばれるようになりましたが、訪問時に道に迷って交番で聞いたときは「紅葉山」とおっしゃっておられました。井伊直弼像に関しては、直弼公が違勅調印を行った(後に氷解)ことや安政の大獄で尊王の志士を罰したことから朝敵とされるイメージを払拭するため武家でありながら
「うもれぎや」から想う井伊直弼週末です仕事が休みの人は「運」の補給をしましょう仕事の人は「ハタを楽」にするように「ハタラク」のがいいですね安政5年(1858年)4月23日井伊直弼、大老就任日米修好通商条約の調印と将軍の後継ぎ選定に挑みました直弼は、彦根藩主・井伊直中(なおなか)の14番目の男子家督を継ぐことはないと「埋木舎(うもれぎや)」と自ら名付けた屋敷に住み茶道と剣術に励みますしかし、兄たちが亡くなったので彦根藩主に
和本江戸慶応2年(1866)第二次長州征討古記録「長州勢彦根并高田勢軍戦記」1冊/彦根藩/高田藩/芸州口/長州征伐/古書古文書/手書きです。9丁。半紙本程度。手書き。慶応2年(1866)の第二次長州征討時の彦根藩と高田藩の芸州口での戦闘の記録のようです。『データ』【書名】長州勢彦根并高田勢軍戦記【巻冊】1冊【著者】井下田写之とある【成立】慶応2年(1866)
映画「柘榴坂の仇討ち」みた。すんごーーーく良かった!!!ザ・武士な言葉が好きな私はフルフルして見た。時は安政の大獄を主導した大老井伊直弼の暗殺、桜田門外ノ変に端を発する。水戸過激派の浪士が江戸城へ登城途中の大老井伊直弼を暗殺したのが桜田門外ノ変。大雪の為、供侍は雪用にいでたちしており、刀を油紙で包んでいた為、水戸浪士のテロ行為に急対応できなかったことにより大切な殿様、井伊直弼を暗殺されてしまった。息子の失態のため、両親は自害し己も切腹を望んだが許されず、彦根藩の城代家老より逃亡した水戸
豪徳寺申告を終えて豪徳寺駅まで来たけれど、あまりにもお天気が良く☀️このまま帰るの勿体ないなぁ〜と立ち止まると改札のところに大きな招き猫が👀あっ、そうだ✨🐈豪徳寺へ行こう❣️(京都へ行きたい😆)歩いて行くのは初めてwここらへんはどうやら裏門らしくぐるりと周って山門へ青色がどこまでも続く❗️彦根藩井伊家墓所井伊直弼のお墓の前で立て札を読むあっ、命名3月3日だったのか呼ばれた感があった🤭手を合わせて一礼ちょっとドラえもんみたいね彦根藩主、
今日はお気に入りの場所を。こどもの頃にドロケや缶蹴りをして遊んだ世田谷城址公園。世田谷城は、吉良定家が1366年に戦の手柄で世田谷領をもらい受け、1400年代中頃までに築かれたといわれる城で、往時は隣接する豪徳寺も世田谷城の一部だったようです。1590年、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼした際、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も所領を失い、世田谷城も廃城となりました。1633年、世田谷城近辺の20の村々は、吉良氏ゆかりの“彦根藩”世田谷領となり、“彦根藩”領は、なんと明治初期まで200年以上も続くこ
2019年6月下旬の経堂・宮の坂歴史散策の続き。「豪徳寺」の続き。豪徳寺(その1)のレポ『豪徳寺(その1)~彦根藩主井伊家菩提寺~東京都世田谷区の寺院』2019年6月下旬の経堂・宮の坂歴史散策の続き。東急世田谷線宮の坂駅前にある「江ノ電601号」を見学した後は、「豪徳寺」に向かいました。東急世田谷線宮の…ameblo.jp「豪徳寺」を進むと、大きなモニュメントがあって…戦没者慰霊碑のようです。こちらの石碑は、「遠城謙道師遺跡碑」とあるよう