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消されたが復活!『見上げれば、青空別館:モノ語りブログ』から転身前記事:『ピルエットのタイナカ氏写真展/謎コメが集結してる●スポ記事について』タイナカ氏写真展行く方はイベント開催時間に気を付けて…ameblo.jp『【追記】羽生結弦写真集「羽」パネル展サイン会特典ポスカ!矢口さん撮影!』2年間の美羽生の結晶に歓喜。ポスカ全部欲しい…ameblo.jp↓お守り🙏ポチっと🙏↓今日はコンセプトフォトが来ました!!#羽生結弦#nottestellataコンセプトフォトです💫
京都で一番古いお寺広隆寺603年(推古天皇11年)に、秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立したとされています。国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像霊宝殿の拝観料1000円人が少なくゆっくりできます。紅葉が美しかった。嵐電太秦広隆寺駅前にあります。
今宮神社『今宮神社といえば、、、疫病除け、玉の輿、あぶり餅(笑)』以前投稿した、仁和寺さん↓↓仁和寺『仁和寺9月30日までです!観音堂特別公開』東京の参拝の続き次は成田山東京別院深川不動堂なのですがまたまた期日がある…ameblo.jpの続きこちらも結婚前に主人とお参りして以来なのでほんとにお久しぶりです🙏何回も「行こう!」と名前は出ていたけどお参りに行けなくてやっとでごめんなさい🙇と思いながら到着〜✨仁王さんちょっと写真では見えにくいけどお久しぶりです
前回のお話の続きです先日、いつものようにお札に手を合わせて挨拶していると、弥勒菩薩が見えたのです。私と不動明王さまの間に割って入る?ようにみえました。それが数日続いたので、図書館で仏像の本を借り調べてみると。“弥勒菩薩半跏思惟像”といもののようでした。見に行ってみたいけど、京都にあるらしく気軽には行けません長野県松川村という所にもあるらしいけど、なかなか難しい…そうこうしているうちに、弥勒菩薩を感じなくなってしまいました
京都太秦の広隆寺参拝✨✨✨に行って来ました阪急電車の西院駅で嵐山電鉄という路面電車に乗って太秦広隆寺参拝しました嵐電は車両が一つの電車で超満員でした降りたらもうすぐに広隆寺の大門が見えました荘厳にゃ大きくて古くてうっとりです本殿には聖徳太子が祀られていて唯一の青年太子像があります英語表記のほうだけに33歳像とあります通常は秘されていますが毎年11月にご開帳というか一般公開あるようです歴代今上陛下が太政祭でお召しになった装束を着ておられるようです現在の
夏‼️ですね。早朝から鳴り響く蝉の声朝6時にはすでに大合唱。ちょっとでも涼しいうちに❣️とか思ってるのかなぁ〜(笑)先日、京都へ行ってきました。仁和寺新たな一歩を踏みだす旅でした。さて、これからの人生どう生きようか…全ては導かれるままに?もしくは心の赴くままに(笑)そして、写真はありませんが広隆寺にも行ってきました。念願の弥勒菩薩さまを拝観😊社会の資料集とかによく出てくるあの弥勒菩薩半跏思惟像✨✨アルカイックスマイル😊の弥勒さま❤️やっとお会いできました。写真は
こんにちは。プリンセスハウス細見貴子です。昨日の早朝から宝塚で打ち合わせがあったため、一昨日夕方には関西入りすることになった私は急に思い立って、京都で途中下車して太秦の「広隆寺」へ向かいました。以前一度行った際に、仏様(弥勒菩薩さま)からある言葉を掛けられたような”気がした”のです。その時のブログはこちら。今回も、何故か、急に弥勒菩薩さまに会いたくなり・・・早めに軽井沢を出て、金沢経由で
おはようございま〜す!!錦でお腹いっぱいになり、法輪寺で一汗かいて、、渡月橋を渡ります。よくテレビのニュースでは、、この渡月橋を行列で人が流れていくのをみますが、この日は意外に空いていますね〜橋を渡り終えると、、向こうの山の中腹には先ほどいた法輪寺がみえます。この日は少し雲がありますが、日差しは夏のように暑かったです。次に向かう
おはようございます。日本古代の仏像に詳しい、仏教美術史の権威のトリです(以前友人と、博物館であることないことしゃべっていたら、「私にも教えてください」と、ボランティアの解説ガイドさんに声をかけられました。知ったかぶりをしていると恥をかくという実例)。奈良国立博物館で開催中の「超国宝~祈りのかがやき」展が大人気らしい。中でも目玉は、七支刀、百済観音(法隆寺)、空也上人像などで、七支刀に至っては、早々にグッズが完売したという噂を聞いた。人気に乗っかるのは好きではないが、この展覧会には万難
東京・南青山にある根津美術館に行ってきました。今年はカキツバタの満開時期には行けそうにないなと思っていたのですが、思いがけず行ける機会が急遽出来たので、あまり時間はとれなかったけどサクッと撮影してきました!今年も訪問日は雨!最近雨の日の撮影が好きなのでそれもまた良かった!新緑もりもりで美しく、ノムラモミジの赤も綺麗!燕子花も満開!このあと何枚か、しっとり落ち着いた雰囲気の庭園をお楽しみいただけたらと思います!
太秦にある広隆寺603年に建立された山城最古の寺院で聖徳太子建立の日本七大寺の一つです。上宮王院太子殿本尊は聖徳太子像が祀られています。こちらの新霊宝殿には国宝第一号飛鳥時代の弥勒菩薩半跏思惟像半跏思惟像とは「一切衆生をいかにして救おうと考えている」お姿を表しています。という説明が書いてありました。人も少なく、室内はとても静かでゆっくりと拝観できました。アルカイックスマイルで優しく美しい弥勒菩薩半跏思惟像でした。花まつりの日に拝観へ行って来ました
木版画広隆寺・弥勒菩薩半跏思惟像墨一色摺り墨液和紙新鳥の子弥勒菩薩(みろくぼさつ)とは「釈迦の死後56億7千万年後の世に降りてきて釈迦に代わって人々を救う未来仏」とされている。弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゅいぞう)は、片足を他方の足の上に乗せ台に座った姿で思索にふける弥勒菩薩像であり、人々を救済する方法を考え思索にふける様子を表現している。広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、通称・宝冠弥勒(ほうかんみろく)は、1951年に国宝に指定され、国宝彫刻第1号となって
昨年(2024年)10月4日京都の寺社を巡りました✨記事が追いつかずだいぶ時が過ぎてしまいましたが、今日からはそちらをご紹介していきます!最初にご紹介するのは秦氏の氏寺で聖徳太子信仰のお寺としても知られる、謎の多いこちらの寺院です。『蜂岡山広隆寺』別称:太秦広隆寺・蜂岡寺・太秦寺・秦公寺真言宗単立寺院ご本尊聖徳太子(上宮王院本尊)創建推古天皇11年(603)または推古天皇30年(622)開基秦河勝広隆寺といえば!記念すべき国宝第一号となった『弥勒菩薩半跏思惟像』が有
2025年3月4日(火)独り言「ちょっとだけのブツ紹介」こんばんは。RIOです。数日前から何度か独り言でゆーてました…『以前にどこかで購入し、部屋に飾ろうと思ってたけど場所がなくて飾れなくて、ずっと机の引き出しの中に閉まっていたブツを紹介したいと思います』の、シャレオツではないし数点しかないブツですが…。写真に撮ってみたものの、なんだかなって感じです。もうちょっと綺麗でシャレオツな撮り方ができれば良かったんですが、もう無理です。あと場所もねぇ…ちゃんとした撮影場所もないからいつも
有名では無いかもしれないけど、とても心が惹かれる木嶋坐天照御魂神社をあとにして、徒歩で次の目的地に向かいました『冬の京都夫婦旅1日目☆②木嶋坐天照御魂神社☆』雪の京都に降り立ち、早速、東寺の素晴らしい仏像に心を掴まれた私。ずっと東寺に居たいけど、まだ旅は始まったばかり。『真冬の京都夫婦旅☆東寺は素晴らしい!』今年…ameblo.jp広隆寺今回の京都旅行、私が絶対に行きたかった場所の一つです。雪が、素敵な風景を演出してくれてます。仁王像が格好いい楼門。「広隆寺」と聞いてもピンとこない人
あぶり餅を食べて、ほっこりした後は...こんな方に会いに行きました。広隆寺です。歴史の教科書の表紙などでご存知かと思いますが、国宝の弥勒菩薩さまです。かなり暗めのライティングで、目の前に座る事が出来、長い時間、菩薩さまとの時間を持てました。夫は、菩薩さまに話しかけられたと言っていましたが、内容は教えてくれませんでした。私は、もっと反省しなさいって言われたのでは?と言いましたがお庭にはロウバイがちらほら咲いていました。お寺の中に入るのは無料ですが、弥勒菩薩さまがいらっしゃる、霊宝殿に入
■木造弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)広隆寺にある飛鳥時代作の国宝彫刻。創建当時の本尊と伝えられる。国宝第1号。赤松と一部樟の一木造で高さ約125cm。右足を左膝に乗せ、右手をそっと頬に当てて思索にふける半跏思惟像で微かに微笑んだ表情が美しい。常時霊宝殿にて公開。ずっと、放ったらかしにしていた、テラヘルツ波のパウダー。ラムネ菓子みたいな袋菓子仕様で、2,000円かと思ったら、20,000円で、腰を抜かしたシロモノ。今朝、スタッフさんたちと、炭酸で割って、飲んでみました。味
2013年10月7日法隆寺南大門側から見た中門と五重塔中門中門の金剛力士像が西院伽藍を守護しています。阿行の金剛力士像は奈良時代に造立された塑像でわが国最古のものです。吽形像も同時期に造立されたものですが、16世紀の修理で顔以外は木造となっています。ともに重要文化財に指定されています。五重塔一見、六重塔に見えますが、一番下の屋根は裳階と言います。薬師寺の三重塔にも裳階は見られます。仏舎利納めるために作られたのが、五重塔です。総高34.1mで、上層
飛鳥時代を代表する三体の半跏思惟像奈良斑鳩中宮寺卍の本尊『如意輪観世音菩薩①』と京都太秦広隆寺卍の本尊『弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)②』、さらに同じく広隆寺の国宝『弥勒菩薩半跏思惟像(宝髻弥勒、通称泣き弥勒)③』過去に其々1回ずつお目にかかっているけれど、「この三体の仏さま、一度じっくり見比べてみたいものだなあ」とずっと思っていました。苦節十数年、その機会がやってきたんです(^^)まず、中宮寺卍を訪ねた日⬇︎如意輪観音菩薩さまにお会いしました(画像は中宮寺HPからお借りしました)東
右京・太秦にある真言宗単立の広隆寺には、国宝・重文クラスの仏像彫刻が少なくない。中でも有名なのが、国宝第1号に指定された弥勒菩薩半跏思惟像。頭部も体も細作りに彫られた一木造の仏像で、左脚を垂れ、右脚を膝頭に乗せて腰掛け(半跏)、右手を頬の辺りに上げて思索にふける(思惟)気品漂う清楚な姿である。頭に儀式用の宝冠を被っているので「宝冠弥勒」とも云う。材は珍しく、朝鮮半島に多いアカマツである。様式は朝鮮・三国時代に造られた李王朝旧蔵の金銅弥勒菩薩像(韓国国立
先月下旬に奈良県生駒郡斑鳩の中宮寺と法隆寺に行ってきた。まずは中宮寺へ。この建物は表御殿。「宮家(みやけ)」と呼称されるいわゆる皇族の一族をお迎えするために造営された御殿(住居)大きな松、斜めに伸びてる。本堂。昭和43年に高松宮妃殿下の意向により建造された、菩薩半跏像のためのお堂。正面撮影はNG。仏像が写ってしまうんで。靴を脱ぎ、短い階段を登ると正面にいらっしゃった。ずっとずっと拝見したかった中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像。写真は中宮
こんばんは。プリンセスハウス細見貴子です。先日、仕事で関西に出張したのですが、午前中時間があったのでずっと前から気になっていた、京都・広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」に会いに行きました。「アルカイックスマイル」と呼ばれる、このほほえみ。木造の仏像で、国宝第一号なのだとか。この仏さまは、「どのように民衆を救おうか」と考えていらっしゃるのだそうです。撮影禁止でしたので、↑は、お借りした写真です。朝10時前でし
微笑みの理由望月竹一一大して役に立たないといえば、旅の行き先に関する本を買ってくる癖など最たるものかもしれない。だいたい読んでもすぐ忘れるので、あまり意味をなさない。よしんば、その本を原資に難しいことを思ったとしても、誰もついて来れない。旅先で行うことは、喰って飲んで寝て、移動して。人と話すチャンスも多くなく、本はなくてもなんとかなるものだ。それでも、うれしくて、司馬遼太郎を何冊か、その友達の姜在彦を何冊か注文し、–––旅のムードは
いつもお読みいただき、どうもありがとうございます。高野山東京別院のまえに、京都太秦に日帰りで広隆寺とそのそばにある大酒神社と木嶋坐天照御魂神社の2社も。(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)名前難しいですね。松尾大社は行きませんでした。京都駅で出町ふたばの豆大福、と思ったけれど、時間あまりなく本当に直行直帰でした。わたしはJR嵯峨野線の花園駅から。嵯峨野といえば、お元気かなあとと思いつつ景色を見ていました。太秦の路面電車線路がくねくねしているのでゆっ
ユメタン1のUNIT10の39語をルーズリーフに列記。スペルアクセント重要度意味派生語類義語対義語参照語自分なりの覚え方を書き込みました。あと27語でようやく1000語。毒物劇物取扱者試験の勉強で文字を書き過ぎて右腕につながる筋肉が不調だし、椅子に座り過ぎて腰痛だしで、座学が思うようにできない。。ノートまとめが好きだけれど、しばらくは控えて、発声することで記憶する勉強法にシフトしていけたらと思います。<ミニマリスト>
先日、音浴会が開催され、私はクリスタルボウルで参加させて頂きました。たくさんの方がご来場くださり、その中の一人の女性が以前、あることで困っていた時、たまたま私のクリスタルボウルの動画を聴き、聴いた途端、スーッとクリアになった。というようなことを話してくださいました。「直接お礼を言いたかった。」と言ってくださいました。そんなことは全く意図せず動画を投稿したのですが、思わぬところで、人様のお役に立てたことが嬉しいです。そして、また別の女性からは、クリスタルボウルを奏で
(Ⅳ)早曙離陸伏久田喬行思い出の思い出の幾万里走り走り走りつづけた幾万里ゆれゆれゆれつづけた無限風景燃え燃え燃えつづけた無限水平べっとりと足跡の交錯した白き地図は永遠のハレーションあかつきにふあっと宙に浮きあがる球殿の裂け目に遠く冥座する弥勒菩薩半跏思惟像その優姿しばしとどめよしばしの今日は真夏の性(さが)の思い出の思い出のまっ白ににじみ出る地図たおやかにしめやかに逆倒して耳の高鳴る耳鳴りのする耳鳴りの残らずひびき遠き彼方
…秦氏を繁栄の頂点に導いた首長【52】秦河勝が、蜂岡寺を創建した。『日本書紀』には、推古11年に「河勝公が太子から尊像を拝領し、蜂岡寺を建立して安置した」と記述される。この尊像が広隆寺に所蔵される国宝第1号の「弥勒菩薩半跏思惟像」と推定されている。河勝は、太子像を本尊とする広隆寺本堂・上宮王院の東側にある太秦殿に祭祀されている。正史に載る最後が『日本書紀』皇極3年で、邪教で人臣を惑わす大生部多(オオフベノオオシ)を打ち据えた記述である。
教科書にも「弥勒菩薩半跏思惟像」として必ず掲載される、国宝彫刻の第一号。制作の詳細は不明だが、当初は金箔の貼られた像であったようです。147cm。
こんにちは。今日は大雨曇りの休みとなりましたが、観音様の縁日と白鳳期の弥勒菩薩半跏思惟像と鎌倉期の地蔵菩薩像の拝観日なので、地元の愛染院様と初めて野中寺様にお参りさせて頂きました。HPより野中寺(やちゅうじ)は、大阪府羽曳野市野々上にある高野山真言宗の寺院。山号は青龍山。本尊は薬師如来。聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺(太子町)の「上の太子」、大聖勝軍寺(八尾市)の「下の太子」に対して、「中の太子」と呼ばれています。白鳳期の弥勒菩薩半跏思惟像と鎌倉期の地蔵菩薩像はともに重要文化財