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眠れないだからわざわざ眠らない誰か巻き添え連れてこいこい笑わないどうせ可愛く笑えない誰か身代わり呼んでこいこい返せない貰いっぱなしで返さない誰か羅刹に告げてこいこいありがとう謝れなくってごめんなさい誰か私を抱いてこいこい
朝一で、保護観察所へ電話して引受人の合否について問い合わせ。担当者さんが数日不在とのことで(お盆休みやろな)対応してくれた方がgさんのいる施設に問い合わせてみますので折り返しお待ちくださいとの事。で、折り返しの電話がさっきかかってきて・・・「面会出来ますので気を付けて行ってらしてください」Σ(゚∀゚ノ)ノキャー↑いや、この顔文字絶対ちゃうやろ
5月3通目きっちり速達で届いたーヾ(*´∀`*)ノ♥ワーイッストーカーの事でテンション下がってたけどやっぱりうちにとって今、gさんからのお手紙は最強💖前回の手紙にストーカーのこと相談できなくって毛色の違う手紙を察して嬉しいこと書いてくれてたって書いたけど↑の手紙、その時まだ届いてへんかった今日届いた手紙にてか何?4/29の手紙・・・スゲー嬉しいんだけど♡これ完全保存版だな‼辛い時読む✩あたしゃ君からのその文章がとてもとても嬉しいよぅ何を思った
無事届きましたん♪ってか、夕方からお出かけ予定やったからそわそわしてて速達やから郵便屋さん、ピンポン鳴らして手渡してくれると思ってたのに来ないから出掛けるギリギリでもっかいポスト見に行ったら普通に集合ポストに入ってたし。。。もぉぉ。。。前に待ち人さんが同じように在宅してるのにインターホン鳴らしてくれない!って訴えてるポスト読んでたからこういう場合もあるって分かってたけど…郵便屋さんも頑張ってくれてるのも分かるけど…!待ってる立場からすると、やっぱり早く教えてほしいよねー(自己中
会えなかったらやだなという気持ちからなのか。。彼と久しぶりに会うことに緊張してるのか。。とにかく心がざわざわしてます。うーん😭彼もきっとドキドキしてるかな。わたしにって言うか人に会ってないもんね笑😂
このブログは後であげるのであげる時には過去になってますが、面会できるかまだわかりませんが、会いに行ってきます☺︎朝出るって言っても息子を送り出してから😊新幹線に乗ってお昼にはあっちに着く予定です。仕事のことをいろいろ話したいと手紙には書いて✉️午後の時間から受付して面会にチャレンジしてきます。明日なのにドキドキしてなにもかも上の空💦😂そして、明日は会えても会えなくてもともさんと会います☺︎💖会えますよーに。。
保護司の方が面談に来てくれました!女性の方ですごく話しやすい。引受人の意志の確認と出所後の生活を支えていかないといけないことについて、少しずつ出所までに準備していったらいいですよと話してもらいました。友達もいないし、なかなか今の状況を素直に話せる人いないから、なんか普通に話せることが新鮮で気持ちがちょっと楽になった。仮釈までまだぜーーんっぜん長いし、ネガティブなったり、不安になったりするけど、一歩一歩がんばろう。
私がしっかりと彼の『待ち人』としていたのは、最近の待ち人さんの言葉で言えば4桁の期間です。そして、引受人を解かれて待ち人ではなくなってから彼の釈放までもまた、4桁の時間を過ごしました。彼との別離は辛かったですし、最後まで見届けられなかったのは残念でした。でも結果的に良かったのは、その後半4桁のうちに、私の息子を進学させ、就職するまで彼の不在のうちにできたことです。彼の刑期から、彼の出所(仮釈)が先か、息子の就職が先かというタイミングなのはわかっていました。もし彼の仮釈が先で
1年7ヶ月が経過今さら引き受けですか〜という感じですがホントはね息子さんベストだと思っていたんだ今は許せないかもしれないけれどいつかは受け入れてくれるはずそう思っているからねあなたの父はいくつになってもヤンチャでヤンチャを通り越して捕まっちゃったけど1度めの執行猶予という判決に甘えてさらにやらかしちゃったけど貴方達に対する愛情は並みじゃないんだよまぁでも、一般的には「子供に迷惑かけてるじゃん」てバッサリだろうなわかってますでも今はまだ返信くれないから私が引
こちら「の地方」に戻ってくるのは了承したものの、本当はこの街には戻ってきてほしくありませんでした。田舎の小さな街ですから、もともとの彼の知り合いもたくさんいます。何より、彼が事件を起こしたのもこの街です。被害者の方が今どうしていらっしゃるのかわかりませんが、もしかしたらまだこの街にいるかもしれません。私は当初、ここより少し大きな隣の市で部屋を探してほしいと彼に言っていました。その方が仕事も探しやすいし、そのまた隣の政令指定都市までも通勤圏に入るので、ますます仕事の幅が広がると思った
また電話するからとは言われたものの、一度の電話に数千円はかかるでしょうから、そうそうはかかってこないだろうと高を括っていました。…それが来るのです。毎日毎日。長話はできませんが、最初のときと同じくらい、10分程度の会話は毎日するようになりました。ただ、まだ公衆電話からかけて来ています。施設にも公衆電話は置かれていたようですが、やはり知っている人たちの前で話すのは抵抗があったようで、外の公衆電話からかけてきていました。施設には門限もあるので、夜中や早朝の電話などもできません。
仮釈時、彼のいた刑務所ではやはり仮釈放式はあったそうです。その日仮釈の方が彼の他にもう一人いたそうなのですが、その方も引受人がおらず、彼とは別の更生保護施設に行くことになっていたので、その刑務所の仮釈放式に引受人も出席できたものかは彼もわからないそうです。式のあと、最寄り駅までは刑務官が付き添ってくれたそうです。そこからはいよいよ自力です。拘置所移管から数年間ずっと煙草を吸えずにいて平気になっていたのに、ここで既に彼は煙草を買って吸ったらしいです。せっかく自然と禁煙できていたの
昨日、珍しく車でAMラジオを聞いていたところ、裁判傍聴リポートみたいな話題が放送されていました。一般リスナーからの投稿だったみたいですが、傍聴した裁判の様子を面白おかしく紹介されているものでした。数件目で、『公開プロポーズ』と銘打たれた話題があったので、何か嫌な予感を覚えつつ聞いたいたのですが。そのリポートでは、男女のカップルが共謀して事件を起こし、男性の裁判に女性が証人として出廷していたというものでした。そこで裁判官から、今後女性との関係をどう考えているかと聞かれた男性が、「結
昔のガラケーって、公衆電話からの着信はそのまま公衆電話と表示されていましたよね。スマホになったからか、私の機種がそうなのかはわかりませんが、今は公衆電話からの着信も非通知と表示されます。この数年、公衆電話からかかってくることなどなかったので気づいていなかったのですね。最初に彼から連絡が来るときは公衆電話からだろうと思って構えてはいました。ですがある日、非通知の着信があったのです。非通知は何か気持ち悪くて、基本出ない私なので、その時もしばらく放置していました。でもどこか引っかかって様子
彼との付き合いの期間、彼の刑期など曖昧なままにしてきました。今も具体的に記すつもりはないのですがざっくり言うと、彼と知り合った当時『思春期に入りかけていた』私の息子が、現在は大学を出て独り立ちしています。それくらいの時間は経っています。また、彼の逮捕時、彼はまだスマホを持っていませんでした。彼は、と言うより、まだ今ほどにスマホが普及していなかった頃です。ちょうど彼が留置場から拘置所に移送されたときに、私がスマホにした記憶があります。それでも私はスマホを持つのが平均よりは早かったで
数年が経った冬、彼から久しぶりに手紙が届きました。引き受けてくれる更生保護施設が見つかったこと、あと1~2ヶ月のうちに仮釈放される見込みであることが書かれていました。それはとても遠いところにある施設でした。例えて言えば、東北から九州くらいまで離れた県でした。何件の保護施設にあたってみたのかはわかりませんが、ようやく見つかったようです。そして、仮釈放されても刑期満了日まではその施設にいなければならないけど、その後はやはり私のところに帰りたい、一緒に暮らしてもらえないかと続いていました
ツイッターで更新を知らせて欲しいとのお声がけをいただきましたので、連携させてみました。こちらで更新アラートが発信されております。よろしければご利用ください。https://twitter.com/Machibitohana?lang=ja@machibitohana
さて、世の中には不幸自慢が好きな方がたくさんいらっしゃいますね。私はあれ、大っ嫌いです。時には不幸自慢の人が複数人集まり、自分の不幸度を競い合っていたりします。なんなんでしょうね、あれって。もちろん私だって家族や友人に泣きつくこともたまにはあります。こんなに辛い思いを誰かに聞いてほしいと思う時もあります。でも不幸自慢の人って、そういうのでもないんですよね。とにかくだれかれ構わず所構わず自分の不幸ばかりを語りたがる。私は内面とは裏腹に、見た目はほんわかした雰囲気なのだそ
彼からは数ヶ月おきに、ポツポツと手紙が来ていたりもしましたが、私はそれ以降手紙を書くことも、もちろん面会に行くこともなくなりましたので、そのポツポツ来ていた手紙からの情報や、帰って来てから聞いた話を繋ぎ合わせながら、その後のことを少し綴りたいと思います。この騒動の渦中で二類に上がっていた彼ですが、その後一類まで上がったそうです。一類になると、立会なしの面会ができるそうです。他の施設の待ち人さんが、立会も仕切りもなしの面会をして、キスはダメだけどハグまでOKだったとどこかで記していたのを
彼はもともとJUJUが好きなのですが、私からそんな手紙が届いたころには、この曲が流れていたそうです。言われてみれば、『思い出せなくなるその日まで』と同じ時期の曲だった気もしないでもないのですが、私の方は記憶が定かではありません。彼はこの曲を聴きながら、布団に潜り込んで泣いていたそうです。やはり、刑期も半ばを過ぎてから引受人がいなくなったのはものすごい痛手だったようです。「私を手放したくないのは引受人として繋ぎとめておきたいのか、女として人間としての私が欲しいのか」という私の問
このころに流れていたbacknumberの曲です。この詞が本当に自分の気持ちとリンクしていて、この曲を聴きながらどれほど泣いたかわかりません。若造のくせに(すみません、私の年齢からすると、backnumberのメンバーたちは若造です)なんでこんな曲書けるんだよと毒づきながら聴いては泣いていました。本当に、自分が半分になった気持ちでした。https://www.youtube.com/watch?v=qYp0VgzcJ7s
引受人ではなくなったことを私自身が、彼の手紙で知らされました。その言葉の続きとして、もう一度考え直してもらえないか、また引受人になってもらえないかと書かれていたのですが、私にはすでにその気力が残っていませんでした。一度解かれてしまった以上、また観察所の調査から始まるのかと思うと、何とも言えない疲労感に襲われてしまいました。彼との関係も、その時点では改善するとは思えなかったのです。とても許せる気持ちにはなれませんでした。しばらく返事を書けずに、数週間は放置したと思います。中
それまで保護司さんとの面接は年1回ペースでした。この時はまだ、前回の面会から半年ほどしか経っていなかったので、どうしたのだろうと思いました。もしかしたら彼が、私を引受人から解任するような手続きでもして、私のところにも確認に来るのかとも思いました。でもすぐに折り返しの電話をしてみると、なんてことのない普通の面接の時期ということでした。彼の刑期も半分くらいまで来ていましたので、これから仮釈に向けて、私の方も面接のスパンが短くなっていくんだなと思いました。しかし、彼との仲がそんな状態
その後3ヶ月ほど、手紙での喧嘩?話し合い?がダラダラと続きました。以前の喧嘩のときもそうだったように、面会には行きませんでした。30分の面会では解決どころかストレスを増大させるだけと思ったのです。最後の面会を「もう無理」という言葉で終わらせてきてしまいましたが、私が引受人をおりればほぼ満期確定になる彼でしたので、なんとか考えを改めさせ、引受人を続けてやりたい気持ちもありました。ですが何をどう言っても彼には響かないのです。これが、刑務所の「清く正しく美しい」教育のあり様かとつくづく思
この時の騒動について、出所後の彼から聞いた話です。面会で彼と私が大喧嘩になったことは、すぐに先生方の間に広まったそうです。最初のうちは、会う人会う人(先生方)に、怒らせたんだって?喧嘩するなよーくらいの笑い話にされていたそうですが、事の次第が広まるにつれ、事態は深刻になっていったようです。立会の刑務官も、伊達に記録を取っている訳ではなさそうです。何しろ、刑務所側が手紙を入れ違えたとしたら大問題です。刑務所内にピリピリした雰囲気が漂い始め、間もなく事情を聞かれるための面談に呼び出されたそ
先日、清水アキラさんの息子さんの逮捕時、娘の誕生日を祝いたいから保釈してくれと言う息子さんに対して、祝えなくしたのは自分だろうと涙ながらに拒否したと報道されていましたね。まったくその通りです。愛する人、守るべき人がいるのにどうして犯罪など犯すのか。過失ならいざ知らず、アキラさんの息子さんも彼も、自らの意思で犯罪に手を染めたのです。それでいて娘を想う父親面などちゃんちゃらおかしいです。父親でありたいのなら最初から犯罪などと無縁でいれば良いのです。どうしてそれがわからないのか、不思議でた
その当時の娘ちゃんの年齢は、「パパへのおてがみ」は書けるでしょうが、宛名を書き切手を貼り、投函するところまで一人でできるとは思えない年ごろでした。明らかに元奥さんが関与しています。事件のとき一切を拒否した彼女が、どうして未だに娘ちゃんとの交流を許しているのか、まったく理解に苦しみました。待ち人さんの中には、お子さんと一緒に待っている方々もたくさんいらっしゃいます。それならいいのです。苦しいのも闘っているのもママと一緒ですから。でも彼女の場合はそうじゃない。離婚してるから関係あり
数日後、待ちに待った本収監元からの手紙が届きました。いつも制限いっぱいの7枚を使い、けっこうな厚さになって届く封筒が薄かったのは少し気になりましたが、以前にもあった、移送を知らせる特別発信なのかと思い、それはもうワクワクして開封しました。……入っていた手紙は、私宛ではありませんでした。…パパも早く病気を治して、また三人でお出かけしようね…別れた元奥さんのところにいる娘ちゃんに宛てた手紙が私のところに届いたのです。彼はとうに三類にあがっており、手紙の発信も月
さて、ここで少し、出所後の彼から聞いた話を少し。手紙の検閲も、面会の立会も、最初こそ他人の目や耳が気になりましたがすぐに慣れたし慣れなきゃやってられないというようなことを以前に記したと思いますが、それは中の人にはちょっと違うようです。手紙も面会も、あまりふざけたことを書いたり言ったりすると、後で説教をくらったりするそうです。だからある程度は、言葉を選んでいたらしいです。外の人間は何を読まれようと何を聞かれようとその場で終わりなのでまだいいのですが、中の人はそうもいかないと、言
なんとか無事に、一年が過ぎました。彼の職業訓練期間も終了したのですが、すぐに戻されると思っていた本収監元への移送はそれからまたしばらくかかりました。訓練が終わっても、職業訓練に類した工場から離れることもなく、同じ環境のまま更に数ヶ月が過ぎました。何度もの移送を経験した彼ですが、本当にこの移送のタイミングというと、いつどうなるのか全く予測もつかないのです。本人にも2~3日前にならないと知らされないと言うのは先にも重々記しているところですが、この時も訓練終了から数ヶ月、彼も私も落ち着かな