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祖先の旅#15最終章尾張へ。「すべてはDNA検査から始まった」一本の父系。Y染色体ハプログループO2a2b1a2a(F444)日本では資料がほとんど見つからない。だが、イリ・カザフ人を対象とした研究では、•全体の約20%弱•O系統内では25.9%という明確な頻度で確認されていた。参考リンク:Y染色体の証拠により、新疆カザフ人の北東アジア起源と18世紀のケレイ氏族の拡大による遺伝的影響が確認された。Frontiers|Ychr
祖先の旅#14丹波から美濃へ第3章美濃下向―王命としての開拓丹波で育まれた技術と人材は、やがて次の舞台へと送り出される。その行き先が――美濃である。⸻「下向」という言葉の重さ古代史で使われる「下向(げこう)」という言葉は、単なる移動を意味しない。それは、•王命による派遣•政治的・軍事的・経済的目的を伴う移動•成功が期待されている任務を指す。つまり、美濃への移動は、逃避でも放
特別編丹波から美濃へ第2章丹波の姫と王権中枢イリ王権仮説が、単なる音の一致や想像ではなく、歴史の中で「動いた形跡」を持つとすれば、その最大の接点は――一人の女性に集約される。日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)である。⸻丹波の姫が皇后になるという異例日葉酢媛命は、第11代垂仁天皇の皇后として記録されている。ここで一度、立ち止まる必要がある。古墳時代初期、皇后は単なる「后」ではない。•外戚は政治勢力そのもの
祖先の旅・特別編ⅢDNAが示す渡来以前の弓月の民―卑弥呼と同時代、朝鮮半島北部その2⸻―前回までのお話前回(その1)では、Y染色体ハプログループO2a2b1a2a(F444)が、現代の漢民族主流とは異なる系統であることを確認した。F444は、中央アジア・イリ盆地に集中して残り、モンゴル高原のバヤンボラク遺跡でも確認されている。この系統は、中央アジアから東へと連なる一本の移動の流れを示していた。では、その流れは、海を渡る直前、どこ
祖先の旅・特別編ⅢDNAが示す渡来以前の弓月の民―卑弥呼と同時代、朝鮮半島北部その1⸻序章なぜ、渡来以前の弓月の民を描くのか日本古代史において、「渡来人」はしばしば海を渡った瞬間から語られてきた。百済から来た。新羅から来た。あるいは大陸のどこかから来た——。しかし、その人々が海を渡る直前に、どこで、どのように生きていたのかは、ほとんど語られてこなかった。理由は単純だ。日本列島には、この時代を記した文字資料が存在しない。一方で、大
『祖先の旅・特別編―下戸と酒豪遺伝子の考察ー』ヒロシのDNAと家系の体質から古代の国家形成の謎に迫る!第1章酒と権力―古代日本を支配した「体質」という見えない力人類の歴史を語るとき、私たちは武力や血統、宗教や制度に注目しがちだ。しかし、もっと身近で、もっと身体的な要素が、社会のあり方を左右してきた可能性はないだろうか。それが――酒である。私はDNA検査をきっかけに、自分が遺伝的体質として「下戸」であること、そして尾張という地域に下戸体質が多いことを知った。だが
p🌟特別編:絹がつないだ二つの大地――DNAが語り始めた、忘れられた民の旅――第一部|問いは、草井の土から始まったなぜ、尾張の草井には、あれほど上質なお蚕様が育っていたのだろうか。この問いは、長く答えを持たないまま、地域の記憶の奥に沈んでいた。草井では、かつて家の二階いっぱいに蚕棚を組み、家族総出で蚕を育てたという。昭和初期、丹羽郡では農家の75%が養蚕を営み、桑畑は畑地の69%を占めていた。出典:中部産業遺産研究会https://share.
🌕第9章:備前―火の山の里(ひのやまのさと)Ⅰ.由良川の別れ由良川の夜明けは、火が生まれる瞬間のようだった。ここは、今の京都府綾部市広瀬町。水面は淡い朱に染まり、谷を流れる風は昨夜の祭りの煙の匂いをまだ抱いている。舟が一艘、岸に繋がれていた。舟の中央には小さな火箱(ほばこ)が置かれ、その中では燈護(ひもり)の社から分けられた“火の種”が静かに揺れている。舟のそばに立つ男の指は、土と火に焼かれた職人の手だった。——伊里(いり)。
🌕第8章火の再生―燈護(ひもり)の社に宿る誓い⸻Ⅰ.燈護の火由良川の流れが、夕暮れの空を映して黄金に染まっていた。ここは、舞鶴にほど近い、今の京都府綾部市広瀬町。山と川が抱き合うこの盆地は、遠き弓月の民が倭の地に初めて腰を下ろした場所と伝わる。川のほとりの丘に、小さな社があった。人々はそれを「燈護(ひもり)の社」と呼んだ。火を灯し、民を護るという祈りがその名に込められている。大陸より渡り、この地に根を下ろした弓月の民は、その社に火を掲げ、祖の魂を慰め、倭の神々に祈りを
祖先の旅#8第7章海を渡る民Ⅰ.夜明けの出航東の空がわずかに白み始めた頃、弓月の人々は海岸に集まっていた。霧の奥に並ぶのは、新羅の造船工が仕立てた頑丈な船と、弓月の技師が補強した鉄の留め具荷には――鍛冶の道具、灌漑の設計図、そして誇りを失わぬためのわずかな鉄。誰もが震えていた。寒さだけが理由ではない。だが、弓月君は振り返らなかった。「ここは終わりの地ではなく、旅の途中であっただけだ」波の音が答える。水平線の向こうには、まだ見ぬ未来が広がっている。「祖父よ。
『祖先の旅特別編Ⅱ:データから読み解く弓月の記憶』2025年。一つの科学論文が発表された。それは「弓月」という言葉を一度も使っていない。だが、そのデータを読み解くうちに、ひとつの確信が芽生えた——**「これは、あの旅の続きを示している」**と。ストロンチウム同位体、DNAハプログループ、出土地点。一見冷たい数字と地名の羅列の中に、確かに人々の足跡と決断の痕跡があった。それは、イリ盆地から河西回廊、そして新羅を経て倭国へと至る技術者たちの軌跡——弓月の記憶が、
徐福が日本に渡来した正確な記述は、日本に残っていませんが中国では、司馬遷の史記に記述があります。童子童女から、あらゆる技術を持った技術者集団が数千人が渡ったと言う伝えがあります。この第一陣が紀元前に日本に渡来してきました。これが、1回目の天孫降臨です。徐福は、始皇帝の同族とも言われ贏(えい)と言う名を持っていました始皇帝は、名を嬴政(えいせい)と言いますから、縁戚であったと思われます。徐福伝説の地は、日本各地にあり九州から、丹後、日向、高知、熊野や、東日本にありま
🏯第6章大陸との決別Ⅰ.不安の大地新羅の地に根を下ろして十余年。弓月の人々は宿舎を建て、川を引き、田を整え、ようやく人らしい暮らしを取り戻していた。赤土を踏み固めて築いた堤は今も健在で、春には麦が風に揺れ、秋には黄金の稲穂が垂れる。だが、心の安らぎは一度も訪れなかった。北からは高句麗の影が忍び寄り、王都では権力争いが絶えない。税は重く、穀物の半ばは上納され、残りを皆で分け合って日々を繋いでいた。風はまだ冷たく、戦火の匂いが遠くから運ばれてくる。>「我らの技は、いつまで人
第3章・「万里の長城の民」(張掖→酒泉→敦煌→河西回廊)張掖の宿舎に到着した弓月の一行。町外れの現場宿舎は高い土塀に囲まれ、門には漢の兵士が立ち、出入りは厳しく監視されていた。「ここから先は許可証がないと出られません。」門番の兵士が淡々と告げる。宿舎の中には整然と並ぶ家族用の住居、資材置き場、作業場、兵糧庫。男たちは現場へ、女や子どもは宿舎の仕事や食事の準備に回される。すべてが軍の管理下にあり、外部との接触は禁止されていた。「これは最高軍事機密の工事だ。漏洩は許さ
第4章契約と東方への道漢武帝との契約乾いた風が吹き抜ける中、功満王は少数の供回りと長老を伴い、馬を駆って張掖に到着した。張掖の街は、すでに築城が終わった安定した要衝だった。宿舎や司令部だけが残り、他国の労働者たちはさらに東へと移動していた。張掖市山丹県の峡口古城。迎えたのは漢武帝の勅命を預かる役人だった。大広間には絹と黄金が積まれ、巻物と金印が机の上に置かれている。役人は深く一礼し、厳かな声で告げた。「河西の防衛線は完成した。次は東方、雲中・上谷方面の築
新説:弓月君と120県の民は、万里の長城建設の技術者集団だった!これまで、祖先の旅をDNA🧬から湧き出す勢いに任せて創作と投稿をしてきました。祖先の故郷のことや大移動を決断する理由などについての見直しと修正をしているところです。元々、弓月君について研究していたわけではないため少ない情報の点と点(私のY染色体ハプログループとイリ・カザフ人、イリ盆地と弓月君の渡来の記録)を線でつないで物語を創作してしまいました。イリ盆地を出て長安まで移動するところを描く際に途方もない距離を2万人
第2章:漢帝国の兵士となる私のY染色体が語る物語は、ついに戦場へとたどり着いた。モンゴル南部、ゴビ砂漠の乾いた大地に築かれた漢帝国の前線要塞――バヤンボラク遺跡。ここで見つかった20人以上の兵士たちの骨から、私と同じY染色体ハプログループO2a2b1a2a(F114)が検出された。紀元前2世紀後半、漢帝国の武帝は北方の匈奴に対して攻勢を強め、万里の長城の外側に多数の要塞を築いた。紀元前104年に築かれたこの要塞は、漢と匈奴の抗争の最前線であり、ここで私と同じY染色体ハプ
第1章:黄河流域での目覚め私のY染色体ハプログループO2a2b1a2aは、遺伝学の研究によれば約6000〜8000年前、黄河流域の農耕民集団から広がった系統だとされます。6000年前、黄河のほとりに立つ私の祖先は、朝日に照らされる川面を見ながら、新しい季節の始まりを感じていたのかもしれない。ここは、アジアの文明のゆりかご。農耕が始まり、村落が生まれ、青銅器が作られた。そしてここで、私のDNAが「目覚めた」。_____________________________
✨序章:DNA検査からはじまった旅自分の祖先は一体どこからやってきたんだろう?やってみたいと思っていたDNA検査。それまではドイツなど海外の会社であったため躊躇していたところ、日本の会社がサービスを開始して、しかもキャンペーン価格だ。海外のサイトよりも安心感があって結果も早そう。結果が届いた瞬間、画面に表示された父系Y染色体ハプログループ「O2a2b1a2a」という文字列。ちなみに、母系ミトコンドリアDNAハプログループは「A5a1a2a」だった。「え、これって何?
最近忘れてたから、最初に入れとく。プロパガンダ[新版]Amazon(アマゾン)「世の中の一般大衆が、どのような習慣を持ち、どのような意見を持つべきかといった事柄を、相手にそれと意識されずに知性的にコントロールすることは、民主主義を前提とする社会において非常に重要である。この仕組みを大衆の目に見えない形でコントロールできる人々こそが、現在のアメリカで『目に見えない統治機構』を構成し、アメリカ
カザフ人と日本人はよく似ている!紀元前3世紀と紀元後3〜7世紀に日本へ大量に移住して来た秦氏のルーツは中央アジアの弓月国(今のカザフスタン辺り)と言う説がある!https://bizconsul.net/2023/09/01/126898/【タブー】カザフ人と日本人はよく似ている!紀元前3世紀と紀元後3〜7世紀に日本へ大量に移住して来た秦氏のルーツは中央アジアの弓月国(今のカザフスタン辺り)と言う説がある!|BIZCONSULOFFICEbizconsul.net◼️下記の写真を
ピラミッド形の古墳たちから、6世紀〜7世紀には倭人のルーツがエジプトにあったと理解していた事を知る事が出来ました。この倭人のルーツの情報をもたらしたのが「秦氏(はたうじ)」だと云われていますが、まぁその通りではないかと思います。秦氏とは中国の北の弓月国から来た氏族ですが、秦の始皇帝の末裔ともいわれており、実は矛盾する伝承になるのですが、一つ思いあたる事があります。勿論、まだちゃんと調べた上での事ではないのてすが、私は始皇帝となった嬴政(えいせい)とは倭人とも関係が深いのではないかと
初めてお名前を知ったのはYouTubeだった。素敵なお名前が記憶に残っていた。4年ほど前家族で弓月神社近くのアスレチックへ遊びにいった。帰りに寄りたいと思っていたけれど予定よりアスレチックを楽しみ過ぎて寄れなくなったそこからずっと氣になりつつ行けないままだった。念願の弓月神社到着。お名前を知るきっかけになったYouTubeでは写真を見ながら弓月神社について話されていたものだったので、私は緑に囲まれた境内の写真をみて勝手に想像
4話視聴後コピペしたもの👇今さらですが描きたいとこだけ4話感想吐息から愛が漏れ出てた#天官賜福#TGCFpic.twitter.com/oPHydTqlue—照代(@5teruyo5)2021年8月1日1週間遅れたけど4話最高やったね...🤦♀️#天官賜福#天官賜福アニメ#TGCFpic.twitter.com/IlkIHuh8ae—もね(@mone_0610)2021年8月3日閑話休題。オリンピック閉会式ギリギリ終わった。故に今日
(6)三種の神器の正体マナの壺は籠神社にあったが、失われてしまったという。マナの壺は、エジプト脱出後のイスラエル人を救った聖なる食物を入れた壺で、ユダヤの三種の神器の一つである。飛鳥氏によると、マナの壺は伊勢神宮の外宮にあるという。天照大神が鎮座しているのが伊勢神宮の内宮であり、豊受大神が鎮座するのが外宮である。日本には三種の神器と呼ばれるものがあり、八咫鏡、天叢雲剣、ヤサカニノ勾玉で、天皇が天皇であるという証拠になる御印である。現在は、それぞれ、伊勢神宮、熱田神宮、皇居内にあ
『二人の月読の内緒話』日本の太陽神『天照大御神』が最高神とされたのは、明治時代のことであるらしい。『天照大御神の内緒話』『天照大御神(アマテラスオオミカミ)』神々の国「高天原(た…ameblo.jp↑のつづき。日本の月神は、渡来人である『月読』に消されてしまった。『月読』は「月弓」とも書かれることがある。つまり、元々は『弓月国』の民であったはずだ。かつて、天王山脈の北側、現在のカザフスタンとウイグルの間に『弓月(クンユエ)』という国が存在したという。その付近には、なんと『ヤマトゥ』