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人間関係って難しいけど、ひとつこれはずっとやり続けよう!て思うことがある。親子夫婦友達上司部下彼氏彼女人間関係を括る名称はなんでもいいんだけど。よりよい人間関係のベースとして関わってくれた人にはギフトをあげよう!て思ってる。ギフトって物質的なプレゼントじゃない。生きる上での燃料みたいなもの。人間て唯一自分の目で確認できないのが自分の姿、行動で。そこに対する不安なり、未知感て凄まじい親も個性にフォーカスした時代を生きてないので子どもの頃から「あなたの何処が
「会社は彼氏だ!」これ、仕事が恋人です♡みたいなワーカホリックのキャリア系のひとたちの話じゃなくてたぶん若い人全員に当てはまる心が楽になるキャリアの考え方のはなし。一定の条件下複数回のすり合わせにより共に目的を達成するために時間過ごす需要と供給の考えのもと同じ方向性を向くものが契約をするそんな定義だと会社も彼氏(彼女)の恋愛関係も同じじゃないか、と。実際に、マッチングサービスも転職エージェント→お見合いおばさん(紹介料高め)ビズリーチ(webスカウト)→ペ
愚痴は生産性がないから嫌いネガティブなはなしは聞きたくないという話をよく耳にするけどこと仕事において相互によりよくなる、という観点ではポジティブに転ぶという話。すべての出来事について人間は感情を伴うし、それは絶対に止められない自然の摂理だと思うのですが愚痴が出るって結局、悲しみ・不安・心配の感情がこんがらがってオダンゴになった代物だと思うんですよね。例えば、意見がまとまらない話しのあと、「あーーアイツむかつくんだよ!」という発言の裏にある感情は分解
問題解決のために話し合いを、と昨日かいたのだけど、、実は話し合いってできるようで、みんな苦手なのかなと思いました。実はわれわれは、ほとんど「話し合えてない」?ーーーーーーーーーーーーーーー話し合いとは、辞書では①互いに話す、打ち解けて話す②問題を解決するために、立場や考えなどを述べ合う「話し合い」に似た会話の類似語討論・その問題について、是非を議論すること喧嘩・言葉や暴力による争い、いさかいよってもって話し合い、討論、喧嘩の違いって私の理解では
働く女の人のロールモデルのはなし。割と過去の職場は女性が少なく、先輩にも少ないし、かつ残業時間長めのハードな職場の機会が多くてよく女性のロールモデルのはなしをしてました。よくあるのは2つ①まいまいは、芸風(得意領域)が△△先輩に近いから、△△さん系統だよねーみたいな、出世する上での組織内での役回りの話。もう一個は②◯◯ちゃん子供できたけど、旦那さんと共働きで子育て大変そう。でも彼女が今後うちの会社の働く女子のロールモデルになるんじゃない?みたいな、働くお母さんのロールモデ
昨日書いたコレ、なんか反響いろいろ。人はそもそも種のように、咲かせる花や実らせる実が決まっている。というはなし。なのでマンゴーに「ここはリンゴ畑だからリンゴとして育て!」というのはナンセンスだけど、加えて本当はリンゴなのに自分で「自分はマンゴーなんだ!」思うのは不幸だよね。とまたはリンゴなのに「マンゴーになりたい!」と憧れるのも非効率だよね。とそんな会話をしてて、「でもマンゴーかリンゴか自分じゃ実はなかなか分からない物でどうやったら分かるのか?」ともつまりコレっ
置かれた場所で咲きなさい、相手のせい、環境のせいではないよ、という言葉です。すべては自分次第で変わっていく。その通り。ただ、ハイビスカスは北極で咲くのか?マンゴーは、北海道で取れるのか?ラベンダーはハワイで咲くのか?最近そんなように思います。。。人間は、実は最初から咲く花が決まった植物のタネみたいなもんだなぁと。もちろん、自分が何者か分からないうちは、ハイビスカスの種は北極じゃない!と思っても、右左わからず南極にいっちゃうかも。(どっちも極寒で変わらない、、、
プライド高いとかいて、足枷の数、と読もう。プライドて自尊心と聞こえよく呼ばれたりするけれど「あの人プライド高いよね?」と、えらくやっかいな存在として扱われるのは何故だろう。プライドが傷つくことによって、慌てふためく理由はプライドを刺激する引き金が、自分の存在価値と繋がってるから?容姿、稼ぎ、仕事の内容、地位学歴、家柄、宗教観、信念、人気、関心それが、他人から刺激されると自らの心の浮き沈み、自分の存在価値と紐づく。引き金となる価値観こそ、「プライド」の本体?≠
転職エージェント、弁護士、FA、世の中にはキワドイ交渉をお願いする、代理人の人びとがいらっしゃいますが、なんで、代理だとものが言えるのか?自分で言うのが、がめつい、あざとい、強欲、自己中だから?そんな事を自ら言うのが、嫌だから?言い方を失敗すると悲惨だから?転職、転籍、買収、離婚、親権争い意見のぶつかり合いと、金額交渉、合意条件のすり合わせ交渉ごとは特殊なのか?オオゴトじゃなくても、日々交渉。onだろうとoffだろうと。今日のディナーの場所コミュニケー
今この瞬間にしか、人は居ないよなーと思いつつ、過去を思い返したり、未来の不安を引っ張ってきたり、つくづく人は「息吸ってる今」に集中できてないよなぁ、て思います。じぶんも含めてね。例えば、30代前半で5年付き合った彼氏と実はもう上手くやれないかもしれない、気づいてしまうのは結構悩ましい。もし結婚というものがしたければ、過去を振り返り「あの5年がもったいない!」とな、笑そして、未来を考え「この人を逃せば結婚できないかもしれない!」みたいな。過去に囚われ、未来に
ちまたのカフェは就活の子たちの、面接対策やらで混み合ってますね。私はバイト先に就職したゆえにそのお作法やらはあんまりよく知らないのだけど、面接て、「あなたのためなら何でもします!」的な頑張ります!苦手は克服します!努力します!あわせます!って都合のいい人やりがちだよなー、て思いました。特にチャレンジするとき。新卒もそなのかなぁ。何が苦手なのか、むしろ隠そうとして、パーフェクト💯を演じようとする感じ。人間関係でも同じかな、無理目の相手に合わせて、
自分の玉座に誰を座らすか?玉座って天皇とか王様を座らすところ。えらい人が座るところ。よくですな。ここに、いろんな物がすわってる。お金親先生彼氏彼女旦那奥さん子供上司部下社会的常識他人の目線やぶぇぇ。たくさんの玉座に座る「上」の概念自分がしたいこと、思うことにたいして。これをしたら、あの人はどう思うかな?批判されるのかな?悪い人って思われるな。儲からないな、損するな、とか。やぶぇぇ。玉座に座る人の目線から、どう見えるか意識してる。別に当の本人は、
先日、小学生にお姉さん魔女なんでしょ?と声をかけられてつい魔女ゴッコしてしまったのだけど、日常的に魔法というか、呪文ってあるよなぁて、、、。言葉の呪文誰かに言われた言葉にこんなことないかな◯◯した方がいいんじゃないの?(暗に何故しないの?)常識的には◯◯だ(暗にそれは非常識だ)いやーそれは違うよ、ってその場は答えてもなんか呪文として残る。ふとしたきやはり間違ってたのかな?と。仕事の仕方や、ライフスタイルでこの呪文が結構色々縛ってるのかな。と思った私も相当呪文
事実は自己の幸せにまったく関係ない。というのは、幸せに必要そうな、健康や学歴や容姿や収入や、それらの事実を持っている人も自分は不幸だと感じる人はゴマンといるし、それらの事実を持ち合わせていない人でも幸せな人はおり、事実は自己の幸せにはまったく関係ない。ハーバード出身の不幸な人も、綺麗な不幸な人も知ってる。お金持ちの不幸な人も知っている。何が関係するか。健康や学歴や容姿や収入がないことが「不幸である」という認知、というか自分のなかでの設定。それが「事実」をジャッジすること
みんな自分自身になりたいし、自分を何と比べることなく最大限愛したいっていうのが根底の願望にあるのかなー、って思ったときに。人にあこがれを持つっていうのは、自分が「自分自身になりたい!」ということを思い返せる人なんやろなと思った。経営者なり歌手や芸術家だとしても、憧れを持つというのはその人自身が唯一無二として表現しているパフォーマンスに対して「スゴっ、、、かっこいい」って思うわけで、それは現象的には「簡単に真似できない超絶技巧」だからそう思うのかもしれないけれど、実は批判や
LoveandPeace(愛と平和)って、もう究極的に両立できない代物だわ。。と思ってしまた。自己、パートナー、家族、友達、チーム、地域、民族、国それぞれに「大切にしたい」という思いがあると思うんですが誰しも愛するものに対し、大切にしたいものにより多くのものを与えたい、豊かになりたいはたまた傷つかないように守りたい気持ちがあると思うのです。だけどそれぞれが愛を持つことにより、対象に多くのものを得るということは、片や失うものがありはく奪になってしまう。そして
出張したら風邪ひいて、グスグス。風邪ひくと、「のどがいたい」「さむい」とか「今」の感覚にめっちゃフォーカス。逆に日常は、いまの不快に対して結構鈍感になってるんだなと思います。風邪にならずとも日常的にイヤな感情や状態があるとするとだいたい①未来の不安②過去の後悔③他人の目線なんかな、とおもいました。ゴハンを食べながら未来の不安、お風呂に入りながら過去の後悔、メールを打ちながら他人の目線やってません?この抱えてる3つのボール、不快なんで
突然の同棲宣言ではなくwあくまでたとえ話なのですが「自己肯定感」のはなし。自己肯定感やら、自分を愛せるかとか形が捉えられない難しいテーマですけど、結局自分のなかにいる同居人を愛せるかなんだなと思ってます。24時間365日一緒にいる同居人。男(外側意識):体裁、社会的な役割の意識女(内側意識):ほんとはこうしたい、自分はこうである、という本音・気づきみたいな感じ。私の外側意識はオトコとしてまあまあ出来損ないのクズでして、最近まで同居している女をちらとも
現実の世界とインターネットの世界ってだいたい構成同じだなあと最近世の中を見てて。インターネットって基本的に自分から情報アクセスして気になることベースで情報深堀してきますが、普通に生きてたって「出来事」のなかから無視できることと無視できないことを選んで、自分から深堀しにいっているので、すべての記憶や感情は自分が検索して拾って、という情報チョイスしているんだなあと思います。そんな考えのもとにさいきん、自分の感情は自分の責任下にあるとすごく納得していて。現実においても興味ない情報は気
新卒採用シーズンだし、転職市場は今日もにぎやだし、何がやりたいか?に最近こだわってるので「志望動機」のはなし。昔から趣味の範囲で、事業会社からコンサル転職する人の若いひとの職務経歴書や面接対策にお付き合いすることがあります。最近は採用面接もやりますが、コンサル行きたい人からよく出てくるのが「社会的インパクトの大きい仕事がしたいので、戦略ファームに行きたい」なる理由。たしかに高額なコンサルフィーを払える時点でクライアントさんは大企業が多いし、案件のカウンターとして
マリオのゲームにクッパの城に囚われたピーチ姫は不可欠だと思うんですよね。リアルの世界でもあって、「誰かを救う」ことで自分の承認欲求を満たす人は、ピーチ姫👸🍑をいつも探してるんです。で。逆に、何かに囚われたり困っている状況に居座り悲劇のヒロインとして「強いマリオ🤴に愛される」ことで承認欲求を満たしている人もいて。幼少期の両親との関係性が出てると思いつつ、この辺は小難しいのでまた今度として、このマリオとピーチ、ホラーなのはいずれも他人の存在によって物語が成立するっていうのが危険なのです。
今朝のもーれつな突風で、土用入りしたなぁと思います。土用とは、立春、立夏、立秋、立冬の前2週間くらいの時期を指していて、季節から季節へ神様が移り変わるタイミングと言われています。この時期が、以外と仕事のトラブルやパフォーマンスに影響してて。前から超気にしてます笑土用の丑の日だけ有名だけど、土用自体は神様が入れ替わりで不在になるので、その期間だけ座りが悪いというか、世の中的に落ち着かなくなる。むかしは、土用期間は天災や事故が起きやすく間日と言われる数日以外、土いじり、農作業が禁止
「うそつきは泥棒のはじまり」いやうそなんて、つくし。会いたいのに、会いたくないとか言ってみるのとかwま、そいう可愛いのはいんですけど、でもウソは原則時間泥棒かなあと。ウソって本心じゃないんですよね、いろんな事情で出た言葉で本音じゃない。で、本音じゃないことするじゃない?そうすると、自分にとって時間の無駄なことばかり起きるんですよね。。。人から良く見られたいから、我慢する⇒誰かの代わりにやりたくもないことをやって時間を消耗、苦手なことを苦虫嚙み潰しながらやるけど苦手だから得
タイトル的に「自分に足りないもんわかってんだろうな?」ってほうぼうから言われそうですけど笑5-10人くらいのチームで、プロジェクトを動かしていく若いマネージャーに必要なマネジメント能力って3つくらになるのかなと思っていて。今後変わるかもしれないけど、今思うの必要能力ってこんな感じ·プロジェクトマネジメント力·アカウントマネジメント力·ストラテジックプラニング力最後の一つだけ「マネジメント」に置き換えられなくて超気持ち悪い(だれか置き換えて
仏教系の中高一貫女子校にいて、仏様の誕生日=花まつりの日4/8は全校生徒がお花を持ってくるという日でした。甘露の雨の中、お生まれになったブッダは生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」と唱えたそうな。天は人の上に人を作らず、人の下に人をつくらず、我こそが唯一尊いのである、暴走族の刺繍とかじゃなくてw諭吉マニアとかじゃなくて。真理はこの時点から何も変わってない。「上とか下とかカンケーねーし、個まじリスペクト、おれオリジナル最高」城南出身のラッパーかよ。と。その時から言ってたわけです
あのね、じぶんの話をまず聞くのはじぶんなの。人じゃないんだよ。じぶんの本音とじぶんの現実生きてる体裁さんでお話してみて。自分は、1人じゃなくていつも2人だって。本音さん、体裁さんの2人。体裁さんばっかりしゃべってないかな?本音さんは、ちゃんと自分の言葉でお話しできてるかな?本音さん引っ込み思案だけども、ちょい聞いてみよう。本音さんの安心こそが、自己受容であり、まずは同じ肉体にいる自分が聞いてあげなきゃ、やろ!笑本音さんが、グレるとやばいよ。体裁さんをコントロールして競争意識
相談したい、とたくさん声かけてもらいます。ありがとうございます。悩みがあるなんて人間だれしもです。ブログで晒している通り、私も悩みこじらせのプロです。笑でも悲しいかな結論としては、自分でしか解決できないんですよ。なんでかって世界には自分しかその問題を、そう解釈する感性をキャッチできないなら。そもそも悩みの根源である戦う相手が存在するかも認知の問題なので、悩ませているのも悩んでいるのもじぶんの心しかいません。わたしじしんあいつめー、と恨んでた人に、「ああ、あの人はこーゆーこと
4月の新社会人シーズンですねん。新卒で薬局薬剤師だった私はその後、広告代理店→ファーム×2のキャリアで10年間の社会人生活で、たぶん人の4倍くらい職業体験したのかな。クライアントさんもさまざま、いろんな仕事の人と働いた気がします。それを経て思うのは、「新卒がどこだって、今が何をやっていたって、なんにでもなれるなあ。もうさ好きなことやればいっかあ」というとこ。新卒から今の仕事の差が大きいものでいろいろな人に興味を持ってもらって話すことが多いですが、1個ずつキャリアの共通点があって自分の中
唐突ながら、現実は完全に自分の意識で創造されたもんなんだなぁ、と最近思います。自分に見えている感じている世界は、他人からは見えず、親だろうと夫婦だろうと恋人だろうと親友だろうと共有できない自分の主観と、観測の対象による世界なんですよねー。主観が個々の世界をハンドルしてる限り、世界の創造主は自分なのだと思います。イヤなことが起きる世界を受け入れてるのも自分、イヤな気分に浸るのも自分、自分の見たいチャンネル、都合の良い解釈の世界を見ているのですな。。自分の設定が悲劇のヒロインならば、幼少期の
与えることと、与えられること。人は与えらることがわたしも含めみんな好きだと思ってたんですけど、実は与えることが好き、もしくは自分がなにか与えられている実感を持ちたいってケース多いのかなーと。→わたしもこっちだった。衝撃人間関係において、give&takeって持ち出すのは若干ナンセンスですが、50:50のバランス維持をするとすれば、片一方に「giveできてる」っていう認識ができないと、giveのバーターであるtakeの量でgiveできてるか判断しがち。「takeしてくれるのは